第18話 王宮と蜂蜜と小人さん ~後編~


「ヴィフェルか」


 ここはロメールの執務室。


 奥の私的な空間で、小人さんは御茶を片手にコクコクと頷く。


「何か魔物をアタシが盗んだ的な事を考えてるみたい。どうなってるん?」


 ロメールは、しばし口許に手をあてて、チラリと視線を千尋に向けた。


「正しくもあり、間違ってもいる....かな」


 キョンと眼をしぱたたかせる小人さんに、ロメールは千尋の記憶が戻ってからの話を始めた。


 ポチ子さんは、ファティマが洗礼を受けるまで、その傍にいたのだという。

 常時ではなく、気まぐれに様子を見に行く感じで、時々。

 それが、後宮から王宮に部屋を賜っていらい、全く姿を見せなくなった。

 それどころが、ドラゴの子供らにつき従い、空を翔んでいるとの噂がファティマの周囲にも届いていた。

 彼女はいたく悲しみ、しばらく泣いていたらしい。

 元々、たまにしか姿を見せない蜜蜂だったが、物心ついた時から傍にいた魔物だ。

 どうして訪れなくなったのか、王宮側には、さっぱり分からない。


 結果、ヴィフェル達の暴挙に繋がったのだろうとロメールは話してくれた。


「まあ、ポチ子さんにしたら、元チィヒーロだった子供を見守っていただけなんだろうが。あちらにしたら、懐いていた魔物が突然いなくなった訳だしね。誤解というか、思い違いなんだよね」


