第165話 命の砂時計と小人さん ななつめ
「よっし、それじゃ頼んだにょ」
以前に竜の形をした闇の精霊と戦った地底湖の森は、随分と様変わりしていた。
小さなオレンジ屋根の家が建てられ、中には慎ましい生活家具一式が揃えられている。
キッチンと自室と浴室のみな質素な家。だけど何不自由なく設えられ、暖かな良い家だった。
「わたくし一人ですのでね」
ふふっと笑うアブダヒール。
地底湖に一人住む彼のため、カストラート三兄弟が急いで造ってくれたらしい。
本当は、もっと大きなモノを考えていたみたいなのだが、魔物らから威嚇され、職人が怯えてしまい、急遽、建てられる大きさの物を最速で建てたのだとか。
三兄弟はかなり悔しがっていたらしい。
「可愛いですよね。その分、食事などは良い物をいただけるようになりました」
ルイスシャルルだけは魔物らに威嚇されないため、彼が運搬を担当している。
そりゃそうだ。あんだけ魔力高くて闇属性なシャルルに反抗する魔物などおるまい。
基本、狂化していない魔物は幼児程度の知恵があるのだ。かなわない相手に挑む馬鹿はやらない。
苦笑いしつつ、小人さんは蜘蛛の糸で封じた割れ目の前に立つ。そして蜘蛛らに指示を出して、その糸をほどかせた。
途端に、ごっと音が鳴り結構な風圧を後ろから感じる。
何物をも呑み込む深い闇。近寄るほど、その何かに強く引き寄せられた。微かな風しか起こらない地底湖に、不気味な気流が渦を巻く。
「これは..... なんとも、おぞましいね」
全身を粟立たせてながらも、ロメールは炯眼に眼をすがめる。千早も短弓をつがえ、騎士らは、ざんっと得物を構えた。
来るなら来い。
獰猛に眼を剥き、口角を捲り上げる小人隊。
しかしアテが外れ、何かが飛び出してくると思われた闇は静かに沈黙していた。
「何も..... ない?」
「無いと思うにょ。だってアタシを闇の精霊王と逢わせたい誰かがいるんだもの。招待を受けたようなものじゃない」
それでも用心し、小人さんは槍を得意とする騎士に中を確認してもらう。
あらかたの想像通り、突き入れた槍は木っ端微塵に砕けてしまった。
ぱんっと音を立てて弾ける槍の穂先。
「.....招待を受けたんじゃないっけ?」
「越えて来いって事よね。上等だ」
攻撃したり立ちふさがりはしないが、これが深淵の通常なのだろう。それを通りやすいようにしてくれるほど、相手は親切ではなさそうだ。
小人さんはカエルと蜘蛛らに打ち合わせ通りにしてくれるよう頼んだ。
蜘蛛達が集まり大きな袋を作り、その中にカエルらが守護を張る。するとまるで熱気球を横にしたような物が出来上がった。
「さっ、中に入って」
テコテコと袋の中に駆け込む小人さん。
それを追って小人隊やロメールも、おっかなびっくり入っていった。
「これ.....は? なんだい?」
「袋」
「..........」
そりゃ、見れば分かる。
じっとりと眼を据わらせる小人隊が全員入っても余裕な袋。その袋の奥の上を蜜蜂が。下を蜘蛛や蛇らが押さえ、小人さんは克己の手を引きながら、前に歩き出した。
後ろ部分も閉じられた袋は、大きなシャボン玉のように、守護の膜にぽよぽよ揺らされ、その袋ごと回り出す。
「うわ.....っ、怖っ」
恐る恐る歩く周りを愉快そうに見つめ、小人さんはカエルの守護で先導する外の蜜蜂らの羽音を頼りにして、慎重に歩を進めていった。
こちらが進むまでもなく、奥に行くにつれ、ずずっと引き寄せられる不気味な圧迫感。
やはり麦太達の守護は破れないらしい。
小人さんは微かな赤い線の浮かぶ己の腕を忌々しげに見る。
あの時、亀裂に吸い込まれかかったポチ子さん。二匹はジョーカーの一本釣りで無事に生還したが、小人さんの右手が裂けたにも関わらず、二匹は無傷だった。つまりカエルの守護は深淵を渦巻く風の刃を跳ね返せるのだ。
