第55話 小人さんと新たな日常 ~とおっ~


「なんって事だっ!」


 貴族街の一角で、初老の男性が呻いている。薄茶色の髪に整えられた口髭。

 豪奢な応接室のソファーに座り、彼は鷲掴むかのように頭を抱えていた。


 ここはカルティーニャ公爵邸。


 末娘の失言から王宮より抗議が届き、にっちもさっちも行かない状況なところへ、王宮に居を持つ長女から涙混じりの書簡が届いたのだ。


『王太子様のお心が離れ、まるで冷たい牢獄にあるようです。人の眼もささくれ立ち、毎日涙で枕を濡らしております。お助け下さい、御父様』


 微かに震える柔かな文字。


 長女であるミランダは良く出来た娘だ。可もなく不可もなく、当たり障りない人柄で、人々から好感を持たれていた。

 でしゃばる事はせず、与えられた責務をコツコツとこなす努力家でもある。

 それが、たった一言で..... アリステアの当たり前な言葉で窮地に立たされた。


「平民を平民と呼んで何が悪いのかっ! アリステアは、うかつではあったが、間違った事はいっていないだろう?」


 絞り出すような父親の言葉に、長男は大きく頷いて見せる。


「仰有るとおりでございます、父上」


 薄ら笑いを浮かべ、嫌な眼をした男性は、ソファーに座る父親を慰めるように、その横へ膝を着いた。


「あのような痴れ者に、由緒ある公爵家が振り回されるなどあってはなりません。仮にも父上は宰相ではありませぬか。是非とも国王陛下らに御進言を」


 にまにまと気色の悪い笑みの男性はダッケン。十年前に小人さんらと関わり、失脚し、王宮を逐われた人物だ。

 あれから何の努力もせず、ただただ愚痴をこぼして世を恨み、小人さんを恨み、ロメールを恨み、趣味に興じる無位の穀潰しとして部屋住みに甘んじている。

 それが許される家だった事も禍した。


「その通りだ、明日にでも陛下に.....」


 うんうんと頷き、労るダッケンの手を握りしめた公爵の耳に、低く唸るような声が聞こえる。


「いい加減になさいませ、父上っ!」


 振り返った二人の眼に映ったのは、扉の前に立つヴィフェル。

 忌々しげに眼を怒らせ、彼はやや凄んだ声で唸りを上げた。


「身分がどうのとくだらない事を.....っ、問題は、彼等が国王夫妻の御気に入りであり、殿下方と親しく、真っ当であるという事ですっ!」


 以前はヴィフェルも似たような感情をジョルジェ伯爵家に抱いていた。

 それは半分、父親の刷り込みではあったのだが、それでも旧き血脈の矜持が、そのような勘違いを彼の中に起こしていた。


 しかしそれを、千尋が木っ端微塵に打ち砕く。


 何かを為すのに身分は意味がないのだと。やりたい事を、やりたいように闊歩する幼女の小気味良さ。

 ヴィフェルは、ファティマの境遇に心を痛めていた。全てを諦め儚げに笑う王女殿下が痛ましくて仕方なかった。

 だから、せめてもの慰めに蜜蜂を取り返そうと右往左往していた、あの日。

 幼女は、いとも容易くファティマ様の笑顔を取り戻してくれたのだ。

 ヴィフェルが、如何に努力しても成し得なかった事を、あっさりと。


 あれからファティマ様は格段に明るくなられた。外出もなさるようになったし、最近は、小さな妹の話を夢中でヴィフェルにする。


『ヒーロは凄くてよ、何でも出来てしまうのっ』


『妹って可愛いのねっ、貴方にも妹がいるのでしょう? 心配したりするのが楽しいなんて、わたくし知らなかったわ』


 満面の笑みで話すファティマに、ヴィフェルは至福を覚えた。

 少なくともヴィフェルにとって、伯爵令嬢は、自分の主の救い主である。

 そしてジョルジェ伯爵は、何も間違った事はしていない。非難を受ける謂れはなく、俗物な貴族どもが攻撃出来る部分がないため、父親が元平民だったところを嘲り、罵るのだ。


 なんと醜悪な事か。


 真っ当であるがゆえに、本人にはどうにもならない事で論う。


「なぜ外側しか見られないのですかっ? ジョルジェ伯爵は王宮になくてはならない卓越した料理人です、その奥方はキルファンの皇女殿下です。我が国が、どれだけ多大な支援を現キルファンから受けているか、知らぬ父上ではありますまいにっ!」


