第208話 泥中の蓮 ~いつつめ~
「何が新しい母ちゃんだっ! ふざけんなっ!!」
「きゃっ!」
がしゃーんっと甲高い音が鳴り響く廊下。
やってきた千尋とテオドールは、外にすら聞こえる大立回りのけたたましい音に度肝を抜かれる。
何事かと顔を出す他の客らや、同じく慌てて駆けつけた宿の従業員。宿屋に駆け込んだ二人が後をついていくと、そこには修羅場が待ち受けていた。
「どうしたんだっ?」
なんだ、なんだとドニ達の部屋の前でたむろう客らを押し退け、ノックもなく従業員が扉を開けた途端、彼らは思わず絶句し息を呑む。
その横をすり抜けて中に入ったテオドールも、あまりの惨状に従業員同様、言葉を失った。
そこいら中に散らばった何かの残骸。窓のガラスも割れ、嵐でも起きたかのように足の踏み場もない有り様の室内。
さらにはベッドの上に仁王立ちする幼女と床に崩折れる女性。女性の傍らには、彼女を守るように覆いかぶさるドニがいた。あり得ないと言いたげな驚愕の面持ちで。
「マキ……? なんで……」
「なんでじゃないっ!! どうして分かんないのさぁぁーっ!!」
幼女はベッドから飛び降り、枕で父親をバシバシ叩く。涙の飛沫を飛び散らせて絶叫にも近い声を上げながら。
「俺が大きくなったら父ちゃんの女になるってばっ! だから、そんな売女を新しい母ちゃんになんて言わないでようぅぅーっ!!」
うわああんっと泣き叫び、枕を振り回して叩く度、力が抜けていくマキ。
ぁー……とか細く消えゆく嗚咽。それはマキを呼吸困難にさせるほど、肺の底から絞り出される切ない嗚咽だった。
上唇を噛み締めて悔しげに俯く幼女を呆れたように一瞥し、他の部屋のお客や従業員らはドニ親子の部屋から出ていく。
激しくはあるが親子喧嘩の末、子供が癇癪を起こしたのだろうと。そう判断したようだ。
そうではないことに千尋は気づいていたが。
しかしテオドールも似たような感想を抱いたみたいで、慌ててマキを抱き寄せる。泣きすぎて痙攣を起こし、ひぐひぐと荒らぐ幼女の喉。
もはや言葉も発せられぬようで、マキは酷く肩を揺らしながらテオのシャツにすがりついていた。
「大丈夫、大丈夫だから。ゆっくり呼吸して? ね?」
抱きしめつつ優しくマキの背中をさするテオドール。
それに、かっと眼を見開き、ドニが唸るように叫んだ。
「俺の娘に触んなっ!」
「何が俺の娘だぁーっ!!」
獰猛なドニの顔に怯みもせず、テオドールはぶわりと魔力を爆発させる。辺りに漂う殺気にも似た空気。そのあまりの悍ましさにドニの顔から表情が抜け落ちた。
「誰がマキをこんな風にしたのさ…… ねえ? 誰が泣かせたのさ?」
膨大な魔力に揺らめくテオの巻き毛。長くなってきたので一つ結きにしていた髪が、水中にただようよう宙で波打っている。
「ねえ? なんで? どうして泣かせるの? そんな女の方がマキより大切なのかいっ?! 答えろっ!!」
どんっと空気が圧縮され、恋人の女ごとドニを押し潰した。その瞬間、素早く小人さんが動く。
「はいっ、そこまでっ!」
暴走する若い魔力。常人に魔術師の魔力は重過ぎる。そんなテオドールがマキの父親を損なうことを案じ、千尋はテオの魔力を相殺し、霧散した。
「魔術師が民を害したら駄目だよ、テオ」
「……………………………」
泣き疲れて意識を失うように眠ってしまったマキを抱きかかえたまま、テオは恨みがましい眼光でドニを射貫き、踵を返すかのように部屋を後にする。
「持てっ、娘を返せーっ!!」
狼狽え、倒つまろびつ部屋を飛び出そうとしたドニを、小人さんが押し止めた。
怪訝そうな彼を余所に、千尋はにっかり笑って話を始める。
「娘さんのことで、お話がございますの」
薄く煌めくエメラルドのごとき双眸。その奥に燻る何かを感じて、ドニは反論を封じられた。
逆らえない何か。恐怖にも似たソレは、金色の魔力を畏れ敬う生き物の本能だろうか。
深く吸い込まれそうなソレに悪寒を禁じ得ず、ドニは背筋に不気味な虫酸が走るのを他人ごとのように感じていた。
「………娘が? 生まれてから全てを覚えているかもと?」
小人さんは、こくりと頷く。
しっちゃかめっちゃかな部屋を適当に片付けてテーブルスペースをあけ、小人さんは真っ青な顔の恋人をベッドに寝かせたドニを手招きし、椅子に座らせる。
そして淡々と思いついたアレコレの説明をした。
千尋がファティマに憑依していた時、ファティマの魂が失われるまで二人は記憶を共有していた。今の身体に転生した時も、あえて封印をせねば記憶はそのままだったに違いない。
何かの弾みで、浄化されたはずの魂が刻まれた己の歴史を思い出すこともあるし、精神や魂魄の理は未だに不可解だ。
そしてあの激情。あれはどう考えても悋気だろう。マキは父親を一人の男性として見ている。愛している。
まだ子供な見てくれでは口に出せまいが、その想いは本物だ。そして彼女がそのような心理状態にあるのならば。
……中身はお察し。どこからかの転生者に違いない。
ならば記憶もしっかりしたもののはず。ああして熱病に狂うあたり、マキはドニが実の父親ではないと知っている。
「何か彼女に隠し事をしていませんか? マキちゃんにかかわる重大なことを。たぶん、彼女はそれを知っています」
マキが.....? 知っている?
