第177話 エピソード・混乱のウィルフェ



「そなた、そろそろ結婚相手を確定した方が良いのではないか?」


 目の前には優雅にティーカップを傾ける美丈夫。薄い青紫の髪を緩く束ね、精悍な面持ちは昔の悪童な頃の面影を残していない。

 今では立派な王太子となったウィルフェである。


 突然やってきて、何を宣っておるんだ、この男は。


 新年を迎え、冬も深まった頃。


 賓客室を王宮の根城にしている小人さんが、国外の御客様を迎えるため王女にジョブチェンジしていると聞き、この御仁はやってきたのだ。

 小人さんも、もう十二歳。来年には立志を迎える。アルカディアの国々の常識で言えば、形としては殿方に嫁いでも良い年齢である。

 もちろん夫婦生活はないが、御互いの情を育むため、花嫁見習いと称し、婚家に籍を置きながら学園に通う者も少なくはない。


 そういった事をふまえ、ウィルフェは少し照れ臭そうに小人さんを見つめた。


「もう叔父上との婚約を解消してはどうだ? そなたを自由にさせるための仮初めなのだろう? わたくしは、そなたを後宮に押し込めるつもりはない。好きに暮らして構わない。だから、傍にあれ」


 貫禄のある大人の顔で、ウィルフェは穏やかに微笑んだ。

 その余裕のある雰囲気を見て、小人さんは、ふと長い歳月を感じる。


 あの悪ガキが成長したもんだなぁ。と。


 今のウィルフェは二十代半ば。ミランダとの夫婦仲も良好で子供も二人いた。

 一端の男となったウィルフェの姿に、まるで親戚のオバちゃんのように、思わず感慨深くなる小人さん。


 だが、それはそれ。これはこれである。


 彼が口にしているのは側妃への御誘い。打診。ある意味、ミランダへの背信行為だ。

 すうっと目を細め、小人さんは辛辣に広角を歪めた。


「御戯れを。仮にも婚約者のいる婦女子に、王太子ともあろう御方が世迷い言ですか?」


 毎度お馴染みな極寒の微笑み。以前のウィルフェならば思わず全身を粟立てるところだが、今の彼は王宮の重鎮らと渡り合う青年だ。この程度の威嚇はモノともしない。


「叔父上は対外的な盾だろう? 本気ではあるまい? 御互いに」


 したり顔で斜に構えるウィルフェ。


 こういったところは国王陛下によく似ているウィルフェだ。普段は好青年を装いつつ、斬り込むべきところは見誤らない。

 昼行灯のように、のほほんとしながら、その実、ここぞという好機には精彩を放つ。


 まあ、馬鹿に政は出来んよなぁ。


 伊達に長々と王族をやってはいないと言う事か。


 日々研鑽し、周囲から、ロメールから多くを学び、それなりの成長を見せた青年は、政務に明け暮れつつも時間を作って、いそいそと小人さんとの交流をいそしんできた。

 結果、感づいたのだろう。己を値踏みするようなロメールの視線に。


 そして、それが何を意味するのかも。


 王としての資質を試されているのだと思っていた幼い自分。しかし時を減るにつれ、その視線にこもる不可思議な熱量にも気がついた。


 微に入り細に入り、慎重に巡らされるロメールの視線の持つ意味をウィルフェは看破する。


「叔父上のリストには、わたくしが筆頭に上がっていると思うぞ?」


 ほくそ笑むウィルフェに、小人さんも反論出来ない。


 こんな若造に覚られるなんざ、ロメールも耄碌したかにょ?