 以前に国王が危惧したように、今のフロンティアは技術面でキルファンに依存していた。ジョルジェ伯爵を貶めるという事は、桜を本家と崇め奉るキルファンに喧嘩を売るようなモノである。


 そういった政治的な思惑は、ヴィフェルよりも熟知している公爵だ。


 しかしそれに理不尽を感じ、要らぬ嫉妬を抱くのも古い貴族の特徴だった。

 なまじ権力を持つだけに、他が飛び抜けるのを許せない。許しがたい。

 内政向きな公爵ではあるが、そういった外交の大切さも知っている。知っているがゆえに、覆せぬ不満が家の中でまろびたのだ。


 それを小さな耳が拾っているとも知らずに。


「ならば、どうせよと言うのだっ、ミランダが泣いておるのだぞ? なんの罪もないのにっ!」


「では、ジョルジェ伯爵家に何の罪が?」


 言われて公爵は言葉に詰まった。


 平民が貴族を名乗るのが罪だと言いたいが、それは爵位を与えた国王陛下にも飛び火してしまう言葉だ。

 だからこそ、家の中や親しい貴族達としか、そういった話はしていなかったし、まさかそれをアリステアが外で話してしまうとも思っていなかった。

 無言で俯く公爵を見据え、ヴィフェルは大仰に溜め息をつく。


「まずは謝罪でございましょう。心ならずとも相手を不快にさせたのですから。そして、これは私の予想ですが、たぶん激怒しておられるのは、王族の方々のみかと。とうの伯爵家は、何とも思っておらぬかと存じます」


 これまでの幼女や、その周りを見ていたヴィフェルは、正しく小人さん達を理解していた。


 彼女は、基本、自分に関わらない事は、心の底からどうでも良いのだ。むしろ、だから? それで? と、スッパリこちらを切り払う。

 煩わしい事からは、脱兎で逃げる。

 なので、伯爵家からどうのこうのとは言って来ないだろう。抗議を寄越したのも王家である。つまり、怒っているのは王家なのだ。


 しかしその冷静な分析を、ダッケンの叫びが遮った。


「貴様、父上に頭を下げろというのかっ! 我が公爵家が成り上がりの伯爵家に膝を屈しろとっ?!」


 ヒステリー気味に喚き立てる兄を一瞥し、ヴィフェルは、低く穿つように呟いた。


「そうしなくば、ミランダも兄上と同じ道を辿るやもしれませんね」


 ハッと公爵の顔が上がる。


 王家の不興を買い、王宮から逐われた長男。その事実が、公爵の腹の奥を冷たく撫で回した。


「実際、父上の言がミランダを窮地に陥らせたのです。なれば、その責は父上にございましょう。いかがなさいますか?」


 鋭利な息子の眼差しに固唾を呑み、公爵は慌てふためいてジョルジェ伯爵家へ先触れを出した。




「今回の件、誠に申し訳ないっ!」


 やってくるやいなや、応接室のソファーで、テーブルに頭を額づけるカルティーニャ侯爵。

いったい、何の話なのか分からず、正面に座る伯爵親子は、公爵の横に座るヴィフェルへ説明を求めるように視線を振った。


 やはりな。


 二人の疑問符全開の眼差しで、ヴィフェルは伯爵家が今回の抗議に無関係なのだと察する。


「しばし前に我が家の末娘、アリステアが、そなたを平民だと罵った事がござろう?」


「アリステア様の? ええ、そんな事もございましたわ」


 御令嬢モードで答える小人さんに、ヴィフェルは眼を細めた。


「その事で王家から抗議がきた。なので、謝罪に参ったのだ。本当に申し訳ない」


 ヴィフェルも頭を下げる。


 しかし小人さんは困惑顔。


「すっかり忘れておりましたわ。あんな事で抗議が? まったく存じませんでした」


「俺も知らなかった。平民なのはその通りだし、別に恥じる事でもないしな」


 けろっとした顔で宣う二人。


 公爵は目の前の親子を信じられない顔で見つめた。


 恥じる事でもない。その通りだ。


 公爵は決して愚か者ではない。ただ、王宮では王弟殿下の意向が強く反映するため、宰相である自分が蔑ろにされている気がし、さらには長男が碌でもない事をやらかして逐われた事を、逆恨みしていた。


