第108話 小人さんと海辺の森 むっつめ
「何が原因?」
「..........ギリギリの魔力で生かされていた魔物が暴走した。これは、どこからか魔力の供給があった事を示しています。でなくば、暴走どころが動けるはずもないので」
そう言えば商隊の兄ちゃんらも言ってたな。そんな体力が残ってたのかとか。
そして小人さんは、以前カストラートを訪れたときの違和感を思い出した。
あの時、細く地面を這うように伸びていた無数の闇の魔力。地底湖の森から漏れだしていたのだろうと思っていたが、まさか?
「意図的に? 魔物に活力を与えるため、魔力を流していた?」
顔を強張らせ、小人さんはその時の話を王太子に聞かせる。
「.....という事は、今のカストラートには闇の精霊に操られた魔物が跋扈しているということですか?」
「そうなるね。なんで暴れてるのかは知らないけど」
わやわやと話をする二人の後ろで、千早が挙手し声をかけた。
『憶測の範囲だが、人間を絶望させるためでは? 苦難に瀕した所に甘い言葉を投げ掛け信用させる。奴等がよく用いる手段だ』
何とはなしに話すチェーザレ。だが彼の言葉には重みがあった。
なぜなら彼は、その闇の精霊らの被害者であり、奴等をよく知るはずなのだ。
だからこそ地底湖の森でも一瞬で正体を見破り攻撃を仕掛けた。
ヘイズレープを滅びに導いた元凶。ジョーカーから聞かされたアレコレに、小人さんは言葉もない。
しかし、その暖かな憐憫を脳裏に浮かべつつも、千尋はスンっと顔から表情を消した。
苦労したんだよね。でもアルカディアを食らおうとしたこととは別の話だから。一生許さん。
後に永遠を得る予定の小人さん。彼女の言う一生は、文字通り未来永劫である。
何処かで挽回せねば立場の危うい御兄様だった。
「なら魔物を止めないとね。どうするか」
『我が出よう。狂化した魔物は己より強いモノを徒党を組んで襲う習性がある。我が出れば多数の魔物を引き付けられようぞ』
確かに。その理論で言えば、魔物はチェーザレに群がるはず。しかし小人さんには嫌な予感がした。
魔物の周りを飛び交う闇の精霊達。
「ん~? 取り敢えず王宮前で迎撃してみよっか」
小人さんの言葉に頷き、フロンティア騎士団が動き出す。
「た.....っ、助けっ、ぎゃああぁぁっ!」
魔物から逃げてきたらしい男性が子供を胸に抱え込み、甃に倒れる。その足元には狼系の魔物。
真っ赤な眼をギラつかせ、大きな口で男性の脚に噛みついていた。
ずぶりと牙が食い込み血がしたたる彼の脚。それを咥えたまま狼は頭を振り回して男性を引きずっていく。
「うぎゃあぁぁっ、誰かっ! この子を.....、娘をーっ!」
必死に腕で我が子を抱き締めて泣き叫ぶ男性。
みちみちと肉の千切れる音を楽しみながら、さも嬉しそうに噛みつく狼の口元は、べったりと血糊がついていた。
生臭い血液の香りに引き寄せられ、周囲からも魔物が集まってくる。
揃いも揃って真っ赤な瞳。狂化した魔物達に囲まれ、男性はガチガチと歯を鳴らして震え上がった。
うっそりと嗤い、長い舌を垂らして衂られた己の口元を、狼はベロリと舐め回す。
自分の血を舐める魔物に顔を凍りつかせ、限界まで見開いた眼で、男性は喉が張り裂けんばかりに絶叫した。
と、そこに風を割って何かが通りすぎる。
パウンッと軽快な音をたて狼が弾け飛んだ。
どっと建物の壁にぶつかり、ずるずる落ちる狼。その額に刺さる二本の矢が魔物の息を止めていた。
「あ~、殺っちゃったか。なるべく生け捕りの方向でね」
「無茶言わないでくださいっ! 当たっただけ御の字ですっ!」
やや離れた遠方から叫ぶのはユーリス。ルーカスと双子の兄弟で、弓騎士筆頭の強者だ。この距離まで矢を飛ばせる腕は尋常ではない。
小人さんは王宮前庭に陣を張り、逃げ惑う貴族達を救出していた。
眼の良い弓騎士らが魔物を索敵し、カストラート兵士や騎士が人々を救出する。
フロンティア騎士団は陣の周りに群がる魔物らを撃退していた。
魔物討伐はフロンティアの十八番だ。しかも暴れる魔物の殆どは中型程度。並み居る騎士の中でも若手の精鋭で組まれた小人隊の敵ではない。
怪我人や被害者の救助や火事の消火をカストラート兵とモノノケ隊に任せ、小人さんは街を駆け回る。
踊るように宙を飛び、風のように地を馳せ、千尋と千早は諸悪の根元である闇の精霊達を探した。
「おまえらーっ! やめろーっ!!」
魔物を煽るように魔力を与える闇の精霊。それらを引っ掴み、小人さんはチェーザレから預かった闇魔法の水晶に閉じ込めていく。
水晶に押し付けた精霊は、か細い悲鳴を上げて溶けるように消えた。
チェーザレの記憶を封じていた闇の魔結晶は闇の魔力と相性が良く、その性質から貪欲に闇の魔力を吸い込んでくれるのだ。
それを利用して闇の精霊捕獲をする小人さん。
海蛇らが徘徊して確実に鎮火していく炎。助けが来るまで、怪我人らを防護するカエル達。その中でも重傷者や子供らを王宮まで運ぶ蜜蜂達。
モノノケ隊の見事な連携で、みるみる騒ぎが収まっていく。
