第104話 小人さんと海辺の森 ふたつめ
「ロメールぅ、これ宜しくーっ」
天窓から飛び込んできた小人さんが片手で何かを執務机に置き、そのまま飛び去ろうとするのをロメールは慌てて捕まえた。
「いやいや、置き引きは知ってるけど置き逃げって何さっ!」
すちゃっと片足を掴まれ、逃げ損なった小人さん。
「えー、今、忙しいー」
「その身体で飛び回るのもやめて? 前の幼児じゃないんだからっ!!」
次の秋で十歳になる千尋は、手足もスラリと伸びてすっかり一端の子供である。
未だにポチ子さんに掴まって飛び回っているが、下にレギンスを履いているとはいえスカートをひらめかせているその姿は如何なものだろうか。
同年代の中でも小さい方の小人さんは未だに身長百二十くらい。他と比べると頭半分小さく、さらに大きめな千早と比べたら頭一つ分以上小さい。
それでも分別を持ってよねっ! 仮にも伯爵令嬢でしょうがっ!!
今でも遠征に出る時はサロペットパンツの小人さんは、そのノリで王宮を飛び回る。
千早は大分早くにサロペットパンツを卒業して、真っ当な冒険者装束を作ったというのに。
「え? このオーバーオールもジョーカーの糸で織られた布だよ?」
そうじゃない。ソレだけど、そうじゃないんだ。
思わず遠くした眼が眼窟に戻ってこないロメール。
何故に、あの貴重な織物で作るのがそのズボンなのか。小一時間ほど問いただしたい衝動に駆られるロメールである。
王宮では人目があるため、あのズボンは履かないようだが、スカートで飛び回られると別の問題が発生するのを理解していない小人さん。
王宮には多くの貴族令息がいるんだけどなぁっ! 君、全く気にしてないもんねーっ!!
歩くという事を知らない小人さんは、常に駆け回っている。
下手に体術、武術を会得しているため、その駆け回り方もワイルドだ。
トーンっと階段を飛び降り、まるで風のように通りすぎる小人さんを多くの者達が目撃する。
古くから王宮勤めな者は慣れていても、次々と王宮に上がる新人宮内人らはそうもいかない。
くるんっと回って窓から飛び出してきたり、かかかかかっと踵だけを階段角に引っかけて滑り落ちる小人さんの姿に度肝を抜かれる。
毎年、毎回、ひっきりなしに入ってくるクレームに、どれだけロメールが苦労しているか。
だからと言って、ひかえるように言えば、君は王宮に来なくなってしまうしね..........
面倒事が大嫌いな小人さん。
元々、理由がなくば王宮には現れない御仁である。小言を理由に、これ幸いと王宮から足が遠退くのは目に見えていた。
ああああ、もう、ホント自由だよね、君っ!!
深ーい溜め息をつき、ロメールは捕まえた足を手繰り寄せて小人さんを抱え込む。
さすがのポチ子さんもロメールごと持ち上げるのは不可能だった。ポチ子さんは蜜蜂の中でも超小さい子なのだ。
幼児サイズの蜜蜂なら簡単に持ち上げたことだろう。それがロメールには幸いする。
「せめて書類の確認だけでもさせてね? 何の申請?」
ロメールは、ぺらっと書類を手にして眺める。
そして読み取るうちに、みるみる眼を怒らせていった。
「巡礼費用、人数、物資.......... ちょっと待ちなさい? これ、カストラートの兄弟を連れてくって、どういう事だいっ?!」
「えーとぉ.......... カストラートを経由して行くのね? だから、あちらに明るい人がいると助かるかなぁって」
えへへへと焦り顔を浮かべ、小人さんは上目遣いにロメールを見上げた。
まるで悪戯がバレたかのようなあざと可愛い笑顔。幼女の名残を残した、つぶらな瞳が忌々しい。
ちょっ、それ反則でしょっ!
