第174話 エピソード・復讐 ~シリル~


「ヘブライへル様..... 愚王は、滅びました」


 カストラート辺境の小さな村で、シリルは清楚な花束を持ち佇んでいる。

 彼女の前には無縁墓地端にある墓標。

 かつて、アンスバッハ辺境伯と呼ばれた男性が眠る墓標だ。


 十年ほど前の戦いで、フロンティアに敗北を喫したカストラートは、その責をアンスバッハ辺境伯に押し付けた。

 正体が割れた以上、もはや役にもたたない家門だ。しかも連れている従者はカストラートに否定的な罪人ばかり。


 体の良い生け贄だったのだろう。


 大きな戦となり、誰かしらに責任を押し付けねばならないカストラートは、その全てをアンスバッハ辺境伯へ押し付けたのだ。


「全ての責を、わたくしが引き受けます。なので連座だけは御許しください」


 監禁された屋敷の部屋の中で、カストラート王からの使者に清しく顔をあげて答え、伏し目がちに息子達を見るヘブライへル。


「我等も共にと申し上げたではないですかっ」


「何故、いまさら、そのような?」


 狼狽える息子達。


「そなたらが失われれば、本当にアンスバッハ家は終わる。さらには、命運を共にしてくれた我が家の者達の命もな」


 ハッと顔を強ばらせる息子達。


 先の戦で半数ほど失われたが、辺境伯家の従者や騎士達はこの屋敷の地下に囚われていた。

 主達の世話をするため、シリルと数人の者だけが傍に控えている。


「そなたらは最後のアンスバッハ家の者だ。我が家に忠誠を誓う者達を見捨ててはならない。私の命ひとつで購えるなら安いものよ」


 柔らかな父親の微笑み。


 初めて見るアンスバッハ辺境伯の穏やかな様子に、息子達もシリル達も反論を封じられた。


 国家間の謀略に流され、奴隷のように長くカストラートに仕えてきていたアンスバッハ辺境伯爵家。

 疲弊し、疲れ切っていた家門に、ようやく安息が訪れたのだ。それも最上級の死に場所まで用意して。


 息子達のために死ねるなら、本望だ。


 その安堵が顔に出ていたのだろう。


 死にゆく覚悟を決めた父親の横顔に、息子達は言い知れぬ哀しみを覚え胸を詰まらせた。かける言葉が見つからない。

 時代に翻弄された一家門。こんな事は、どこの国でもよくある事だった。

 権力者の尻拭いに抹殺され、連座で晒し首とかが横行する中世。


 そんななか、たった一人の首で済ませられるならば、たしかに僥倖だろう。


 ただ、それを本当にカストラート王が受け入れてくれるのであればだが。


「私の最後の願いだ。皆と共にこの国から逃げ延びなさい。仮にもカストラート王家とフロンティア王家の血をひく、そなたらだ。何処かしらに受け入れてくれる国もあろう」


 事が終われば、事実は風化する。忘れられた者達が生き延びる事は可能だった。

 連座で息子達まで失われれば、捕らえられたアンスバッハ家の者達も、きっと後を追ってしまうだろう。

 カストラート王家に反抗し、罪人とされた彼等だ。家族がこの国にいる者は少ないし、厭悪憎悪の対象たるカストラート王に、再び膝を屈する事はあるまい。

 カストラートの流刑地でもあったアンスバッハ家の者達を守るには、息子らが生きている事が絶対に必要なのだ。


 アンスバッハ辺境伯が素直に応じたため、カストラート王は連座を免除すると約束する。


 こうしてヘブライへルは秘密裏に処刑され、その遺体をフロンティア側へ送る手筈となった。

 独断専行で争いを起こし、揉め事をカストラートに持ち込んだ痴れ者を処分したとの大義名分が保たれる。

 首謀者をアンスバッハ辺境伯に仕立てあげ、事を有耶無耶にしてしまおうという、姑息な企み。


 だが、それが事実となる前に動いた者達により、アンスバッハ辺境伯の遺体は奪取される。