 そして、ヴィフェルはファティマの側近として召し抱えられて七年。

 ポチ子さんが消える数年前からファティマに仕えていたらしく、嘆く彼女をずっと見てきたのだとか。

 学院を卒業して、そのままファティマの側近となり、若い彼の心には燻るものがあったのだろう。

 国王陛下にも懇願していたらしいが、ドラゴ家に関しては、誰もが及び腰で取り合ってくれない。


 長く歯噛みしていたヴィフェルは、洗礼の儀で見掛けた小人さんに怒りが爆発したのだ。


「そういうねぇ..... なるほど?」


「ポチ子さんの主が、本当は君なのだとは知らないし、知らせられないしね。どうしようもないね」


 以前の魔物の所有権うんぬんは、国王の勅命が生きているらしく、問題ないと言う。

 ただ、元々、ファティマの元を訪れていた蜜蜂が、千尋に奪われた。彼等は、そう考えているのだ。


「なら、事は単純かな」


 にししと笑う小人さん。


 ロメールも察したのか、薄く笑みをはいた。




「あの平民が面会の申し出だと?」


 ヴィフェルは渡された封筒を手荒に開封し、中の手紙を読む。

 そこには蜜蜂を連れて、ファティマ様に面会したいとの内容が書かれていた。


「盗人たけだけしい。何をたくらんでいるのだ?」


 訝りつつも、ヴィフェルは蜜蜂を捜して、ときおり庭を散策する王女の姿を脳裏に浮かべた。


 あんなに捜しておられるのだ。.....せめて一目でも。


 不機嫌極まりない顔で、ヴィフェルは返事を書く。

 ファティマに話を通し、喜んだ彼女が明日にでもというので、明日の午後に面会を入れた。


 その返事を受け取り、小人さんは蜜蜂を五匹ほど引き連れて王宮へ向かう。


 いつも王宮をチョロチョロしてる小人さんである。門番もフリーパス。そのまま、中に足を踏み入れた。

 するとそこに、迎えに出ていたらしいヴィフェルが、侍従とともに茫然と立っていた。


「何故?」


「はい?」


 問われた意味が分からず、首を傾げる小人さん。

 ヴィフェルは小人さんと門番を何度か交互に見ている。

 と、そこへロメールの側近が通りかかった。


「ああ、丁度良かった。ジョルジェ伯爵令嬢、フラウワーズとの決済について御相談したい事が.....」


 いくつもの書類の束を持ち、彼はガサゴソと目的の書類を探す。


「待って待って、アタシ、今からファティマ様に面会なの。後でロメールのとこ寄るから」


「え? あ、そうなんですか。じゃあ、御待ちしてます」


 一礼して、忙しく駆けていく文官を信じられない面持ちで見送り、ヴィフェルは顔を強ばらせた。


 王弟殿下を呼び捨て? フラウワーズとの決済の相談? 門番も咎める事なく、この子供を通していた。

 何なんだ? いったい? 訳が分からない。


 何も知らないヴィフェルは、目の前の幼女が、空恐ろしい化け物に見えた。


 何かある。自分には分からない何かが。


 ただの成り上がりな平民の子供と侮っていたヴィフェルは、軽く侍従らに目配せして、小人さんをファティマの部屋へ案内した。




「貴女がジョルジェ伯爵令嬢なのね? わたくしはファティマ・ラ・アンスバッハと申します。よろしくね」


「千尋・ラ・ジョルジェです。以後、よしなに」


「チィヒーロ?」


「キルファンの言葉なので発音が難しいですよね。チィヒーロでも、ヒーロでも呼びやすい方でどうぞ」


「わかったわ、なら、ヒーロって呼ぶわね」


 そう頷きつつも、ファティマの眼は小人さんの周りにいる蜜蜂に釘付けだった。


 蜂蜜のように淡い金髪とミルクティー色の瞳。

 すらりと伸びた四肢のバランスは良く、すでに母親似の美貌の片鱗を見せる可愛らしい少女。


 大っきくなったなぁ。元、自分だけど、感慨深いわ。


 まるで親戚のオバちゃんみたいな感想を脳裏に浮かべ、千尋は連れてきた蜜蜂をファティマの前に並ばせる。


「蜜蜂を返せと言われたのですが、どの蜜蜂か分かりません。似たような大きさのを連れて参りました。ファティマ様の蜜蜂はおりますか?」


 言われてファティマは狼狽えた。


 どの蜜蜂も同じに見える。


 オロオロと眼をさまよわせるファティマの前で、ヴィフェルが一匹の蜜蜂を指さした。


「そんなの、この蜜蜂に決まっているではないか。いつも来ていたのは、この蜜蜂だ」


 ヴィフェルが指さしたのはポチ子さん。


 思わず瞠目して、小人さんはマジマジとヴィフェルを見つめた。

 不機嫌そうな顔で小人さんを見下ろすヴィフェル。


「なんだ?」


「いえ..... では、ファティマ様、この蜜蜂で宜しいですか?」


 微笑む千尋の視界には、別の蜜蜂を抱くファティマがいる。

 眼を見開いて嬉しそうな王女殿下に、ヴィフェルも、微かに笑みを浮かべた。


「いいえ、この子にするわ。前の蜜蜂は触らせてくれなかったのに、この子は、わたくしに抱かれてくれたのよ? すごいわ、嬉しいっ!」


「左様でございますか。ならば、その子を可愛がってくださいませ」


 ふくりと笑い、一礼すると、小人さんはファティマに抱かれた蜜蜂と視線を合わせる。


 よろしくね。


 心得た、とでも言いたげに、蜜蜂は複眼を煌めかせた。


「では、これで」


 用は済んだとばかりにカーテシーをして退出しようとする小人さんを、ファティマが御茶でもどうかと誘ったが、この後、王弟殿下と約束があるのだと言うと、あっさり引き下がってくれた。


