第162話 命の砂時計と小人さん よっつめ

「正直な話、如何にして深淵の闇の精霊王を訪のうかですね」


 そうなのだ。深淵を訪れる事が出来るのは魂のみ。


 過去にジョーカーの網辺りまでなら墜ちたことのある小人さん。あの時は天上界からだったので特例かもしれない。その前は魂のみの来訪である。


 .....ん?


 そう言えば、初めて深淵を訪れたあの時、ジョーカーは何と言っていた?


『アンタと同じ匂いがするね』


「あ.....」


 そうか。今なら分かる。同じ匂いとは同じ薬の匂いだったのだ。


 ファティマだった小人さんを昏睡させたシリルの薬。


 ハビルーシュ妃が度々深淵を訪れていた理由も同じだろう。

 しかし、あの薬はもう作れない。チェーザレが薬草の理を変えたため、薬を使われていたハビルーシュ妃も薬効が抜け、正気に返ったと聞いている。

 たとえ使えたとしても周りが黙ってはおるまい。特にドルフェンは、あの薬で盛大なトラウマをこさえた。万一、使用がバレようものなら彼は自害しかねない。


 別なアプローチで行くしかないよなぁ。


 自問自答する小人さんを静かに見守る面々。


 結局は小人さんに頼るしかないのだ。周囲に出来る事といえば、彼女の進む、その道がなだらかになるように協力することだけ。

 歯痒さに焦れるドルフェンは、己の拳を固く握り締めた。

 微かに戦慄くドルフェンの拳をチラ見して、克己も知恵を絞る。

 憧れの魔法を使えるようになったものの、克己は日常的な生活魔法しか使えない。最初は感動したが、こうして千尋と行動を共にしていると情けなさに涙が出てくる。

 人には向き不向きがあるものだ。バイオレンス向きではない超文系の自覚がある克己は魔法に期待したが、それも夢破れた。

 となれば、残るは頭脳労働くらいしかない。


 小人さんから粗方の話は聞いている。そこから何か思い付けないか。

 魂でしか行けない深淵。さすが死を司る場所なだけはあるな。そこにジョーカーの精神的分身が網を張ってるんだっけ?


 一時期は縮小したらしいが、ヒュリアの乳兄弟らが墜ちてきたりした事から、再び大きく張り直しているとか。


 .....ん?


 克己は聞いた話を整理していて、ある事に気がついた。そして、強張った顔で小人さんの両手を見つめる。

 そこには、ほぼ完治したものの未だにうっすらと残る薔薇色の線。

 ゴクリと固唾を呑み、克己は唇を震わせた。


「なあ..... 深淵と繋がる場所があるよな? アルカディアにさ」


 反射的に振り返った面々は、克己の見つめるモノに気づき、顔を凍りつかせる。


「貴様っ! チヒロ様を殺す気かっ?!」


 激昂し、恫喝するドルフェン。剣に手をかけていない事を誉めてやりたいぐらいの狼狽えぶりだ。


 それを軽く手を上げて止め、克己は獰猛に嗤う。


 獲物を見据える猛禽のような瞳の輝き。冴えた光が一閃する双眸を眼にして、思わずドルフェンの肌が粟立った。

 この優男のどこにこんな狂気が潜んでいたのか。歴戦の強者であるドルフェンすらも思わずたじろぐ深い殺意。


「行くのは俺さ。ああ、そうだ。元々俺の問題なんだから。生身で行けるルートがあって良かったよ」


 くっくっくっと低く嗤う克己に、小人さんが柳眉を跳ね上げる。


「行くなら二人でだにょ。一蓮托生っしょ?」


「要らないよ。周りが許さないだろうし、俺一人のが気楽だしな」


 分かっているではないか。


 眼は口ほどにモノを言う。


 ドルフェンの眼差しが、珍しく克己の言い分を肯定していた。


 ああ、良かった。千尋を巻き込まずに済む。なんだよ、簡単だったんじゃないか。


 恐ろしいほどの安堵に満たされて、克己は全身から力が抜ける。


 大地を割ったという深い亀裂の話は彼も聞いていた。それが闇の精霊王関連であると言う事も。なんたる僥倖か。


 そして、ふと克己の眼が見開いた。


 .....僥倖?