 カストラートに反抗し、アンスバッハ家へと送られた者達の仲間だ。彼等はカストラートで地下組織的なモノを作っていて、密かに連絡を取り合っていたのだ。


 国外追放された仲間を守ってくれていたアンスバッハ辺境伯に、底知れない恩義を感じている者達。

 明日は我が身の、小さなレジスタンスの種達。

 このカストラートという国をよく知る彼等は、カストラート王が約束を守る訳はないと確信していた。

 だから電光石火で行動し、アンスバッハ辺境伯の遺体を奪取すると共に、王都外れの屋敷に監禁されていたアンスバッハ家の者らの救出にも走る。


 伊達に長々とフロンティアで諜報活動をしてはいなかったシリル達だ。枷さえ外してもらえれば、その隠密術は健在。

 仲間数人の手引きにより、牢から出されたアンスバッハ家の従者らは、ヘブライへルの息子達を守り、カストラート王都から脱出した。




「父上.....っ」


 ヘブライへルの遺体と対面し、泣き崩れる息子達。

 それを痛ましそうに見つめ、同じく苦悶に打ち震える侍従や騎士達。


 逃げ出す事は難しくはなかった。ヘブライへルがその気になってさえくれれば、己が命にかえても守り抜くつもりだった。

 フロンティアの騎士と比べたら、カストラートの兵士らなど素人も同然。

 息子らやシリル達は、ヘブライへルに再三願った。

 逃げ出そうと。人知れぬ何処か遠くで家門を立ち上げようと。

 だがヘブライへルは首を縦に振らなかったのだ。


 シリル達は知らない。


 ヘブライへルが疲れきっていた事を。自ら人生を終わらせたがっていた事を。

 たとえ欺瞞であろうとも、それが息子達のためであるならば、これ以上の死に場所はない。


 そうして自ら死地に赴いたヘブライへル。


 そんな彼の葛藤を知らないシリルは、昔を思い出していた。


 カストラートから罪人として送られてきた者の子供。それがシリルだ。

 他にも多くの者が、流刑地であるアンスバッハ家に仕えながら結婚し、家族を持っていた。

 その殆どは隠密として訓練を受け、カストラートに忠誠を誓わされる。

 だが、如何にカストラートへの忠誠を刷り込もうとも、その根源ににはアンスバッハ家への感謝が溢れていた。

 周囲から聞かされるカストラートの酷い実情。アンスバッハ家にはカストラートの監視があったため、滅多な事は言えないが、それでも仕える者らは密かに子供達へと伝えていた。


 比較的自由な従者や騎士達と違い、アンスバッハ家の一族はカストラートからやってくる監視者に、がんじがらめにされている。


 条件反射になるまで叩き込まれるカストラートへの忠誠。敬意、畏怖。それこそ、鞭で殴られ、蝋燭で炙られ、カストラートの絶対的な支配下に置かれる主達。

 自尊心を踏みにじられる行為の数々に、疲弊し、反抗心を失っていく主達を、傍観するしかないシリルらは、どれだけ歯噛みしてきた事だろう。


 それが当たり前の家だった。


 結果、アンスバッハ家の一族は、カストラートに対して反抗が出来ないのだ。死ねと言われれば喜んで死ぬ。

 生まれた時から呪いのように刻み込まれた忠誠。すでに洗脳され済みなヘブライへルを救う事は出来なかった。


 それでも、彼は望んだのだ。息子達の生存を。ほんの少しだけの抵抗を。


 本来なら連座を望み、親子ともども死ぬのが確定していたはずなのに、そこでヘブライへルは抗った。

 洗脳とは生ぬるいものではない。本人がそれと意識せぬモノでも、相手のいいようにされてしまう。

 これが完璧ならば、ヘブライへルは自ら連座を望み、カストラート王の思惑どおりに、悪役を演じたことだろう。

 しかし規格外の幼女に触れ、己の根底を揺さぶられた彼には、幾つかの迷いが生じていた。


 .....本当に祖国は正しいのか?


