第186話 始まりの朝 ななつめ



「.....なんともはや」


 ラバレンヌは、据わった眼が戻らない。


 パスカールの領地は堅固な防壁を持ち、そのすぐ先が領都。広々とした広場があり、そこから真っ直ぐ行くと各種専門店舗。ギルドや繁華街も完備され、王都に勝るとも劣らない賑やかさ。

 そして領主館を横切り、街を進むと長閑な街並みが現れる。

 平民らの素朴な店が建ち並び、その向こうは居住区で、さらに行くと農場や牧場があった。


 もっと向こうにも村や街があるそうだ。


 広さも王都に負けていない。むしろ、今現在の状況を見れば、豊かなパスカールの領地が圧勝である。

 あまりの非現実的な光景に、ラバレンヌは眩暈がした。

 枯れ朽ちたクラウディア主要領地の有り様を知る彼は、零れるように萌え広がる緑の大地を見て涙が出そうである。


 過去のクラウディアの何処にも存在しなかった雄大な自然。こんな恵まれた土地が他にあろうか。


 風にそよぎ泡立つ草原。そこここに乱れ咲く色とりどりな花々。時折さざめく樹木では小鳥が歌い、鼻孔を擽る草の香りに交じるのは、微かに湿った土の匂い。


 抜けるような青空を振り仰ぎ、ラバレンヌの眼が大きく揺れる。潤みた瞳に過る悩ましい光。


 人は、失って初めて気がつくのだ。かけがえのないモノに。気づけただけ僥倖だ。中には気づきすらしない者も少なくはない。


「はは..... 緑とは、こういうものでしたね。久方ぶりに思い出しました」


 何処までも拡がる青い大地。


 かつてはクラウディア全土に溢れていた光景である。

 主の森の衰退とともに緑は薄くなり、ラバレンヌの世代は知らない光景。

 平原の森が健在であれば、金色の環により、今また復活するはずだった光景。


 ここまで見事でなくとも、クラウディアの自然をラバレンヌは知っている。

 貧しくとも収穫があり、人々の笑顔と暖かな食卓。寒さや暑さに負けず、せっせと汗を流す穏やかな時間。そんな安寧がクラウディアにも間違いなくあったのだ。


 何時からか荒れ果て失われた幸せな時。


 眦に滲む涙を瞬きで無理やり乾かし、ラバレンヌは素知らぬ風を装いパスカールを振り返った。


「良い領地ですね。しかし、何故に領都を防壁沿いに? .....失礼だが、脅威は外より内にあると存じますが」


 暗に内乱を仄めかすラバレンヌ。クラウディアが敵となった場合、南の防壁は最前線となる。そこに領主館を含む所要施設があるのはまずいのではないか?