「貴女は魔物と仲が良いのね。良かったわ。わたくしの蜜蜂に、嫌な顔をする者も少なくはなかったの。また遊びにいらしてね」


 ふわりと微笑むファティマ。


 ハビルーシュに良く似た、淡い微笑みだった。


 幸せそうで良かった。アタシの事は覚えてなさそうだな。


 二歳の記憶だ。十年の月日に薄れ、無くなったのだろう。それで良い。


「では、御前、失礼いたします」


 扉から出ていく小人さん。その後を何故かヴィフェルがついてくる。

 彼は忌々しげな眼差しで千尋を見つめ、それでも労いの言葉をかけた。


「経緯は分からないが、盗んだ訳ではなさそうだな。御苦労だった。ファティマ様も喜んでおられた」


 そこで、ふと小人さんは疑問を口にする。


「ヴィフェル様は蜜蜂の見分けがつくのですね」


 言われてヴィフェルは不思議そうに片眉を上げた。


「当たり前ではないか。馬も、それぞれ顔が違う。似ているようで差異はあるものだ」


 いや、それ当たり前じゃないから。

 この人、神経質な見かけの割りに動物好きなんかな。


 顔は似ておれど中身はダッケンと全く違う。

 何より、先程の笑み。

 本当にファティマを大切に思っているようだ。


 にまっと笑う小人さん。


 ヴィフェルは軽く咳払いすると、また蜜蜂を連れてファティマ様を訪ねてくれと言った。


「ファティマ様には少し複雑な事情があってな。他の王女殿下方に忌避されておるのだ。同年代の貴族らにもな。そなた、肩書きは伯爵令嬢なのだから、私が仲立ちをしよう」


 微かな切なさを見せるヴィフェルの瞳。


 うん? 家族仲は良いように聞いていたけど、何か違う?


 通路で立ち話をしていた二人の後ろから声がかけられた。


「あら、ヴィフェル。ファティマはいて? 美味しい御菓子を頂いたのよ」


 そこには豊かな金髪を綺麗に結い上げた絶世の美女と似たような面差しの少年。

 控えるヴィフェルと対照的に、小人さんは思わず息を呑んだ。


 ハビルーシュ妃.....? それとテオドール? 大っきくなったなぁ。


 ファティマも可愛らしい少女になっていたが、こちらも中々の美少年だ。

 幾分、同世代より線が細い気がするが、そこはハビルーシュの血だろう。

 彼女の儚く淡いイメージが、そのまま子供らにも継承されているようだ。


「ファティマ様はおられます。蜜蜂が戻ってきて大層お喜びで」


「まあ、蜜蜂が?」


「ポチ子さんが?」


 三種三様の顔。


 テオドールのみが、複雑な驚きを浮かべている。

 そして蜜蜂を連れた小人さんに視線を振った。


「君は?」


「あら、チィヒーロ。久し振りね」


 問うテオドールと微笑むハビルーシュ妃。


 思わずヴィフェルが驚きに眼を見張った。


「ハビルーシュ妃様は伯爵令嬢を御存知なのですか? まだ洗礼を受けたばかりで、王宮に上がるようになったのも最近なはずですが」


 ヴィフェルの言葉に、ハビルーシュはおっとりと首を傾げて頬に手をあてる。


「知っているも何も。古い知己でしてよ。銀の褥でファティマを連れ帰ってきてくれた子ですもの。あの時とは眼の色が違うけど」


 何の話だ?


 意味が分からず眉を寄せるヴィフェルとテオドール。

 小人さんのみが、真っ青な顔で絶句していた。


 覚えてる? うっそだぁっ、ヤバいじゃんっ!


 あの時千尋は、ファティマと融合し、黒髪金眼の少女に変化した。

 その姿は、まさに今の小人さんそのものだったのである。


 ふくりと眼に弧を描き、ハビルーシュ妃は千尋の頭を撫でた。


「ファティマを、わたくしに届けてくれて、御礼をしたいと、ずっと思っていたのよ?」


 満面の笑みのハビルーシュと、訝しげな眼差しを向けるヴィフェルとテオドール。

 内心、あわあわと冷や汗を流しつつ、小人さんは優美に微笑んだ。


「もったいない御言葉です。なれど、王弟殿下に呼ばれておりますので。これで失礼いたします」


 恭しくカーテシーを決める幼女に、ハビルーシュは残念そうな顔で頷いた。


「それじゃあ、またお会いしましょうね」


 そう言うと、ハビルーシュはテオドールを伴いファティマの部屋へ入っていく。

 部屋に入る一瞬、テオドールが小人さんへ不可思議な視線を向けたが、頭を下げていた千尋は、それに気づいていない。


「そなた、いったい何者だ?」


「ジョルジェ家の小娘です。王弟殿下を御待たせしておりますので。では」


 そそくさと退散する小人さん。


 その背中に刺さるヴィフェルの辛辣な眼差しを自覚しつつ、彼女は全速力でロメールの執務室を目指した。


 ヤバいヤバいヤバいヤバいっ! ロメールぅぅぅっ!!


 無意識にパルクールを織り混ぜて、小人さんは最速で通路や階段を駆け抜けていく。


 うわあぁぁぁんっと飛び込んできた小人さんを受け止め、盛大な悪寒に全身を粟立てるロメール。


 やはり、小人さんの道行きに平穏の二文字は無いようだ。


 一難去ってまた一難。それでも小人さんは元気です♪

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