第185話 始まりの朝 むっつめ
「やあ。元気?」
馬車から降り立つ王太子。
何と言ったら良いのやら。
パスカールは複雑な顔で微笑んだ。
父王は諸悪の根源に相応しく、横暴で貪欲だ。分かりやすい困り者である。
しかし目の前の兄は違う。ただ、何も考えておらず、大きな流れに流されているだけ。父王が望むから賛同する。金子を貰ったから遣う。何となくで、ふらりふわりと漂うような不可思議な御仁だった。
だが、それは国にとって明確な害悪である。
王族であり、力を持つ者が雲のように定まらぬ優柔不断では、下の者らは何も出来ない。自分が良い例だ。
父王に押さえつけられ、何の手も打てず、ひたすら嘆くだけの日々。そして国は傾き、今の状況となっている。
パスカールは自嘲気味な顔で兄を切なく見つめた。
「よくお越しくださいました。何か急を要することでも起きましたか?」
きょんっと軽く眼を呆けさせ、王太子は口許に指を当てる。
「いや..... 用と言うか。そなたはどうしておるかなと」
要領を得ない王太子の言いたいことを、傍に控える側近が代弁した。彼は幼くから王太子の御学友であり、今は側近筆頭。長い付き合いなため、とりとめのない王太子の思考を上手く汲んで説明してくれる。
「お久しぶりです、パスカール様。兄殿下は、王宮の食事事情から国の窮状を察し、貴方様の事が心配になったようなのです」
微かな苦笑を浮かべる側近筆頭ラバレンヌ。それに首を傾げつつ、王太子はパスカールに視線を振った。
「心配というか。そなた、食べておるか? 今は不作だときく。腹を空かせてはおらぬか?」
王太子の言葉にパスカールは複雑な脱力感に襲われる。
兄は悪い人ではないのだ。素直で、考えなしで、ある意味無邪気な子供のような人。だからこそ残酷な事にも無関心。
父や自分の思い通りになるのが当たり前であって、意のままにならぬ事などないと思っているだけ。
少し頭のネジが歪んでおられるが、決して冷酷でも非道でもない。
自分の領地から出られないパスカールでも、雪崩れ込んできた難民らの話でクラウディア王国が飢餓に喘いでいるのは知っていた。
王太子も同じなのだろう。ただ、そこで、彼の脳裏に浮かんだのは遠方にいる弟のこと。
食糧はあるのだろうか。腹を空かせているのではなかろうか。
そう考えたらいてもたってもいられず、馬車を走らせていた。
歪んだ親愛。クラウディア国王がパスカールから王籍を剥奪し、辺境へと追い出した時には何も感じなかったのに、些細なことから弟が気になって仕方なかったり。
ちぐはぐ過ぎるが、王太子は王太子なりにパスカールを大切に思っているのだ。
父親に逆らった弟が罰を受けるのは当たり前だと無感動に思う反面、腹を空かせていたら可哀想だと馬車を走らせる優しさ。
どのように反応すれば良いのか分からないパスカールを余所に、王太子は馬車から沢山の荷物を下ろさせた。
「これは私が買い求めた物だ。国庫からは出しておらぬ。父にも文句は言えまい。たんと御上がり」
にっこり微笑む兄が持ってきたのは多くの食糧。ちゃんと自分の懐から用意したのだと説明する王太子に、周りも、何やら複雑な顔をする。
論点がおかしい。言ってる意味は分かるが、王太子たる人間がすべきは、ソレじゃないだろう?
語らずとも物申す人々の据えた眼差し。
肉親の情を披露するより、もっとやるべき事があるのではないか? 飢餓に陥る民を何とかしようとは思わないのか?
眼は口ほどにモノを言う。
周りの辛辣な視線に気づき、ラバレンヌが軽く咳払いをした。
「ここで話すのも何です。よろしければ、何処かで腰を落ち着けませんか?」
困ったような顔の兄の側近の言葉に、ハッと顔を上げ、パスカールは領主館へと一行を案内する。
それを見送る街の人々が、呆れたかのような顔で見送っているとも知らずに。
「良い館だな。困窮はしておらぬようだ。安心した」
通された応接室のソファーに座り、王太子は嬉しそうに笑う。
曖昧な頷きを見せながら対向かいに座り、パスカールはエトワールに御茶の用意を頼んだ。
「王都はどのような感じですか?」
「さあ? ラバレンヌ?」
パスカールの質問を側近に丸投げする王太子。何時ものことだと苦笑するパスカールと違い、周りにいる人々の顔に苛立ちが滲み始めた。
ラバレンヌはしばし考え、言葉を選ぶように説明していく。
「良くはありませんね。現在、食糧は配給制で、物価が高騰しているため、民は己の食事も満足に賄えない状況です。国からの支援も遅れ気味で、他国へ緊急輸入を試みています」
貧民は税金を払えていないため、配給も受けられず、各領地の教会が行う炊き出しに頼らざるをえない。事態は、かなり逼迫しているらしい。すでに多くの死者が確認されていた。
「民に優劣をつけるのは相変わらずですか」
何処の国でも同じだが、貴族と平民には深い隔たりがあり、平民の中でも自由民と貧民にも歴とした格差が存在する。
税金を支払う者のみが国民で、街の片隅に住み着き税金も支払えない貧民は、民に数えられていない。
それでも人間扱いはされる。教会などから施しも受けられる。
それすらなく、ただ狩られる獲物だった獣人らと比べれば雲泥の差だろう。
今はフロンティア近くに村を作り、幸せに暮らしていると聞く獣人達。彼等にとってクラウディア王国は憎き国でしかないに違いない。
皮肉気な笑みを眦にのせ、パスカールは鷹揚に頷く。
「ならば、我が領地からも支援を出しましょう。幸い、十分な収穫もありました。各領地の教会へ食糧を送ります」
そう。何処かで繋ぎを作り、パスカールはクラウディア王国へ食糧を回したかった。
国中を賄える程ではないにしろ、豊かな北の辺境は多くの食糧を保有している。国に援助される平民達より、見捨てられた貧民らへの配布を優先したいパスカール。
最悪、全ての収穫を回しても良い。パスカールの後ろにはフロンティアがいる。頼めば相応の援助をしてもらえるだろう。
甘いとは思うが、彼にとってクラウディアは祖国なのだ。自分を育んでくれた多くの国民らを見捨てることは出来ない。
そう申し出る弟に、王太子は眼を丸くする。
「そなたの領地の物は、そなたの物だ。他の領地など気にする必要はないのだぞ?」
空気を読まぬ無神経な発言を耳にして、周りの人々から、ぶわりと殺気が漏れだした。
兄上ぇぇ.....
