第157話 芸術劇場と小人さん ここのつめ


『.....血は近くても心は遠い。大切にされ過ぎて食傷気味だ』


 中世観から選んだ物語ハムレット。


 演劇を知るキルファンの旧い世代の力を借り、三年かけて育成された役者達の力強い台詞がホールに響き渡る。

 声が上手く反響するように風の魔術道具を使い、出演者の迫真の演技で、手に汗を握る臨場感が観客らを呑み込んでいた。

 緩急つけて進む物語に魅入られ、声もなく凝視する人々の様子から、小人さんは初舞台の成功を確信する。


『尼寺へゆけ、オフェーリア!』


 呆然とする女優が声もなくはらはらと涙を零した時、観客席から啜り泣きが聞こえ、泣きながら笑いだしたオフェーリアが謳うシーンに、御婦人らの喉から嗚咽まで上がりだした。


『如何にせば..... 真の恋人みわけえん。杖、草鞋。貝の形の笠かぶり.....』


 ふらふらとたゆとうような彼女を、侍女役の女性が後ろから抱き締めた。

 それを虚ろな眼で見据え、軽く口角をあげて微笑むオフェーリア。


『.....王妃様はどこ? 美しい王妃様は』


 ははは、ふふふっと甲高い笑い声が響き、舞台が暗転する。魔術道具による照明は秀逸で、あらゆる角度から光を当て、シーンの明暗と迫力を嫌が上にも増していく。


 ハムレットの心ない仕打ちで正気を失ったオフェーリアは亡くなり、彼女を失ったハムレットは己の人生を振り返った。

 元々はハムレットの父親であるデンマーク王が亡霊として現れ、『自分は妻であるガードルートに毒殺されたのだ』と息子に告げる出来事が物語の発端だ。

 父が死んだ途端に父の弟であるクローディアスと再婚した母親。

 ハムレットは彼女らに色々な罠を仕掛け、父の亡霊の言葉が真実だと確信する。

 そこから狂者を装い、何とかして復讐をしようと目論んだ彼を、まるで嘲笑うかのように、ハムレットは近しい者らを次々失っていく。


『なすべきか、なさぬべきか..... それが問題だ』


 復讐のため演じていたはずの狂気に蝕まれ、しだいに闇の汚泥へと足を囚われていくハムレット。

 ハムレットを救おうと奔走したにも関わらず、勘違いから彼の剣の露と消えるオフェーリアの父、ポローニアス。

 そして、ハムレットにより最愛の家族を全て失ったオフェーリアの兄レアティーズは、烈火のごとき復讐心に燃え、ハムレットの死を望む。


 悪意が悪意を呼び、復讐が復讐を招いた。


 結果、ハムレットとレアティーズは御前試合を行うこととなり、殺意に満ちたレアティーズとの死闘で、ハムレットは瀕死になりながらも彼を殺してしまう。

 さらにはハムレットを殺そうと用意された毒杯をガードルート王妃が誤って飲んでしまい、苦しむ王妃に狼狽えたクローディアス王を瀕死のハムレットが殺害した。


 登場人物の殆どが屍となり、その山に立つハムレットは最後の息を振り絞り、友に遺言を言い残す。


『.....真実を。この真実を後の世に語り継ぎたまわん』


 こうしてハムレットも息絶え、凄絶な血族の物語は幕を閉じた。誰も救われぬ無惨な結末。


 絶句する観客席。


 重厚な緞帳が降りる中、誰も声を発しない。呆然と舞台を凝視したまま固まる観客達。

 静寂に満ちたホールに、何処からか小さな拍手が聞こえた。それにつられ、ホールの観客らも拍手をする。

 まばらだった拍手はしだいに大きくなり、芸術劇場その物を揺るがすほどの大音響に変わった。


 うわあぁぁっっと上がる怒濤の歓声。雪崩の拍手。


 それに応えるかのように、再び幕が上がる。


『惜しみ無い称賛、ありがとう存じます。ここに我が芸術劇場劇団の精鋭をご紹介いたしましょうっ!』


 ナレーションと同じ声が舞台に立つ役者の紹介を始めた。


『まずは、ハムレット役のモロトフ・ガードナー!』


 一歩前に踏み出してお辞儀をする青年。前回の巡礼に同行した紙芝居屋さんの彼である。ちなみにオフェーリア役は、その妹のファーミィ。

 この二人は役者募集初期から参加している古株で、モロトフは司書に就職予定だっただけの事はあり、他の者より物語に対する造詣が深かった。

 筋の良い二人はキルファンの猛者に叩き上げられ、卓越した演技の才能を花開かせる。


 顔の造形なんか八割メイクで何とかなるしね。うん、適役♪


 十分整った顔立ちの兄妹なのだが、小人さんは本人も含め、周囲が王侯貴族で美形率が高すぎるため、その評価も辛辣である。だがまあ、大して気にしている訳ではない。

 基本、人の美醜などには、ほぼ無頓着な小人さんだった。


「二枚目スターの誕生だね。これから忙しくなるだろうね」


「そういえば..... 看板役者とか言うんだっけ? 二枚目なのは何故だい? 一枚目は誰?」