そして、ジョーカー側からは弾き返されるってことは、こちらがブラックホールであちらがホワイトホール的な構造になっているのかもしれない。
言葉少なに進んで行くと、ある所を境に、ふっと圧力が消えた。
何物をも呑み込もうとする圧迫感がなくなり、歩みもスムーズになる。
そして何を思ったのか、麦太が袋の守護を解いた。
思わず顔を凍らせる小人隊の面々だったが、そこには静寂があるのみ。
真っ暗で何も見えない真の闇。
音すら呑み込んでしまいそうな暗闇で、克己が遠灯の魔術を使った。
カンテラのような仄かな光を手に宿す魔法だ。生活魔法のひとつである。
「魔法、楽しい?」
「嫌みか? まあ、最初はな、楽しかったよ。今は..... うん」
悪童のように眉を寄せ、克己は光を周囲にかざした。しかしその途端に、手に宿っていた光が消える。
「あれ?」
驚き、何度も発動させてみる克己。だが、秒を待たずに光はしゅんっと消えてしまう。
『無駄だ。ここは何物をも呑み込む深淵。光とて例外ではない。空間そのものが呑み込んでしまうのだ』
千早からチェーザレに変わり、彼は苦々しい顔で脚から何かを振り払った。言われて気づけば、足元がぐちゃぐちゃな汚泥に変わっている。
いや、その汚泥は動いていた。ぞぞぞっと蠢きながら、じわじわ上ってくる得体の知れない何か。
「ひっ?」
「うわっ?! なんだ、これっ!」
慌てて他の面子も足を蹴る。
そんな中、平然としたロメールが某かを呟くと、小人隊の身体が宙に浮き上がった。
風の絨毯。
それもモノノケ隊含む広範囲。通常の魔術師なら五メートル四方が限界だ。
人を支えて持ち上げる風の網。これは繊細な魔術操作が必要で、威力を上げてドカーンっが得意な小人さんには真似出来ないデリケートな魔術である。
そんな魔術を十メートル四方で難なく展開するロメールは、間違いなく超一流の魔術師だった。
「凄いね、まるで床があるみたい」
若干、ふよんっとする柔らかさを感じるが、地団駄を踏んでもびくともしない見事な魔法。
「跳ねるんじゃないよ、女の子でしょっ。まあ、これだけが取り柄だしね」
若干、鼻白むロメールを、据えた眼差しで見つめる騎士達。
王宮の内政ほぼ全てを掌握し、外交にも権限があり、王宮騎士団魔術師筆頭兼、国王陛下側近筆頭な御仁が言う台詞だろうか。
じっとりと眼を据わらせるフロンティアの面々は、もはや眼が立ち上がる暇もない。
小人さんといい、ロメールといい、千早といい、規格外が揃いすぎているフロンティア。幸か不幸か、今が混乱期であるため、頼もしいこと、この上なくはあるのだが。
そして小人隊は克己をチラ見した。
彼は、自分の魔法は闇に呑み込まれたのにロメールの魔法が展開されている事にショックを受けたようである。
悔しげに口角を振るわせる克己に、小人隊は呆れた眼差しを向けた。
克己だって十分規格外である。
人には向き不向きがあるのだ。万能に近い小人さんはともかく、ロメールは武術がからっきしだし、千早は行動理由が小人さんに偏り過ぎてて、正直アテにならない。
技術という分野において、克己を上回る者はいない。彼の知識は小人さんを軽く越えている。
今では小人さんも、フロンティアの技術者ではなくキルファンの克己へ仕事を依頼していた。
先だっての王太子の婚儀に贈られたパイプオルガンとやらだって、小人さんの説明は抽象的過ぎて、フロンティアの技術者には理解出来なかったのだ。
ピアノのようでピアノではない。え? 魔法石を使う? 魔術道具ですか? などなど。
うるうる眼になった小人さんは、あーいぃっと泣きながら一路キルファンへかっ翔んでいく。
