第54話 小人さんの新たな日常 ~ここのつめ~
「今日は同じクラスですわねっ、わたくしが教えて差し上げましてよっ」
「ありがとうございます。よろしくね」
胸に手を当てて、鼻息も荒くのたまうアリステアに、小人さんはニッコリと微笑んだ。
今日は社交の日。各クラスごとに、サロンを開いて詩を諳じたり刺繍を嗜んだりと、各々趣味嗜好に興じる日である。
それぞれに判定人がおり、規定を満たした生徒の手帳に印を捺してくれるので、皆やる気満々だ。
午前中はそんな感じに色々な講座を周り、昼食を経てダンスパーティー。ここでも厳しい判定が行われ、最終的には反省会という名目の御茶会で〆られる。
「今日はいくつ合格出来るかしら」
「ドキドキしますわね。わたくし御父様からチェスを習っておりますの。少しでも嗜みを増やさなくては」
「素晴らしいですわ。教養は貴族の必須科目ですもの。頑張りませんとね」
既に淑女の片鱗を見せる女の子達。
おほほ、うふふと交わされる会話に、男の子らはついていけない。
「女子は強いな」
「本当に。僕の姉など、チェスの腕はかなりなモノです。負けていられません」
「諳じる詩の暗記が苦手です。皆はどのようにしていますか?」
「ああ、あれは私も苦手ですよ」
などなど。男の子は男の子で色々悩ましいらしい。
幼いながらも頑張る子供達を微笑ましく眺め、小人さんは自分の手帳を開いた。
これは舞踏会の手帳。ダンスの申し込みを記帳するモノで、今から使い方に慣れておくため、試験のスタンプ帳になっている。
なんかアレだな。某鉄道スタンプラリーを思い出すね。懐モンスターのために、いい年をした女が子供らの間を走り回ったのも懐かしい。
そんな益体もない事を考えつつ、双子は詩の朗読のテーブルに足を向けた。
思い思いの詩を、辿々しく朗読する生徒達。その朗読に感想を述べたり、誉めたりと、小さな御茶会の形で講義は進んでいる。
既製の詩や自作の詩。玲瓏に堂々と言葉を紡ぐ者もいれば、つっかえながらも、必死に朗読する者もいて微笑ましい。
出された御茶を片手に周囲を探れば、そこかしこから鋭い眼差しで生徒を見る使用人達。
そう、これは講義であり、試験なのだ。
生徒達の一挙一動を見逃さず、授業態度、周りへの配慮、作法や所作。その全てに眼を光らせる隠された判定人。
いると思ったわ。こういうのは世界が違っても同じなのね。
ふくりと小人さんの眼が笑みを深める。
以前、地球で働いていた時に、千尋の悪い噂が会社で流れた事があった。根も葉もなくはない噂。事実無根であれば反論のしようもあったのだが、事を逆転して語られ、その証明が出来なかったのである。
加害者が被害者の振りをする悪辣な方法。真実は本人らしか知らない。
違う、違わないの水掛け論は、先に口にした相手に有利に働いた。
そんな時、録音されたやり取りが証拠として上がり、千尋の名誉は回復されたのである。
その証拠を提出してくれたのは、なんと昼行灯と呼ばれていた窓際の課長だった。
彼は上から配属されたコネ社員だと思われていたが、実はパワハラ、セクハラなどを監視する調査員。
表立っては出てこないが、必要とあらば証拠と進言書を提出するらしく、今回の事態が大きくなるのを待ち、随所に仕掛けられた盗聴器から音声を集めて、証拠として出したのだという。
あれから社内で馬鹿をやる者は激減し、調査員は、その効果を最大限に発揮したのだ。
苦い思い出に一抹の不安が過り、なんとなく見ていれば、案の定、使用人に紛れて、それらしい人々が闊歩している。
「にぃに。気を抜かないでね。ずっと見られてるから」
「分かってる。チラチラ来る視線が意味ありげで嫌な感じだ」
笑顔のまま談笑を装い、双子は気を引き締めて講義に参加した。
各所を巡り、はしゃいだり落ち込んだりする生徒達。
小人さんは刺繍と朗読でスタンプをもらい、千早はチェスと朗読でスタンプをもらった。
自作の詩に織り込んだ表現が決め手になったらしい。
「《色は匂へどちりぬるを》ですか。中々に詩的な表現です。ハーヤ様の《匂ひ咲き誇る春の宵》も見事な表現です。実に美しい」
教師から絶賛され、双子は柔らかな笑みをはく。
すいません、キルファンの古典からの引用です。
どちらも若い女性の美しい娘盛りを表している。小人さんは、移ろう時の無情な切なさを詩にしたため、千早は心惹かれる一瞬を詩にしたためた。
結果は大成功。二人ともスタンプをもらい、単位を取得する。
上級クラスへ上がるには、七割以上の単位を貰わなくてはならない。
さらには、たぶん、隠れ判定人からの評価。
小人さんは意識して姿勢を正し、しゅっとした礼で教師に挨拶をする。そして、さりげなく出された兄の手をとり、流れるようなエスコートを受けて、次の講義へと向かった。
背後で、ほぅっと小さな嘆息が聞こえる。
