第187話 始まりの朝 やっつめ
「あっはっは! やるじゃないの御老体達♪」
「笑い事ではございません、御令嬢」
一昨年の今頃、芸術劇場を訪れたパスカール。オーギュスト南辺境伯の元で学んでいた最中だった彼は、レアンからフロンティアの蜜蜂馬車が王宮に向かって翔んでいき、すぐに引き返したらしいとの報告が入り、二人は眼を見開いた。
「何故、王宮に? 僕がここにいる事を御存じないからだろうけど..... 今さら何が?」
「分かりませぬが..... 蜜蜂馬車となれば、ただ事ではないはず。」
すぐに引き返しているのだ。パスカールのいない王宮で門前払いを受けたのかもしれない。
南辺境伯領から王都までは馬でも二日はかかる。何が起きたのかは分からないが、確かめにいく他ない。
急ぎ早馬をたて、オーギュストを伴い、パスカールは王宮へと向かった。
「フロンティアからの招待っ?!」
まだ放逐前で王族に籍を残しているパスカールに、問われた外交部の宮内人は説明する。
以前、前金半分を置いて獣人らを買い取っていったフロンティア王女殿下から、買い取り金の残りが届き、それと共に送られた書簡の中に、パスカール宛の招待状があったと言うのだ。
「全て国王陛下にお渡ししてございます。お聞きになっておられないので?」
パスカールは怒りも顕に奥歯を噛み締める。
あんのクソ親父っ、やらかしてくれたなっ!!
招待状があったという事は、なにがしかの催しがフロンティアで行われているのだろう。せっかく、それに招待頂いたというのに、父王は追い返したに違いない。
すぐに蜜蜂馬車が帰還したのをレアンが目撃しているのだから。
どかどかと廊下を進み、パスカールはノックもなしに国王の居室へ足を踏み入れる。
「私に宛てられた招待状を何処にやられましたかっ?! 馬車も追い返したと聞きましたっ! いい加減になされませいっ!!」
挨拶もなく、いきなり怒鳴り付けられ、国王は一瞬呆けたが、次には瞬間沸騰。みるみる顔を赤らめ、椅子から立ち上がった。
「そなた、来るなりそれかっ?! まずは跪き挨拶を述べるのが常識であろうっ?!」
真っ当な常識を口にする父王。それに皮肉をはらんだ据えた眼差しを向け、パスカールは軽く腰を折る。
「これはこれは。失礼いたしました。なにせ、こちらも青天の霹靂。まさか、フロンティアからの馬車を追い返すなどとは思いもせず。して? 件の招待状は、どこに?」
したり顔でニヤリとほくそ笑む息子に気炎を上げつつ、クラウディア国王は鼻息も荒く答えた。
「招待状など燃やしてしまったわっ! はははははっ!!」
憮然とする息子の顔に溜飲をさげ、盛大に高笑いするクラウディア王。
だがそこへ、宮内人が慌ててやってきた。
「御報告です、中庭にフロンティアより使いの方がお越しになりました」
倒つまろびつ飛び込んできた宮内人。それに即反応し、パスカールは止まれと怒鳴る父王を無視して中庭へと駆け出していく。
そこにあるのは見慣れた蜜蜂馬車。
駆けてきたのが招待されていた王子なのだと聞き、魔術師は安堵と共に小人さんから預かった手紙を渡した。
急ぎ眼を通したパスカールは、その内容に顔を凍りつかせる。
