第159話 命の砂時計と小人さん


「千早に話しても構わないんだぞ?」


「やだ。同情されるとか憐憫の眼でみられるとか御免被る」


 克己が自宅に同居すると聞き、半狂乱になった千早が、けたたましい音をたてて伯爵家の二階へ上がったのを確認して、克己は小人さんの頭を撫でた。


「けど、あいつはお前を可愛がってるからなぁ。後々、遺恨が残らなきゃ良いが」


「なんとかする。何とかしなきゃ..... 聞いてたのに、何で忘れたかな、アタシ」


 神々のアレコレに振り回され、それどころではなかったのだ。そんな事は克己にも分かっていた。

 それを思い出した小人さんが、ポチ子さんとかっ翔んできた時の顔を思い出して、克己は自嘲気味に薄く口角を上げる。


『克己っ! ダイジョブっ?!』


 血相を変えてやってきた少女は、有無を言わさず克己を拉致し、そのままフロンティアまで連れ帰ってきた。そして今にいたる。


 ガリガリと爪を噛み、貧乏ゆすりをする千尋から手を奪い、克己は自分の両手で優しく包んだ。


「分かってた事だろう?」


「でもっ! .....でもぅぅ」


 うっうっと嗚咽を上げる小人さん。


 ファティマの頃に出会ってから、早十年以上。その数年前にアルカディアにやってきたという克己には、無情なタイムリミットが存在していた。

 転移した人々は、神々の理により新たな人生をもらう。それは二十年前後と決まっている。

 つまり克己に残されている時間は、あと数年。三年か、四年か。その程度しかないのだ。ひょっとしたら、もっと短いかもしれない。


「俺は覚悟してアルカディアに来た。地球じゃ明日をもしれない命だったんだぜ? それが、新たな人生をもらい、やりたい放題をやって、あっという間に時が過ぎた。.....良い人生だったよ」


「やだぁぁーーーっっ!!」


 達観する克己に小人さんはしがみつく。


「死なせないっ! 何とかなるかもしれないっ! 賭けは終わったんだものっ!!」


 そうだ、神々の壮大な賭けでアルカディアは勝利をおさめた。箱庭の収穫も終わった。克己がこのまま生きていても良いではないか。


 ぐしぐしと頭を擦り付けてくる小人さんを抱き締めて、克己は何とも言えない複雑な顔で眉を寄せた。


 .....死にたくねぇなぁ。こんなちっこい妹残してさ。


 今現在、天涯孤独な克己にとって、双子は弟妹同然。特に千尋は同じ世界の価値観を持つ唯一無二の存在だった。


 自分が死んだら、千尋は誰を頼るのだ? 誰に愚痴り、相談するのだ?


 ただ話すだけなら、彼女の周りには大勢の人々がいる。しかし、彼女の本心やその思考を正しく理解してやれる者はいない。

 地球の現代知識がベースになっている小人さんの考えに共感を示し、一緒に悩んでやれるのは克己しかいないのだ。

 えも言われぬ感情が克己の胸にぶわりと広がる。不安、恐怖、未練。全ては小人さんに向けたモノ。


 覚悟してたのになぁ..... してたけど。


 腕の中の温もりが愛おしくて仕方がない。今になって盛大に膝が震えそうになる。


 もう少し..... せめて千尋が頼りになる誰かに嫁ぐまで。一緒に居させてもらえねぇかなぁ。なぁ、神様よ。


 神々は二十年前後と言っていた。つまり、それより短い場合も、長い場合もあるはずだ。


 あとどのくらい俺は生きられますか?


 祈るように天を仰ぐ克己は、無意識に腕に力を込めた。その柔らかな力を感じて、小人さんはギンっと眼を見開く。

 けぶる涙が蒸発しそうなほど、怒りに燃えあがる翡翠色の瞳。


 絶対、何とかしないと。克己は報われなきゃならない。報われなきゃいけないっ! 殺らせないからねっ、カオス! アビス!!