 ラバレンヌの眼は穿った色を深め、そのように物語っていた。


 パスカールにも分からないではない。しかし、それで良いのだ。


「戦うのは我々だけで良いのです。我等が倒れたら、そこでこの領地は終わります。民に爪痕を残さずに済みます」


 パスカール達が足止めをしている間に、背後の領民は避難出来る。全戦力が領都に集結し、防壁沿いで戦えば、農場や牧場を荒らされなくて済む。

 民らへの被害を最小限にするため、敢えて領都を前面に建設したのだ。

 制圧されたら、そこで終わり。民全てを背負った背水の陣そのものである。


 言葉少なでありながら、雄弁に語るパスカールの瞳。


 それに眼をすがめ、ラバレンヌは物憂げに畑を見た。

 見渡す限りの小麦畑。まだ青々とした麦穂が天に向かって元気に揺れている。


「そうですか。.....まあ、そうはならないようですが」


 ラバレンヌは悪戯げにニヤリと口角を歪めた。

 その視界に映るのは、ひょこひょこと跳ね回るペンギン。後ろに蜘蛛や蛇の御供をつれて、畑中で水撒きをしている。

 空には蜜蜂。重そうな籠を事も無げに運び、休憩中らしい農夫らから頭を撫でてもらっていた。


 二年前の大騒動を経験しているラバレンヌは、あの生き物達を知っている。


「フロンティアの王女殿下ですか? とんでもない伏兵が潜んでいますね。わたくしなら、ここを襲おうとは思いませんよ」


 クスクス笑うラバレンヌを不思議そうに見やり、王太子もモノノケらを眺めた。


「アレらは金色の王に忠実だ。パスカールに危険は無かろう?」


 暢気な呟きを耳にして、ラバレンヌとパスカールは驚嘆に眼を見開く。


 こういう処なのだ。兄の不思議な処は。


 普段は昼行灯のように、ぼんやりのほほんとしているのだが、コレと言うとき誰もが予想しない事を考える。

 ラバレンヌとて、モノノケらが徘徊しているのを見て、一瞬、ヒヤリとした。危なくはないのか? 人々が襲われたりはしないか? と。

 しばらく思考を巡らせ、二年前の金色の王を脳裏に描き、ようやく安全なのだろうなと思い至る。


 だが王太子は眼にした瞬間看破した。


 金色の王の僕は安全なのだと。


 何を根拠にしているのか分からない。ただそう思うだけなのだ。それが間違っていないと確信した口調で。実際、確信しているのだろう。パスカールらには理解出来ない何かを感じて。


 無言で見つめる二対の双眸に首を傾げる王太子。


「ん? どうかしたか?」


 その普段どおりな姿に、パスカールとラバレンヌは顔を見合わせて笑った。


「いえ、その通りです。危険はありませんね」


 ああ、勝てないなぁ。本当に。


 こうして共にいるとつくづく思う。家族なのだと。父王のイエスマンでも構わない。兄は愛すべき家族である。


 一時の至福の時間。


 それをパスカールが堪能し、王太子らが帰還する頃。


 南辺境伯領に異変が起きていた。




「これは一体どういう事か?」


 領境に並ぶ大勢の人々。遥か彼方まで続く列を呆然と見つめ、オーギュストは眼をこする。


 夢ではない。何が起きた?


「とにかく、収容だ。難民用の仮設住宅を空けろ、今滞在している者は至急カストラートへ送れ!」


 大慌てで駆けていく部下達。


 それを胡乱な眼で見送ると、南辺境伯は天を仰いだ。 


 海辺の森が復活し、南辺境伯領地も豊かになりつつあり、他領地からやってくる難民を養いながら、小人さんの指示どおりカストラートへと送っていた。

 中には避難を嫌がってこの領地に住みたいという者もいて、そういった者らには新たな村を用意してある。

 辺境とは土地開拓も兼ねているので、むしろ、ありがたい申し出だ。

 そんなこんなを、せっせとこなしてきたオーギュストだったが、こんな大量な難民は見たことがない。何時もの十倍を軽く超えている。


 本当に、一体何が起きているのだ?


 答えの出ない疑問を振り払い、オーギュストは収容した難民の振り分けをしに、領主館へと向かっていった。




「今頃、南辺境伯は仰天しておろうな」


「まあ、あの御仁の後ろにはフロンティアがおります。何とでもいたしましょう」


「こっそり教会に支援もしておられましたな。ほんに貴族らしくない御仁であるよ」


 ほくそ笑む六人の男性達。


 彼等は、王都周辺の領地と辺境伯領地に挟まれた弱小領地の貴族らだった。アンダーソン伯爵の提案に賛同し、集まった面々。

 還付金によって、表向きは賄えている税金だが、このまま行けば国が倒れる。

 無為に浪費するよりも、思い切り良く領地をたたみ、爵位を返上しようと彼等は考えたのだ。


「我々にこの方法があると知らしめたのは南辺境伯だでな。片棒を担いでいただこう」


「然なり、然なり」


 彼等は二年前の出来事を脳裏に浮かべる。


 金貨千枚を国王に要求され、それを捻出するりために領地をたたむと言い切った老人。

 王の恫喝に怯むこともなく、誰のせいだっ?! と、逆に怒鳴り返して黙らせた彼を、集まっていた貴族達は信じられない面持ちで見守っていた。


 一体どうした事だ? あの穏やかを絵に描いたような老人に、一体何が起きたのだ?