迂遠な言い回しだが、嫌なら来るなという内容。おっとりとした文章の中に見え隠れする怒りをパスカールは敏感に感じ取った。
「なんとお詫びすれば.....っ、辺境伯、どうしたら良いのでしょう?」
オーギュストは渡された手紙を見て、唸るように顔をしかめる。
「間に合います。このまま馬車に乗せてもらい、直に御詫びをいたしましょう。王女殿下は正直に話せば分かってくださる方です」
そうだ、あの方は理不尽な方ではない。真摯に謝罪すれば、きっと分かってくださるはずだ。
そう己を鼓舞し、パスカールはオーギュストを見上げる。
「共に来てくれるか?」
「もちろんでございます」
二人は力強く頷き、クラウディア国王が止める間もなく、蜜蜂馬車で飛び立っていった。
「その節は、本当に申し訳ない事を」
パスカールに無断で招待状を隠滅していたクラウディア国王。二年前の出来事を改めて謝罪され、小人さんは苦笑いする。
「しゃーなしやん。親も子も相手を選んで生まれられないもの。盛大な貧乏クジ引いただけじゃない。パスカールのせいじゃないにょん」
快活に笑い飛ばす王女殿下に、周りは何時もの事ながら呆れを同衾させた驚きを隠せない。
王族どころが貴族らしくもない御令嬢。今までも散々度肝を抜かれてきたが、まるでタマネギのように、めくればめくるほど謎が深まる人物だった。
見かけは赤いズボンに黄緑のポンチョ。それでも仕立ての良い服装や立ち居振舞いから、最初はそれなりに良い所の御嬢さんという風情だったが、来る度に一枚二枚と猫が剥がれ、今では市井の子供らと変わらない態度である。
にょんにょん言いつつ、モノノケらと走り回る御令嬢を、必死に追いかけていく兄君や騎士らに同情を隠せない辺境の人々だった。
まあ、当人達は困り顔をしつつも楽しんでいるようなので無問題。
苦笑しか出来ない周りの人々を余所に、小人さんは御茶のカップをソーサーに戻す。
「意図的に王都を孤立させて兵糧攻めね。上手い手じゃない。何が問題? 御飯も食べられない兵士達なんて恐るに足らないっしょ?」
喧嘩上等、出たとこ勝負の小人さん。
周りが御膳立てしてくれるのなら、これ幸い。全力で漁夫りに行けと言わんばかりの口調に、パスカールは閉口する。
彼女の言うとおりなのだろう。周りが望んでいるのだ。今の国王を玉座から引きずりおろす事を。
だが、小人さんの言葉がパスカールの胸にツキンと突き刺さる。
.....御飯も食べられない。
飢餓が蔓延し始めて数年。慢性的な飢えで民らは痩せ衰えていた。
そんな彼らを、さらに蹂躙するのか? これより悲惨な生き地獄を味わわせるのか?
パスカールは葛藤する。最善は彼女や周りの意見だ。しかし、最良は? 他に手はないのか?
懊悩するパスカールを静かに見つめ、小人さんは何か言いたげな兄を制した。口を開こうとした千早の目の前に妹の右手が上がる。
むぐっと口をつぐみ、恨みがましげに眼を動かす千早。それを微笑ましげに眺めるフロンティア騎士達。
何も戦うばかりが戦ではない。
パスカールは己の領地だけを見ていた。自分だけの力ではクラウディア全土を救うことは出来ないと。
だけど、ここにいるのはパスカールだけではない。彼の周りには多くの助け手が存在している。
気づくかな?