 陽炎のように立ち上る、殺気にも似た金色の魔力。洗礼で生活魔法くらいしか使えない克己では気づかない。

 気づいたのは二階の自室で不貞腐れていた千早だった。あとはリビングの扉前で警護に立っていたドルフェン。


「.....ヒーロ?」


「..........」


 様々な葛藤の混じる不可思議な魔力に、千早は奇異の面持ちをし、ドルフェンは察したのか、やや苦悶の表情を浮かべていた。


 神々の理は覆せない。


 魂の選別は神々の領域であるが、それの断罪は高次の者らが行う。つまり、過ぎた行為だと高次の者らが判断すれば、克己の魂は輪廻から弾き出され、消滅してしまうのだ。かつての少年神のように。

 その禁忌に触れないギリギリが二十年のタイムリミット。それを越えてしまうと、神々にもどうにも出来なくなってしまう。

 人の寿命を伸ばし、人生を歪める行為。浄化もされていない魂だ。それだけでも神々の理に反するのに、新たな人生を与えるなど本来であれば言語道断。

 だが、高次の者らは神々を愛している。ゆえに多少であれば目こぼしもしてくれる。

 それが件の二十年。高次の者にすれば瞬き程度の時間。文字通り一瞬だけ眼をつぶるのだ。


 抱き締め合う克己と千尋を見下ろし、カオスとアビスも苦悶に顔を歪めた。


《何とかしてやりたいが.....》


《何ともならぬ。下手を打てば、千尋ごと消されかねん》


 神々の問題に巻き込み、散々苦労させた小人さん。来世は御先となる事が確定している彼女は、人の輪廻から外されている。すでに神々と同等の魂だ。

 だからこそ、人生の続きだの、記憶の継承だのが許されたのである。


 ただびとの克己には適用出来ない。


《どうしたら.....》


《どうにもならぬ。そなた、最近、おかしくはないか? ただの魂ではないか。何時も通りに浄化して生まれ変わらせるのが我らの仕事ぞ?》


 不思議そうに首を傾げるアビス。


 言われてカオスは、はっと顔を上げた。


《そうだな。何を考えていたのだ? 私は》


 夢から醒めたかのような顔で、アビスは頭を振る。

 神々にとって全ての魂はどれも同じだ。生き物も植物も、鉱石ですら同等。愛しい世界の一部だった。

 正しく世界を回し、祈りを循環させ育てる。少しずつ育つ世界が堪らなく可愛いらしい。


 そんな中に生まれた特別なモノ。御先。


 幾年、幾星霜。泣き叫ぶように求め続けてきた我等が御先。それが手の内にある幸せよ。

 そのせいだろうか。アビスは彼女が関わる者に、ついつい感情移入してしまうきらいがあった。


 アレが泣いておると平静でいられないな。これではいけない。全てに平等であらねば。


 己を戒めるカオスに微笑み、アビスは下界の二人から視線を外した。

 その、後ろ髪を引かれたような切なげな瞳をカオスは見逃さない。


 いったい、何がそれほどアビスの心に引っ掛かっているのだろう。


 ふむ、と思案するカオスだが、すぐに興味を失って、アビスとともに他の国へと視線を移していく。

 高次の者の逆鱗に触れてはならない。せっかく得た御先を失うような事は、絶対にあってはならないのだ。

 己に言い聞かせるかのような似た事を考えていた二人だが、彼等は忘れていた。


 小人さんが小人さんであり、真の我が儘者である事を。


 過去にあらゆる不可能を可能側に一本背負いしてきた少女は、本能の赴くまま突き進む。




「寒さが何だっ! 行くにょっ! 水の魔力循環装置にっ!!」


 季節は冬に差し掛かろうとしていた。

 いくらフロンティアが南方に位置していても、さすがに水には浸かれない気温である。


「春を待つ訳にはいかないのかい?」


 巡礼の話を通すため、ロメールの執務室にやってきていた小人さんは、ぶんぶんと横に首を振った。


「時間がないの。だから、今回は小人隊も置いていく。モノノケ隊のみで。あと克己」


 吐き捨てるような小人さんの言葉に、思わず周囲が過剰反応をする。


「なりませんっ! 不肖、このドルフェン、如何に言われようとも光玉のお側を離れはしませんぞっ!」


 チヒロではなく、敢えて光玉と呼ぶドルフェンに、小人さんは眉をつり上げた。

 光玉とは金色の王の尊称だ。小人さん自身が周囲に隠しているため、その呼び方をする者はいない。

 敢えて光玉と呼ぶことで、ドルフェンは千尋に警鐘を鳴らしているのだ。御身の価値を軽んじるなと。

 忌々しげにドルフェンを睨め上げる小人さん。それを事も無げに跳ね返し、厳めしい顔で小人さんを見つめるドルフェン。

 殺伐とした二人を呆れたように眺め、ロメールは溜め息をついた。


「話はわかった。でも許可は出来ないな」


「いらないよ、そんなん。取り敢えず報告しただけだから。アタシは好きにやるにょ」


 憮然と瞠目するロメールを尻目に、小人さんは克己を連れて執務室から出ていく。

 確固たる意思。誰の言葉にも聞く耳を持たず進む小人さんを、慌ててドルフェンが追う。


 いったい、何が起きた?