唖然と俯くドニ。
転生云々は隠しつつ、巧みに話を誘導する小人さん。
部屋の中に重い沈黙が降りた。辛抱強く父親の言葉を待つ千尋の耳に、とつとつと真実が語られる。
「…………………。 ………マキは。俺の本当の娘じゃない」
森で拾った子供なこと。万一の保険として育てて欲しいと村長に頼まれ、育ててきたこと。
けれどその万一が起きてしまい、マキに情の移っていたドニは、我が子を守るために村を飛び出して祖国すら捨てたこと。
「.....マキを失いたくなかった。何があろうと離れたくなくて。出来るならどこかに家を得て、そこで二人きりで暮らしたかったんだ。あいつを誰の眼にも触れさせず、ずっと腕の中に閉じ込めておきたいくらい..... あれは、俺の全てだ」
絞り出すような声で説明するドニ。
.....なるほどなあ。ってことは、マキちゃんは間違いなくどこからかの転生だわ。でなきゃあんな幼い子が父親と二人で荒野を渡れるわけないもの。
しかも、その言動や行動。小さい頃のマキが作ったというアレコレをドニが話してくれたが、そのアレコレを聞き、小人さんは非常に親近感を持つ。
.....お箸に毛糸タワシとか。うわあ、同郷間違いなしやん。
別な思考を宿しつつ、お互いに沈黙するドニと千尋。
その沈黙を破り、大仰な溜息をついて笑い出したのは、マキから凄まじい拒絶の洗礼を浴びたドニの恋人だった。
「あっはぁ! ようやく白状したわねっ!! やっぱアンタ、想う女がいたんじゃないっ!!」
念の為ベッドに横たわらせた女性の吐き捨てるような言葉に、ドニは何を言われたのか分からない。
千尋も眼を丸くして、からから笑う女性を見つめている。
「はあ…… もう、馬鹿臭…… どうりで、あの子がアタシを目の敵にするわけだ。手懐けようとして頑張った自分が間抜けすぎて笑えてくるわ」
好いた男の子供に好かれようと、彼女は努力した。彼女が亭主にしたいと考えた男はドニが初めてなのだ。
可愛い洋服や靴を贈ったり、玩具を買ってみたり。
だがその全ては、けんもほろろに終わった。マキは蛇蝎を見るがごとき剣幕で女を追い返してばかりいたという。
頑迷に、父親が買い与えてくれた服や靴しか身につけず。
手の甲で眼を覆い隠し、くっくっくっと笑いを噛み殺す女性。彼女が何を言わんとしているのか気づき、小人さんは素っ頓狂な声をあげた。
「相思相愛かぁ…… いや、両片想い? なるほどね」
あっけらかんと言い放つ少女をぎょっとした顔で振り返り、ドニが二人の会話を遮るように立ち上がる。
「いやっ! あんたら、何ふざけたこと言ってんだっ! マキはまだ七つだぞっ?!」
「わたくしが今の婚約者と婚約したのも七歳でしたが?」
いけしゃあしゃあと宣う少女。
当時は緊急避難的措置のためだったが、今は違う。千尋はロメールと共にあれることに歓びを感じている。
思わず顎を落としかけたドニは、貴族と平民では婚姻の概念が異なることを思い出した。
上等な絹に仕立ての良いワンピース。履いているハーフブーツも良く鞣した革が使われ、一見してやんごとない身分の方に見える少女だ。
そんな彼女の御相手は政略結婚。多少の歳の差もあるだろうと。
「そりゃお貴族様はなっ?! アンタ、えらく良い身なりしてるし、どこぞの御令嬢だろ? 高貴な人らは婚約が早いと聞くし? 第一、俺とマキは十七歳も違うんだぞっ? 馬鹿馬鹿しいっ!!」
一蹴してしまおうと、ぶっきらぼうに話を断ち切ったドニ。しかしそれを、しら~っの冷ややかに見つめる二対の双眸。
「うあ〜…… これは酷い。うちの婚約様は、わたくしと二十歳以上違うんですけど? それでも愛や情に歳の差が障害になるとは思っておりませんが?」
「この一年、あの子の私に投げつける罵詈雑言を聞いていたけど? あれは本気だったわよ? 実の娘の嫉妬や、父親を取られそうな気持ちの発露だと思ったからマトモに取り合わなかったけどさ…… あの子も実の父親でないことを知っているというなら、話は別だわねぇ。」
二人の呆れ切った台詞を耳にして、ドニはここ最近の娘を脳裏に描いた。
『そんなに、あの女が良いのかようぅ…… 胸か? やはり乳が大切かっ?』
