第191話 裏・アステル 星影の異邦人 ~前編~


「.....いや、コレ無理ゲーだろ」


 少年は憮然と呟いた。


 彼の名前はオデール。


 クラウディア王国という辺境国の王太子だ。

 しかして、その中身は地球から転生したアラフォー男性である。


 事の起こりは数年前。


 オデールは酷い癇癪持ちで、その日の夕食が気に入らず大皿をひっくり返すという暴挙に出た。

 だが十歳であるオデールの身体は、その皿を傾けることは出来ても、ひっくり返すまでにいたれない。

 顔を真っ赤にして、何とか皿を返そうと奮闘していたオデールは、うっかり手を滑らせ、落ちた皿の勢いに驚き、椅子から転げ落ちてしまったのだ。


 良い塩梅に頭を打ち付けて、朦朧とする意識の中で彼は走馬灯を見る。

 みるみる遡っていくオデールの記憶。それは深層奥深くに眠っていた前世をもサルベージした。


 大の大人だったはずの自分は情けないことに酒に呑まれ、呑んだくれて陸橋から転落する。呆気に取られたまま、強かに頭を打ち付けたところで前世の記憶は途切れた。


 そして現在。


 あれ..... ここは?


 陸橋から転落したことを思いだし、恐怖に顔を青ざめさせてガバッと起き上がったオデール。

 そのこめかみを湿らしていく汗がなだらかな曲線を辿り、ぽたんっと彼の手の甲に落ちる。


 待てや、こら。今はどういう状況なんだ?


 大きく喉を鳴らして己を確認し、オデールは深々と絶望的な溜め息をついた。

 頭の中の記憶が整理され、現状を理解する。そして所在無げな眼で辺りを見渡す。


 豪奢な調度品に囲まれた立派な室内。近代文明とかけ離れた重厚な家具。


 あああぁぁ..... 思い出したわ。


「ここはクラウディア王国、俺は第一王子、んでもって、この世界はアルカディアと呼ばれているのか。.....まごうことなき異世界じゃん」


 この歳で異世界転生? 無くね? なぁ?


 子供とは思えない地を穿つような低い声音。それを聞き付けたのか、小さなノックとともに部屋の扉が開いた。


「お目覚めですか? オデール様?」


 扉の隙間から顔を出したのは自分と似た年頃の少年。

 茶色く癖が強い髪に、やや青みがかった紫の真ん丸な瞳。

 あどけない風貌の少年は心配げにオデールの傍へやってきた。

 

 彼はラバレンヌ。オデールが三歳の頃から共にある学友兼側仕えである。


 こいつが側仕えになって、かれこれ七年か。


 とてつもなく我が儘で癇癪ばかり起こしていた過去の自分を必死にフォローしようとしてくれてきた彼には、申し訳無さすぎて涙しか出てこない。

 今のオデールは転生した現在の記憶と前世の記憶が合わさり、二重のフィルムを透かして見ている状態だ。

 大人の見識が混じり、添えられているようなあやふやな状況。

 こうして考えていても、思わず叫び出したくなるような衝動が腹の底から沸き起こり、大人の理性が押さえ込んでいる。


 うっわぁ..... なんか妙なブレが身体中に起きてて吐きそう。


 思わず眩暈を覚えてうずくまるオデールに慌てて寄り添い、ラバレンヌが背中をさすってくれた。

 小さな手を一生懸命動かす少年。


「大丈夫ですか? 頭を強く打たれたそうです。医師を呼びますか?」


 その言葉に首を振り、少し休むと伝えてオデールは寝台に横たわった。

 何時でもお呼びくださいと下がるラバレンヌを一瞥し、二つの記憶を持つ少年は思考の海に身を投じる。


 ここは全く知らない世界。でも、オデールの記憶がそこそこな知識を彼に与えた。

 ここまで意識がグチャグチャだと、どちらがどちらなのか分からなくなる。

 ただ、人生経験の差だろうか。前世の人格の方が強くある気がする。


「王子かぁ..... 身分があるのを喜ぶべきか、決められたレールで酷使される未来を嘆くべきか」


 オデールの記憶が正しくば、この世界は地球でいう中世。それもかなり劣悪な環境だ。高い身分を持っていなくば、今頃、碌な生活も出来ていまい。

 貴人と平民では生活水準が酷く違う。


 だがまさか王族になるとは。


 オデールは、はあっと大きな溜め息をついた。


 彼は日本人だ。日本の皇族が如何に責任ある重要な公人として働いてきていたかを知っている。

 生まれながらに公務が定められ、一生、他国の言葉や政治を学び、研鑽し、一年中あちこちへと飛び回って慰問や面会に訪れる日々。それが全ての人生。


 この世界の王族も同じなはずだ。しかも、こちらは直に国政に携わらねばならない。


 皇族なんて金を貰っても自分にはやれないよなぁ。すげぇバイタリティー。偉いよなぁとか、テレビ画面に呟いていた前世の自分。


 まさか、その立場に己が立とうとは。


 お先真っ暗なオデールだったが、それでも責任あるなら逃げる訳にはいかないと、一丸発起。


 やれるとこまでやってやらぁっ! ダメそうなら逃げるっ! うんっ!