 本当に僥倖なのか? たまたま運が良かっただけ?


 思案げに眉を寄せた克己を見て、小人さんは彼が自分と同じ結論を見つけるだろうと察した。


 そうだ。疑え。何もかもが、おかしいことに。


 神々から辺境に金色の環を作ってくれと頼まれたあたりまでは偶然だろう。そのために、あらゆる手段を用いて己や国を鍛えてきた事も。


 だが、そこからがおかしい。


 チェーザレが眼を覚まし、記憶を取り戻して力をつけた。ここらから某かの意思を感じていた小人さん。

 その疑問は、《神々のテーブル》でサファードや四大精霊王達から答えを貰えた。


 高次の者らが暗躍していると。


 そして、ここにきて別の意思を感じる。


 今までのアレコレを結びつけ、最終的に小人さんが動かざるをえない状況が作り出されていた。

 誰かが、小人さんを闇の精霊王へと導いている。わざわざ現世を深淵と繋げてまで。

 フロンティアを割った亀裂。たぶん、あそこから話は変わってきていたに違いない。


 そして、ソレイユ。


 あの亀に出逢う事で、小人さんと闇の精霊王が対峙する未来が確定した。

 アルカディア大陸の半分がソレイユの身体なのだ。あの亀が、亀裂の入った陸に気づいていない訳がない。

 つまり、ソレイユは分かっていて闇の精霊王の話を持ちかけた。それしか方法がないのも知っていて。

 生き物どころが、植物が生まれる前からアルカディアを支えてきた古き生き物だ。人々の知らない何かを知っているのかもしれない。

 いや、ひょっとしたら神々すら知らない何かを。


 まるで御膳立てされたかのように敷かれた綺麗なレール。その存在に、ようやく気づいた小人さん。


 金色の環を完成させ、魔力が復活しつつあるアルカディア大陸で新たな魔法の理を確立し、人々に広め始めたフロンティア。


 その隙間で人々に浸透しつつある演劇事業。すでに紙芝居や人形劇は各国で流行り、良い娯楽となっていた。


「妖精って、本当にいるの?」


「神々や天使さまが見ておられるのだよね。今日も頑張って勉強するよっ」


「綺麗に花が咲いたわ。精霊達が喜ぶわね」


 魔法が使えるようになり、人々の中に芽生えた、眼に見えぬ者らへの敬意。


 確実に変わり出したアルカディアの世界は、新たな転機を迎えていた。




「.....おかしいよ。なんか、眼に見えない糸で誘導されている気がする」


 先程までの勝ち誇った雰囲気は何処へやら。克己は不安げに瞳を震わせる。

 さすがは現代知識をもった地球人だ。この不気味な違和感に気付いたらしい。


「だから一緒に行くのっ、克己のことだから自己責任的なこと考えたんだろうけど、事はそんな単純なモノじゃないにょ」


 思惑を見抜かれて赤面する克己。


 一人でなら、万一があっても克己が死ぬだけで済む。むしろ自分で死に場所を決められると、妙な安堵すら感じていた。


 何処の中二病だよ、はっず。