『俺だって大きくなったら、きっと良い女になるよ? そしたら稼いで、父ちゃんを養ってあげるからさあ』
『すぐに大きくなって、あの女より良い女になるっ! あと十年…… いや、八年待っててようぅぅ!!』
『俺が父ちゃんの女になってやるつってんでしょーがあぁぁっ!!』
事あるごとに捲し立てられた子供らしからぬ色めいた言葉。ませた子供だと思った。それでもドニの女になりたい=父ちゃんのお嫁さんになりたいという小っ恥ずかしい台詞に一喜一憂し、やけに重く疼く下半身を毒づいたものだ。
ドニは幼い者を性的対象にみるなどという性癖を持ち合わせていない。でも、なぜか、マキの声だけは彼の腹の奥に淫靡な愉悦をもたらした。
それを案じ、人目に触れさせたくないとドニは思った。こんな台詞を耳にして、マキに善からぬ思惑を持つ男どもを増やしたくないと。
まだまだ子供だと思う反面、その子供を本気で周囲の男達から守るつもりだった自分。
それは裏を返せば、自分こそが性的にマキを見ているという事実に他ならない。
……一緒にお風呂に入らなくなったのはいつからだろうか。健やかな娘の寝顔に息苦しさを覚え、その寝息に肌を火照らせるようになったのは。
結果、ドニはマキを一人でお風呂に入らせ、一人で寝られるようにした。
『……父ちゃんと寝たい』
『甘えん坊だなあ? 良い女になるんじゃないのか? いつまでも赤ちゃんでいたいのかぁ?』
そんなふうに揶揄って、ドニは邪な己から無意識に愛娘を遠ざける。
父ちゃんの女になると、きゃんきゃん叫ぶマキに身体がゾクゾクした。その都度、昂る己を…… 恋人の身体で…… 鎮め.....?
そこまで考えて、ようよう己の気持ちを自覚したらしいドニは、ゆっくりとベッドに横たわる女性に顔を向けた。
いささか呆れた面持ちの女性は、仕方なさげにコクコクと小さく頷く。
「そうよ。アタシだって女だもの。好いた男が別の何かを懸想してアタシを抱いていることくらい分かっていたわ」
自分を組みしくドニに滲む、妙な苦悶の表情。嘲るような、取りすがるような、切実な彼の顔。気もそぞろで情事に溺れるドニ。そんな彼に苛立ちを隠せず、彼女は何度か尋ねたという。
ドニは仕事を貰うため自分と身体を重ねてくれるに過ぎない。そう知っていた恋人は、彼がどこぞの女にでも操だてしているのじゃあるまいかと疑っていたらしい。
だがドニは意味が分からないとばかりに首を傾げた。それに違和感はなかった。
.....どういうことだろう?
あらゆる疑問符が脳内で躍り狂うドニの恋人。
たしかに彼には女の影もない。いつも親子二人で引っ付いていて、こちらが妬くほど仲睦まじい。だから欲が出た。
ドニの心の中に誰かが居るのは知っている。それでも、その誰かより、今現在進行形で付き合っている自分に分があるだろうと。
家族になれば。時間がかかっても、マキと打ち解けられるだろうと夢見ていた。
.....まさかの展開である。その愛娘が恋敵だったとは。笑いしか出てこない。
自嘲気味な笑みを浮かべる彼女を余所に、ドニは茫然自失。
……俺はっ!
耳やうなじまで赤くして羞恥に染まるドニ。
「……ありえんっ! 俺は....っ、我が子だぞっ!」
無意識下の意識。
この先、ロメールが同じ心境を味わうのだが、今の小人さんは知らない。
茫然自失するドニを据えた眼差しで一瞥し、千尋はどうしたものかと思案する。
実はテオドールに相談されてから、彼女はこの親子の現状を徹底的に調べたのだ。そしたら出るわ出るわ、あらゆる余罪が。
ベッドに横たわる恋人の斡旋で、明らかに法を犯す仕事のオンパレード。
非合法の奴隷売買や薬剤の密輸。暴利の借財を無理やり取り立て、果ては見せしめの請負いなど。
難しいことは後ろ盾の無頼漢どもがやり、ドニは実働だけだが、司法を完備したフロンティアで逃げ道はない。発覚すれば実刑間違いなしだ。
ふうむと軽く眼をふせ、千尋はニヤリと笑った。
その数日後、騎士団によりドニの上役から全てが検挙される。
容赦ない騎士達に連れられていく父親を助けようと暴れるマキや、それを諫めようと奮闘するテオドール。
彼等の修羅場は、まだ終わらない。
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