 中身、現代日本人らしい見事な脱兎を見せてやろう。


 そう己を励まして、奮いたったオデールは、翌日から国の事や世界情勢などを必死に学び始めた。

 人が変わったかのように穏やかになり、学びの姿勢を示すオデールを見て、ようやくやる気になってくださったんですねっ!! と号泣する家庭教師。

 その横でウンウンと頷くラバレンヌ。


 彼等を号泣させるほど酷かった過去の己の所業を思い出し、いたたまれなくなるオデールだった。


 何年も学び続け、クラウディア王国を知り、世界を見渡し、父王の背中を観察してきたオデールは、据えた半目で全てを諦める。


 終わってんじゃん、この国.....


 そう。クラウディア王国は、ありとあらゆる愚行が続き、国力も乏しい危うい国だったのだ。

 土地は痩せていて年々収穫も減り、主な産業が奴隷販売という有り様。

 しかし、その奴隷というのが獣人で結構な値段がつき、なかなかの売り上げを叩き出している。


 元地球人としては、なんかなーという気分になるが、国を養うためには仕方無い犠牲かなとも思うオデール。

 世界が違うのだ。自分達の首を絞めてまで他を助ける義理はない。金になるなら何でも良い。弱肉強食。


 地球人としての良識や情は、目の前の光景に嫌悪をしめすが、綺麗事で腹は膨らまない。

 何がどうしてか分からないけど、土地が痩せ続けているのは明白。ならば非人道的であろうとも、金になる事を続けていくしかないのだ。


 あれやこれやと試しつつ、成人する頃のオデールは、すっかり達観しきってしまった。


 なにせ、やれる事がない。


 最初は何とか出来ないかと、あらゆる所を回った。


 農地を見学して土壌改良の真似事をしたり、植林や養殖などにも手を出してみたが、悉く失敗に終わる。

 理屈は分かれど、やり方をオデールは知らなかったからだ。


 落ち葉や家畜の糞尿を混ぜて堆肥にするのは知っていても、その発酵具合の確かめ方や、どのような環境を作って製作にかかれば良いのか分からない。


 植林は木の苗を植えて育てるのだと知っていても、その苗木の育て方や植え方が分からない。

 養殖も、安全な囲いは作れど、その水を巡回させたり、どんな餌をやればいいのか分からない。


 分からないだらけ。


 知識はあれど、その構造を知らないのだ。一般人には必要のないモノだったから。


 なので悉く頓挫し、国を豊かにするのは諦めたのである。


 異世界モノで、俺強えぇぇーっなスキルとか能力とかあったら良かったけど..... パンピーだもんな、俺。


 不思議物語定番の現代知識も、オデールにとっては、まず道具ありき。

 基本的な道具はあれど、どれも旧式過ぎてオデールには使えない。

 彼の知る工具と全く違うのだ。しかも、近代のモノと比べ、細やかな技術が必要でコツを必要とする数々の専門道具を、にわかなオデールに扱う事は出来なかった。


 溶接すらしないとか、どんなんやねんっ! レン炉? たたらぐらい無いのかよーっっ! 


 あうあうと走り回るオデール。


 ゼロからスタートでは、ネジやベアリング一つ、彼には作れない。

 たたらや高炉のとか、モノは知っていても、その構造までは知らないオデール。

 

 わちゃわちゃ暴れまくった挙げ句、ただ己の無能を自覚するに終わってしまった幼年期。


 もはや全てを諦め、祖国と命運を共にしないよう小金を貯めて、オデールはいよいよとなったら国を飛び出そうと、準備を考えていた。


 まあ、暮らすだけなら何処でもイケるだろう。贅沢いわなきゃ生活は出来る。


 元々、前世は庶民だ。この世界の食事事情は悪くない。最近は、やけに美味いモノも出回り始めた。

 食べて眠れるなら、人は生きてゆける。そんな自棄っぱちな思考でオデールは成長してきた。

 

