第36話 新たな巡礼と小人さん ~みっつめ~
「これはまた.......」
馬車の中へ招かれたマルチェロ王子は、その広い空間に眼を見張った。
シンプルな調度品と直に床へ座るスタイルなテーブルセット。
空間を拡げる魔道具だと聞き、どういった仕組みなのか、気になるマルチェロ王子だが、今必要な話は別にある。
勧められるまま、クッションを背に腰を下ろした王太子は、あらためて詳しい事情を小人さんから聞いた。
神々のうんぬんは伏せて、ファティマの身体に小人さんの魂が居候していた事。事情があって、一時ファティマが眠る状態だったため代理を務めていた事。彼女が目覚めたので、その身体からお暇した事。
金色の王は自分だったため、お暇したあとのファティマは力を失った事。
つじつまの合わない部分を上手く創作し、小人さんは分かりやすいよう噛み砕いて説明した。
ヒュリアが出した御茶を口にして、マルチェロ王子は深い溜め息をつく。
「それで新たな身体を得て、再び金色の王として働いている訳か。新たな巡礼ね。前世の記憶があるのも、その前世が私の知る人間だというのにも驚きだが。そこいらは神々の範疇だし、考えても仕方がないな」
さすが、長男を差し置いて王太子になっただけはある。
酷く柔軟な思考と広い懐を持つ人物だ。こんな荒唐無稽な話にも、キチンと対応し理解を示してくれた。
だが、それにしても余りに素直に呑み込みすぎる。
小人さんは、じっとマルチェロ王子を見つめ、浮かんだ疑問を口にした。
すると、彼は苦虫を噛み潰したかのような顔で、如何にも嫌そうに説明する。
「そなたのせいだ」
「はい?」
アタシのせい? いやまて、覚えはないよ?
「あの日、そなたにガッツリやられたのは忘れん。あの頃は私もまだ子供だったが、そなたに、当時の私を上回る知識と話術で叩きのめされたのだ。それをバネにして今の私がある。......少し、感謝している」
開幕、騎士らを爆発させたマルチェロ王子の物言いから、フラウワーズの知らぬ知識と歴史。それを熟知して、嗜めるように優美にほほ笑んだ幼子。幼女。三歳になったばかりの子供に、王子は完敗したのだ。
あの時は茫然自失していたが、時が過ぎるにつれ猛烈な羞恥と悔しさが彼を襲う。
自分は何をした? 礼儀に欠く態度で騎士らを怒らせ、こちらの都合で話を進めようとし、それが叶わないと知った落胆を幼女に押し付けた。
気の毒そうにフラウワーズ騎士団と王子を見送っていたフロンティア騎士団と小人さん。
あの憐憫に満ちた瞳を王子は忘れない。そして、ふと気がついた。
幼女のみが憐憫ではない、鋭い眼差しで口角を上げていた事に。
挑戦的に煌めくそれを、ずっと忘れられず、マルチェロ王子は悩み続けた。
数日悩んだあたりで、彼は王城近くの湖を訪れ、そこにある林を眺めつつ、はっとする。
あの時、自分は主の森を手に入れたくて、それのみしか見えていなかった。それが不可能なのだと聞いて絶望した。
だが、彼女は他にも何か話してはいなかったか?
木を見て森が見えていない状況。それが今の王子だった。
王城近くに横たわる湖を見て、何気に思考を解放した王子は、幼女が話した言葉を思い出す。
『王都に森はありますか?』
あるにはある。小さな農村程度の森が。いや、林か?
国境の主の森は、城下町より大きいものだった。この森はその十分の一もない。あれと比べたら、城の者が森と呼ぶここは林だろう。
『主の森は大きいほど、その効果範囲が広がります。小さな森では意味がないのです』
ならば、この林を広げたらどうだろう?
木を植えて増やし、少しずつでも広げてみようか。
そこまで考えて、力なく俯き、王子は首を振った。
森と同じ広さの周囲に恩恵をもたらすという主の森。この林の広さでは、王城一帯くらいしかカバーは出来ない。
それなら、国境一帯に恵みをもたらしてもらった方がフラウワーズ的には助かる。
慢性的に食糧難なこの国にとって、農耕を支援してくれる主の森の影響は絶大だ。何物にも代えがたい宝物。
ここに主を移動させるより、あちらに居てもらう方が得策である。
この気持ちを大事にして、国境の森を大切にしよう。そう心にとめたマルチェロ王子の耳に、フロンティアとカストラートの軋轢が聞こえてきた。
間諜からの報告で、彼の国が開戦待ったなしなのだと聞き、王子は王太子権限で軍を動かした。
魔法は無くとも技術はある。
火薬を使った火筒や投擲筒。弓から改良された弩など、門外不出で開発してきた多くの武器。
それらを携えた兵士を率いて、王子は国境の荒野を目指した。
情勢を把握するため、主の森近くの農村に陣を張った彼の元へ、その農村から連絡がきた。
主が呼んでいると。
慌てふためいて駆けつけたマルチェロ王子の眼に映ったのは、多くの蜜蜂や蛙達。
それが主に連なる知性ある魔物な事は知っていたが、ここの主は大きな蛙のはずだ。
ならば、あの蜜蜂は?
周囲を飛び回る子供サイズな蜜蜂よりも、ずっと大きく美しい、あの蜜蜂は?
