第107話 小人さんと海辺の森 いつつめ
「なに、あれ.....?」
遠目に見えるカストラート。辺境からさらに先の地平線あたりが赤々とボヤけ幾筋もの煙が上がっている。
チラチラ揺れる明かりが浮き上がる夕闇。風に靡く煙を見て、小人さんは先に寄った西の森での話を思い出していた。
「やっぱ、ここの亀裂の反対側になるんだ?」
防壁の門を開けるまでもなく、小人さんは辺境伯の許可をもらい、蜜蜂馬車のまま西の森へ飛び込んだ。
渓谷端に馬車を下ろし、ドルフェンを連れて森の中にやってきた小人さんに、ジョーカーは疲れたような顔をする。
『カストラートの森に繋がってたとはね。.....やってくれるわ』
深い西の森の渓谷から、さらに斜め下へ割れ広がる裂け目は、地上から下まで蜘蛛の糸でビチっと塞がれていた。
表面は覆えたものの、まさか、その先がカストラートの地底湖にまで繋がっていたとは思わなかったらしい。
しばし深い沈黙がジョーカーの巣に流れ、その後、言葉少なに彼女は語った。
この亀裂が深淵に繋がっているかもしれない事。その隙間を縫って闇の精霊達が潜り込んだだろう事。
「精霊って..... 元々いるじゃない?」
小人さんはクルンと指を閃かせて、コロンとポックルを喚び出す。
二匹は縺れ合って、銀の網でポヨポヨ跳ねていた。
それに首を振り、ジョーカーは千尋を見据える。
『これは、純粋なアルカディアの精霊だ。闇の精霊達とは違うんだよ。闇の精霊は人に寄り添い、その欲望に巣食う。闇の精霊王に忠実な僕達なんだ』
「闇の精霊王?」
闇と光は表裏一体。悪いイメージに使われがちではあるが、実際は昼と夜程度の差でしかない。どちらも世界に必要で各々意味がある。
ジョーカーは頷きつつ、闇の精霊王の生まれと経緯を語った。その所業も。
話を聞いた小人さんは眼をしばたたかせ首を傾げる。
「だから?」
『..........うん。まあ、あんたなら、そう言うだろうね』
ジョーカーは苦笑い。
他の世界を支配し、人間らを甘やかして飼い慣らす闇の精霊王。
その安寧を選んだのは、その世界の人間達だ。自らぬるま湯に浸かり、闇の精霊の思い通りに暮らしている。
「それならそれで良くない? 人間も闇の精霊王も文句無いんだし、ウィンウィンなんじゃ?」
お互い好きでやってるんでしょ? 何も問題があるようには思えないけど?
眼は口ほどにモノを言う。
突き抜けた小人さんの思考に疑問を投げたのはドルフェンだった。
「しかし、甘やかされ何もせず、ただ怠惰に溺れるのが幸せとは思えませんが?」
余所の世界の話だというのに、小人さんのせいで異世界アレコレに慣れすぎたドルフェンは、突拍子もない話の呑み込みが早い。
怪訝そうに眉をひそめるドルフェンを見て、小人さんは肩を竦める。
「そんなん、こっちの勝手な価値観だも。あちらでは、それが至福なのかもしんないっしょ? アタシなら御免被るけどね」
ですよね。まあ、そういう考えもあるか。
歯茎を浮かせるドルフェンを一瞥して、ジョーカーは話を進めた。
『あちらはあちらだ。こちらには関係ない事。だが問題はね、その闇の精霊王がアルカディアをも欲しがっているって事だね』
「うぇぇ? 迷惑ぅぅっ」
バッと両腕を交差し、全力で拒否の姿勢を見せる少女を微笑ましく見つめ、ジョーカーは疲れたかのような顔で頷いた。
『そうなんだけど、アイツはねぇ..... アンタで言う、そういう生き物って奴でね? 思い込んだら止まらないのさ』
「あ~~、そういうタイプね」
まるで親戚の困った誰かを語るかのような気安さの二人。
事実、その程度にしか思っていなかった小人さん。
対岸の火事というか、見たこともない誰かを、そんなに重要視していなかったのだ。
闇の精霊王が放った闇の精霊達がアルカディアに入り込んだかもしれないと言われても実感がない。
それが、人々を試して飼おうと暗躍すると聞いてもピンと来なかった。
