第131話 小人さんと神々の晩餐 よっつめ


「あんたも元気そうだね」


 地下のスロープをツリツリと滑り降り、小人さんはカストラートの森にやってきた。

 以前とは様変わりした穏やかな地底湖。あの時の重苦しい禍々しさはなくなり、凛と佇む美しい湖。

 青みを帯びた乳白色の水は美しく、壁面で仄かに光る苔の色をそのまま写し取ったかのようである。

 天井一面に蔓延り萌える不思議な樹木。いや、蔓草だろうか。壁面に沿って垂れるその蔓には無数の白い小さな花が咲き乱れていた。

 その畔に立ち、銀の髪の男性は深々と小人さんに頭を下げる。


「その節は本当に御世話になりました」


 彼の名前はアブダヒール。ドナウティル出身の御遣い。過去に巡礼してきたレギオンに共感して信者となり、その信心深さから御遣いの盟約をした人物である。

 ここは森であって森ではない。本来ならチェーザレが力を取り戻す旅の最初の一歩となるはずの道標の森だった。


「だから、あんたさんがいたのね」


「はい。わたくしと最初に出逢い、あるじ様が森を巡るのに同行するはずだったのです」


 そのためにカストラートの地下の森に人間の御遣いが用意されていのだ。従者として。

 だが、肝心のチェーザレが来てみれば、従者どころが護衛までわちゃわちゃしている大所帯。

 なのでアブダヒールは何も言わずにチェーザレを見送った。十分な従者がいる。自分は足手まといだろうとの判断からだ。


「まさか、あんなに遠いフラウワーズから回られるとは。思いもよりませんで」


 柔らかな瞳で苦笑するアブダヒール。


 そりゃそうだ。普通なら地図を見て一番近い辺境を回るだろう。馬車で一週間のカストラートを無視して馬車で三週間かかるフラウワーズへ先に向かうとは、鬼のレギオンも予想外だったに違いない。


「ここはさ、森だけど森じゃない。主も不在の曖昧な森じゃん? もし、あんたさえ良かったら、アタシと盟約して主にならない?」


 そう。この地底湖は魔結晶が植えられたことで擬似的に森の力を得ただけの場所。件の魔結晶を回収された今は、アブダヒールの魔力によって維持される曖昧な森となっている。

 言うなら魔物がいるから魔力がある辺境のようなもの。主の森としての特別な何かはない。

 これから魔法が復活するアルカディアで、この森がどのようになるか分からない。

 だから小人さんは確認したかったのだ。アブダヒールがどうしたいのか。

 彼は野生の生き物ではない。文明を知る人間だ。もし、彼が人として生きて行きたいのなら、御遣いから人間に戻す事も出来る。


 そのように説明し、小人さんはアブダヒールの答えを待つ。


 困惑気味な顔で小人さんを見つめていたアブダヒールは、しばし沈黙し、次には花のように微笑んだ。


「望めるのならば盟約を。わたくしのつとめは終わりました。これからは森の主として生きて生きたいと思います」


 彼の周囲には多くの魔物。ウサギ系や小鳥系など、比較的小さく大人しい種類がこの森には多いようだ。

 きっと長くアブダヒールの孤独を慰めてきてくれた仲間達なのだろう。主ではないレギオンの御遣い達には不死の呪いがかけられていから。

 御遣い達の主である御先、レギオンが死なぬ限り死ねない。命運を共にする呪い。


 小人さんは、この話をチェーザレから聞くまで知らなかった。


 レギオンがヘイズレープの御先であり、少年神から力の一部を譲られ悠久の時を生きていたことなど、全ての記憶を取り戻したチェーザレは思い出したのだ。

 そしてそれは御遣いである辺境の番人達にも適応されている。

 小人さんは、それぞれの番人の元を訪れ、その呪いから解放してあげるつもりだった。

 そのために全ての森を回る計画をたてたのだ。


「おけっ、じゃアブダヒール、これからも、ここの森をよろしくねっ♪」


 小人さんが触れたアブダヒールの瞳が金色に変貌する。いわゆる金銀妖瞳ヘテロクロミア

 魔物たちとは違い、人であるアブダヒールの光彩は人間でいう虹彩にあたり、なかなかに美しい。


「ここの事は王に話しておくから。たぶん少し賑やかになるかもだけど、がんばってね」


 そう言い残し、小人さんはカストラート王宮へと戻っていった。




「.....この城の地下に主の森がっ?!」


 がたんっと大きく音をたてて立ち上がり、王となった王太子は慌てて小人さんに詰め寄る。


「んだ。これからは主の森として影響が出ると思うから、カストラートも豊かになると思うにょ」


 そう。今までは曖昧な存在だったがために主の森としての機能を果たせていなかった。地下である事も禍し、カストラートの魔力を復活させるまでに至らなかった。

 だが、これからは違う。小人さんとの盟約で主となったアブダヒールの魔力は段違いに跳ね上がるだろう。

 地下である事を差し引いてもカストラートに多大な恩恵をもたらすことは間違いない。

 街中に森が存在するケースは初めてだ。魔物が人間に危害を及ぼさないよう、しっかり王宮が管理しないと不味い。

 そのように説明し、小人さんは炯眼な眼差しをすがめる。


「これは極秘に。王家のみの秘密なくらいで丁度良いかな。他に知られたら善からぬ事を考える馬鹿も出るかもしれないし、魔物素材を狙って押し寄せる冒険者達が現れるかもしれない」


 魔物を利用して国家転覆をはかろうとか、阿呆はウルトラC級の誇大妄想を考えたりするんで油断は禁物。

 冒険者などはもっと切実だ。お金になるモノが近場にあるとなれば、目の色を変えるだろう。


「.....と、そういう訳なんで、地下に棲む主は人間だにょ。ジャイザリー家の先祖で、かつてはカストラートの根幹を築いた古代人だ。敬いなさいね」


 眼を限界まで見開いて絶句する王。


 それって、あれなのでは? 王家にとっても御先祖様なのでは?