思わず片手で顔をおおうパスカール。ラバレンヌも、あわあわと所在無げに両手を動かしている。
地球人なら思い出すだろう。創作で『パンがないなら、ブリオッシュを食べたら良いじゃない』とかの迷言を残したとされる有名な王妃を。
身分ある者独特の感性。愚昧を通り越した愚鈍さ。常識、良識の違いからなる不思議理論。
王族、貴族という者の大半は、こういった感じなのである。現実を知らない。特権が当たり前。同じなのは身分ある者だけ。他は虫けらに等しい。
それが死のうが生きようが関係ない。別の世界線の出来事。
大小の差はあれど、殆どの貴族らはそういう常識の中で生きている。
パスカールのような者が稀有なのだ。
ん? と首を傾げる王太子。悪意は欠片も見当たらない。
「まあ、そう言わず。僕の領地は豊かですから。あるだけ回しても大丈夫です」
はにかむような弟の笑みに騙され、王太子も頷いた。
「そうなのか? そなたが、そう言うのであれば.....」
渋々な態を隠しもせず、眉を寄せる王太子。それを無視して、ラバレンヌがパスカールに詰め寄る。
「それですっ! 拝見していて驚きました。この領地は、凄く豊かですね? 街に人も多いし、何より皆が明るい。店も活気にあふれていて、物品にも不自由していない感じだ。いったい、なぜ?」
眼を輝かせて興味津々なラバレンヌ。
その彼にパスカールは小人さんの話を持ち出した。南辺境伯であるオーギュストにされた入れ知恵の話を。
皆が知っていることだ。話しても不具合はない。
提案された酪農が上手く回り、肥えた土地で作物は上手く育ってくれた。家畜による加工品も上出来で、この領地は不作に無縁であったと。
パスカールの説明を聞き、ラバレンヌは喉を唸らせる。
「話には聞いていましたが..... そうですか、この領地では成功したのですね。他の領地でも、何とか回せている所もあるようですし、有用な方法だったみたいですな」
「あとは..... この領地端の山脈に主の森があるのです。その恩恵も大きいと存じます」
隠してもいずれバレる。ならば今のうちにそれとなく知らせてしまおう。
パスカールは海辺の森の主の子供が、新たに出来た山の主の森にいると話す。
驚嘆に絶句するラバレンヌ。
最近の魔物研究で、主の森が近いほど土地が豊かになるのだと判明したばかりだった。その主の森が北の辺境にある?
「それはまた..... なんと幸運な」
あまりの驚きで上手く言葉にならないラバレンヌ。
何とも言えぬ気不味い空気が部屋を満たした。と、そこへエトワールが御茶を運んでくる。
香しい御茶の匂いで、重くなった部屋の空気が霧散した。
助かったとばかりに御茶を受け取り、口に運んだパスカールは、目の前のラバレンヌの顔が凍りついているのに気がついた。
はて? とテーブルを見たパスカールは、何気なくそこに置かれたモノを一瞥し、次の瞬間、ばっと二度見する。
しまったっ!!
顔面蒼白のパスカールの視界にあるのはパンケーキ。
この街の定番おやつにはバターが蕩け、たっぷりの蜂蜜がかかっていた。
その横に添えられた季節の果物のコンポート。
当たり前のように出された甘味は、王侯貴族ですら滅多に口にする事はない贅沢な逸品である。
「美味いなっ、これっ! そなたの料理人は良い腕をしておるなっ!」
うまうまとパンケーキを食し、御満悦な王太子。
違う、そこじゃない。ソレだけど、問題にすべきはそこじゃないんだ。
とんでもない現実を眼にして察しもしない王太子を横目に、じっとりと眼を据わらせてパスカールを見つめるラバレンヌ。
物言いたげな彼の辛辣な視線からそっと眼を逸らし、だらだらと冷や汗を流すパスカール。
うわぁ、どうしよう.....
かれこれ数年にわたり、これが日常な周りは、やらかした事に気づいていない。
こうして否応なく王太子一行を巻き込まざるおえなくなったパスカールだった。
以前、何処かでロメールが言っていた、『甘味は争いの火種』を実践するはめになりそうな北の辺境領地である。
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