第59話 小人さんと蟲毒の呪法 むっつめ


 音がする。鈴のような軽やかな音が。


 混濁する意識の中、千早は恍惚とした顔で闇の中に寝そべっていた。

 温かく滑るソレは、少しずつ千早を包み、沈めていく。

 その様を見つめる誰かに気づかないまま。


 その誰かはニタリと口角をあげて、闇に沈む千早に微笑みかけていた。




「にーにっ? にーにっ!!」


 あれからバストゥークへ戻ったフロンティア一行は、早急に医師を呼び、千早を診察させる。

 苦しんでいた千早だが、今は眠るように横たわっていた。

 しかし、小人さんの叫びにも反応しない。

 青白い肌に呼吸も薄く、ほとんど上下しない胸。

 まるで亡骸のようなその姿に人々は瞳を凍らせる。

 そして千尋は、これに見覚えがあった。

 老衰で死の床にあった祖父が、このような状態から息をひきとったのだ。


 おぞましい想像に小人さんの全身が総毛立つ。


「これは、もう..... 身内の方はおられますか?」


 診察を終えた医師が、疲れたかのような仕草で首を振った。


「アタシっ! 妹ですっ!」


 ばっと手を上げた幼女を痛ましく見つめ、医師は周囲を見る。

 大勢が見守っているが、その中に身内はいないようだ。


「御両親をお呼びください。間に合わないかもしれないが」


 だが、全てを口にする前に、医師の胸ぐらをザックが掴み上げた。

 歳のわりに大きいザック。身長百九十近い彼に掴まれて、医師の足が爪先立でヨロヨロ揺れている。


「ふざけるなっ!! ハーヤに何かあってみろっ?! ただじゃ.....」


 激昂し眼を剥いて怒鳴るザックを、アドリスが慌てて止めた。

 血相を変えて、後ろからザックを羽交い締めにする。


「待った待ったっ! その人のせいじゃないだろうっ?!」


 ふっとザックの顔から表情が抜け落ち、掴んでいた手が撓むようにその指を離す。

 宙吊り寸前だった医師は、そのまま尻餅をつき、ゲホゲホと咳き込んだ。


「すまない.....」


 力なく呟くザックの肩を叩き、アドリスが苦笑する。

 その顔も痛々しく、彼の心情を物語っていた。

 気持ちはザックと同じなのだろう。


「いや、おまえさんが先に動いたおかげで、こっちも冷静になれたよ。ありがとさん」


「アド.....」


 顔をしかめて小さく呟き、ザックはふらつきながら部屋を出ていった。


 それを見送り、小人さんは考える。

 外的刺激に全く反応しない、これは昏睡状態だ。

 千早は、今、非常に危険な状態に陥っている。

 そう、陥るのだ。昏睡とはなるのでも、かかるのでもなく、陥る。

 人としての感覚がなくなり、全ての接触が切られた状態。生きる屍。長く続けば命にかかわる。

 人工呼吸器などが無いアルカディアでは、さらに死が早まるだろう。


 どうすれば?


 懊悩煩悶する小人さんの額で何かが輝いた。

 それに反応するかのように、千早の耳のカフも輝く。


 赫々たる光を発するは、それぞれの針水晶。


 ただ、その色が違う。


 小人さんがお日様のような金色に対し、千早の放つ光をは紫を帯びた漆黒だった。


 闇が光る??


 光る闇色が千早を包み、閉じてい眼が、カッと見開いた。


「にーにっ?!」


 むくりと起き上がった千早は、呆然と己れの両手を見つめる。

 そしてケダモノのように、残忍に口角を捲り上げた。


「素晴らしい.....」


 うっとりと呟く千早に、違和感を持ち、小人さんは、そっと距離をとった。

 そして、ふっと何がが頭の隅を掠める。


 以前、何処かで似たような事が無かったか?


 捉えどころのない薄い記憶は、掴む前に儚く霧散した。


「.....チィヒーロ?」


 ぞわりと背筋を凍らす低い声音。

 千早の唇から紡がれたソレは、間違いなく兄のモノなのに、全く違う色をまとい小人さんの耳に届いた。

 温度を感じない無機質な声。


「妹.....だな? 全属性持ちか。そなたも素晴らしい」


 千早の異変に周囲も気づき、ざわりと不穏な空気が蠢いた。


「これで..... っ? ぅあっ?!」

 

