第192話 星影の異邦人 ~中編~


「前金半分ね。豪気だこと」


 じゃらりと複数のテーブルを埋め尽くす金貨の山。それを据えた目で見据え、オデールは父王に断り、幾つかの袋をラバレンヌに持ち出させる。

  おっかなびっくりしつつ、ラバレンヌは五つの袋を抱えてオデールの後をついていった。




「やあ、元気?」


 相も変わらず飄々とした王太子に、部屋の中の者達は恭しく頭を下げた。


 埃っぽい部屋には七つの机が頭合わせで並び、それぞれに多くの書類や書簡が山積みされている。

 王宮のみならず、各領地の編纂や税務、それに伴うアレコレで、ここに交代で詰める文官達は何時もてんてこ舞いだった。

 そんな文官らのたむろう管財室。毎日のように難しい顔で帳簿と睨めっこする宮内人らを憐れに思い、オデールは時々差し入れなどもする。


 如何に効率的に金子を回すか、削るか。毎度、頭を悩ます彼等に薄くほくそ笑み、今日のオデールは金貨の袋を渡した。


「臨時収入があってね。これで弦楽器を購入しておいてくれないか? 残った金子は任せるよ」


 渡された金貨の袋に眼を見開き、ぽかんとする宮内人達。そして、金子が大過ぎることを告げた。


 .....馬鹿正直だな、こいつら。


 オデールは微かに柳眉を跳ねさせたが、すぐに淡い笑みをはき、そう? と鷹揚なく答える。


「まあ、足りないよりは良かろう? 残ったなら、国庫にいれておけ。.....国の金だ」


 呆気に取られる人々を呆れ気味に一瞥し、彼はラバレンヌを伴い管財室から出ていった。


 そしてオデールの暗躍が始まる。




「父上の買い入れ金が安くはないか? もっと上乗せしたまえよ」


 真っ正直な購入金額が記載された帳簿。むしろ経費を詰めて、若干安く上がるように努力をしたのが認められる堅実な帳簿。

 それに眉を寄せ、オデールは桁を一つ多く書き込む。

 ぎょっとする宮内人らに鼻白らんだ眼を向け、小馬鹿にしたような声を上げた。


「父上は国王だよ? こんな貧しい買い物なんて恥ずかしい。もっと豪勢に買い物しているように装ってあげるくらいの気は利かないのかい?」


 水増し請求でコストがかかっているように見せかけろと?


 眼をしばたたかせて立ち尽くす管財人達。そして何かに気づいたかのように、ハッと顔を見合わせる。

 神妙な面持ちで視線を交わす彼等に、やや含みを持たせた冷笑を浮かべ、オデールは胸の中だけで安堵の息をついた。


 ようやく気がついたかよ。ホント、善良過ぎるよ、おまいら。


 こうして中抜きの仕方を覚えた宮内人らにより、少しずつ潤っていく国庫。

 それらがバレないよう、精巧な二重帳簿も作られ、悪知恵をつけられた王宮の人々は、その優秀さを遺憾無く発揮した。


 優秀な者と言うのは、どんな分野においても優秀である。本来、賢い悪党などは手に負えない。

 今回に限り大歓迎だが。あくまで、今回だけ。


 .....味をしめるような事にならなきゃ良いが。まあ、後は野となれ山となれだ。オーギュストらが、なんとかするべ。


 オデールは、毎日、宮内人達に悪い事を吹き込んだ。

 前世ではこういった汚職が蔓延していたのだ。連日眼にするテレビのニュースやネットの書き込みで、彼もあらゆる悪事の手法を知っていた。


 こうしてオデールにより、詐欺紛いなアレコレを叩き込まれる宮内人ら。

 それでも彼等は油断しない。中抜きした金子を王宮経営には回さず、得たモノだけで維持していた王宮の内情は、じりじりと火の車になっていく。

 食事からそれに気づいたオデールは、クラウディアが崖っぷちなのを理解し、ふとパスカールが心配になった。


 この先、クラウディアは傾くばかりだろう。いつ、死に物狂いになった民や、己の本分を思い出した騎士達から襲撃があるかも分からない。

 フロンティアの王女殿下と親しい弟は王宮から離れた方が良い。何時なんどき父上の勘気を蒙るやもしれないしと、オデールはパスカールの放逐を傍観する。


 五つも年の離れた弟を、彼はそれなりに可愛がっていた。

 

 いつか俺に下剋上して、国王なってくんねぇかな。んで俺を養ってくれると助かるんだけどな。


 そんな自堕落な夢を抱いた事もある。


 だが、大人しくて物静かなパスカールでは汚い大人達に言いくるめられてしまうのが目に見えていた。

 さすがに兄としてそれは偲びない。父王はクズなんで見捨てるに躊躇はないが、まだ純真な弟だけは守りたいオデール。


 いざとなったら、兄ちゃんが背負って逃げてやるからな。


 この弟とだけは別れる気はない。一丁前にして世に送り出してやらないとと、彼は思っていた。


 それを一変させた小人さん騒動。




「獣人らだって人間ですっ! 自由であるべきなのですっ!!」


 激昂し叫ぶパスカール。


 今まで見たこともないようなギラつく弟の眼差しに、オデールは驚嘆する。


 こんな激情を何処に隠し持っていたのか。自分は全く気づかなかった。


 そんな人々の前で堂々と口上を述べ、フロンティアの少女がえげつない魔法を披露しつつ、ほくそ笑む。


「さあ、決めてくださいませ。金子で片をつけるか、地図から消えるか」


 うわぁ.....っ、言ってみてぇ台詞ぅぅぅっっ!