「一枚目は団長。劇団の責任者だよ。だから役者の看板は二枚目からなの。人気の役者が筆頭にくるから、そういう人気者を二枚目スターって言うさ」


 小人さんの説明に、なるほどと頷くロメール。その周囲も同じように頷いていた。


「スター。星か」


 誰にあてるでもなく、ぽつりと呟くカストラート国王。


 その言葉に、小人さんがピクリと反応する。


「そういう意味のスターだけど..... よく星って分かったね」


「ああ、フロンティアは知らぬのだな。クラウディア王国の古い言葉にあるのだよ。アルファベットと言う文字がな。単語くらいなら私にも読めるのだ」


 思わず眼を見張る小人さん。その驚愕に気づきもせず、ロメールも軽く頬を叩きながら呟いた。


「そういやあったね、アルファベット。キルファンにも漢字とかあるし、けっこう残っていますよね、いにしえの古語」


「俺らんとこにもあるぞ。特に数字な。共通語のは随分難しいが、ドナウティルのアラビア数字なら簡単だぞ」


 なんですとーっっ?!


 王族達の他愛ない世間話。


 その中に含まれるアレコレに顎を落として、小人さんは脳内で絶叫した。


 あるんかーいっ!!


 アルファベットだのアラビア数字だの漢字だの。尋ね人がワラワラとキルファンを訪れていたのだから、漢字は分からなくもない。


 しかし、残りの二つは聞き捨てならない小人さん。


 あきゃーっと吠たえ暴れる少女を、訳も分からず真ん丸目玉で見つめる王族達だった。




「あーうー..... アタシの気遣い全力で空回りぃぃぃ」


 ぐだぐだと家のリビングでのたうつ少女。それを見下ろして、克己は乾いた笑いを漏らす。


「アルファベットもアラビア数字もあるとか。古語ねぇ。そういう残り方してたんだな」


 そう。過去にアルカディアを訪れたベイズレープの導師達。地球の影響を受けた彼らが、アルファベットやアラビア数字を知らない訳はなかったのだ。

 通常、導師として送られる人間らは十人前後。そのうち数人がレギオン率いる御遣い達であっても、他にも渡ってきた人々がいたに違いない。


 その人々の遺した遺産。


 巡礼で忙しない滞在だったため、そういった深い部分までは気づけなかった小人さんである。


「でも王弟殿下も知っている感じなんだろ? なら、広めても大丈夫なんじゃないか?」


 のほほんと答える克己に苦虫を潰し、小人さんはゴロゴロ転げまわった。

 下手な概念を広げないため、アラビア数字すら黙っていた自分が、まるで道化のようではないか。

 うにうにとブスくれる小人さんを微笑ましく見つめ、ふと克己は観劇中に抱いた疑問を思い出す。


「そういやハムレットの台詞さ。なんで、『なすべきか、なさぬべきか』だったんだ?  『生きるべきか、死すべきか』じゃないっけ?」


「あ~、それね。うーん、アタシの独自の解釈かなぁ」


 実際のハムレットの台詞は、生きるべきか、死すべきかではない。日本語に翻訳が難しかったため、それらしい言葉を当てただけである。

 復讐と殺人の狭間で懊悩するハムレットが選びあぐねいている様子を表す言葉。




《クローディアス王は》生きるべきか、死すべきか。このように翻訳されている。これは敵である男の生殺与奪を考えている言葉なのだ。


 なので小人さんは考えた。


《復讐を》なすべきか、なさぬべきか。これもまた、クローディアス王を殺すか殺さないかを含む台詞である。


 その説明を聞き、得心顔な克己。


「なるほどね。そうとも取れるし、洒落た言い回しだな」


 物語の表現を変えた事にキルファンの演劇関係者らは歓喜した。

 在るモノを正しく伝えるのは大切な事だ。しかし、ただ準えるだけでは味気ない。時代によって表現や意味は変わる。言葉は進化するモノだから。


「この方が詩的で良いと思います。意味は同じですし、歌劇は観客によって受け取り方が変わります。想像に含みを持たせる表現は歓迎です」


 さも嬉しそうに小人さんの書き起こしたハムレットを読み漁る人々。


 そんなこんなで芸術劇場オープンは大盛況をおさめ、連日、満員御礼の有り難い悲鳴が挙がっていた。


 大仕事も終わり、翌日、ジョルジェ伯爵家では双子の誕生日がとり行われる。


「夜に王宮でもやるんだろ?」


「一応ね。あちらは秋生まれの王族全員の御祝いだから。こっちが本命にょん」


 克己と千早を連れて、森林公園を散歩する小人さん。


 本日の主役と客人は出掛けてくれと、ナーヤやサーシャに追い出されたのである。桜とドラゴからお小遣いをもらい、遊んでおいで。昼には戻るんだよ? と見送られた三人だった。


