第194話 挙国一致の階・エピソード和樹


『あんたら、何してん?』


 じっとりと眼を据わらせるは、我等が小人さん。


 その視界に映る三人組は、まるで悪戯を咎められた子供のように背中を丸めて固まっている。

 すでに何度も顔を会わせたことはあったが、こうして演奏している処を押さえられたのは初めてだった。


『いやな。その..... ギターがな?』


 一見、穏やかで柔らかい物腰の青年は飄々とした風情で手にしているギターをポロンと爪弾く。

 それにコクコクと頷きつつ、ギターの青年より一回り小さい少年があたふたしながらも庇うように小人さんの前に進み出た。


『兄上を叱らないでください。僕が御願いしたのです』


『あれぇー? 三人とも知り合いか?』


 見慣れた兄弟とともに居た誰かが、睨み付ける小人さんを懐かしげに見上げる。


 ここは天上界。


 少し前までは真っ白な空間に靄しか漂っておらず、召された魂は即浄化され輪廻の環に戻されていた。

 だが、小人さんによって世界を得た神々は、それを自慢でもしたいのだろう。召された魂らに擬似的な肉体を与えて、今は転生まで若干の猶予をくれる。

 得る肉体は本人らの望む年齢の姿。件の青年と少年は、皆様御存知、クラウディア王国の吟遊詩人と星の王子様だ。

 彼等がここに滞在していることは知っていた。ようやくオデールとパスカールが心やすらかに兄弟でいられる姿に眼を細めてもいた。

 

 なのに、森の隠者となった小人さんが所用のため天上界を訪れると、何処からか耳慣れた歌が聞こえてくる。

 驚きつつ探してみれば、件の二人が和気藹々と合唱していた。見慣れた兄弟の歌う歌に、思わず剣呑な眼を据わらせる幼女。

 そしてオデールを一瞥して、新たに気づいた事実を確認する。


『スキヤキソングとか..... あんた、転生者やったんか。オデール』


 日本人の大半が知っている有名な歌。これを弾いていたオデールが何者なのかは一目瞭然。


『んふ~、まあ?』


 しれっとほくそ笑む吟遊詩人様。いきなりフロンティアの芸術劇場へやってきて、めきめき実力を上げていった彼。

 ギターを主流にあらゆる楽器を学び、声楽の基本や演技も積極的に身に付け、元王子とは思えないほど腰が低く、芸術劇場の人々に溶け込んで貪欲に学び続けてきた彼。


 小人さんの生前、その名を世界に馳せたオデールの底力の根元を垣間見、幼女は思わず苦虫を噛み潰す。


 小人さんにすら全く気づかせなかった彼の惚けっぷりには脱帽だ。


『転生者?』


『ようもまあ、韜晦してくれたもんやな。全然、分からなかったわ』


 はあぁぁ、っと嘆息する小人さんと、それに首を傾げて疑問顔なパスカール。

 二人は千尋と出会った頃の姿形をしていた。十代前半と後半。

 そんな二人と共に座っていた人物は、白髪の目立つ初老な男性も、すっとんきょうな顔で千尋とクラウディアの兄弟を交互に見ている。


 じっと小人さんを見る真っ黒な瞳。その顔には、若い頃の面影があった。

 


