第74話 異国の王宮と小人さん
「ボルジア家の猛毒? まさかね」
彼の昔、地球の歴史で一世を風靡した有名な劇薬。それを使った暗殺で名を知らしめたボルジア家。
その家から生まれた教皇の庶子の一人がチェーザレだ。
彼は野心が強く、手に入れられる栄光の全てを手にせんと、実の妹であるルクレツッアすらも道具にした。
あらゆる政略結婚の駒として使い倒し、知られているだけでも、複数回結婚をさせられた妹。
ただし、それは白の婚姻。
性的関係の許されぬ結婚だったため、離婚も容易く、また別の殿方に嫁がされるという悪夢を生み出した。
ルクレツッアも最後には良い御縁と結ばれ、多くの子供にも恵まれたのが救いと言えば救いである。
そういった苛烈な行動や策略。父である教皇の威光を余す事なく利用し、権謀術数を駆使したチェーザレを、時の人々はボルジア家の劇薬に韻を含み、カンタレラの猛毒と呼んだ。
「時間軸的に合わないよねぇ? 星が生まれて人類が蔓延るまで何年よ。ざっと数十億はかかるっしょ? 導師が地球から贈られたとしても、地球とのタイムラグは精々千年。うーむ、やっぱ穿ちすぎよなぁ」
珍しい名前ではあるが、他にもサッカー選手とか同名な者もいる。
名前が同じなだけで、彼の人物と重ねるのは早計だろう。
考え込む小人さんに御茶を出しながら、ヒュリアは珍しく忌々しげな顔で呟いた。
「ヒーロ様、あのままで済ませるおつもりですか?」
悔しげに唇を噛む姿も可愛らしい。周囲を回る光の玉も憤慨気に瞬いている。
「あれで良いの。勝手に尻尾を出すでしょ」
にんまりとほくそ笑む小人さん。
話は数刻ほど前。
「御招待、ありがとう存じます、第一妃様」
「遠路遙々御越しいただき、御苦労様ですこと。さ、お掛けになって?」
妃の言葉にヒュリアの眉がピクリとひきつった。
上から目線で御苦労様? あなた、ただの妃であって、王妃でも皇后でもないわよね、まだ。
ドナウティルの様式は大雑把だ。無数に女を用意し、王の手がつけば側妃。懐妊して子を生めば正式な妃となる。
それも生んだ順。身分も何も鑑みられないため、奴隷であろうとも妃になる事は可能だった。
目の前の妃もそんな一人。宮仕えな後宮の侍女の一人だったが、たまたま王の眼にとまり、一夜の情けで孕んだにわか妃である。
妃になってから教育もされたのであろうが、付け焼き刃なのが見てとれた。
真剣に学ばなかったのね。王太子が生まれて何十年もあったでしょうに。
王子を生み、我が子が王太子となり、その子供も生まれた。
己が春を磐石と考え、色々な煩わしい事から逃げたのだろう。
苦虫を噛みつつも、その顔には出さないヒュリア。
だがピクピクと小刻みに痙攣する眉から、薄く笑んだ彼女の心象が丸分かりな小人さん。
ヒュリアは本来なら王族のお姫様だものねぇ。こういう不躾なのは気に入らないんだろうなぁ。
しかしテーブルに出されたモノを見て、小人さんの眼が輝く。
うおっ?! そうか、そうだったぁーっっ!! これって、イスラム圏の飲み物だっけぇーっ!!
目の前の小さなカップには黒々とした液体が満たされていた。
現代でいうデミカップ。そしてその中身は、まごうことなき珈琲。
何年ぶりっ? うわぁ、この匂いっ、堪んないなぁっ!
扇を揺らして香りを嗜む小人さんを驚いた眼で見据え、第一妃はギリっと奥歯を噛み締める。
これはドナウティル特産のモノだ。他に輸出もしていない。
知らぬ事を嘲ってやろうと出したのに、まさかの慣れた雰囲気。
「良い香りですね。頂きますわ」
すっと上澄みを掬うように小人さんは珈琲を飲んだ。
思ったとおり濾してはおらず、細かい粉が浮いている。
下にもたぶん沈んでいるだろう。煮出ししたタイプの珈琲だった。
でも焙煎してるだけ凄いわ。生の煮汁だったら飲める自信ないしね。
珈琲は元々薬として食べられていた実だ。生のまま擂り潰したり、煮出したりと、その方法は千差万別。
これも導師とやらが効果的な抽出方法を教えたのかもしれないな。ならドリップまで教えていけよ。にぅ。
ブチブチと文句を脳裏に浮かべつつも、久し振りの珈琲を堪能する小人さん。
ブラック珈琲など、本来ならば子供が飲めるものではない。噎せるか顔を歪めるを期待したのに、その予想も破られた。
「珈琲は貴人の飲み物ですから。苦くありませんこと?」
どうやら第一妃は珈琲が苦手なようだ。一人だけ紅茶を飲んでいる。それもまた癪に触る妃である。
「その苦味が癖になりますわ。御菓子と食べると一層引き立ちましてよ? 御招待の御礼にフロンティアの御菓子をお持ちしました。お口に合うと宜しいのですけど」
小人さんの言葉に、ヒュリアは持っていた籠をテーブルに置いた。
中には作りたてのフィナンシェやジャムクレープ。こちらのクレープは薄いクッキー生地を焼きながら丸めたモノで、その中に小人さん発案で季節のジャムを詰めたものである。