 今のロメールが、小人さんの輿入れ先を吟味している事に気がつく者は気がついていた。

 こうしてウィルフェがやって来たのだ。テオドールや、他の親しい者らも感づいているだろう。

 あの奥ゆかしいクラウディア王国のパスカールが、後日恋文を寄越すほど、ロメールの行動の思惑は、聡い周囲に筒抜けだったのである。

 ここんとこ他の貴族らから、親睦の招待状がやたらと届くのも、そういう訳か。

 思わず遠い眼をした小人さんに、ウィルフェが苦笑する。


「叔父上には、そなたが大切なのだよ。もちろん、我々もな。だから、わたくしの元に来よ。愛おしむと約束する。誰よりも深く、そなたを慈しもう。.....護らせてくれ」


 万感のこもる最後の一言。


 祈るかのような脆いウィルフェの眼差しに、小人さんは心の中で軽く嘆息する。


 王家の者らにとって、失われた過去の小人さんは痛恨のトラウマ案件なのだろう。欠けたピースはことのほか大きく、未だに癒えない傷だった。

 何としても取り戻したい。穿たれた深い孔を塞ぎたい。

 そんな切実な想いが、ひしひしと伝わってくる。


 手を伸ばせば届く所にいる小人さん。


 これに小人さん曰くの熱病も加わり、彼等の渇望は留まる事を知らない。


 当たり障りなく話をはぐらかして、小人さんはそそくさと王宮を後にした。


 憤懣やるかたないウィルフェを振り切り、トテトテ歩く小人さんに、今度はテオドールが立ち塞がる。


「チィヒーロ。少し時間をいただけるかな?」


「無い」


 話の内容を察して、すげなく切り捨てる小人さんを、テオドールは眼を丸くして見送るしかなかった。


 そんなこんなで、やや騒がしくなりつつあったフロンティア王宮。


 中世あるあるだが、各国には間者が蔓延っている。ざわめく王宮のアレコレが伝わらない訳もない。


 しばらくして、猪の如き速さで侍従らとジョルジェ伯爵邸へ駆け込んできたロメール。侍従らの手には複数の書簡が抱えられていた。


「これは、一体どういう事なのかな? チィヒーロ?」


 暗黒笑顔全開でロメールは書簡をテーブルに投げ出した。

 そこにしたためられているのは、各国からの求婚。

 ドナウティルのマーロウや、カストラートのルイスシャルルは言うに及ばず、フラウワーズのイスマイル王子やパチェスタ王子。スーキャラバ王国のサリーム王太子。トラウゼビソント王国からはメグの弟王子らと、ありとあらゆる場所から縁談の打診が届いていた。

 ひととこ変わったところでは、クラウディア王国のパスカールの恋文。


 思わぬ伏兵たちを見て、驚愕する小人さん。


 本気で信じられない。何が起きた?


 その疑問は可愛らしい唇から、ぼそぼそとまろびる。


「は? マーロウやシャルルは分かるけど、他はなんでっ?!」


「.....人たらしの自覚ないよね、ヒーロって」


 うんざりと呆れ顔をする千早。


 学園に留学していた頃、小人さんに幾度となく窮地を救われたイスマイルとパチェスタ。芸術劇場オープン時の憧憬に溢れる眼差しを、千早は忘れない。

 あの熱視線に気づかぬ妹の鈍感さに頭を抱えてしまう。


「ラゴン殿との縁を取り持ったからではないでしょうか? あの御仁の魔物狂いは、相当だと思われます」


 忌々しげに呟くのはドルフェン。胸糞悪くはあるがサリームの気持ちが彼には理解出来た。

 金色の王フェチなキグリス侯爵家の者であれば、伝説の再来に眼が眩む。事実、ドルフェン自身も、ファティマだった頃の小人さんに、一瞬で心を奪われたのだ。

 うっとり恍惚とした充足感。言語に尽くせぬ至福を得た。そう言った同類思考を、ドルフェンはサリーム王太子から敏感に察知する。


 理解出来てしまうから、始末に負えない。


「トラウゼビソント王国の王子達はまだ幼いと聞く。上の王子がチィヒーロと年回りが良い。下の王子でも不具合のない年齢だ。こちらは完全な政略結婚だろうね。.....君、女王に気に入られたんだよ」