『和樹やん。なんで、あんたが?』


 初老の男性に見つめられ、きょんっと呆ける可愛らしい幼女。

 黄緑のポンチョに赤いサロペットズボンのその格好を、和樹が忘れられる訳はない。


『お姫ぃさんか? こりゃたまげた。その眼はどういうこった?』


 千尋の眼には、蜂蜜色に煌めく金色の瞳。


 それを、にっと煌めかせ、小人さんは何時もの不敵な笑みを浮かべる。


 ああ、変わんねぇな。


 和樹の脳裏に甦る記憶。


 あの奇天烈で鮮やかに彩られた思い出は、今も彼の心に鮮明に思い浮かぶ。




「.....っだぁぁぁっっ!! やめねぇか、お前らぁぁーっ!!」


 フロンティアから依頼を受けて、和樹率いるキャラバンは貧民、難民輸送の殿を務めた。

 長期の遠征などはあれど、砂漠や荒野を渡る経験のない騎士団を補佐するためだ。

 フロンティア騎士団の半数は平民であるので、大した軋轢はなかったのだが、問題は経由していくカストラート王国の人々。

 獣人などの稀少な生き物を眼にして、貪欲に食指を動かす者達もおり、そういった仲裁に日々追われる。


 魔物を従えさせることをステータスとするような国だ。代替わりしたとはいえ、末端にまで眼は光らせられない。

 フロンティア騎士団に敬意を払えど、その荷物に過ぎない獣人らや和樹達のキャラバンを、あからさまに見下し売買を持ちかけてきたりもする。


「言い値を払うと言っておるだろうが。そうだな、そこの猫の獣人で良い」


 嫌な笑みを浮かべた貴族が、和樹らの連れていた猫の獣人の少女を指差した。


 カストラート王宮の庭を解放してもらい、フロンティア騎士が警備するなか、夜営の準備の合間に物資を補給しようと買い出しに出た和樹達。

 好奇心でついてきた少女らが、通りすがりの貴族の眼に止まってしまったのだ。


 あ~、と天を仰いで大仰に溜め息をつく和樹。


「この者らは売り物ではありません」


 言葉少なに答えて踵を返した和樹らを貴族の護衛らしき兵士が取り囲む。


「獣人は奴隷と決まっておろうが。売り物でなくば、なんだと言うのだ。値段をつり上げたいのか? 賢い判断ではないぞ?」


 怯えて和樹の脚にしがみつく獣人の子供達。


 彼等と旅の間に慣れ親しんでしまい、こういった現実があることを、うっかり失念していた和樹のしくじりである。

 だが和樹は今も昔も人身売買だけには手を染めていない。それは彼の矜持だ。

 その矜持を踏みにじられ、彼は獰猛に唇をまくりあげた。

 

「.....だから、どうしたってんだ?」


「なに?」


 訝る貴族の顔が瞬く間に恐怖で凍りつく。

 