しばしの沈黙の後、パスカールは顔を上げた。そこには苦悶の果てに得た希望が煌めいている。
「やはり..... 僕には民を踏みつける事は出来ません。甘いと仰るかもしれませんが..... 救う道を選びたい所存」
燃え上がる真摯な瞳。彼が何を思い付いたのか察した小人さんは、にかっと破顔する。
「良いんじゃない? 周りはてぐすね引いて待ちわびてたみたいだし?」
言われてパスカールは周囲を見渡す。
そこにはオーギュストを筆頭とした多くの貴族達が佇んでいた。
「パスカール様。我が領地をお忘れか? 主様らのおかげで、わたくしの領地も豊作なのですよ?」
「パスカール様なら必ず御返済くださるでしょうし、返せなくても我々を養って下さいましょう? ありったけの金子を提供いたしますよ」
「然なり、然なり」
狡猾な笑みを浮かべているくせに、朗らかな声で賛同する元貴族ら。
「みんな.....」
うぐっと声を上げ、パスカールは込み上げる嗚咽を呑み込んだ。
泣くのは今じゃない。
それを見届け、小人さんはそっと席を離れた。ふくりと零れる暖かな笑み。
これからを話し合うパスカール達に気づかれぬよう、静かに扉を閉め、踊るような歩調で歩く小人さん。
それに膨れっ面をして千早が呟く。
「なんで止めたのさ。一気に押し込むほうが楽に終わるじゃない」
小人さんに感化されたうえ、己が一騎当千の冒険者でもある千早は、今のチャンスを見逃すのは愚策だと思った。
だから、戦うべきだと嘴を挟もうとしたのだ。
「分かってないね、にぃに。自ら思い付く事が大切なんだにょ。自分から求め、得る事に意味があるの」
そう。そしてパスカールは最善ではなく、最良を掴み取る気のようである。
イバラの路だ。苦労の割に得るモノは少ない。だが、残す傷痕のほぼ皆無な路でもある。
そして眼には見えない強大な力を手に入れられる路でもあった。
本人が自覚しているかは分からないけどね。うん。
いつの間にかいなくなっていた小人さんに、パスカールが大慌てしたのも御愛嬌。
そして季節が流れ、三ヶ月ほどたったころ、ようやくクラウディア国王は国の異変に気づいた。
「物資が入って来ぬとは、どういう事だっ!」
備蓄が尽きかかっているとの報告に声を荒らげる国王。
それを真正面から見据え、報告に訪れた文官は書類の束を差し出す。受け取った書類に眼を通し、国王はワナワナと指を震わせた。
「もう、何ヵ月も前から申しておりましたが、中間領地が放棄された事により税収は半減。さらには王都周辺の領地に生産性はなく、食糧などの物資を遠方から取り寄せねばなりません。最悪、国外からの輸入も検討しておりますが、如何せん資金が枯渇しており、それも困難です」
ズラズラと並べ立てられた数々の問題。寝耳に水な訳ではない。キチンと報告は受けていた。.....ただ、誰かが何とかするだろうと思っていた国王である。
今までがそうだったため、これかもそうなのだと蒙昧に考えていた。
愕然とした顔で書類を見つめ、クラウディア国王は固唾を呑む。
「これほどとは..... して、何か手だてはあるのか?」
貧民の餓死者などどうでも良い。民など放っておけば勝手に増えるものだ。国王にとって問題なのは自身の生活と、支払うべき俸禄だった。
「税収が半分になった分、支払うべき俸禄も半分になりました。.....しかし、我が国は、ただいま孤立した状態で、何処からも支援を得られません。輸入も難しいと存じます。こちらをごらんくださいませ」
恭しく渡された書簡を開き、クラウディア国王は眼を凍りつかせた。
「これは.....っ?!」
ようやく事態が最悪に差し掛かっているのを理解したらしい国王を見上げ、文官は凍えるように冷たい声音で答える。
「南北辺境伯領地が独立を宣言しました。.....ある意味、クーデターです」
クーデターとは軍部が政権を奪う事を示す。今の状況には当てはめにくい。だが、強力な騎士や兵士を所有する領地の独立。そびえる山脈で内陸部と隔絶されたクラウディアにおいて、流通の出入口ともなる南北を獲られるのは死活問題。
このまま傍観すれば、ゆるやかに朽ちていく王都が目に見えている。強制的にクラウディアという国は南北辺境伯領に落ちるだろう。
国の内部から物流や経済を逆手に取った武力行使。ある意味、クーデターと言えなくもない。
憤怒で真っ赤な顔を歪ませ、クラウディア国王は全ての領地に徴兵をかけるよう申し付けた。
「このままでは済まさぬぞ.....っ! 全力で叩き潰してやるわっ!!」
南北共闘といえど、その戦力は合同ではない。国土の端と端に分かれた領地だ。王都とその周辺の領地が一丸となって力を合わせれば勝てない相手ではないはずだ。
.....ないはずだったのだ。
「御報告申し上げますっ! 王都周辺の領地に民がおりませんっ! 徴兵もままならず、苦戦しておりますっ!!」
「なんだとっ?!」
まるで悪夢のように起きる想定外。王都の戦力は騎士団を筆頭に五千。徴兵で七千。他の領地から集まれば、十数万規模の軍勢になる予定だった。
なのに蓋を開けてみれば、これである。
王都周辺領地の領主達が知らぬ間に、南北辺境は民を懐に入れていた。多くの人々が消え失せていたのだ。
歯噛みするクラウディア国王。
一体どのようにして.....っ!!
