第89話 終わりの始まり やっつめ


「うっは、なにあれ?」


「これはまた.....」


 西の森に着いた小人さん達は、大地を裂く黒々とした帯に眼を奪われる。

 左右見渡しても途切れが確認出来ないソレは、人知を越えた某かとしか思えない。


「こんなんが目の前を走って、よく平気だったねぇ、アウグフェル君」


 幅十メートルもあろうか。


 ぱっくりと口を開けた亀裂からは渓谷独特の風が吹き上がり、覗き込んでも底は見えない。


 深淵の奈落に似てるな。


 前世に滑落した絶壁を思い出して、つと背筋を震わす小人さん。

 あの時はジョーカーの網があるとの確信から、落ちることに恐怖はなかったが、今のこの裂け目には到底飛び込めない。

 ジョーカーの報告どおり、言い知れぬ何かを感じる不気味な亀裂だった。


 その小人さんの恐怖を察したのか、麦太君を乗せたポチ子さんが亀裂の中をホバリングする。

 慎重に少しずつ高度を下げていったポチ子さん。

 何をしようとしているのか分からない千尋が凝視する中、いきなりポチ子さんの様子がおかしくなる。

 裂け目の中の風向きが変わり、外の空気が内側へ流れていた。

 必死に外へ飛び出そうとするポチ子さんが徐々に渓谷奥へと引きずられいく。


「ポチ子さんっ?!」


 驚く千尋が咄嗟に手を伸ばすが、その手から突然無数の血飛沫が上がった。

 

「ヒーロっ?!」


 慌てて千早が小人さんを身体ごと渓谷から引き剥がす。


「離してっ、ポチ子さんがっ!!」


 必死の形相で絶壁から身を乗り出して覗き込む千尋の視界の中で、死に物狂いに羽ばたくポチ子さん。

 しかし少しずつ内側に吸い込まれていく二匹の姿に恐怖し、小人さんが絶叫した瞬間、無数の糸がポチ子さんに放たれ、二匹に絡み付くと、そのまま亀裂の中から引き摺り出した。

 まるで鰹の一本釣りの如く飛び出してきたポチ子さん。


《無茶をするね》


 聞き慣れた声に振り向いた小人さんは、簀巻きにしたポチ子さんを頭に乗せるジョーカーの姿を見て、へたり込んだ。


「ジョーカーぁぁっ」


《はいよ、お久しゅう》


 何でもないような風でポチ子さんを投げるジョーカー。

 その周囲には無数の蜘蛛達がわらわらと歩き回っていた。

 そして糸を吐き出し、亀裂の上面を覆っていく。

 みるみる塞がれていく漆黒の裂け目。それを感嘆の眼差しで見つめる小人さんに、ジョーカーは溜め息をついた。


《中に何かいるようなんでね。取り敢えず閉じ込めてるのさ》


 ジョーカーらの糸の強度は鉄より強い。深淵の銀の褥がそれを証明している。

 聞けば、ジョーカーらはこの裂け目に入れないのに、この裂け目は他のモノらを吸い込むらしい。

 魔物達が次々と吸い込まれ、無惨に切り裂かれた状況を見て、この裂け目が危険と判断したジョーカーは西の森から亀裂に蓋をするよう表面を覆ってきたのだとか。


《たまたま遭遇して運が良かった。あんたも、無茶をするでないよ?》


 しょんぼりするポチ子さんの頭を突っつくジョーカー。

 

 吸い込む? 切り裂かれる?


 それを聞いた小人さんは、つと己の手を見た。


 薄く走る無数の傷。


 すでに出血は止まっているが、これを知らずに飛び込んでいたら、どうなっていた事か。

 ポチ子さんには麦太の守護がかかっていたらしく、無事に済んだようだ。


「ヤバいね。なんなん? これ」


《.....分からないねぇ。ただ、アタシらは弾かれる。そこから、想像はつくけど確信はない》


 想像がつく?


