第2話 にぃにの受難 ~後編~


「人間は、慣れる生き物だよね」


 目の前の光景に、ロメールはつくづくと言った風情で呟いた。


 お尻に捕まる千早を引きずりながら、幼児の足が届く高さをホバリングするポチ子さん。

 きゃっきゃと楽しげな千早を、のほほんと眺める小人さん。


「荒療治で押し通したのかい?」


 苦笑を隠さぬロメールを見上げて、千尋は小さく首を振った。


「ううん、ポチ子さんの努力だよ」


 幼女は、ふっくりと微笑み、何かを思い出すかのように視線を宙にさまよわせる。


 あれからやって来た蜜蜂らを邸に入れようとした小人さんをポチ子さんが止めたらしい。


 扉を内側から押さえ、イヤイヤと首を振りつつ見上げてくるポチ子さん。

 メルダ以外の蜜蜂は、言葉ではない思念で意思の疎通をはかる。

 今のポチ子さんから感じるのは、断固とした拒絶。


 他の蜜蜂を入れるなってこと?


 怪訝そうな顔をしながら、取り敢えず千尋は蜜蜂達に邸の警備を御願いした。

 蜜蜂らは心得たもので、屋根や庇の上を陣取り、爛々と眼を輝かせる。


 やる気満々な蜜蜂らに苦笑し、小人さんはこっそりと邸の中に入った。


 そーっと応接室を覗き込んだ千尋の眼には、桜に張り付き床に降りない千早と、その周りを、ゆっくり歩くポチ子さんが映る。


 本当にゆっくりと。つかず離れずな距離で、のたのた歩く巨大蜜蜂。


 最初は、ぎゃん泣きしていた千早も、大人しく動きも遅い蜜蜂を、遠目になら怖がらなくなり、三日ほどして、ようよう桜の腕から床に降りた。


 それでも逃げ回って剣呑な眼差しでポチ子さんを睨んでいた千早も、しだいにポチ子さんを気にしなくなる。

 もちろん自分から近づきはしないが、のた~のた~と動くポチ子さんが、気づくと千早の真横に来ていたりとかして、それを眼にした瞬間、千早の絶叫が上がるなど、日がな賑やかなドラゴ邸。


 てんやわんやな日々が過ぎ、十日もたった頃。


 ある日、小人さんは真剣な面持ちの幼児と蜜蜂を目撃する。


 ぽてりと座り、じっとポチ子さんを見る兄ぃに。


 それと視線を合わさずに、じっと動かないポチ子さん。


 小人さんが固唾を呑んで見守る中、ポチ子さんの足が、そっと千早の手に触れた。

 じわりじわりと足先を動かし、ちょんっとつつくポチ子さんに、びくっと大きく動く千早の手。

 するとポチ子さんは、さっと足を引っ込めて、悲しげに丸まる。


 しょんぼりと俯くポチ子さん。


 それを感じ取ったのか、千早の指が恐る恐るポチ子さんの足に触れた。

 確かめるように何度かつつき、次には、わしっとポチ子さんのもふもふな体毛を掴む。

 驚くポチ子さんを余所に、わんぱくな幼児は、そのもふもふな体毛にしがみついた。


「やーらかいっ」


 小さな両手に抱きつかれ、見えない涙がポチ子さんの大きな瞳に浮かぶ。


 この時の歓喜に溢れたポチ子さんの顔を、千尋は生涯忘れないだろう。


 ポチ子さんの粘り勝ち。


 押して駄目なら引いてみろだよねぇ。


 さらに押しまくろうとした千尋を止めたポチ子さんの英断に脱帽である。

 もし、あのまま小人さんが押していたら、きっと千早のトラウマ案件になっていたに違いない。

 今なら、そうと理解出来る小人さんだった。


 人は己を基準として動くものだ。自分に出来る事は、当然、他の人にも出来るものだと錯覚する。

 自分が平気だからといって、他もそうとは限らないのに、沢山周りにいれば慣れるだろうと漠然と考えていた自分に、赤面する千尋だった。


 危なかったなぁ。


 テヘペロと舌を出して、小人さんはなに食わぬ顔のままポチ子さんと千早に混じった。


 きゃっきゃと戯れる子供らと魔物を、ナーヤとサーシャが暖かい眼差しで見つめているとも知らずに。




 そんなこんなで日々は過ぎ、丸一年たつころ、ドラゴ邸は人々の噂の的となる。


 何しろ魔物がたむろう謎邸。


 空には巨大蜜蜂が飛び交い、庭にはいつの間にか大きな泉が出来ていて、何匹もの蛙の魔物が棲みついていた。

 その周辺にある畑や果樹園では、そこかしこに蛇の魔物も絡み付いている。


 そして、一見して普通でない邸に住まう可愛い双子。


 父親の勤める厨房を駆け回り、蒼と緑の御揃いのポンチョをひるがえす。

 時には魔物を従え、時には果物や料理の入った籠を抱え、二人は楽しそうに王宮の庭を走っていた。


 以前にロメールから叱られた見せパンツの失敗をふまえ、今回の小人さんはオーバーオールを桜に頼んで作成。

 今で言うサロペットパンツである。

 ジーンズ生地は無いから、代わりに厚手の布で、千尋は赤、千早は緑。某配管工兄弟そっくりな姿だった。

 違いは帽子がフードなくらい。


 たまに木剣でチャンバラごっこをしたり、元気一杯な子供の姿は、周囲をほっこりさせる。


 そんな子供が蜜蜂らに吊られて空を飛ぶのを見て、王宮では誰とはなしに異口同音が呟かれていた。


「小人さん?」


 いつか見た懐かしい光景。


 窓から身を乗り出して見つめる文官。空を見上げて、ぼんやりと佇む騎士ら。

 彼等に共通するのは、言葉に表し難い憧憬の眼差し。


 王宮の人々が眼を細めて見守る二人の幼子はドラゴの子供。

 その子らの抱えるバスケットには、きっと美味しい御菓子が詰まっているに違いない。


 だって、小人さんだもの。


 魔物慣れしている王都や王宮では、この異常事態も、微笑ましく好意的に受け止められていた。

 主の森は健在で、クイーンやその子供らも存命だ。こんな事もあるだろう。


 そう微笑み合う人々に邪気はない。


 だけども某かを目論む者は、何処にでもいる。




 そして事態は斜め上半捻りを見せた。


「は? もう一度、御願いします」


 すっとんきょうな顔で落ちた顎が戻らないドラゴに軽く溜め息をつき、ロメールは眉間を揉みながら、据えた眼差しで言葉を繰り返す。


「テオドール殿下とチィヒーロの縁談話が持ち上がっているってさ」


「「「はあああっ?」」」


 間の抜けた声で居並ぶ何時もの面子と、呆れ顔で天を仰ぐ桜。

 相変わらず小人さんの人生は、平穏から程遠いらしい。


 はっちゃけ過ぎた千尋の自業自得でもあるのだが、それはそれ。これはこれ。


 人生、楽しんだ者勝ちと嘯きつつ、今日も小人さんは我が道を征く♪

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