第37話 新たな巡礼と小人さん ~よっつめ~


「しかし、話には聞いていたけど凄いところだねぇ」


 小人さん達は、フラウワーズ国境の荒野を抜け、ただいま山岳地帯。

 聳え立つ山々には殆ど植物など生えておらず、地球で言うグランドキャニオンのような岩山や渓谷が空の広さを狭めている。

 そんな風景が、かれこれ二日ほども続いていた。

 アルカディアでは見慣れた荒涼な風景。

 大陸の半分が砂漠や荒野なアルカディアにおいても、これだけの見事な山々はお目にかかった事はない。


「もう暫く行けばバストゥークという街に着く。我が国自慢の鉱山街だ。というか、この山々は、下と言わずいたるところに鉱石が眠っているのでな。一攫千金を目指すならず者らもいる。注意しろ」


 マルチェロ王子の言葉に、小人さんは眼を見張った。


 この見渡す限り広がった広大な山々のすべてが鉱山??


 今現在、馬車は登った山を下り中。そこから窓を眺めても、四方八方、地平線にいたるまで大小様々な岩山が続いている。


 これはまた、フロンティアとは違う意味で壮観だね。


 フロンティアは見渡す限りの農耕地。丸一日、馬車を走らせても途切れのない畑に、思わず眼を輝かせた十年前が懐かしい。


「鉱山かぁ。初めて見るかも」


 ワクテカを隠せずに、によによする口許やキラキラ光る大きな瞳。

 起き上がりこぼしの如く頭を左右に振る幼女の後ろ姿に、マルチェロ王子は思わず噴き出した。


「変わらぬな、そなたは」


 そんな事を言えるほどに付き合った記憶のない小人さん。

 不思議そうに振り返って、こてりと首を傾げる。


 ああ、そうだ。変わらない。


 ほんの一刻ほどの叱責と、数日の行軍。


 たったそれだけなのに、なんと鮮明に覚えていることだろう。

 魔物の背に乗り爆走する幼女。夜営の食事事情に盛大に物申す幼女。

 フロンティアの料理人らの力を借りて作られた食事に、感嘆の眼を向けた我々の前で仁王立ちして、満足げに眼に弧を描いた幼女。

 そして、国境の森の主に親しげに抱きつき、頭によじ登って笑っていた幼女。


 あの時は心底驚いた。


 まさかと思えば、他の魔物らも嬉しげに主へ飛び付き、よじ登り、小人さんと一緒にはしゃいで踊り出す。

 うぇいっとハイタッチしつつ、彼女が大きな泉に向かい、両手を大地につけた時。

 幾つもの稲妻が周囲を貫き、我々が眼を眩ませた次の瞬間、幼女の姿は消えていた。


 あっという間の出来事だった。


 マルチェロ王子の心臓がぞわりと締め付けられる。まるで眼に見えない網に囚われたかのように隙間なく。

 未だに、この感覚は忘れない。本能が報せる危機的警鐘。

 あれから十年。この感覚には何度も救われた。

 己の目の前で奪われた幼女。キングの話によれば、神々の召喚だという。


 なれば、人間には何も出来ない。


 フロンティア騎士団は、こういった異常事態に慣れているのか、困惑しつつも整然と事を進めていく。

 訳が分からないフラウワーズの面々に軽く挨拶をして帰還していく小人隊。


 それを唖然と見送る事しか出来なかった当時の自分に、マルチェロ王子は吐き気をもよおした。


 あの頃の自分とは違う。今ならば、きっと彼女の力にもなれよう。


 十年前に穿たれた痛恨の記憶は、抜けず癒えず、ときおり彼を責め苛んだ。


 深々と突き刺さった後悔の残滓。


 これは似たような危機に陥った時、幾度となく王子の脳裏を過り、彼の窮地を救ってきた。


 二度と同じ轍を踏まない。


 若者特有な頑迷さ。当時の記憶は、頑なに己を戒めるマルチェロ王子の糧となり、今の彼を作っている。


 今回こそ。


 真摯な面持ちで小人さんを見据える王太子の様子に、己らと似たものを感じて肩を竦めるドルフェン達。


 こんなところにも転がっていたトラウマ案件。小人さん消失は、思ったよりも広範囲に、その根を深く張り巡らせているようだった。


 三種三様の感慨が満たされた馬車は、ようやく見えてきた街灯りに向かって音もなく爆走していく。

 シャカシャカと駆ける真っ白な蜘蛛に、小人さん考案の細長い皮袋に空気を詰め込み、周囲をネットで何重にも覆って作った、なんちゃってタイヤを装着させた馬車。

 通常の馬車よりずっと静かで騒音を出さないソレに、マルチェロ王子が驚愕の眼を向けるのは、しばし後の話である。