マルチェロ王子は、あの魔物を知識としては知っている。だが見るのは初めてである。
「クイーン?」
長くフロンティアを守ってきた森の主。
素直に美しいと思った。
艶やかな甲殻に滑らかな体毛。何より醸し出す理知的な雰囲気が、主らにはある。
穏やかで暖かな一種独特の雰囲気。
彼等と比べたら、我々人間の方が、野蛮で愚かしい生き物に見えた。
実際、そうなのだろう。
だが、なぜ、クイーンがここに?
漠然とした疑問を抱きつつ、モルトから話を聞いた王子は、援軍に向かうと約束をする。それに魔物らも同行させ、フロンティアを経由するより、荒野を突っ切る方が速いと即断した。
《我々は土地に明るくない。先導を頼みます》
地面に爪で文字を書くクイーンらしい蜜蜂を見つめ、マルチェロ王子は大きく固唾を呑み込み、思いきって尋ねた。
「なぜにクイーンが行かれるのですか?」
モルトは森から動かない。なのに何故?
真剣な面持ちで見上げてくる王子に、一瞬惚けた巨大蜜蜂は、次にはゆるゆると笑みを浮かべ、地面に爪を走らせる。
《わたくしはクイーンではありません。クイーンを継ぐ予定の娘です》
王子は眼に入った文字が信じられない。
「クイーンの..... 娘?」
微笑みつつ頷く巨大蜜蜂。無表情な鉄面皮のはずなのに、どうしてか微笑んでいると分かる謎。
次代のクイーン。それすなわち、主は増える事が出来る。理屈は分からないが、主たる巨大蜜蜂が二人いる事は確かなのだ。
これは..... なんたる僥倖。何とかして王都の森に招く事は出来ないだろうか。
降って湧いた幸運に天使のラッパを聞いた気がする王子だったが、次には真っ青な顔で地面に崩折れた。
あの粗末な森に主を招く訳にはいかない。
そっと横目で国境の森を一瞥し、王子はその雄大な自然に眼をすがめた。
なんと見事な森だろう。豊かに水をたたえ、濃い新緑が溢れるように風をはらみ泡立っている。
見渡す限り一面の緑。これこそが主に相応しい森だ。
王城隅に残された僅かな林ではお話にならない。
マルチェロ王子はぐっと拳を握り決意する。
あの林を森にしよう。幸い湧水による豊かな湖はある。あれを水源にして支流を作り、植林による森を作ろう。
そして豊かな森が出来た時..... 主は招かれてくれるだろうか?
壮大な夢を心に馳せた王子だが、その夢は後日無惨に打ち砕かれる。
主の移動は森の死を意味し、唯一移動出来る条件は、金色の環が完成している場合のみと知ったのだ。
説明をしたモルトは、落胆する王子の姿に胸を痛める。
国境の森からフロンティア全域が金色の環の範囲。その中にフラウワーズ王都は含まれていない。
さらに続けて小人さんの幼児退行の報告を受けて、金色の王その人が失われた事実に、王子の夢は粉微塵に砕かれて、無慈悲な時代の風に飛ばされた。
十年前を思い出して、マルチェロ王子の顔に微かな痛痒が浮かぶ。
何をどうしたら良いのか分からず迷走した日々。
それでも諦め切れなくて、小人さんが遺したという知識を頼りに植林を行い続けた。
黙々と森を広げる十年。
結果、今では国境の森にも劣らない森が、フラウワーズ王城の背後に拡がっている。
ここに主を招く事が出来れば...... 窓を開けば視界を埋め尽くす広大な森に、自嘲の笑みを浮かべる毎日だった。
だが、そこに一縷の希望。
金色の王が戻ってきた。
諦めずに森を作ってきた甲斐がある。
彼女の話によれば、前世より大きな、内陸部全てを囲うような環を作るらしい。
その内側になれば、主の移動が可能になるはず。
憧憬に煌めくマルチェロ王子の瞳に言い知れぬ悪寒を感じ、ぶるりと背筋を震わす小人さん。
そしてさらには以前の農村で、以前に食べたカルボナーラにひゃっほいする幼女。
今回は最初から黒胡椒が振ってある。
「カルボナーラだぁ、美味しいねぇ♪」
「ああ、そなたがつけたのだったな、その名前。今では我が国の名物料理だぞ。美味いパスタだよな」
何気無い会話の端々に耳を傾ける村人達。
かるぼなぁら。
自分達とはイントネーションの違うそれに、ゆうるりと眼を細める人々。
当時を知る大人達も、知らぬ子供達も、あの一行が本物の小人隊なのだと理解していた。
幼女の見目が変わろうと中身は変わらない。なにより、ヤーマンに近いこの農村は、キルファンの文化が勝手に流れてくる。多くの噂も。
それが真実なのだと分かり、人々の顔は嫌でも緩んでいった。
お帰りなさい、小人さん。
フロンティアとフラウワーズの一行が出立するまで誰も口にしなかったが、彼等が見えなくなるまで見送っていた農村の人々は、見えなくなってから狂喜乱舞する。
「マジで小人さんだよっ! 噂は本当だったんだっ!」
「良かった..... 有難いことだ」
「また、大地が元気になるねぇ。今でも豊作だけど」
「でも大丈夫かな? 子供なのに辺境まで行くとか」
「騎士様らがいるんだ。大丈夫さ、無事を御祈りしよう」
そう言うと大地に膝を着き、村人らは一心に天に祈った。
それを受け取り、心得たとばかりに煌めいた太陽に彼らは気づかない。
神は全てを見ている。
神々に愛される小人さん。多くの人々の祈りも加わり、彼女の道行きは順風満帆だった。
懐かしさにはっちゃけつつ、今日も小人さんは元気です♪
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