 和樹の周りにたむろう何かに気がついたからだ。


 そこに蠢く多くの生き物。


 地を這う蠍や蛇。空を切って翔んでくる蜜蜂らや、その背に鎮座する蛙ら諸々。

 和樹の気配が変わったことを察知したのだろう。速攻で駆けつけてきたモノノケ様と呼ばれる面々の登場で、形勢は完全に逆転した。


「獣人がなんだって? もっぺん言ってみろや。あ?」


 モノノケ様の威を借りる和樹。


 ゆらりと立ち上る怒気を彼等から感じとり、戦き、震える貴族達である。

 魔物に襲われ、炎上したカストラート王国の貴族街。その記憶は未だに薄れていないのだろう。

 当然現れたモノノケに喉が凍って声も出ない様子。


 これで奴等も引き下がるだろうと和樹は心の中で嗤った。

 こういった事態を想定して小人さんにつけられていたモノノケ達だ。その威力を十全に発揮してくれる。


 ここまでは彼の想定内。だがしかし、常に想定外が起きるのが小人さんワールドのデフォだった。

 なんと、和樹が止める間もなく、モノノケ様らが貴族に飛びかかってしまったのだ。

 もちろん手加減はしているのだろうが、護衛兵士達が応戦するも虚しくボコボコにされてしまう貴族男性。

 薄皮一枚とはいえ、切るわ射すわ、体当たりするわ。

 みるみる満身創痍にされる貴族達を唖然と見据え、和樹は慌ててモノノケ達を制止した。


「やめろって、こらあぁぁぁっ!!」


 小人さんは常に子供と女の子の味方。それを知る僕なモノノケ隊も、子供の敵に容赦無し。


 おらぁっ! と暴れるモノノケ達の余波で吹っ飛ばされつつも、必死に止める和樹だった。




「.....不問に」


 満身創痍ないでたちで平民に暴力を振るわれたと訴え出た貴族達を、辛辣に睨み付けて追い払うカストラート国王。


 未だに前回の騒動の余韻を残す王都なのに、よくもまあこんな騒ぎを起こしてくれたものだと、国王は深く溜め息をついて首を振った。

 うんざりと歯を浮かせたその表情が、これでもかと彼の心情を物語る。


「彼等は私がフロンティア王女殿下からお預りした客人だ。無礼は許さぬよ?」


 カストラート王の言葉に、納得いかぬ顔の貴族達。


「商人が品物を持っているのに売らないというのは、いかがなモノでしょうか?」


「然り。平民風情に許された態度ではありませぬ」


 獣人は何処でも垂涎の商品だ。それを知る他の貴族達らも、これに便乗して何とか珍しい奴隷を得ようと動き出した。


 喉元過ぎればなんとやら。


 魔物飼育とはベクトルの異なるステータスを見つけ、貴族達は躍起になっている。

 獣人は稀少で滅多に見ない奴隷だ。金額も品物によるが人間の数倍から十数倍。見目も良く、戦闘力も高く、連れて歩けば鼻高々なペットである。

 周囲から羨望の眼差しを集めるのは間違いない。そんな生き物がわらわらと居れば、欲しくなるのが人情というモノ。


 獣人を生き物としか見ていない貴族らの浅はかさに、溜め息しか出てこぬカストラート国王の前で、和樹は面倒臭げに頭を掻いた。


「商品、商品というが、これが商品なら持ち主が居るのだとは思わねぇのか? あんたら」


 もはや敬語もない。


 慇懃無礼な態度で宣う和樹に集まる疎ましげな貴族らの視線。

 ただ一人、カストラート国王のみが、ああ、とばかりに瞠目していた。


「この獣人達は、フロンティアの王女殿下がクラウディアで購入したモノなんだよ。俺らはその運搬を任されている。フロンティア騎士団が護衛についてる時点で察しろよな」


 あの幼女にそういった認識がないのは承知の上で、あえて和樹は千尋の事を口にした。

 郷に入れば郷に従えだ。権力を振りかざす者らには、それを上回る権力を見せつければ良い。


 案の定、小人さん保有の奴隷だと誤解したカストラートの貴族達は、大いに狼狽え、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 引き抜いた伝家の宝刀を鞘に収めた和樹は、言い知れぬ不安を胸に過らせて、なんとなくモヤモヤした。

 それはキャラバンの面子も同じである。


 フロンティアの騎士団は小人さんに忠実な者達だ。彼女の命令に背くことはない。

 だがそれは、命令以上でも以下でもなく、獣人らに同情を示しつつも彼等を幼女の所有物としか見ていなかった。

 フロンティアでも獣人は奴隷的な種族という認識なのだ。生き物を大切に育てるという基本概念が他国とは違うため丁寧に接しているだけで、その根底にある蔑みは変わらない。


 事実、ドルフェンがサーシャを娶ろうと考えた時、小人さんの仲間ら以外から祝福はされなかった。

 哀しいが、これがアルカディアの現実だ。


 この意識を改革するには長い時間がかかるのだろう。


 犬猫の飼い主だって、溺愛して家族同然という者もいれば、虐待してゴミ同然に扱う者など千差万別。そんな程度の違いしかないアルカディアの奴隷事情。しかも大半の人々は、奴隷を家畜ほどにしか思っていない、この状況。


 アルカディアの多くの国々と商いしてきた和樹らは、その残酷さを、よく知っていた。


 だから一抹の不安が胸を過る。


 これから、この獣人らはどうなってしまうのだろうかと。

 どこかでひっそりと暮らせるならば良い。フロンティアや小人さんの庇護の元、それは可能だろう。

 しかしその庇護がなくなったら? 幼女が儚くなってしまったり、フロンティアが彼等から興味を失ったりしたら、どうなる?


 高値で売れる稀少な生き物を、他国が放っておくわけはない。


 こうして漠然とした恐怖を感じた和樹は、無意識のうちに未知の階段へと向かっていた。


 今は亡き祖国キルファン帝国でも二分していた主張。


 男尊女卑の嫌な面のみを浮き彫りにしていた祖国には、かつて古くから続く教えがあったのだ。


 八紘一宇。


 世界に存在する全ての人間は、空という一つ屋根の下に住む家族であるという意味の言葉。

 古いキルファン貴族に伝わるこの言葉は、長い年月のなか薄れてしまったが、和樹の一族である橘家は、これを頑なに守ってきた。

 女性らの権利の復興に全力を注ぎ、桜の婿として克己を皇帝に押し上げようとしていたのも、こういった心ある貴族達だ。

 そんな父親らを見てきた和樹の根底にもこの言葉は根深く穿たれており、いくら金になろうとも彼が人身売買に手を染めなかった理由である。


 そんなキルファンの愚かな過去と獣人らの状況が重なり、和樹の瞳に仄かな光が一閃した。

 それは、正しく日本の血を引いた者の逆境魂が、今ここに芽吹いた瞬間だった。


 それと自覚しないまま、和樹はかつて父親らが粉骨砕身した人生と同じ事象への階段に脚をかける。


 時代に真っ向から逆らうその向かい風に、心地好く頬をなぶらせながら。


 小さく角ぐむ叛逆の若木。


 これの繰り返しが時代を作る。それを本能で知っている人々が世界を紡ぐのだ。


 小人さん然り、パスカール然り、他、多くの若者然り。


 こうして大きな転換期にあるアルカディアで、新たな若者の物語が始まった。

 

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