 誰もが同じ疑問を顔に浮かべるなか、事は南辺境伯の勝利で収束する。そそくさと逃げ出していった国王の背中に、集まっていた貴族らは胸のすく思いだった。


 そんな一幕を思い出して気づいたのだ。


 領地をたたんでしまえば良い。今までの蓄えで自分や家族らくらいは賄える。領民らは安全な地に逃がそう。全てを迅速かつ確実に行い、領地を空にしてしまえば、国王らにも何も出来まい。

 戦力になる騎士や兵士らには辺境伯への紹介状を持たせて民の護衛を頼んだ。あの聡いオーギュスト殿のことだ。紹介状を読めば事態を察するだろう。


 ふふふっと笑う貴族達。


「街を焼かれるかもしれませんな」


「それは僥倖。一皮剥ければ新たに建て直しやすい」


「壊すにも金がかかりますしな。焼き畑とか言う農耕があるそうです。灰が良い土壌を作るのだとか」


「なるほど、焼き討ちも悪くない」


 極限の思考。人間、限界まで追い詰められると笑うしかないのである。何が起きても腹の底から笑えてくる。

 明明後日に前向きな軽口を叩きつつ、貴族らは王宮へと向かう。


 最後通牒をクラウディア国王へ叩きつけに。

 これにより、王都とその周辺のみの領地は孤立状態になる。

 無駄に土地だけは有り余るアルカディア大陸。

 それぞれの領地も広い。王都から離れるほどその領地も大きくなるため、中間地帯の領地が空白になれば、王都には何も届かなくなるのだ。

 広大な領地を防壁とした兵糧攻め。

 残るは海側からやってくる商人らくらいだが、この事態を理解したレアン親子により、海も閉ざされる。


「.....あざといな。まさか、こんな手に出るとは」


 王宮で一悶着起こしつつ、逃げるようにやって来た貴族らの晴れやかな笑顔に、二の句が継げないオーギュストだった。


「卿に倣ってみたのだ。スッキリしたよ、肩の荷が下りた気分だ」


 こうして南北辺境伯領地に心ある者らが集結し、クラウディア王都は陸の孤島とされた。

 事態の急変に未だ気づかないクラウディア国王。


「困ったね。これじゃあ、もう何も物資は届かないな」


 一人ごちる王太子の呟きを拾い、宮内人らは内乱を覚悟する。


「あちらが攻めてくるとは思わないが、こちらは攻め込むだろう。人的被害が大きくならないように根回ししておかねば」


 むしろ、王宮を攻め滅ぼして欲しい。


 民の殆どが辺境伯領に逃げ延びたと知り、やるなら今だと自暴自棄な思考が宮内人の頭をかすめる。

 残るは国王の腰巾着のような貴族らばかり。彼等には痛い目を見てもらいたい。彼等こそ爵位を返上させたら良いのに。


 それぞれがそれぞれの思惑を巡らせ、当事者らとは別の者達の画策により、南北辺境伯は否応なしに巻き込まれた。

 穏やかで豊かな領地に感激し、まったりと過ごす元貴族とその家族。


「素晴らしい土地ですね。農地も牧場も広いし、人々も元気で賑やかだし。ああ、民の心配をしなくても良いなんて、天国です」


「食事も美味いし、気候も穏やかで..... 日光浴なんて、何年ぶりだろう」


「安心して暮らせるわ。夢のようです。ありがとう存じます」


 口々に感謝を述べる元貴族達。


 どれだけ受け入れても平気な辺境は、今日も人々の喧騒で溢れていた。


 ちなみにその頃、パスカールも似たような窮状に陥っている。

 南領地の者は南辺境に。北領地の者は北辺境にやって来たからだ。

 双方、雄叫びを上げて事態の収束に奔走し、訪れた元貴族らから事情を聞いて絶句する。


「爵位を返上して領地をたたんだ? 今の中間領地には人がいない?」


 唖然と王都方面を見つめるパスカール。


 人為的に孤立させられた王都は、一体どうなってしまうのか。


 こんな方法があったとは。


 今までの意趣返しにしても辛辣過ぎるだろう。


 王都を孤立させ、兵糧攻めを狙って領地を捨てた元貴族ら。

 閑散とした各領地に気づいたクラウディア国王が激昂し、南北辺境に軍隊を差し向ける未来が垣間見えるパスカールとオーギュストだった。


 試練、試練、また試練。紆余曲折する己の人生を呪い倒すパスカールである。

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