そして一ヶ月もしたころ、キルファンから、そのパイプオルガンとやらが届いた。
嬉しそうに弾く小人さん。
きゃっきゃと奏でられる曲と歌を聴いて、ようやくオルガンという代物が理解出来たフロンティアの人々である。
小人さんの無理難題に、あっさり応えられる知識は、とんでもないモノだ。なのにその自覚皆無な克己。
特筆すべきは、この面子が手にした力の殆どが独自の努力で手に入れたモノだということ。
小人さんだって、金色の魔力以外は己の努力で手にしたモノだ。ぶっちゃけ金色の魔力は神々の力。森の主関係以外では、全く役にたたない。
日常的に役立つのは、やはり努力の結晶である。人は自分に嘘をつけない。努力は自分を裏切らない。
倒つまろびつ、惨めになったり、夢中になったり、一喜一憂して脊髄反射で動けるようになるまで身につけた力こそが、人生を潤す。
世の中には努力を厭わない、努力を努力とも思っていない人間が存在する。そういう人間は、総じて特出している自覚がない。
そういう人間が何故か揃い踏みしているフロンティア。
良いことだと思う反面、恐ろしいほどの残念感に襲われる小人隊。
そんな生温い眼差しの中で、その自覚ない人々が動き出した。
「地面のコレ、焼いちゃおうか?」
「いや、凍らせた方が良くないかい?」
「ホント、邪魔する奴らばっかだ。チェーザレ、これって闇系だろ? 食べる?」
『そなた..... 我をゴミ箱か何かと思っておらぬか?』
あれやこれやとギャーギャーやる小人さんの前に何かが現れた。
いや、その何かの動きは感じなかった。最初からいた?
ばっと身構える人々に、その何かは、にや~っと不気味な笑みを浮かべる。
『あんまり虐めないでおくれよ。それも深淵の子供達なんだから。好奇心さ』
でっかい卵形の何か。その顔は良く分からない。
子供達? これも精霊なんかな?
未だに、うぞうぞとミミズのように蠢く汚泥に背筋を震わせつつ、小人は目の前の何かを見た。
「アンタは闇の精霊? それとも魔物?」
『どっちも、ノー。僕はただ見守る者。何か知りたいなら教えるけど? でも、その前に話があるんだ』
「話?」
『そっ。こいつがね』
ぱんっと音がたち、周囲が明るくなった。仄かな蝋燭みたいにチラチラしたモノが、うっすらと辺りを照らしていく。
そしてフロンティアの面々は絶句した。
目の前には二つの異形。ひとつは先ほどから会話していたらしい卵形の何か。
灯りの下のソレは、まるでハリネズミのような風貌だった。
違うのは、顔辺り半分を占めるような大きな目玉と細い三日月を横にしたように裂けた口。
にちゃりと開く口の中には鋭い牙があり、唾液がぬらぬらと糸を引いている。
思わず眼を見張り凝視する小人さんだが、さらに驚いたのは、その生き物の横にある大きな塊だった。
湿地帯に生息するスライムのように、ドロドロで不定形な生き物。縦に伸びたり、ばしゃんっと落ちたり、忙しなく蠢いている。
《.....これが金色の王か?》
『そうだよ。精霊らが言っていただろ? 一緒に観察してた子供だよ』
仲好さげな二匹に固唾を呑み、小人さんもロメールも、チェーザレすら、ただ黙って見ている他ない。
そんな奇跡の邂逅が行われていた頃。
荒野で立ち上がる者がいた。
《時は来たれり》
鬼のレギオンが空を見上げ、その頬に一筋の涙が伝う。
《今度こそ..... 開いてみせよう》
贄があり、祝福もある。今度こそ扉は開くだろう。
かつてヘイズレープの御先であったレギオン。彼は、彼の地で千載一遇のチャンスを逃した。
今度こそ.....
荒ぶ瞳を歓喜で震わせ立ち上がったレギオンを、今の小人さんは知らない。
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