 詳細を知らぬロメールは冷や汗を垂らしつつ、出来る限りの情報を集めるよう暗部に指示を出した。


「何か聞いてないのかい?」


 カーテンに潜む暗部の者は、小さく首を振る。


『御令嬢は敏く、半径五メートル以内に近づけません。さらには、何故か御令嬢には、風魔法や水魔法の諜報魔術が効かないのです』


 相手と距離があっても使える諜報魔術。風や水の振動を使い、遠方の音を拾ったり映し出したりする魔術だが、これが小人さん近辺では全く役にたたない。

 本人が意識しているわけではないが、全ての魔力を所持する彼女は、全ての魔法を相殺してしまう。


 それを知らぬ周囲の人々。以前、千早がカフを使っても千尋の周りの声を拾えないと悩んでいたが、これがその理由である。

 神々からの賜り物であるカフの力は神々の力。小人さんの魔力の根源が金色の魔力であるため、カフの力も相殺され役にたたないのだった。


 そんなこんなで数日がたち、小人さんが巡礼の支度を整えた頃。


 目の前にズラリと並ぶ小人隊の面々に千尋は眼を見張る。


「今回は単独で行くって伝えておいたはずだけど?」


 藪睨みする少女の前に、ルーカスが一歩踏み出した。


「なりません。我等は国王陛下よりつけられた、王女殿下の護衛隊です。王女殿下のおわす場所に付き従うが我等の勤め」


 普段のおちゃらけた態度は何処へやら。騎士然とした顔で、堂々と述べるルーカス。

 その隣にユーリスも足を踏み出す。


「今回の巡礼は王宮の許可が無いとのこと。本来ならばお止めすべきなのでしょうが..... 我等にその権限はあれど、止める実力がございません」


 小人さんに立ちはだかるように並ぶ騎士らを、獰猛な眼差しで見据えるモノノケ隊。

 ウァンウァンと羽音を響かせる蜜蜂だけでも脅威なのに、各森の主らの子供が勢揃いしているのだ。これに勝てる軍隊はない。

 苦笑いしつつ冷や汗を垂らし、ユーリスは柔らかな瞳で小人さんを見つめた。


「せめて我々兄弟だけでもお連れくださいませ。遠距離支援を得手とする私どもならば邪魔にはなりますまい」


 ルーカスとユーリスは騎士団きっての弓騎士だ。双子なだけあって、その息のあった弓術のコンビネーションには騎士団長のハロルドすら舌を巻く。

 特にユーリスは、以前に小人さんからコテンパンにされた事もあって、その汚名返上に命をかけていた。

 どうあっても彼等は引かないだろう。二人くらいなら良いかと、致し方なしに頷こうとした小人さんの前で、他の騎士らが盛大にブーイングを上げる。


「ちょっ、待った待った! お前ら狡いぞっ?!」


「弓騎士だからって、抜け駆けすんなよっ! 皆で直談判な話だっただろうがっ!!」


「.....ついていけるチャンスを、お前らのために棒に振れるか。人は自分勝手なんだよ」


 ルーカスとユーリスの胸ぐらを掴み上げて涙目な他の騎士達。キャン×キャン吠える彼等に、濡れそぼった犬耳と尻尾が見えるのは幻覚だろうか。


 人は自分勝手。その通りだ。


 おうおうと泣く騎士達を愉しげに見上げ、小人さんは快活に笑う。


「参ったっ! しゃーない、皆で行こか」


 しかし少女は、ぱあっと顔を輝かせる騎士達に釘を刺すのも忘れない。


「ただし、これは正規の巡礼じゃない。森じゃなく魔力循環装置へ行くだけだからね。しかも王宮から許可ももらってないし、ノーギャラかもよ?」


 彼等小人隊も、結局は騎士団の所属だ。王宮の許可がなくば、費用の申請も通らない。ある意味、独断先行にも取られかねない行動。

 中世であるアルカディアでは珍しく、専門軍人で整えられたフロンティア騎士団において、あってはならない事だ。


 その小人さんの言葉に一瞬怯みつつも、小人隊の騎士らは、揃って揺るがぬ堅固な光を眼に浮かべた。


「承知しております」


「その辺は心配しておりません」


「我等の主は裕福ですし、それに.....」


 ルーカスが何時ものような茶目っ気を乗せた視線で小人さんを見る。

 いや、その視線は小人さんを通り越し、さらに後を見つめていた。

 振り返った千尋の眼に映ったモノは、ハロルド騎士団長と侍従を連れたロメール。何処からどう見ても旅支度姿である。