 リアルで口にしたら中二病を疑われるような言葉だが、散々実力を見せつけられたあとの人々には、死神の死刑宣告でしかない。


 勝敗は明白。


 結果、今に至り、オデールが宮内人らに悪知恵を囁いているうちに、パスカールは北の辺境へ放逐された。


 それが最善だと思っていた。汚れ仕事は自分が引き受けようと。

 傾いていく祖国の尻拭いだけして、人々を解放し、必要なら父王をも片付けて、何の憂いもなくパスカールと新天地に向かうつもりだったのだ。


 だが、こうして食事の皿に垣間見える国の窮状。


 不味いな。パスカールも碌に食べられていないかもしれない。収穫も期待出来ない北の僻地だ。

 せめて冬を凌げるくらいの支援はしておこう。


 そう思い立ち、ラバレンヌを引きずってパスカールの元へと急いだオデールだったが。


 何のことはない。パスカールの領地は豊かで、飢えなど欠片も見当たらなかったのだ。


 むしろ、国に自分の領地の収穫を回すという弟に、オデールは危うさを感じた。

 基本的な税を納めさえすれば、あとはパスカールのモノである。今は豊作に受かれているのかもしれないが、この先を考えたらプールしておくべきだ。

 すでに崖っぷちな我が国に与えても焼け石に水だろう。逆にパスカールが領地ごと食い物にされかねない。


 そんな老婆心から苦言を呈するオデールだが、可愛い弟は切なげに眼をすがめるだけだった。

 パスカールが望むのならと、致し方無く矛先をおさめたオデール。


 相も変わらず甘い事ばかりを言い、理想を追い求めているようだが、それも一興か。


 周りの顰蹙をかった言葉。だがそれも、裏を返せばパスカールを心配した現代人思考である。


 ここに小人さんがいなくて、不幸中の幸いなオデールだった。




「良い街ですね」


 ラバレンヌの言葉に、オデールも頷いた。

 

 豊かな土地と見事な街。道行く民は明るく、活気のある領地を彼等は眩しそうに見つめる。

 招かれた領主館もシンプルだがしっかりした建物で、出された甘味も贅沢な逸品。

 この世界に転生してから初めて見るような素晴らしいデザートだ。

 まるで現代日本にあるようなスイーツ。ここまで領地を発展させられるなんて、我が弟は天才に違いない。


 常に兄馬鹿な彼は、表には出さないがパスカールを誉めて伸ばしてきた。

 王族にしては穏やかで物分かり良く、何にも無関心な王太子。パスカールにも誉めるだけで、特に何かを強要した事はない。


 普通の王族として、それなりの贅沢はしていたが、特筆するほどでもなく、のらりくらりと政務を流れ作業で行う。

 寄越された仕事はこなす。分からない事は部下に丸投げ。


 端から見たら、十分、無能で我が儘な行いなのだが、丸投げするとご機嫌伺いのように差し入れしてきたり、仕事がしやすいよう取り計らってくれたりと、他の王侯貴族らがやらないような事をオデールはやっていた。


 現代日本人なら当たり前の思考。業務環境を良くして、その効率を上げる。自分が出来ない事をしてもらうのだ。ちょいと御詫びを持ち込むのも当然だと思っていたオデール。

 だから彼は、そんな自分を見る周囲の奇異な眼差しに気づいていない。

 日本人感覚で何気にやっていた彼の労りは、アルカディアという過酷な世界において、非常に稀有なモノだったのだ。

 オデール態度の奇妙な違和感に、気づく者は気づいていた。幼い頃から近くにいたラバレンヌなどは。


 何でもスルリと受け入れてしまう王太子を不思議そうに眺めるパスカール達。

 そんな周囲の眼差しに気づきもせず、オデールはしっかりとした弟の領地を満足げに見つめた。


 現代日本を知るからこそ、この領地の発展ぶりや甘味にこれと言った疑問を持たないオデール。

 才能ある者が率いれば、こういった特異な出来事もあると理解しているゆえの盲点だった。


 彼の些細な寛容さが、周りから奇異の目で見られているとは全く知らない王太子様である。


 その後、訝しげなラバレンヌに連れられ、パスカールの領地を見学した時も、素晴らしく豊かな大地に感嘆の溜め息しか出てこない。それを上回る大きな安堵。

 

 この様子ならパスカールの心配はいらないかな? クソ親父を片付ければ、あとは周りが何とかしてくれそうだ。


 ほくそ笑むオデールは徘徊するモノノケらを羨ましそうに眺めた。

 現代人の感覚が馴染み深い彼にとって、魔物だからとかいう忌避感はない。むしろ、未知の生き物に興味津々。

 フロンティアの王女殿下と共に楽しげにしていたモノノケらを恐れる理由などオデールにはない。


 イワトビペンギンとか、あざとい。めっちゃ触りてぇぇえっ!!