 つまりは建国の王が地下に住んでおられる。


「だ.....っ、誰かあるっ! 職人を呼べーっ!!」


 驚愕し、わたわたと倒けつまろびつ駆け出していく王を微笑ましそうに見つめ、小人さんはは満足げに頷いた。

 鏡の裏の通路からしか入れない深い地下だ。アブダヒールの生活は野生動物のそれと変わらない。

 少し高い位置に枯れ草を敷き詰めた寝床を作り、大きな葉っぱを食器にして森に自生している果物のみを食べる日常。

 たまに占い師が食べ物を運んでくれていたらしいが、彼女も老齢であの深い傾斜を降りるのは容易ではない。

 代々の占い師のみが知っていた秘密。これは王家にも秘匿され、誰も口を開かなかったらしい。


「時の権力者が知れば善からぬ事を考えるやもしれません。前王のような愚物などは特に.....」


 絞り出すように呟いた老婆の言葉に、賢明な判断だったと頷くしかない小人さんである。

 しかし、本格的に森として始動させるならば黙っておく訳にもいかない。ある意味、爆弾を胎内に抱え込んだようなモノである。

 森の主への敬意と感謝を植え付け、ついでにアブダヒールの生活改善案もやってしまおうと、小人さんは洗いざらい王にブチまけたのだ。


 ちゃんとしないと森の主の怒りに触れるかもよ? と。


 案の定大慌てとなったカストラート三兄弟を見送り、小人さんは何か美味しいモノでもないかなぁとドルフェンらを連れて王都に繰り出していった。




 にわかに活気づいたカストラートから出発しようと、翌朝、小人さんらは王宮中庭に集まる。


「忘れ物はないね?」


 それぞれ確認して馬車に乗り込もうとしたところへカストラート三兄弟がやってきた。


「お早いお立ちですね。もうしばらく滞在なされば宜しいのに」


 滞在して欲しいと訴える切実な王の眼に苦笑し、小人さんはひらひらと掌を振る。


「森と戴冠式が目的だったからね。用は済んだし、他の森も回らないとだから」


 カストラートには巡礼の目的を話してある小人さん。辺境各国の王宮にも報せにゆく予定だ。

 最後の国を回ればアルカディア全域に魔力が復活する。いきなりではないが、徐々に回復していく魔力に比例して人々は魔法を使えるようになるだろう。

 当然、困惑や騒動が起きるに違いない。事故が多発する可能性だってある。知ると知らないとでは対処の仕様が変わるのだ。

 そういった話を聞いたカストラートは、即座にフロンティアの魔術師を招き入れ、法の完備や魔術部門の開発に乗り出した。

 カストラートはフロンティアを知っている。魔法というものが、どんなに便利で危険なものかも知っている。世界を一変させる力だ。


 なるほどと頷き、王は小人さんに深々と頭を下げる。


「御親切に心からの感謝を。これより先、カストラートはフロンティアへ敵対しないと、ここに誓いましょう。.....いや、フロンティアの御心に従います」


 中庭に集まっていた者達が大きくざわめいた。特にフロンティアの騎士の面々は信じられないモノを見る眼でカストラート王を凝視している。

 だが小人さんは何処吹く風。にかっと笑ってカストラート王を見上げた。


「あんたさんも大変だろうけど頑張ってね。玉令、見事でした。あれにも反発が凄いと思う。折れないでね?」


 暗に、言を覆すなよ? と言われて、にっと口角を上げるカストラート王。


「あれは餌ですよ。あれを覆させないために、臣民は努力するでしょう。わたくしに協力して良い国造りに貢献してくれるに違いありません」


 小人さんは軽く眼を見開いた。


 なんの事はない。彼は先もちゃんと見据えている。

 初めて人々の権利を主張した法案。これを失わないためにも臣民は必死になってカストラート王を後押しすることだろうと、彼は予想しているのだ。

 平民はもちろん、貴族のなかにも自由恋愛に憧れている者は多いだろう。そういった若い世代を取り込むための法案。

 子供は親の所有物というアルカディアの概念に深い楔を打ち込んだカストラート王に、若い世代は熱狂している。それさえも彼の計画の内。強かなものだ。


「恋は熱病と申しますが、シャルルを見ていて、熱病も極まれば力と知りました」


 なるほど。


 顔を見合せて思わず苦笑する二人。


 この時の話が後に大騒動を引き起こすとも知らず、小人さんは多くのカストラート人に見送られながら旅立った。


 後日、報せを聞いたロメールが頭を掻きむしって悶絶するまでの行程が小人さんのデフォである。


「カストラートが半属国宣言っ?! こういう時は説明に戻りなさいっ! チィヒーロっ!!」


 後になって水鏡ごしにロメールに叱られ、涙眼になる未来を、今は知らない小人さんだった。

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