丸めた棒のようなクッキーを手に取り、妃は恐る恐る口にした。
さくっとした歯応えと口内一杯に広がる果物の香り。
何より甘い。酸味もあるが、刺すような甘さが妃の眼を見開かせた。
「甘いですね? は? こんなモノをどうやって?」
眼を白黒させる妃に微笑み、小人さんは扇で口元を隠す。
「砂糖と蜂蜜ですわ。御存じありませんの?」
その物言いに嘲りを感じ、第一妃はみるみる眼を怒らせた。
「存じております。蜂蜜など魔物の餌ではないですか、汚らわしい」
そう口にしつつもクレープを離さない彼女を一瞥し、ふふっと小さく笑うと、小人さんは珈琲のおかわりを所望する。
「左様ですか。フロンティアの名産なので献上しようかと思っておりましたが、魔物の糧を厭うならば無礼になりますね。別なモノにしましょう」
ドナウティルでも蜂蜜は貴重品だ。比較的辺境が近いゆえ手に入りやすくもあるが、それには冒険者に依頼して採取してきてもらわねばならない。
業者の中間マージンを考えると、とんでもなく高価になってしまう。
己の失言で失うには余りに貴重な品だった。
だが口にした言葉は消せない。妃としてのプライドもある。
「よろしくてよ。まあ、下々に下賜するにも便利ですしね。頂いておきますわ」
ツンっと澄まし顔で宣う妃に笑いを噛み殺し、小人さんは本題を切り出した。
「左様ですか。ようござんした。ところで御話があるのですが?」
ふくりと眼に弧を描く小人さんを見つめ、第一妃は胸に嫌な予感を感じる。
「何かしら?」
「国王陛下が御隠れになられたとか? 御悔やみ申し上げます。それと関連して、第四王子殿下の事なのです」
王宮の反対を押しきって留学してしまった王子を第一妃も知っていた。
このまま王太子を即位させた場合、その王子が野放しになる。
フロンティアに返還を要求するは容易いが、処刑のためだと知られたら拒否される可能性もあった。
故に配下に拐わせ、無理やり連れ帰るつもりだったが、それは失敗したようだ。
「御存じかは分かりませぬが、フロンティアでは留学を三年と決めております。その間、留学生の身柄はフロンティアで保証されます。今現在、第四王子殿下はフロンティアが守るべき要人なのです」
そこまで言うと小人さんの瞳が炯眼に光る。
「こちらの法は存じております。なので馬鹿な申し出をされる前に一言」
幼子の気迫に呑まれ、絶句する第一妃に、小人さんは花が綻ぶような笑みで釘を刺した。
「処刑などとの馬鹿げた理由でマーロウに近づいてみなさい? .....細切れ肉にしますからね?」
「は?」
呆気にとられる妃に、小人さんは言葉を重ねた。
「細切れ肉にすると言ったのです。わたくしを含め、フロンティア一行の半径二百メートル以内に近寄る事を禁じます。父御の葬儀には参加させたかったので馳せ参じましたが、それを終えたら帰国します。それまで大人しくしておいでなさい」
ふてぶてしく宣う小人さんに、第一妃の怒号が飛んだ。
「何を勝手なっ!! 誰かあるっ! この者を捕らえよっ!」
妃の叫びに応じて、わらわらと兵士が集まってきた。
しかし一見して高貴な姿の少女に、手をかけても良いものか逡巡する。
「何をしておるのかっ! こんな子供一人、いなくなっても何とでも言い訳出来るわっ!
おお、そうじゃ、事が終わったら、孫らの誰かに嫁がせよう。フロンティアの王族なれば好都合。色々とゆすれるだろうて」
フロンティアの王族っ?!
脳内妄想だだ漏れな妃の言葉を正しく理解した兵士達は、さらにたじろいだ。
その温度差を肌で感じながら、小人さんは小さく嘆息する。
「馬鹿は何を言っても馬鹿だぁねぇ」
そう呟くと、小人さんはパチッと指を鳴らした。
途端に現れた無数の蜜蜂達。赤子ほどもあろうかと言う蜜蜂らが災害級の魔物だと知る兵士らは全員青ざめた。
「話は終わりました。では」
蜜蜂らを従えて、しずしずと扉から出ていく小人さんに、妃が罵詈雑言を喚いていたが、兵士達が必死に止めている。
それを尻目に、三人は第二王子の宮へ戻ってきたのだった。
「いなくなってもとか、嫁がせるとか、あまつさえフロンティアをゆするとかっ!」
ヒュリアの言葉に大きく頷くドルフェン。
「でも、煽ったのはこっちだからね。暴挙にでも出てくれれば御釣りが来るにょ」
にや~と悪い笑みを浮かべた小人さんに、二人は言葉もない。
かくしてその夜、蜜蜂らに追い回され、蛙や蜘蛛らに捕獲された兵士の山が出来るのだが、それはまた別の御話。
満面の笑顔で走る小人さんを止められる者はいない。
こうして葬儀の日まで、王宮では第一妃の阿鼻叫喚な叫びが轟く事になる。
御愁傷様♪
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