「うえぇぇぇっ?」


 思わぬ事態に困惑する小人さん。


 聞けば、これはまだ序の口。これから、さらに増えるだろうとロメールは言う。


「芸術劇場オープンでフロンティアを目の当たりにした中央区域の国々にも親切にしたらしいね? 例の箱庭も持たせたし、新たに食指を動かす国も出てくるに違いないよ?」


 ドタキャンした中央区域の国々から自力でやって来た貴族達に、チケットを配布したり宿の斡旋をしたりと、懇切丁寧に世話を焼いた小人さん。

 その話を王宮へ報告すれば、当然、中央区域の国々も動き出すだろう。秘密の塊のような小人さんを何とかして手中におさめるために。


 なので、程ほどにと。何事も程ほどにとロメールは散々小人さんに言い含めて来たのだ。しかし蓋を開けてみれば、このていたらく。


 予測される未来を想像しただけで、割れるように頭が痛くなるロメールだった。


「だから言ったじゃないかぁぁーっ!!」


「うにゃあぁぁーんっっ!」


 こんこんとロメールに言われていた小言の意味を理解し、雄叫びをあげる小人さん。


 これが立志式数ヶ月前の話。


 その後は御察しだ。ロメールの想像どおり、中央区域からも多くの縁談が舞い込んできた。

 千尋が引く手あまたなのは嬉しいが、複雑な心境のロメール。


 そういったアレコレから事情を察して、悪戯気にほくそ笑む小人さんが、立志式でやらかす幸せな未来を、今のロメールは知らない。


 終わり良ければ全て善し。


 右往左往する王弟殿下の最良な未来に乾杯♪




 その頃時を同じくし、後宮の中庭で物悲しく項垂れるミランダがいた。

 ウィルフェが小人さんに側妃の打診をした話を側仕えらから聞いたのだ。

 軽く嘆息しつつ、彼女は目の前のティーカップに視線を落とす。


 凪いだ御茶の表面に燻る芳しい香り。


 分かっていた。王家にとって、ジョルジェ伯爵令嬢が特別な事は。

 王太子殿下だけではない。国王陛下もテオドール殿下も、あの少女を手元に置かんと必死にされておられる。

 少女が関わる国政だけでも特異なモノだ。その重要性は計り知れない。気がつけば国の根幹に深く根差す御令嬢。


 その御令嬢を妃に迎えるのは必然だろう。


 理屈は分かるし、この先、王となる者が複数の妻を持つのは当たり前だ。覚悟もしていた。.....していたはずだった。


 なのに重くのし掛かる陰鬱な気持ち。


「.....みっともないわね」


 子宝にも恵まれ、旦那様も御優しく、幸せな日々をいただいていたのに。わたくしったら、恩知らずにもほどがあるのでなくて?


 思わず熱くなる目頭をハンカチで押さえ、ミランダは一人密かに泣いていた。


 旦那様が御望みなら従いましょう。伯爵令嬢を歓迎しなくては。旦那様以上に優しく慈しんであげないと。


 伯爵令嬢は、以前に妹がやらかした失態も不問とし、あまつさえ王太子にミランダを大切にするよう叱りつけてくれたと人から伝え聞く。

 小人さん自身にも多大な恩を持つミランダは、長く葛藤しながら、千尋へアプローチするウィルフェを切ない眼差しで見つめていた。


 そして立志式当日。




「何故、叔父上なんだぁぁっ、チィヒーロぉぉぉーーーっ!!」


 情けない嗚咽を上げるウィルフェの横で、安堵の溜め息をつくミランダ。


 対照的な二人を前にして、胡乱げに視線をさ迷わせる侍女達。


 この男、妻の横で他の女への恋慕を吐露するとかデリカシーが無さすぎる。よくぞ、このスカスカなデリカシーでミランダ様と御子様までなせたものだ。


 ある意味、心から感心する侍女達だった。


 己のやらかしの連続に気づきもせず、ウィルフェはミランダの手を取り、あからさまな落胆を隠さない。


「そなたも歓迎すると言ってくれておったに..... 申し訳ないな」


「王妃様に学んだだけですわ。側妃様らとも良好な関係の御母様を、わたくしは尊敬しておりますもの」


 これは本心だ。だが愛する者を分かたなくてはいけない哀しさが薄れるわけではない。心荒ぶ己の狭量さを戒めるミランダに、なんとウィルフェは、トドメを刺す。


「母上は良く出来た御方だからな。なので見習うは良いが、真似はやめておけ。模倣でやれるほど王宮は甘くはない」


 は.....?