皆目見当もつかない国王側。
だが、事は単純。パスカールと仲間達は民を飢えさせないように炊き出しを行っただけである。
「王様にバレると不味いから、たまにしか来れないよ、ごめんな」
具沢山なスープをよそう男性が、申し訳なさげに微笑んだ。
「ああ、聞いているよ。第二王子様は国王様の御不興を買われたんだろ? こんな御優しい方なのにねぇ」
他の領地にも関わらず、こうして支援をしてくれるパスカール。人々は王に疎まれたという彼に同情的だった。
辺境は豊作なのだと聞き、炊き出しが行われる度に羨望を深めていく人々。
そうして二ヶ月ほどにわたり炊き出しを行い、満を持して南北辺境伯の策が成功する。
「ここしばらく王宮がキナ臭くてな。戦が起きるかもしれない。多分、炊き出しにも来れなくなるかも.....」
「えええっ? そんなっ!」
悲壮な顔つきでパスカールの炊き出しを見つめる人々。
長く住み慣れた土地を離れるのを人は嫌がるものだ。だから時間をかけ、じっくりと骨身に沁み渡らせていく。
これが最後の御飯かもしれないのだと。
そして悪魔は甘く囁くのだ。
「なんなら、あんた達も辺境に来るかい? 開拓民は幾らでも受け入れてるぜ?」
辺境も楽ではない。でも、仕事は沢山あるし、何より御腹一杯の御飯は保証すると言われ、人々の心が大きく揺らぐ。
今では配給も滞り、まともな食事もとれず日に日に痩せ衰えていく人々。劣悪な生活で乳の出が悪くなり末の赤子を失った女性が、意を決したかのように口を開いた。
「.....行く。あたしには、子供がいるんだ。この子らを食べさせるためなら、なんでもやるよっ」
彼女にはまだ二人の子供が残っていた。しかし、このままでは、残りの我が子の命も風前の灯である。
それを皮切りに我も我もと声が上がり、パスカールの計画どおり、王都周辺の領地の民は殆どが辺境へと移住し、徴兵に応じたのは微々たるモノ。
顔を輝かせて喜ぶ人々に、パスカールは眼を細め、小人さんから習ったサムズアップをする。それに気づいて、周りの仲間らもサムズアップした。
酷い搦め手だ。今頃、父王は憤慨しておろうな。これで戦を諦めてくれると良いのだが。
クラウディア国王が認めてくれるのであれば、南北辺境は即座に食糧支援を行う準備が出来ている。
国を支える穀倉地帯として自治権を認めて貰えるだけで良い。クーデターはフリなのだ。対等の立場で相手を協議の席に着かせるための。
まずは高い要求を突き付け、それを落としやすいところにまで持ち込むために。現代人なら、よくやる手法。これを自ら思い付いたパスカールは、天賦の才を持つ為政者と言う他ない。
これで落ち着くだろうとパスカールは思っていた。後は話し合いしだいだと。
しかし、現実は常に皮肉に満ちている。
後日、開戦の火蓋が切られ、パスカールは父王の落日を覚った。
広大な領地を渡り攻め込んできた国王軍。掻き集めの軍隊は五万ほどであったが、守るパスカール側に歴戦の元近衛隊長が率いる部隊が存在する事を彼等は知らない。
さらにはパスカールの領地を落とすために、クラウディア国王は総力戦を挑んだ。つまり、背中がお留守だったのである。
当然、オーギュスト率いる南辺境伯騎士団の攻撃を受け、王都は陥落した。
こうして自滅の形をとり、現クラウディア国王の斜陽は決したのである。
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