「今、各国の屋台が広場に来てるんだよね」


 ワクワクと眼を輝かせる小人さん。


「ヒーロ。この後パーティーなんだよ? 買い食いは禁止ね」


 めっと額を突っつかれ、うにゅぅと眉を寄せる少女。への字口が盛大に物申している。

 思わず、ぶはっと噴き出し、克己が忍び笑いで肩を揺らした。


「まあなぁ。じゃ、飲み物あたりなら良いんじゃないか?」


 克己の助け船に、ぱあっと顔を明るくする小人さん。

 それに忌々しげな一瞥をくれ、千早の中に渦巻くモヤモヤが口を突く。


「そうやって甘やかさないでもらえますか? ゴネ得とか覚えたら、どうするんです?」


 克己の顔から表情がするりと抜け落ち、小人さんと二人して、すっとんきょうな顔を見合せた。


「ゴネ得とか?」


「アタシが?」


 暴走、爆走、七転八倒な小人さんだが、兄からそんな風に見られていたとは新鮮だ。


「そんな人間に見えるんだ? にぃにには、アタシが」


「いやっ、言葉のあやというか」


 マジマジと見上げられ、咄嗟に上手い言い訳が出てこない千早。

 本気でそんな事を思うわけがない。ただ何かしら難癖をつけたかっただけなのだ。ぶっちゃけ八つ当たりの嫌がらせである。

 当たり前のように妹の隣に寄り添う克己への嫉妬だった。


 ぐぬぬと顔を歪めた千早を押さえつけ、しゅるんと現れるは鉄面皮のチェーザレ様。


『あまり弄ってやるな。コレにも、どうしようもないのだから』


 妹に近づく者は無条件で排除したい千早。今では散々手合わせを重ね、けっこう仲良くなったマーロウでさえ、小人さんが絡めば威嚇するにぃにである。


「ヒーロは僕より克己のが良いの?」


 いつの間にか引っ込んだチェーザレに代わり、恨めしげな眼差しで道にしゃがみこむ千早。


「理屈じゃないんだよね。分かるにょ。.....アタシもそうだから」


 同じようにしゃがみこんで、千早と眼を合わせ、小人さんは真摯な瞳で兄を見つめた。

 その凪いだ瞳の奥底に揺らぐ冷たい焔。哀しいまでに冷ややかなソレを見て、千早は全身を粟立てる。


「にぃにに理解して貰おうとは思わない。けど、アタシの邪魔をするなら、しばらく顔を見たくないかな」


「なんでっ? どうしてなの?」


 有り得ない妹の言葉に、千早はいたく傷付いた顔をし、慌てて立ち上がった。


「話したくないにょ。これは、アタシと克己の問題だから」


 その言葉を聞いて反射的に克己を睨んだ千早だが、そこに彼は絶望を見る。

 克己の瞳もまた、小人さんに勝るとも劣らない剃刀のように冴えた眼光を携えていたからだ。


 いったい、何が起きて.....?


 克己と小人さんを繋ぐ細い糸はピンと張り詰め、他者の介入を許さない。


 今までとは違う二人の様子に、言い知れぬ不安を感じ、千早は全身を凍りつかせた。

 歴戦の騎士らを黙らせる力を持つ千早がだ。


 訳が分からないまま日々が過ぎてゆき、無事に誕生日も終わり、今日は各国の皆様をお見送りである。


 遠路遙々来てくれた貴族らにも蜜蜂馬車を用意して、ドタキャンした他の国々にも芸術劇場に展示していた箱庭を持たせる小人さん。


「これは貴殿方の国の王都を模したモノです。宜しければ、王家にお届けくださいませ」


 にっこり笑う少女から箱庭を受け取り、恐縮しきりな貴族達。

 これが小人さんに出来る最大限の譲歩だ。この箱庭を見ても危機感が抱けないなら、仕方無し。


 各々乗客を乗せて飛び立つ蜜蜂馬車。


 大空に羽ばたいた馬車が見えなくなるまで見送り、フロンティア王家も貴族らも引き上げた頃。


 残った家族や仲間達を振り返り、小人さんは言葉を紡いだ。


「今日から克己もジョルジェ家に住むから。よろしくね♪」


 顔全面で青天の霹靂だと宣う千早。話は通してあったため、鷹揚な顔で頷くドラゴ夫妻。

 驚きはしつつも、克己と顔馴染みな小人隊の面々は、視線を交わしあい頷いている。


 どうして、こうなったっ?!


 いつもの小人さんの台詞を脳裏で絶叫し、千早は頭を掻きむしった。


 事情は口止めされているので、懊悩する息子を気の毒そうに眺める桜とドラゴ。


 こうして小人隊に新たなメンバーが加わる事となる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る