小悪魔な片鱗を見せる小人さんから眼を逸らし、ロメールは、がっくりと頭を項垂れた。
力なく項垂れるロメールを見て、千尋は慌てる。
「いやっ、騙そうとしたわけじゃないのよ? そのっ、ねぇっ? .....フェルが疲れてるみたいだからさぁ.....」
前回の揉め事から一ヶ月。
ロメールは知らない。あの兄弟が貴族街で暮らし始めて、気もそぞろなシャルルが小人さんを恋しがり、突撃しようとするのをアウグフェルが決死で抑え込んでいる事を。
シャルルは魔力が高く、闇の魔法を使える。と言うか、洗礼を受けていない彼は、闇の精霊達から教わった闇魔法しか使えないのだ。
ソレと対等に渡り合えるのは身内のフェルだけで、フロンティア騎士団の面々ですら手こずっているという。
そういった報告だけは来ているのだろう。ロメールも小人さんの話に反応した。
「だから?」
剣呑に輝くロメールの瞳。
「えと..... 気晴らし?」
テヘペロ的に微笑む小人さん。
「なんで彼等の気休めや気晴らしを君がしてやんなきゃならないのさーっ!!」
世にも珍しいロメールの怒号に、彼の執務室はもちろん、その周辺までもが揺れ動いた。
「君ね、御人好しにも程があるから? ね?」
あれから小一時間。コンコンと諭すロメールの御説教に、小人さんの耳にはタコが三つも四つもぶら下がり、きゃきゃと雑談している。
あー、もー、心配性なんだからー。
胡乱げな眼をする小人さんの両頬を掌で挟み込み、ロメールは真剣な眼差しで彼女を見据えた。
「聞いてるのかい?」
「聞(ひ)ぃてまひゅ」
そのまま小人さんを持ち上げたロメールに驚き、千尋は足をバタバタさせる。
うおっ?!
ロメールの腕を掴んでバタバタする少女を見つめ、彼は剣呑な面持ちで呟いた。
「ほら。こんな簡単に捕まるし持ち上げられる。君は魔法や武術の心得があるけれど、身内には滅法無力だ。分かってるかい?」
言われている意味が分からないようで、小人さんは怪訝な顔をした。
ロメールは知っている。何でも合理的に考え、スパスパと小気味良く捌いていく彼女が、実は身内にだけ甘い事を。
甘いどころではない、べらぼうに無頓着だ。何をやらかしても犯罪に触れさえしなければ、ほぼ黙認。
こうして捕まえ抱え込む事も容易である。もしこれが悪意を持つ者であれば、今頃小人さんの首を掻き切っている事だろう。
彼女は、その危うさを理解していない。
ロメールの瞳が恐怖に揺れる。
今はそのカテゴリーに仲間しか入っていないが、それが増えたらと思うと気が気ではなかった。
家族や専属騎士達。ロメールやアドリス、ザック。この辺りまでは許せる。前世の小人さんとも関わりが深く、彼等も小人さんを心から愛しているから。
だが今回のヒュリアの件で、ロメールの胸に嫌な予感が広がっていた。
小人さんの周りに増えた人々が彼女の身内のカテゴリーに入りつつある。
このままカストラートの兄弟らとも近しくなれば、彼等もまた..........
「とにかくダメだからね? 連れて歩いたら、匿っている意味がないでしょう? まして、あちらに同伴させて、国王派とかな貴族に襲われでもしたら、どうするの」
小人さんを床に下ろし、ロメールは低い声で呟く。
「ちゃんと守るしっ」
「襲われる原因を作るなと言っているの。分からないわけではないよね?」
ぐっと喉を詰まらせる小人さん。
話し合いは平行線に終わり、しょんぼりとした哀愁を漂わせて帰る千尋を見送りつつ、ロメールは微かに残る後味の悪さを噛み締めた。
彼女は前に宣言したのだ。
裏切られたと思うほど信じる方が悪いと。
そう思うぐらいなら信じるなと。
そんな突き抜けた考えを持つ彼女は、己が身内に激甘なのだと気づいていない。
身内認定した者が、どんなに彼女を傷つけようと、小人さんは笑って許してしまう。決して厭わない。
それがロメールらには許せなかった。
彼女を傷つける者が誰であろうと、絶対に近づけない。排除してみせる。その片鱗の兆しを持つカストラートの兄弟もだ。
物理的に距離があるなら良い。同じような心情を、千尋はマルチェロ王子やマーロウ王子にも抱いているだろう。
彼等は日常的に小人さんの周りにいるわけではない。
かかる迷惑も知れている。
だが、今現在、近くにあるカストラートの兄弟には注意が必要だった。
フラウワーズやドナウティルよりも、ずっと近い隣国。
蜜蜂飛行であれば、一日で行ける国の王族である。
ロメールは辛辣な眼差しで天を仰いだ。
そして筆を取ると、各所に伝達の手紙をしたためる。
それを受け取った小人さん命の人々が、どのような行動に出たかは御察しだった。
何故か難航するカストラート兄弟同伴作戦。裏事情を知らない小人さんは、どうして、こうなったーーっと叫ぶ未来を知るよしもない。
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