 思わず頭をかかえる克己を不可思議な視線で見つめるドルフェン。

 二人の会話の内容は分からないが、中世思考のドルフェンには、克己が単身で向かうのは正しい判断だと感じられた。

 だから、克己が意見を引っ込めたことが腑に落ちない。


「克己の問題です。本人が解決に向かうのが正しいのでは?」


 唸るようなドルフェンの言葉に、小人さんは首を横に振った。


「克己の事は、ただの餌だにょ。何処の誰か、何かは分からないけど、アタシを闇の精霊王に逢わせたい意志が存在してるの」


 そう。ただ放置していれば克己は必ず死ぬ。それを小人さんが看過できないと知っている誰かの書いたシナリオだ。克己は利用されたに過ぎない。

 鼻先に蜘蛛の糸をぶら下げ、誘っているのだ。

 何処の誰だか知らないが、えげつない絵物語を描くものである。


 乗ってやろうじゃないの。


 残忍に口角を歪める小人さんを、その誰かが見ていた。




『正解。やっぱ聡いね、この子』


《無駄だろう。我は..... 深淵から出ぬぞ?》


 光もささぬ暗闇で、誰かが呟いている。


 ずくずくと滑る汚泥。身にまとわりつくソレを不機嫌そうに弾き飛ばしながら、大きな塊は蠢いていた。


『まあ、そう言うなって。こうして同じ所に閉じ込められたよしみだ。少しは手伝ってやるよ。.....暇だし』


 大きな眼をギョロリと動かして、声の主は黒い塊を撫でた。

 いつの頃からだろう。自分を閉じ込めていた深淵の暗闇が形をとり、意思を持つようになったのは。

 どちらが先に居たのかは分からない。気づけば寄り添い、共にあった。

 大きな眼を持つ者は、ちょこんと塊に凭れて色々な話を聞かせる。

 星の成り立ち、生き物の理、人々の暮らし。四方山噺や専門的な哲学まで。

 まるで子守唄のように語り続けていた。

 すると闇が集まって塊となり、意思を持つ。さらには会話をするにまで至った。


《漠然と漂うておった我に知識を与えたのは、そなただ。感謝しておるが.....》


 増えた知識は、黒い塊にあらゆる感情をも芽生えさせたのだ。


 嬉し、楽し。哀し、寂し。


『ごめんねぇ。僕も暇だったからさぁ。でも、責任は取るよ? もうすぐ来るよ、君を解放する者がね』


 黒い塊を撫でながら、彼は胡乱げに遥か上空を見つめた。彼の姿は一種異様。

 巨大な洋梨のような身体にハリネズミみたいな体毛。特筆すべきは頭を半分を占める大きな目玉と、にちゃりと裂けた巨大な口。

 手足は短く、何の意味もなさない御飾りのようだ。


『元気かなぁ、ナクア。泣いていないと良いなぁ。また逢いに行こう』


 ずんぐりむっくりとした顔を揺らす彼の名前はツァトゥグア。知識の探求者であり、永く深淵に閉じ込められた虜囚である。

 彼の深く広い知識は神々をも脅かし、高次の者らから警戒され、現世と隔離されたのだ。彼自身が神にも等しく、永遠を得た者だったから、高次の者らにも閉じ込める事しか出来なかったのである。