 脳内でわきゃわきゃする王太子を知らず、側仕えのラバレンヌが魔物らを指差している。

 

 .....まあ、偏見は抜けないよな。良いじゃん。強いし、可愛いし、パスカールのためになるなら。


 そうして何気に口にした一言。何の根拠もなしに魔物を信じる自分が、いったいどのように見られているのか、全く考えてもいないオデールだった。




「なんというか..... 掴めない御仁ですね」


 まるで竜巻のように一過した王太子らを見送って、溢れたエトワールの複雑な言葉に、パスカールも苦笑い。


「兄上は昔からああだよ。王侯貴族らしくないというか、妙に達観した風情で。それでいて、何でも分かっている風で..... でも、でしゃばるでなく、父上の言葉に従う感じ。言葉には表し難いんだけどね」


 そう。パスカールが物心ついた頃には、兄は父上のイエスマンだった。

 逆らう事もなく、酷い事や残忍な事もそつなくこなす普通の王族。

 パスカールもそんな感じだったから文句も言えないが。

 あの激の強い父上から勘気を蒙り続ければ、ああもなるだろうという見本のような方だ。

 ただ、それでも隙を見て、パスカールには優しくしてくれる兄だった。

 

 ある時、雷に怯え、泣きじゃくるパスカールは父親から叱咤されてベッドにうずくまり震えていた。


 そんなパスカールの耳に、微かな声が聞こえる。


 良く通る耳慣れた声。大雨や雷の音にも負けず、はっきりと聞こえるそれは、オデールの子守唄だった。

 小さい頃から歌ってくれていた兄上の子守唄。

 何処の歌かも分からない。聞いた事のない珍しい歌だと周りの宮内人らは言っていた。

 これだけ近くに聞こえるということは、兄上は隣の部屋にいる。

 自分の宮からパスカールの隣の部屋までやってきて歌ってくれている。

 この部屋に入ってこないのは、弟が父親から叱られたのを知っているのだろう。

 下手に慰めに行くと、さらにパスカールが父から叱られると思い、遠慮しているのだ。

 それでも近くにいてくれる。ここにいるよと知らせてくれる。

 不器用な優しさに涙し、心地好い歌声に包まれながら、パスカールは恐ろしい雷の咆哮が鼓膜から遠ざかるのを感じた。


 分かりにくい愛情だが、オデールの労りはパスカールに届いていた。


 横暴な父王に押さえつけられ、事なかれ主義に育つ兄弟。

 二人の韜晦ぶりは見事の一言で、周りはすっかり騙されていた。


 今回の大騒ぎがなくば、パスカールの頭角もなかっただろう。


 それに気付いた人々が集まる事も。


 パスカールの周りに集結する良識ある人々。


 これをオデールが覚らない訳はない。


 にまっと小人さんのような笑みを浮かべ、暗躍するオデール。


 父王と散財しているように見せ掛けて多額の金子を宮内人らに中抜きさせ、その内のいくらかは自分の懐に収めた。

 いずれ出奔する身だ。資金は幾らあっても良い。

 そして教会の炊き出しなどに手を貸し、民らが死なない程度の飢えをキープする。

 彼の散財の大半は、こういった施しに回されていたのだ。

 派手にならない程度の金子をバラまき、王都やその周辺の経済を回す。

 こういった巧妙さは現代人の思考ならではだろう。

 平々凡々な庶民に出来ることはないと嘆いていたオデールだが、アルカディアの知識を加味し、地球人の知識を利用して、如何にしたら今を乗り切れるか考えられる。彼は気づいてもいないが、これは十分強みだった。


 何処に何を行えば良いのか瞬時に理解出来る。伊達に王族としての教育を受けてはいない。さらには遥かに文明の進んだ国で長く生きてきたのだ。

 アルカディアに起こっている今は、オデールにとって、地球の過去をなぞるようなモノ。

 前世で長々と受けてきた歴史教育の中に記されていた一頁にあった出来事に過ぎないのである。


 ここに来て、現代地球人の本領発揮。


 過去に嘆いていた自分を忘れるくらい、オデールは、上手く国を傾ける事に邁進した。


 人々の命を摘み取り過ぎぬよう緩慢な飢餓を。要所要所に飴を配し、パスカール達が間に合うよう、溜め込んでいた私費から王都周辺に食糧を分配する。


 絶妙な匙加減で国の飢餓をコントロールするオデール。


 彼の働きにより歯車は上手く噛み合い、今を覚った心有る者達も動き出す。


 輝きを放ち始めたパスカールを王とするために。


 そんなオデールを、ただただ天上の神々が見つめていた。

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