「うっわぁぁぁ」


 左右に聳える高い岩山が天然の防壁となり、バストゥークと呼ばれる街の前には堅牢な関所があった。

 大きな門が開かれた関所は、ガタイの良い強面な兵士が立ち並び、鋭い眼差しで検閲を待つ人々の列を眺めている。


 その列に並んで、御行儀良く順番を守る白い蜘蛛。すでに陽も陰り、たぶん小人さんらが最後尾だ。

 馬車と徒歩で門は分かれている。それを見て、蜘蛛は馬車の列に並ぶ。

 後ろについた何かに気付き、無意識に振り返った元最後尾の馬車の護衛らしい男は、己と変わらぬ身の丈の蜘蛛に眼を凍らせた。

 そして次の瞬間、絹を引き裂くような声で叫んだ。


「まぁっ、魔物だあぁぁぁーっ!!」


 その恐怖に凍る耳障りの悪い声は一斉に伝播し、バストゥークの門周辺は、一気に混乱の坩堝と化す。

 うわあぁぁっと人波が潮のように引き、その間隙をついて甲冑に身を包んだ兵士達が駆けてきた。

 そして蜘蛛を確認すると、問答無用で武器を振りかぶる。

 しかし、その武器が蜘蛛に届く事はない。周囲を囲む結界が、男らの怨嗟のこもる各撃を弾き返した。

 あるものは武器が。あるものは己の身体ごと弾き飛ばされ、何が起きたのか分からないまま、目の前の真っ白な蜘蛛を見上げている。


 するとそこに暢気な声がまろびた。


「へいへい、いきなり物騒じゃない? うちの子らが何をしたっていうのよっ、馬車を牽いてるだけでしょうっ」


「馬車?」


 言われて兵士達も気がついた。


 夕闇に浮かぶ真っ白な蜘蛛が明瞭過ぎて、後ろを視認出来ていなかった。そこに繋がる焦げ茶色の馬車を。

 夜の帳が保護色にもなり、一際鮮やかな蜘蛛の白さに埋もれ、兵士らも周囲の人々も、後ろの馬車に気がついていなかったのだ。


「あー、もー、可哀想に。よしよし、大丈夫だからね、カノン」


 ひょいひょいと蜘蛛の脚や背中を飛んで、幼女は真っ白な蜘蛛の頭を撫でる。

 すると炯眼に兵士らを見据えていた蜘蛛の八つの眼が、みるみるうちにトロンと和らいだ。

 無機質な昆虫の顔なのに、和らいだと分かる謎。蜘蛛の醸す雰囲気が先ほどまでと全く違う。

 甘えたようにクルクルと頤を鳴らし、すり寄る蜘蛛の背後から、もう一匹、同じような蜘蛛が。ぬっと姿を現した。

 そっくりな外見の二匹に、兵士らは短い悲鳴をあげる。


「心配ないよ、フーガ。ダイジョブ」


 トーンと軽い音を立てて蜘蛛から飛び降りた幼女は、横の騎士から何かを受け取り、パンっと兵士達の目の前に広げた。

 それは一枚の羊皮紙。フロンティア国王とフラウワーズ国王陛下の連名で綴られた通行許可証である。

 二国の間をフリーパスのみならず、フラウワーズの何処であっても通行可を示す文面。

 つまりこの幼女は、フラウワーズ国王から権限を貰った国王陛下のお客人ということだ。


 ざーっと血の気を下げて恐る恐る顔を上げる兵士達。

 それに薄く笑みをはき、小人さんは微かに口角を上げる。


「そういう事ですの。まあ、紛らわしくもあったでしょうし、今回は見逃しますわ。......でも、次は無くてよ? わたくしの可愛い魔物らに武器を向けたら、泣くに泣けないほど後悔させますからね?」


 釘を刺す幼女の後ろ姿を見つめ、馬車を降りかけていたマルチェロ王子が、じっとりと眼を据わらせる。


 いや、そなたも貴族らしくなさすぎるから。何で平民と一緒に列に並ぶんだよ。先触れを出して、優先的に入れて貰えよ。

 そうすれば、報せを受けた兵士らが早馬で確認に来ただろうに。お前が事を大きくしている事に気づいてくれ、頼むから。


 それを促すべき騎士団らは、幼女の行動に一切の口出しをしない。

 むしろ小人さん同様、今回の有り様を憤慨そうに眺めている。


 ここはフロンティアじゃないからな? 普段、どれだけやりたい放題にさせているんだ、フロンティアの人々は。


 小人さんをよく知る人々と、知らない人々の間に横たわる温度差。それを全く理解していなさげなフロンティアの面々に、マルチェロ王子は頭が痛くなった。


 だが、これは序の口。バストゥークの街に滞在する二日間に起きる大騒動を、今の王太子は知らない。


 主の移動を夢見るマルチェロ王子。彼の野望が叶う日は、まだ遠い。

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