 あれからどれくらいたったのだろう。


 深淵からでも下界を覗き見る事は可能だ。闇は何処にでも存在する。それを媒体にして、ツァトゥグアと闇の塊は世界を見ていた。


《可愛いな。人間とは愛おしいモノだ》


『だねぇ。愚かでもあるけど、それくらい抜けているほうが、愛嬌あるよね』


 他愛もなく過ぎていく日々。


 それが変わったのはいつ頃だったか。




《.....また滅んだ》


『.....うん』


 二人の目の前には、自ら世界を壊し、凍りついていく星が映っている。


 あの星の塵は成層圏をも破壊し、宇宙にまで広がっていた。雲も届かぬ位置だ。アレが消えることはまず無いだろう。


 どんだけ恐ろしい兵器作ってんのさ。星の火山脈殆どが破裂してんじゃん。無知って怖いねぇ。


 呆れるツァトゥグアの耳に、低く穿つような呟きが聞こえた。


《何故、人は滅ぶのだ? 何故、あのような自滅しかもたらさぬモノを作るのだ?》


『それは永遠の謎だね。何故か人類ってのは他者を蹂躙する事に愉悦を覚えるんだよ。快感なんだ。麻薬みたいなモノさ。本能が欲してるんだよね』


 そう。まるで、DNAに刻まれてでもいるかのように、人類は強さを求める。その最たるモノが同族殺しだ。


 強さとは他者を圧倒できる武力であり、どれだけ大きな被害を出せるかに血道を上げる。

 これは病に近い。発病する人もいれば、全く無関心な者もいた。面白いモノだとツァトゥグアは思う。


 その説明を聞き、闇の塊はにたぁ~っと口角を歪めた。


《つまり、発症させねば良いのだな?》


『うん?』


 ここから自我を確立させた闇の生き物の暗躍が始まる。




 知識を得たことで力をつけた闇は自我を持ち、精霊王として深淵に君臨した。漠然と漂っていた意識が覚醒し、新たに生まれた闇達が眷族としてつき従う。


 闇を生み出す闇。


 それを興味深げに観察するツァトゥグア。闇の精霊王の急成長と変貌に大きな眼を愉快そうに見開いた。


『いや~、何時になっても不思議は尽きないね、うん』


 力をつけた闇の精霊王は、世界の理に干渉を始める。


 人間に甘く囁き、馬鹿な真似をしないよう惰性と堕落で飼い殺しにする闇の精霊王。

 衣食住が満ち足り、惰眠を貪る人類は考える事を止め、ただただ安穏な生活に酔いしれていった。

 最低限の日常生活だけを行って、あとはゆるゆると眠る大きな赤子達。


《可愛らしいな。何時までも赤子のままでいてくれれば良い》


 満足げな闇の精霊王を熱心に観察するツァトゥグア。


 怖いくらい歪んでるねぇ。こういうの何て言うんだっけ? ヤンデレ?


 知識を与えず、文明を発展させない事が人類を滅ぼさせないワクチンなのだと考えた闇の精霊王は、次々と他の世界にも触手を伸ばした。


 光あるところに闇はある。


 何処の世界にも存在する闇の暴走に抗いようもなく、神々には打つ手がなかった。

 光と闇は表裏一体。高次の者らにも闇の精霊王を止めることは出来ない。闇を消せば、その表たる神々も消えてしまう。


 世界を奪われ、嘆き悲しむ神々。


 高次の者達も、憎々しげに深淵を睨みつけるしか出来ない日々。


 それに一筋の光明がさしたのは何億年前だっただろう。


 アルカディアに訪れた、他の星からの来訪者。それがアルカディアという世界に馴染み、礎となった。


 他の世界の御先だった生き物だ。


 今では魔物ともなり、アルカディアの世界の一端を担っている。


 .....これだ。


 高次の者らは閃いた。


 深淵を支配するのが闇の精霊王である必要はない。別の誰かに永遠を与えて身代わりにすれば良い。

 深淵に蔓延る闇の精霊王と眷族らを光で浄化し、新たな闇で満たせば良いのだ。


 ここから、チェーザレやサファードの苦難が始まる。


 高次の者も闇の精霊王も、その根幹は同じ。愛する者を守りたいだけ。たとえそれが、他の何を壊し踏みにじることになろうとも。


 そして、この者らと、非常に似かよった人間がアルカディアに一人。




「面倒臭いなぁ。僕はヒーロが傍にいてくれれば、それで良いのに」


 書簡を指先で突っつきながら、千早は大仰に溜め息をつく。

 いっそ、このまま放置しても良いのだが、相手に何かあれば、妹が悲しむだろう。


 ヒーロは優しいから。そしたら僕が恨まれるかもしれない。それは嫌だなぁ。


 どうしたものかと思案する千早の姿に、皆、相手の心配をして悩んでいるのだろうと誤解する。

 千早の頭の中には小人さんのことしかない。ある意味、小人さんがいるから、正常な人間としての判断が出来る千早だった。


 ヒーロを悲しませずに断る方法。ロメールに相談してみようかな。


 一緒に南の海へ出掛けていたロメールも、この話はまだ知るまい。


 そう考え、千早はロメールに相談してくると言い残すと、太郎君に掴まり王宮へと翔んでいった。


 物心ついた時から、兄が闇堕済みだとは知らない小人さん。

 闇堕ち特有の壊れ具合も、最愛の妹がストッパーとなり、無意識にセーブ出来ている幸運な千早君である。


 見事に情緒が欠落し、突き抜けたシスコンのにぃーにも、妹に負けじ劣らじ、常に我が道を征く♪


 

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