 そう、逆恨みだ。恥じるべきは、こちらである。


 今さらな現実を理解し、突きつけられ、公爵は己の狭量を心から呪った。


 その横で、ヴィフェルが肝心な話をはじめる。


「どうやら我が家は、その一件で王家より不興を買ったようで。王太子妃として王宮で教育を受けているミランダが、肩身の狭い思いをしておるらしく、こちらの自業自得ではあるのだが、ミランダに罪はない。どのようにも詫びをいたします。どうか、王太子様におとりなし頂けないでしょうか?」


「うえっ?」


 思わぬ話に、小人さんの背負っていた猫が、ぴゃっと逃げ出す。

 何時もの幼女に戻り、ヴィフェルの眼が、ふくりと弧を描いた。


 詳しい話を聞いた小人さん。


 翌日、王宮へ乗り込み、こっぴどくウィルフェを叱ったのは言うまでもない。


「仮にもお嫁さんに来てくれる大事な人でしょうがっ! 蔑ろになんかしたら、アタシが許さないんだからねっ! 女の子は愛でるものなんだよっ! 横にいてくれるだけで御の字でしょうがっ!」


 常に女の子の味方な小人さん。若い女の子は、そこにいるだけで宝である。至宝である。和みと癒しの命の泉である。


 それに物申すなど、言語道断っ!


 ジロリと剣呑に睨め上げる幼女の容赦ない眼差し。事が事なだけに、彼女の心の天秤がウィルフェに傾く事はない。

 女の子の敵は小人さんの敵だった。


「いやっ、蔑ろになどっ? うむっ、大切にするともっ!」


 あたふたと狼狽えるウィルフェを睨めつけ、コンコンと諭す小人さんを、周りが生暖かい眼で見守る。


 そして、ふと覚えた既視感。


 ああ、王弟殿下に似ているんだ。


 人々の顔に思わず乾いた笑みが浮かぶ。


 そんな益体もない事を脳裏に浮かべた周囲を余所に、その日、ウィルフェは後宮のミランダの元を訪ねた。




「王太子様っ! ようこそお越し下さいました」


歓喜極まり、涙目で出迎えるミランダの健気な姿。

 ここしばらくウィルフェの渡りが無かったため、心を痛めていたのだろう。


 今になって罪悪感を覚えたウィルフェは、不器用に視線を泳がせた。


「その.....な。庭園の花が綺麗だったので...... そなたに見せたいと思うてな」


 そう言うと、ウィルフェは一輪の花をミランダに差し出す。

 一瞬、戸惑いを見せたミランダだが、素直に受け取り、淡く微笑んだ。


「ありがとうございます」


 はにかむ彼女に気を良くし、ウィルフェはアリステアの事を尋ねた。


「妹は歳が離れた末娘で甘やかされて.... 口性ない事を申したようです」


「そうか。まあ、子供なのだろう。どうやらチィヒーロと仲が良いようだ。今度、御茶会にでも招くが良い」


 そうすれば、チィヒーロも王宮へ呼べるかもしれない。


 雑な下心を隠し、御機嫌なウィルフェをチラリと一瞥し、ミランダは物憂げに睫毛を伏せた。


 渡された花は白いゼラニウム。それの花言葉は《あなたの愛を信じない》


 どうにも詰めの甘いウィルフェが、この後ミランダとの未来に一悶着を起こすのは別の話である。


 こうして、小人さんの春は終わり、初夏の陽射しが燦々と強さを増す中、貴族学院の長期休暇が間近に迫る。


 そんな中、忙しい小人さんに何かが起きるのは既にデフォだった。


 

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