 その小さな楔は深く突き刺さり、いよいよとなった今、洗脳で刷り込まれた意識ではなく、ヘブライへルの本心を浮き彫りにした。


 息子達を死なせたくはないと。


 親ならば当たり前の気持ちである。


 それが、多くの騎士や従者達を生かす事にも繋がる。まだ若く、洗脳が完璧ではないヘブライへルの息子達なら、これから矯正もきくだろう。


 シリル達がカストラートに忠実だったのはアンスバッハ辺境伯家のためだ。その軛が外された今、恐れるモノは何もない。


 地下組織の仲間達に手引きされ、ヘブライへルの息子らは中央区域へと向かう事になった。

 父親の遺体を連れていくのは叶わず、息子らは遺髪のみを携え、遺体そのものはカストラートの無縁墓地に埋葬する。


「墓守はお任せ下さい」


 微笑むシリルに頷き、ヘブライへルの息子達は後ろ髪をひかれながら中央区域へと旅立っていった。


 一人残ったシリルは、妖艶に笑う。


 まるで艶やかな毒婦のように深みのある優美で陰惨な笑み。


 さあ。始めましょう。


 カストラート王よ。あなたに地獄を味わわせてあげてよ?


 辺境伯一同が行方知れずとなり、慌てたカストラート王宮でも、アンスバッハ辺境伯らは、戦に紛れて逃亡したと発表する。そうするしかなかった。


 こうしてシリルは変装し、単身でカストラート王宮に潜入する。


 あとは皆様御存じの通り、シリルは声高に笑いながら、復讐を遂げたのだった。




「終わりましたわ、ヘブライへル様。あなた様の一族を永きに渡り苦しめてきた愚王は死にました。.....もっと早くこうしていれば良かったですわね」


 シリルにはカストラートに残された家族がいた。逢ったことはないが、父親からそう聞かされていたのだ。

 シリルの一族は、カストラートの預言者の一族。女児にのみ不思議な力が顕現する。

 神々と交信でき、その知恵を授けられる一族だ。つまり、カストラート王宮地下にいた老婆の孫にあたり、その知識を受け継いでいた。

 アンスバッハ家の娘を神々の妙薬で洗脳するために。


 ハビルーシュの婚姻に乗じてフロンティアへ潜入することになったシリルは、心に誓う。

 必ず魔力を持つ赤子を手に入れて、長きに亘り主らを苦しめる呪いからアンスバッハ家を解き放ってみせると。


 そう心を奮い起たせたシリルだが、それはアンスバッハ家を窮地に陥れただけで幕を閉じた。


 最初から間違っていたのだわ。結局、わたくしも洗脳されていたのね。


 懊悩し、シリルは顔を歪める。


 アンスバッハ家を救うために、シリル達は必死にフロンティアの子供を盗み出そうと奔走した。

 それだけのために作られた家門である辺境伯家。彼等を呪いから解き放つには、カストラートの求めるモノを手に入れるしかない。

 盲目的に、そう思ってきた。そう思わされてきた。悪辣なカストラートの監視者達に。

 監視者たちは、人の心を操ることに長けていたのだ。絶妙に飴と鞭を使い分け、どのようにしたら人の心を挫けるのか熟知している。


 そうして、シリルらをも手玉にとってきた。


 アンスバッハ家のために、フロンティアの魔力を持つ赤子をカストラートに送れと。

 それが唯一の方法であるかのように、シリル達を意識を誘導してきた。アンスバッハ家に対する忠誠を利用されたのだ。

 主達を敢えて苦しめ、それに苦痛を覚えるシリルらを猫なで声で操った監視者達。


 今思えばである。当時のシリル達は、四面楚歌に追い詰められた獲物でしかなかったのだ。


「最初から..... あの愚王を殺しておけば、何の憂いもなかったのに」


 そのような事は思いもつかないよう洗脳されていた。カストラートの監視者達から、拷問のように洗脳される若様らを救うには、カストラート王の願いを叶えるしかないと、愚昧に思い込まされていた。