 ミランダは思わず瞠目した。言われた意味が分からない。それを優しく見つめるウィルフェ。


 これはウィルフェ自身の経験から放たれた言葉だった。彼も長くロメールや千早らの真似をしてきたが、模倣するも烏滸がましい惨憺たる有り様だったのだ。

 結局、人は、相応の努力に見合う事しかやれはしない。背伸びしすぎて、すっ転びまくってきたウィルフェは、実感の籠った口調でミランダを諭す。


 しかし、その言葉の額面だけしか受け取れなかったミランダは、愕然とし、顔を青ざめさせた。


 そなたに母上の真似は無理だと。やるだけ無駄だと言われた気がしたのだ。しかも、伯爵令嬢を惜しむ口調で。


 .....もう、駄目。


 側妃を迎えるのも、誰かと旦那様を分かち合うのも、旦那様が他の女に執着を見せるのも、どれもこれも我慢が出来ない。


 そんなあさましい己が一番嫌いだ。


 感窮まり、ミランダの眼から、ほたほたと涙が溢れ出す。そして、すくっと立ち上がると、彼女はウィルフェの横っ面を思い切りひっぱたいた。

 ウィルフェの頬で、柔らかな白い手が、ぱしーんっと甲高い音をたてる。


「.....え?」


 呆然とするウィルフェを見下ろし、ミランダは悔しげに眉を寄せて号泣した。


「も.....っ、.....無理ぃぃぃっ」


 叫びながら、そそと退場していく元侯爵令嬢。それを唖然と見送りつつ、叩かれた頬を撫でるウィルフェ。


 後日、里帰りしてしまった妻と子供らを迎えに、侯爵家へ行脚するウィルフェが小人さんに目撃されるが、その理由を知った小人さんに御説教されるまでがウィルフェのデフォだった。


「妻にそんなことを言うなんて、ホントに馬鹿じゃないのっ、アンタっ!! 母親崇拝のマザコンか、己はっ!!」


「いやっ! そんなつもりではなかったのだっ! わたくしはミランダを愛しているぞっ?! 他に代えられるなどと思ってはおらぬっ!!」


「だったら、さっさとソレを伝えてこーいっ!! 言語に尽くして語れっ!! 惜しむなよっ!! 駆け足ーっ!!」


 同じ女である小人さんから、ミランダがどのように受け取ったのだろうかと説明を受けて、慌てて脱兎の如く走っていくウィルフェの馬車。


 恋でなくとも情は育つ。


 ウィルフェにとってかけがえのない妻であるミランダは、まだソレを知らない。


 夫としては御粗末極まりないウィルフェの苦労は、これからだった。


 女の機微に疎く、やらかしまくりなウィルフェに呆れ返り、致し方なしに強くなったミランダが、この先、ウィルフェを手玉に取る未来が待ち受けている事も、今の彼等には知るよしもない。


 母は強し。後日、逞しくなったミランダの勇姿に、まるで己の過去を見るかのような錯覚に陥り、王妃が迂遠な眼を泳がせていた事も、今は誰も知らない。


 陛下の気遣いの無さにも呆れたけど。だからウィルフェは、そのようにならぬよう育ててきたつもりだったのに。


 どうやら徒労に終わったようである。


「.....蛙の子は蛙なのね」


 ぽつりと呟かれた王妃の言葉は、小人さんに拾われ、蛙の子はオタマジャクシだにょっと飛んできた女三人で、愚痴女子会が開かれたことは言うまでもない。




「陛下もねぇ。昔から気が多い方で、軽く片手ほどの女性と関係を持たれていてね。一人に絞らせたのよ? .....まあ、金色の髪のハビルューシュ様が御輿入れされて、結局、二人になってしまったけれど」


「ウィルフェ様は、まだ伯爵令嬢を諦めておりませんのよ? 盟約の婚姻だと言うのに、王弟殿下が早死にするのも有り得るとか仰って。歳の差カップルだからと期待しておいででしたわっ」


「あっは。あんな餓鬼んちょ、ツバメでも願い下げだわ。ロメールの半分も経歴増やしてから来いって話よねっ」


 女、三人寄れば姦しい。


 淡々と愚痴を溢し合い、王族の女達は強く逞しくなっていくのである。


 尻に敷かれるしか未来のない男達に合掌♪

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