それらしく見えているようで、安堵に胸を撫で下ろす双子。作法は完璧なのだから、あとは慣れと経験だ。そうロメールは言っていた。
「女は度胸よねっ」
「違う。愛嬌」
「それは売るほどあるにょ」
「知ってる。でも、度胸より、笑って?」
ちゅっとバードキスを妹の手に落とし、千早は、はにかむように上目遣いで小人さんを見上げた。
途端に、周囲から小さな黄色い声が上がる。
「きゃーっ、素敵っ」
「紳士ですわぁ。羨ましい」
「あんな素敵な兄君がおられたら、どんなに誇らしいか」
きゃっきゃと頬を染める女生徒達。
いやいや、素敵なのは貴女達ですよ。実に可愛らしい。眼福ですなぁ。
小人さんは親父臭い事を考えつつ、ほっこりと恥じらう少女達を見つめた。
そして双子は次々と単位をモノにしていく。
昼食も、ある意味、試験だった。
普段食べ慣れないであろう桃やさくらんぼが、カットも処理もされずにそのまま出てきたのである。さすがの千早も、これには狼狽えた。
キルファンの名産。ここ百年ほど前から出回るようになった果物だ。歴史が浅い上、高価でもあるため、貴族でもおいそれとは口に出来ない。
これらの果樹園を持つ双子らとて、家では食べやすくカットされたモノしか食べた事はなく、丸のまま皿に置かれた果実に面食らった。
しかし、小人さんは知っている。たしか宮廷晩餐会で、同じモノがデザートにされた動画を前々世で見たことがあった。
「にぃに、まずは、さくらんぼから。普通に食べて、あとはアタシの真似をして?」
食事のテーブルは、それぞれ衝立があり孤立している。男女のペアで組み、仕切られたそれは、御互いのテーブルを見ることは出来ない。
小人さんは普通にさくらんぼを食べて、その横に置かれた紙の筒を持ち、中に種を飛ばす。
通称ぷーと呼ばれる筒は幅二センチ長さ十センチほどの紙の筒を棒に取り付けたモノ。
その棒を持ち、筒の中に種を飛ばして、最後にヘタの部分を入れ、筒の口を捻って閉じる。
そして横に控える侍従らに、にっこりと微笑んだ。
それが合図だったのか、侍従らは新品の手袋を持ち出して装着すると、双子の前の皿を取り、給仕用のワゴンの上で丸のままな桃をマッサージし、皮を剥き出した。
皮を剥いた桃を食べやすい大きさにカットして盛り付けると、再び皿を双子の前に置く。
「お待たせいたしました」
瞳を輝かせて微笑む侍従に軽く頷き、双子は最後まで美味しく昼食をいただいたのだった。
食事を終え、優雅に席から離れていく双子に、侍従らが羨望の眼差しを向けている事を二人は知らない。
「素晴らしいですっ! 今回は難題だと思ったのに、あの御二方は何の衒いもなくお食事をなさいましたっ!」
興奮気味に捲し立てる侍従を見て、マナーの教師は苦笑する。
あの双子はサクラ皇女の子供だ。しっかり、あちらの作法も身につけているのだろう。ある意味、二人には有利な課題だったかもしれない。
さくらんぼや旬の桃を振る舞う作法は、キルファンから伝わったモノである。元々がキルファンの名産なのだから当たり前だ。
それでも上流階級の作法は一般には知られていない。
皿に丸のまま出すなど、通常有り得ないからである。
桃は傷みやすい果実だ。そのため、食べる直前まで新鮮なままでとの心遣いから生まれたライブカット。
これは王宮晩餐会などの特別な時にしか行われない方法である。何しろ客人分の侍従を用意してあたらなければならないのだから。
贅沢も極まれりな食べ方だった。
皇女殿下とは言え、数えるほどにしか経験してはいないだろう。御子の二人も知識として知ってはいたかもしれないが、実際に体験した事はないはずだ。
それを慌てる事なく、そそと実行出来る強かさ。
やはり、あの双子は別格ですね。
かくして、隠れ判定人の持つ小人さんらの裁定表には合格の二文字が捺された。
続いてダンスパーティー。ダンスは得意な双子である。
軽やかにクルクルと踊る二人に、周囲は驚嘆の眼を向けた。まるで羽根が生えているかのように音もなく滑り、浮かぶ不思議なステップ。
基本の型に独自の振り付けを交えたその見事なダンスは、居並ぶ教師陣をも唸らせる。
なんなくスタンプをもらい、後に行われた御茶会で中級合格をいただき、双子は晴れて上級クラスへと上がった。
「ズルいですわぁぁぁあっ!」
中級残留となったアリステアが小人さんに噛みつくのも御愛敬。
こうして全てが上級、特級となり、なるべく時間を作りたい千尋と千早は満足気に帰路につく。
「はやいとこ、全部免除にしたいね」
「せっかちだよ、ヒーロ。僕は、もっとゆっくりで良いと思うよ?」
巡礼と芝居小屋の事しか頭にない小人さん。
そして、災難は忘れた頃にやってくる。
後日、アリステアの失言の被害を被った、自業自得家がジョルジェ伯爵家に駆け込んでくるとは夢にも思っていない小人さんである。
合掌♪
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