一応、ジョーカーから気をつけるようにとの忠告は受けたが、それがいきなり目の前に現れるとは思ってもいなかったのだ。
みるみる近づくカストラート王都。そこを彩る多くの炎。そして立ち上る煙と戯れ、ケラケラ嗤う人形の何か。
濃い紫色のソレは小さな人間の形をしている。六枚の羽を持ち、愉しそうにクルクルと踊っていた。ざっと見ても百以上いる。
「あれが闇の精霊? 何したんだ、あいつらっ!!」
王宮を囲う貴族街を中心に拡がりつつある炎。悲鳴や唸り声が響く街の上空を駆け抜け、蜜蜂馬車は王宮の庭に降りた。
「何者だっ!!」
「わたくしはイブンヒュリア・アル・ハールベイ。王太子様に先触れを!」
わらわらと集まる兵士や騎士達に囲まれたが、扉を開けたヒュリアに一喝され、押し黙る。
「聞こえませぬか? わたくしはハールベイ公爵です」
はっと眼を見開き、兵士達が剣や槍を掲げ、騎士らが跪いた。
公爵家の色である銀髪紫眼は、カストラートの人間であれば誰でも知っている。
「畏まりました。ただいま、非常事態で王宮が荒れております。失礼のだん、御許しください」
「許します。疾く行け」
「はっ!」
駆け出す兵士らを見送り、ヒュリアは小人さんやドルフェン達を手招きした。
馬車からどやどやと降りてくるフロンティア騎士団。
それに度肝を抜かれ、真ん丸目玉のカストラート騎士。
「ハールベイ公爵閣下、その者達は..........?」
「フロンティアからの御客人です。無礼のないよう丁重なもてなしを。こちらは王女殿下であらせられます。王太子様とも懇意になさっておられますゆえ」
ふくりと眼に弧を描き、ヒュリアは持っていた扇を口元で開いた。
しっとりと佇む美しい麗人。宵闇の月に照らされ、星を鏤めたかのように煌めく絹の銀髪。
如何にも淑女然とした、その見事な艶姿に、カストラート騎士のみならずフロンティア騎士らも眼を奪われる。
ほあ~、さすが生粋のお姫様は違うなぁ。
思わず見惚れる小人さん。
だがそういう千尋も強制身支度で、しっかりドレスで武装済み。
柔らかなパニエを緩く重ねたスカートの上から膝丈の和風ゴス。半襟にもレースがふんだんにあしらわれ、紫の着物とチラ見えする朱の襦袢が可愛らしい。
如何にも豪奢な着物に、神秘的な針水晶のサークレット。
下ろした黒髪が腰まで波打つその姿は、まるで夜の化身のようである。
「..........女神?」
月と夜を思わせる一対の絵画のごとき美しい二人の少女を見て、カストラート騎士らが固唾を呑み込む。
時間が止まったかのように茫然としたまま、カストラート騎士達は、報せを受けた王太子が駆けつけてくるまで、微動だに出来なかった。
ちなみに、王太子も二人の艶姿に言葉を失い、立ち尽くしたのは言うまでもない。
つくつんっと突っつく小人さん。
「おーい、国の大事じゃないのかにょ?」
「..........そうですっ!! 御令嬢っ! 是非とも助勢をっ!」
はっと正気に戻った王太子と共に王宮へと向かうフロンティア一行。
何が起きたのか分からないまま、カストラートの兵士や騎士らは、二人の少女の残像が瞼に焼きついていた。
「今日は随分とめかしこんでおられますね」
王太子の言葉に小人さんは苦虫を噛み潰す。
「仕方無いのよ。ヒュリアが煩くて」
「それが当たり前の装いでごさいます。仮にも王女殿下なのですからっ!」
ふんっと鼻息を鳴らすヒュリアに苦笑し、王太子は何が起きたのか簡単に説明した。
「貴族らの従えていた魔物が脱走したのです。.....たぶん、全て」
「うええぇぇっ?」
フロンティア王宮でお馴染みな叫びを上げ、小人さんは心の中で頭を抱える。
なんで、こうなった?!
今日も元気な小人さん。彼女の行く手に平穏は無い。
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