 泣き叫び、許しをこう幼い子供達。


 目の前で繰り広げられる、躾と称する折檻。一切の抵抗を封じ、水に沈め、火で炙り、絶対の服従を強いられる子供を、ただ見つめるしか出来なかったシリルら一同。

 それを見せつける事で、シリル達から反抗の芽を摘み取っていたカストラートの監視者達。


 早く。早く、フロンティアから魔力を持つ赤子を手に入れなくては。


 ひたすら盲目的に一つの目的へと邁進するよう洗脳されていた、あの日々。


「もっと早く..... 元凶に気づいていたら」


 ヘブライへルの墓標の前で力なく頽おれ、シリルは声もなく泣いた。


 しとどに濡れる彼女を、ただただ何もない無人墓地の静けさが柔らかく包んでくれる。


 ようやくシリルは泣けた。


 慈悲深く強かったがゆえに、要らぬ後悔と懺悔に身を投じた愚かな主。最後の最後まで、シリルらの身を案じてくれていた最愛の主。

 彼の人生は誉められたものではない。むしろ非難の的になるような人生だっただろう。

 そんななかでも、優しく、己の内に棲む良心とのせめぎあいに苦悩していたヘブライへルをシリルは知っていた。

 子供達を襲う数々の理不尽に心を痛め、張り裂けんばかりの慟哭を上げていたのを知っていた。

 これで良いはずだ。間違ってはいないはずだと、己に言い聞かせるように、毎晩、満身創痍な息子達を撫でていたのを知っている。


 端から見れば異常な光景だろう。しかし、落伍者の印を押された者の末路を知るヘブライへルには、こうするしかなかったのだ。


 地下牢に閉じ込められ、生きた屍のように無惨な未来を送ったヘブライへルの叔父。


 全てが歪み、間違っている事に気づかないまま、アンスバッハ家は続いてきた。


「いずれ、お側に参ります」


 そう小さく呟き、シリルは無縁墓地を後にする。


 結局、最後には疲れ果て、ぼっきりと折れてしまったヘブライへル。


 一人、安息の地へと旅立った彼を、シリルは長く見守った。




 さらに時がたち、ヘブライへルの息子達がカストラートへと帰還する。新たなカストラート王がヘブライへルの汚名をはらし、名誉を回復してくれたのだ。

 数十年後、それを聞き付けた従者によって祖国へと戻ってきた息子達は、いの一番に父親の墓へと向かう。


 こんな無縁墓地ではなく、ちゃんとした墓所に埋葬しようと。


 しかし訪れた彼らの見たものは、一面を花に囲まれた美しい墓標だった。


 そしてその隣にある小さな墓標。


『最愛の方の元へ』


 その一言のみが刻まれた墓標には、シリルの名前が入っている。


「シリル、そなた.....」


 平和になった祖国に安心したのだろうか。彼女は亡き主に殉じた。


 並ぶ二つの墓標からそれを悟り、ヘブライへルの息子達は固く眼を閉じて祈り続ける。

 時代に翻弄され、虚しく散らされた命達に神々の慈悲を賜らんことを。


 跪いて一心に祈る二人は知らない。


 その、時代に翻弄されたはずのシリルが、愚王を倒し、今のカストラートの平和の礎を築いたという事実を。


 窮鼠猫を噛む。たった一滴の雫が、この国の命運を決めたのである。


 こうして預言者の一族、最後の末裔が消え、神々に繋がる力をカストラートは失った。


 神々からの交信を受け取れる預言者一族の力は、御先にも準ずる他に類を見ない稀有なもの。

 魔法の派手さの陰に隠れて見てえいなかったようだが、カストラートの求めるべき力は、すでに手の内にあったのだ。


 未来に起こることを予測し、神々の知識を得るなど、フロンティアにもない力だったのに。


 カストラート前王は気づかなかった。そして、今の王も、他の誰も気づかない。

 人知れず消えた一族の記録は何処にも記されぬまま、歴史の闇へと呑み込まれていった。


 知るは天上の神々のみ。


 世は事もなく、穏やかに生きていく人々を、神々はただ見守るだけである。

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