「水の魔力循環装置へ行くのだろう? 私も行くよ」


 唖然とする小人さんと満面の笑みなロメール。そして魂の抜けたようなハロルド。


「新年には王太子の結婚式だというのに..... あと一ヶ月もないのに.....」


「大丈夫だよ。済ますべき仕事は済ませておいた。あとは部下らで何とかなる。.....何とかしたら、臨時報償を約束しといたからね」


「褒美で釣らないでくださいっ! まったく貴方という方は、あざとい狡猾な処世術を覚えただけで、幼い頃から何も変わっていないっ!!」


 がーっと捲し立てるハロルドのお小言を、ていていっと叩き落とし、ロメールはにんまりほくそ笑んだ。


「そんな事を言いながらも、ついてくる忠義に感謝しよう」


「陛下の厳命ですからね。貴方を絶対に野放しにするなと」


 苦虫を噛み潰しまくるハロルド。


 後でハロルドから聞いた話では、以前に聞いた中央区域外遊で、ロメールは何度か死にかかったのだとか。


「《神々のテーブル》へ登り、滑落するわ、禁域と呼ばれる場所に単独で踏み込み、衛兵らに追い回されるわ、荒野で夜営中の馬車から勝手に離れて遭難するわ..... まだいっかいの騎士でしかなかった私は、何度も死を覚悟しました」


 当時、ロメールの専属護衛に過ぎなかったハロルド。その苦労を察してあまりあるドルフェンが、じっと小人さんを見る。


 ロメールの話なはずなのに、何故かいたたまれない小人さん。


「報告を受けた陛下は、涙ながらに私に懇願されました。絶対に王弟殿下から離れるなと。死なせないでくれと。以来、私は騎士団長になってもロメール様の専属護衛なのです」


 ああ、とばかりに小人さんは得心する。


 前々から気にはなっていたのだ。王宮騎士団筆頭であるハロルドが、何故にロメールの傍で付き従っていたのか。

 ロメールを暴走させない、危険な目にあわせない。そのためだけにつけられた、護衛兼ストッパーなのだろう。


 昔はやんちゃだったと聞いてはいたけど。どんだけよ。


 まだ剣も覚束ない頃から一緒に暮らしてきたハロルドは、ロメールにとって実の兄以上。

 この腹黒い王弟殿下に、頭から物申せる唯一の人物である。

 散々苦労をかけてきた覚えがあるのだろう。ロメールの鋭利な毒舌や人を煙にまく飄々とした物言いも、ハロルドにだけは歯切れが悪い。


「兄上は死なせないでくれと言ってるだけじゃないか。足や手の一本くらいは良くない?」


「良うございませんっ!!」


 だんっとテーブルに拳を打ち付けるハロルドに、ぴゃっと仰け反る小人さん達。千早も初めて見る騎士団長の激に眼を丸くしている。


「貴方は本気でそう思っておられるから質が悪い。もし、精霊を手に入れるために腕を差し出せと言われたら、一も二もなく差し出すでしょう?」


「..........」


 世にも珍しい、眼を泳がせるロメール。


「それをさせぬために私がお側にあるのですよっ!!」


 うーわー..... めっちゃ想像出来る。


 思わず歯茎を浮かせた小人さんだが、彼女は気づいていない。

 ハロルドの言葉を耳にした小人隊の全員がハロルドと同じ獰猛な眼差しを小人さんに向けていた事に。


 同病相憐れむ。


 ハロルドの言葉を正しく理解しただろう小人隊の面々に、ハロルドは小さな安堵の溜め息をついた。


 そうだ、伯爵令嬢は王弟殿下と同じ生き物だ。好奇心が猫を殺すように、油断すると簡単に失われてしまう。肝に銘じておくが良い。


 それぞれ複雑な思いを胸に、蜜蜂馬車は一路南に向かって翔んでいた。

 目指すは、キルファン跡地。そこに《神々のテーブル》の森の主がいるという。そう四大精霊王達は言っていた。


 何故、そんな離れたところに?


 あらゆる疑問が脳裏に浮かぶ小人さんだが、百聞は一見にしかず。行ってみればわかるだろう。


 そこに、全ての答えがあるのだとは知らない小人さん。


 神々すら知らぬ世界の秘密の理へ、今、足を踏み入れようとしている千尋だった。

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