そんななか、闇の精霊の数を減らすために飛び回る双子。
どうやら、この精霊達は高い魔力がないと見えないようだ。
ドルフェンですら朧気な輪郭しか確認できないのだから、他は御察しである。
奴等が何処に逃げようと双子には関係ない。伊達に何年も騎士や暗部の教えを受けてきた訳じゃないのだ。
気配を闇に溶かして、魔物らの殺意や憤怒、人間らの恐怖や絶望の発露を隠れ蓑にし、二人は的確に闇の精霊達へ忍び寄り捕らえていく。
縦も横も関係なく飛び回る小人さんが一息ついたとき、近くから甲高い悲鳴が聞こえた。小さな子供の悲鳴や嗚咽。
ばっと振り返った彼女が駆けつけると、そこには多くの子供を連れた一団がいた。
見覚えのある馬車と恐怖に震える人々。その中心には派手ななりの黒髪男性。
「怯むなっ! 魔法石を使えっ! 全て吐き出して構わんっ、子供らを守れーっ!」
彼らが連れているのは十数人の子供達。どうやら馬車が魔物に壊されたようで、子供らを囲う大人達は、何かを遠くに投げている。
その投げたモノに釣られてバラバラと離れていく魔物。
投げられたのは魔法石。魔物の大好物だ。魔法石に気をとられ、うっとりと舐め回す魔物達を確認して、黒髪男性は声をあげた。
「今の隙だっ! 逃げるぞ? もうすぐ門だっ!!」
飛びかかってくる魔物を撃退しつつ叫ぶ傾奇者。荒削りな剣だが、なかなかの腕前だった。
だが、その彼等の背後を見て小人さんは眼を見張る。
ガッガッと脚を駆るは大きな牛。研ぎ澄まされたように黒光りする鋭利な角を持つソレは、間違いなく魔物である。
そして次の瞬間、真一文字に傾奇者の一団に向かい、牛の魔物は暴走した。
「伏せろーっ!!」
その叫びに応じ、ばっと子供らに覆い被さって伏せる大人達。
そこに突撃寸前の牛の足元を狙って、小人さんは魔力を放った。
途端、湧き出でるは多くの植物。いきなり生えた植物群に脚を取られ、転んだ勢いのまま、牛の魔物は伏せた人間らの上をかっ飛んでいく。
どすん.....っ! と大きな音とともにピクリとも動かなくなる魔物。
辺りに漂う砂ぼこりに咳き込みながら、傾奇者は恐る恐る頭を上げた。
「何が.....?」
茫然とする大人達の横をすり抜けて、小人さんは牛の魔物にしがみついていた闇の精霊をひっぺがす。
「おまえーっ! 大概にしなさいよねっ!!」
ぷんすかと捕獲する小人さんの後ろから、傾奇者は声をかけた。
「あんた、あん時の? 御嬢様が何やってんだっ! 逃げるぞ? 来いっ!」
心配げに瞠目し、千尋に手を伸ばす黒髪男性。
「この子らは? 商品?」
「馬鹿言えっ! 俺は奴隷は扱わないっ! こいつらは通りかかった教会から頼まれたんだよ。神父様が死んじまったみたいで、下働きが泣きついてきたんだ」
それを避難させようと? とんだ御人好しだな。
眼をパチクリさせ、小人さんは目の前の男性を凝視する。
その眼差しに気付き、男性は何かを思い出したかのように馬車へ駆け込んでいった。
そして、大きな皮袋を小人さんに差し出す。
「お釣りだ。あん時、駆け引きもしないとは思わなくてな。普通は値切り交渉があるもんだぞ? まさか言い値を払うとは..... 魔物の代金、檻込みで金貨五十枚だ」
渡された袋を抱えて小人さんは黒髪男性を見上げた。
彼は、にっと口角を上げて面白そうに千尋を見つめている。まるで子供のように煌めく瞳。
そういえば、あの時も、こんな眼をしてたな、この人。
類友なセンサーが若干食いぎみに相手に反応するが、今はそれどころではない。軽くパンツの砂埃を払い、小人さんは男性を見上げた。
「俺は橘和樹。こちらで言うならカズキ・タチバナだ。お前は?」
「千尋・ラ・ジョルジェ。もう、あらかたの原因は片付くと思うから。王宮に来たら良いよ?」
「王宮に? それにチヒロって千に尋ねるって書くか? お前はキルファン系? 今、キルファンってどうなってるか知ってるか?」
マシンガンのごとく捲し立てる和樹。
それに苦虫を噛み潰しつつ、小人さんは質問に答えながら王宮に向かった。
彼女が和樹達を連れだって王宮に向かう頃、何故か魔物達も動出す。
カストラートを出て西北へと。
砂漠を渡っていく魔物の群れに、今は誰も気づかない。
渡る無数の魔物に気づいたのは小さなオアシスの村。
遠目に動く影を見つけただけだが、彼等は大した関心もなく視線を外す。
あれは魔物だ。近寄っちゃならねぇ。カストラートから逃げ出したのか。大変な事だな。
だがそんなこった、俺たちにゃ関係ない。
しばし魔物らの残像を瞳に映し、小さな村の人々は畑仕事に精を出す。
彼等にとっては魔物の大移動より、収穫が減ることのほうが大ごとなのだ。
後日、貴族らの飼っていた魔物の数と、討伐、捕獲した魔物の数が大幅に合わず、大混乱するカストラートである。
ちなみに、その時には海辺の森を目指して出発していた小人さん。
その大混乱の原因を片付けて再びカストラートを訪れる未来が来るのを、今の彼女はまだ知らない。
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