 小さな悲鳴を上げて、千早は頭を抱え踞る。


「なんっ.....っで? うぁっ!」


 もんどりうつ千早の顔は苦悶に歪み、玉のような汗が浮かび上がっていた。


「貴様っ、まだっ?!」


 ガクガクと全身を痙攣させてのたうつ千早は、ふいにプツリと糸が切れたかのように倒れ伏す。

 固唾を呑んで人々が見守る中、再び千早はピクリとも動かなくなった。


「今のは.....?」


 驚愕を張り付かせた顔で尋ねるロメールに、医師はブンブンっと首を振る。


「ありえませんっ、間違いなく瞳の光が失われていました」


 眼の光が失われるとは、瞳孔が開いているという意味である。

 本来なら死者を表す言葉だが、その開き具合は人それぞれ。

 完全に開ききってなくば、まだ生きている可能性もある。


「にーに.....」


 いったい、何が起きているのか。

 その答えは、千早の中にあった。




《貴様っ! まだ生きていたのかっ!! さっさと沈めっ!!》


『ヒーロに手は出させないよっ!! お前こそ、僕の身体から出て行けぇぇっっ!!』


 抗う二つの魂。


 小人さんなら知っていただろう。この状態を。


 憑依だ。


 誰かが千早の身体に潜んでいた。

 その誰かは嗤う。嘲るように、艶かしく邪な微笑。


《手を出させない? 出したいんだろう? お前が》


『なっ?!』


《なあ? 妹に邪念を抱いて。それで俺が生まれたのに、出て行けってかぁ? ふざけるなよ?》


『黙れぇぇぇーーーっ!!』


《ひゃっは、図星をさされたからって、俺に当たんなよ。俺だって好きでここにいる訳じゃない。お前が俺を呼んだんだよっ!!》


 泥のように滑る闇の中で、二人は取っ組み合い、千早が滑らせた足を、誰かが払った。

 べしゃっと背中から落ちた千早の上に馬乗りになり、その誰かは胸ぐらを掴み上げて、千早の顔を睨めつける。

 鼻の先が触れあうほど近くに顔があるのに、その表情は見えない。

 爛々と輝く双眸だけが闇に溶けずに存在していた。


《御前は妹を手に入れたかった。俺は身体を手に入れたかった。御互いの利害が一致したしたのさぁ》


 限界まで見開かれた千早の眼が凍りつく。


《俺なら遠慮なく妹に手を出してやるぜ? 御前は、俺を通じて間接的に妹を手に入れられる。素晴らしいじゃないか?》


 薄ら笑いを浮かべる誰かの意識が千早にも伝わってきた。なんと甘い誘惑か。

 しかし、それを退ける憤怒が、千早の腹の底から驚くほど湧き上がってくる。


『させるかぁぁぁーーーっ!!』


 全身を奮わせた千早の雄叫び。それと同時に目映い金色の光が千早の身体を包んだ。


《なっ、これは神々のっ?!》


 驚愕する誰かを余所に、金色の魔力は闇を払い、消し去っていく。


《神々は世界に不干渉なはずっ、何故? どうしてっ?!》


 微かな残滓を残して、闇は姿を消した。

 力尽き頽れた千早の眼に、涙眼な妹が映る。


「.....ヒーロ?」


「っっ!! にぃーにぃっっ!! うわぁぁあんんっ!」


 千尋のサークレットの水晶が闇を吸い込み消していた。

 逆に千早のカフには金色の魔力が吸い込まれて消えていく。


「僕はいったい.....?」


「洞窟で倒れたんだよ? 覚えてる?」


 目線を合わせて千早を見つめるロメール。

 微かに唇を震わせ、未だ動悸のおさまらない胸を掴み、千早は俯いた。


《御前が俺を呼んだんだ》


 ちがう。


「にぃーに?」 


 心配げな小人さんを抱きしめ、千早は謎の誰かの声を否定した。


 違う、違うっ、違うっっ!


 愛しい妹だ。穢れた邪な感情など抱いていないっ!!


 自分に言い聞かせるように、何度も脳裏で呟き、カタカタと震える千早を、千尋は不思議そうに見つめていた。


 目覚めた千早に大喜びし、その日の食堂には手の込んだ御馳走が並べられた。


 それをうまうまする小人さんを愛おしげに眺めつつ、千早は、あの誰かこそが妹にとって危険な相手だと確信した。


 あいつはヒーロに手を出すと言っていた。

 僕の身体を乗っ取ると。


 させてたまるかっ! ヒーロは僕が守るっ!!


 しかし、誰にも相談が出来ない。千早を乗っ取ろうとした誰かは、間違いなく妹にとって危ない相手だ。

 それを身の内に宿していると知られたら.....? 


 誰も千早を千尋と同行させようとはしないだろう。両親すらも。

 千早自身が妹にとって危険な人物にされてしまう。


 忌々しげに眼をすがめ、喜ぶ周囲を余所に、一人煩悶する千早だった。


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