 きょんっと見上げる少女に苦笑し、ジョーカーは軽く首を振った。


《見極めたら話すよ。アルカディアには関係のない話だから》


 それを耳にした千早が、ピクリと肩を揺らす。そんな千早に気づきもせずに、ドリルフェンが小人さんの腕を掴み治癒をかけた。


「.....え?」


 咄嗟にまろびたドリルフェンの疑問符。

 水属性の強い彼の得意な魔法は治癒だ。なのにいくら魔力を流しても小人さんの手の傷が塞がらない。

 狼狽えるドリルフェンを余所に、ヒュリアが薬を持ってきて千尋の手当てをする。


「魔法がきかない? なぜ?」


 愕然と眼を見張り、凍りつくドリルフェンをジョーカーと千早が静かに見つめていた。


 .....始まった。


 二人の脳裏に浮かぶ同じ情景。一匹は過去に同じ事を経験済み。一人は知識として知っている。


 ここから始まるのだ。狂喜乱舞する精霊達の宴が。


 だから、取り敢えず蓋をしてしまおう。


 ジョーカーは子供らに指示を出し、亀裂をどんどん塞いでいく。

 ほつれた大地をビシッと紡ぐ頑強な糸に、何処かの誰かはさぞ慌てている事だろう。

 神の末席たる御先は世界に干渉する力を持つ。

 ジョーカーの存在は精霊王の予想外だった。

 

 こうして不穏な空気をはらんだまま、小人さんらは馬車を翔ばし亀裂を越えると、一路カストラートへ向かう。




「あれは何なんだろうね」


 包帯の巻かれた自分の手を見つつ、千尋はジョーカーの言葉を思い出していた。


《アタシらは弾かれる》


 まるで自分達が別物であるかのような言い方。


 小人さん達とジョーカー達の違いと言えば..... 


「生まれか?」


 ポツリと呟く千尋を不安気に眺める小人さん部隊。

 思考の海に少女が沈んだ時は必ずとんでもない事が起きるのだ。

 しかも本能で突っ走るため、本人にも説明が出来ず、うーん?何となく? とか、そう思ったから? とか、曖昧な答えしか得られない。

 黙り込んだ小人さんは要注意。それを知る古参の騎士やアドリス達は、注意深く千尋を見守っていた。


 心配気な周囲を余所に、小人さんは考える。


 いきなり大地を割った亀裂。その中に蠢く何か。

 魔物らを吸い込み切り刻む渓谷。魔法のきかない傷痕。

 その中に善からぬモノがあると断定して当たり前のごとく修繕していく蜘蛛達。

 アルカディアには関係ないと言いつつ、警戒しているのがありありと窺える。


 ジョーカーは何かを知っていて黙っているのだ。


「何を知っているんだろう?」


 ブツブツ呟く小人さんの言葉に、ピクっと反応する千早。

 ソレに気づかぬアドリスではない。ザックも同様。

 然り気無く千早を囲って部屋の隅に座らせると、慧眼な眼差しで千早の顔を覗き込んだ。


「何があった?」


 微かに狼狽える千早の肩に腕を回し、アドリスは己の胸へ小さな少年を抱き込んだ。

 

「分からないと思ってんの? 挙動不審なんだよ、お前」


「まあ、年齢の割には落ち着いているが。それでも兄弟は騙せないな。お嬢も気づいているぞ?」


 はっと顔を上げる千早。


 寡黙になった兄が何かに悩んでいるのを小人さんは知っていた。

 でも問わずに見守る。必要なら相談してくれるだろうと考えたからだ。

 そわそわと千早を見る小人さんの視線に気づいた二人は、千早の様子がおかしい事にも気がついた。ただそれだけ。


「何にも.....」


 すっとぼけようとする千早が口を開くより先に、アドリスが呟いた。


「チェーザレ、いるか?」


 千早とは別人の誰か。


 呼ばれて、千早の顔つきが変わる。


『なんだ?』


「千早に何を言った?」


 確定口調のアドリス。ザックの瞳も辛辣に輝き、アドリスの言葉を肯定していた。

 口数の減った千早。最近とみに思い悩む弟分の変貌の理由は他に思いつかない。


『ふん、そなたらには関わりのない事よ。知りたくば精霊を得て、自ら尋ねてみるんだな』


 精霊?


 不可思議そうに首を傾げる二人の後ろから声がする。


「精霊? 今回のことに関係してるの?」


 いつの間に来たのか、ザックの背中によじ登り、顔を覗かせる小人さん。


『あ.....、いや、そのっ』


 しどろもどろなチェーザレを押し込み、千早が小人さんを睨み付けた。


「ヒーロには関係ないっ!」


「にぃーに?」

 

 すっと立ち上がり、馬車の窓を開けると、千早は太郎君を呼んで外へ飛び出していく。


「おいっ、ハーヤっ!!」


 アドリスが窓から千早を呼ぶが、千早は遥か上空を太郎君と翔んでいた。


 どうしちゃったの? にぃーに。


 しょんぼりと背中を丸める小人さん。

 

 ぎくしゃくし始めた二人を痛ましそうに見る周囲は、ベクトルの違う怒りを千早に覚えた。


 それは終わりの始まりなのだと、誰も気づかない。


 神々以外は。


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