 そして冒頭に戻る。




「どう考えても無理ゲーだよな、これ。一般ピーポーに国を変えるような知識無ぇよ。あっても、周りの技術が追い付いて来ないよ。異世界無双の皆様、賢過ぎるわ」


 前世で何となく眼を通したライトノベル。

 その中ではっちゃける主人公達は膨大な知識や技術を持つ。中には超常の力とかもあったり、夢物語には冒険が詰まっていた。


 感心したり、笑ったり、泣いたり。多くの異世界モノを読んできたが、その詳しい部分までは覚えていない。


 そういや、酒を作った主人公いたっけな。酵母はどうしたんだろ? どうやって見つけたのか思い出せん。


 酒を発酵させるには酵母が必用。それは知っている。でも、その酵母をどうやって手に入れるのか。オデールには分からなかった。


 ここに小人さんが居たならば、オデールの脳天にハリセンをかましていた事だろう。


『空気中にだって菌はいるんだにょっ! 何だって一夕一朝で出来るわけないじゃんっ!! 成功するまで頑張れば良いだけじゃないっ!!』


 .....と。


 小人さんも、そうして試行錯誤しつつやってきたのだ。

 ただ、幼女は周りに恵まれていた。誰もに愛され、全力の支援を受け、彼女の望みは叶えられてきたのだ。

 フロンティアがフラウワーズと仲が良く、足りない物を融通してもらえたうえ、隣に建国された新たな隣国キルファンには日本の技術がしこたまある。


 これに不屈な小人さんのバイタリティーが加われば、叶わぬ夢はないだろう。


 だが、誰もが小人さんのように人が思いもしないような破天荒へ突進する訳ではない。

 大多数の人々はオデールのみたく諦める。失敗続きでも繰り返せるほどの情熱を持ち合わせてはいない。

 極普通のおっさんだったオデールは手詰まりとなり、唯々諾々と流されるままの人生を送っていた。


 宮内人から昼行灯と呼ばれるように影の薄い人生。


 それから五年後。彼の人生が大きく変わる。




「ぐあぁぁぁっ!!」


 目の前で雄叫びを上げる父王を無感動な眼差しで見るオデール。

 フロンティアの王女殿下にしてやられ、獣人の全てを奪われた父は、大金を手に入れたにも関わらず激怒していた。

 損得ではないのだ。この中世の世界において何よりも優先されるのは己のメンツ。平民同士ですら存在する暗黙の上下感で、父はこてんぱんにやられたのだ。


 圧倒的な力を前に平伏すしかなかったクラウディア国王。


 正直なところオデールも驚愕した。

 魔法や魔物、そういった知識は彼にもある。しかし、実在するそれらを目にしたのは初めてだった。

 魔法の存在を知った時、オデールはキタコレーーーっと脳内でガッツポーズしたものの、それを習得出来る方法などは見つけられなかったのである。


 遥か古代の遺物。伝説。


 すでに失われたモノで、遠く離れた異国にはまだあるかもしれないという噂程度のロストテクノロジー。

 

 そんなんを手に入れようと夢を見れる余裕は今のオデールにない。


 いずれ国が滅んだら冒険の旅に出よう。フロンティアだっけか? 魔法があるなら、是非とも習得してみたい。


 そんな他愛もない夢を抱いていたオデールの前に、伝説中の伝説が、いきなり舞い降りた。


 ニタリと笑って王宮を阿鼻叫喚の坩堝に陥れ、傍若無人なまでに己の要求を突き付け、後腐れないよう多額の金子を投げて寄越した苛烈な少女。


 あれよあれよという間に事は決まり、まるで竜巻のように通り過ぎていった一団を呆然と見送るクラウディアの人々。


 その信じられない光景の中、オデールは多くのモノを目撃する。


 魔法や魔物は言うに及ばず、それらと睦まじくあるフロンティアの人々。

 お手軽に魔法をつかい、モノノケと呼ばれる主の子供らと交じり、平気で食事をする。

 明らかな平民が貴族に混じり、親しげな様子の王女一行。平民と貴族が一緒に生活するなど、他の国では有り得ない。


 極めつけは王女殿下本人。


 見目良く洒落た彼女の服装は、何処からどう見ても和風ゴスである。しかも、それを脱ぎ去った下には赤いサロペットズボン。

 胸当てのついた独特のズボンは、農夫などの労働階級がよく使用しているモノだ。

 だが、中身日本人なオデールの眼には別の姿が重なる。


 .....某配管工兄貴かよ。


 小人さんが身軽にぴょんぴょん跳ね回るため、そのイメージはさらに強くなり、思わず彼は失笑した。

 国の一大事に不謹慎ではあるのだが、肩だけを震わせて笑う王太子に気づくものはいない。


 クラウディア王宮を襲った前代未聞の大騒動。


 これを機に、オデールの人生設計は大きく変えられたのである。

 .....変えざる得なかったが正しいのかもしれない。


 時代の追い風を受け、彼は人生最期の賭けに出る。しくじれば眼も当てられない大惨事を覚悟して。


  

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