第86話 終わりの始まり いつつめ


「どういう事ですかっ?!」


 何故か伯爵令嬢の旅支度はすでに整っており、白い蜘蛛の魔物が牽く馬車にも驚いたアウグフェルだが、その回りに群がる多くの魔物にも驚いた。

 さらには伯爵令嬢を筆頭に、次々と馬車に乗り込む人々。

 大きめの馬車ではあるが、とてもそんな人数が座れる大きさではない。

 彼が見ていただけでも十人以上が馬車に乗り込んでいく。

 護衛騎士らもおらず、単騎で西へと駆け出した馬車を追って、アウグフェルは頭を混乱させたまま自身の馬でついてきた。


 そして気になる木の広場で昼食のために休憩をとっている小人さんらに詰め寄ったのだ。


 ヒュリアの立場は説明したはずだ。なぜ、危険な祖国に戻ろうというのか。

 戻ればたちどころに彼女は捕らわれ、王に引き渡されるだろう。

 そして無理やり兄上の花嫁にされる。それは断じて見過ごせない。


 剣呑な顔で詰め寄るアウグフェルをしれっと一瞥し、小人さんは面倒臭そうに呟いた。


「可愛いヒュリアを守るためよ? あなたの親父様、放っておいたら何をするのか分からないじゃない?」


 親父様? 父王のことか?


 御令嬢にあるまじきぞんざいな口調。先程までの王宮での態度とは雲泥なそれに、アウグフェルは狼狽えた。


「ヒュリアを守るとは?」


 己が考えていた最悪を否定する少女の言葉。それを理解出来ず、訝しげな顔のアウグフェルに小人さんは説明する。


 話は簡単。要は大公家の跡継ぎが生きているのだとカストラートに知らしめるだけ。

 そして改めて大公家の管理者をヒュリアが定め、あとはその管理者に任せるというモノだ。


「ヒュリアが生きていると分かれば偽物を立てる訳にいかなくなるでしょ?」


「大公家は父の弟である伯爵様にお任せしようと思いますの。公正な方です。悪いようにはならないかと」


 カストラート国王が思い描いていた最悪の事態を平然と口にする二人。

 それをされたら、父王は激怒する事だろう。その場でヒュリアの首をはねるかもしれない。


 震える声でそう呟くアウグフェルをにんまりと悪戯気な瞳で見つめ、小人さんは自分を指差す。


「そんな事をさせないためにアタシがいるんだにょ。これでも王族の末席、フロンティア王女の称号を持つ者だからね」


 今現在、小人さんの正式な侍女となっているヒュリアは小人さんの財産だ。

 如何なる理由があろうとも、それに手を掛ければフロンティアに対する宣戦布告も同然。小人さんが暴れても構わない下地が整う。


「.....カストラート国王が馬鹿ではない事を祈ります。チヒロ様がその気になれば、カストラートは魔物に呑み込まれますから」


 炯眼な光を眼窟に宿し、ドルフェンが残忍に口角を歪めた。

 それに倣うように、ドロリと獰猛な笑顔を浮かべる護衛騎士達。


 一種異様な雰囲気に、アウグフェルは背筋を凍らせる。


 人ならざる者だけが持つ独特な殺意。まるで虫けらでも見るようなソレは本物だった。

 父王のように傲慢や増長から来る拙(つたな)いモノではない。

 本当に修羅の巷(ちまた)を潜り抜けた者らだけが持つ、歪みのない純粋な殺意。

 十数年前の小人さん奪還戦以来、幾度となくカストラートと刃を交えてきた彼等は、もはや彼の国を敵国としか思っていない。

 かける情けも、慈悲もない。

 むしろ完膚無きまで叩き潰してやりたいくらいである。


「..........十年ほど前の戦いを思えば、業腹(ごうはら)なことこのうえない。貴方は御存じあるまいな」


 己の失態で小人さんを拐われたドルフェンにとって、あの戦いは昨日の事のように記憶鮮明だった。

 アルカディアでは珍しく、血で血を洗うような激戦。

 二千ほどの騎士団で二万近い軍隊を相手にしたのだから、当然だ。

 得手である魔法を封じられ、カエル達の守護があったとはいえ、血塗れになり部位欠損すら受けた騎士団。

 治癒魔法で跡形もなく癒せたが、それがなくば悲惨な傷痕を残したに違いない戦いを忘れる事など出来ようものか。


 当時を知らぬ若手な騎士達だって、知らぬ者はいない。未だに生々しく語り継がれる戦いである。


「話は聞いているが..... あれは、フロンティア側が攻めてきたから起きた戦いでは?」


 アウグフェルも知識としては知っている。

 フロンティアが攻めてきたから迎撃した。国防の戦いだったと。

 当時、六歳ほどのアウグフェルに詳しい話は知らされていない。

 元々、国王と僅かな貴族らが秘密裏に行っていた謀だ。知るはずもない。


「攻めて.....ね。その理由は御存じか?」


「理由?」


 自嘲気味な笑みを浮かべ、ドルフェンは柳眉を跳ね上げた。


「我がフロンティアが理由もなく攻め込むとお思いか? あの時、カストラートは我が国の姫君を拐取していったのですよ」


 王族を拐ったっ?!


 あまりの驚愕にアウグフェルは顔を強ばらせる。


「実行したのはフロンティア貴族ですが、それを援護し救おうと大軍を差し向けたカストラートが黒幕なのは一目瞭然。.....フロンティアが貴国と国交を断絶した理由です。御理解いただけたか?」


 辛辣に眼をすがめる騎士達から鋭利な視線の集中砲火を受け、ようやくアウグフェルは理解した。


 彼等は、何も親切心だけでカストラートに向かう訳ではない。あわよくば積年の恨みを叩きつけ、長く喉に蟠(わだかま)った溜飲をさげようと目論んでいるのだ。

 その大義名分にヒュリアを利用しようと。ある意味、千載一遇のチャンスが与えられたようなモノ。

 

 ぞわぞわと背筋を這う悪寒を抑え込み、アウグフェルはフロンティア一行に先んじて気になる木の広場から駆け出した。


 一路カストラートを目指して馬を駆るアウグフェル。


 兄上に知らせねば。フロンティア側に口実を与えてはならないと。


 ヒュリアのことを差し引いても、彼等の滾(たぎ)る殺意はカストラートを射程に収めている。


 あわよくば.....。


 獰猛な彼等の笑みが、それを物語っていた。

 さらには、それを止める気も無さそうな伯爵令嬢の淡々とした様子が、底冷えする悪意の存在をアウグフェルにこれでもかと伝えてくる。


 ヤバい、ヤバい、ヤバいっ!!


 ヒュリアがやけに落ち着いていた訳だ、あんな猛者どもは見たことがない。

 しかも多くの魔物を引き連れた魔王のごとき少女。


 歴戦の騎士ら。卓越した魔術。それを囲う無数の魔物達。


 あれに一体、誰が対抗出来るというのか。ほんの半日ほど同行しただけのアウグフェルにだって彼等の脅威はヒシヒシと感じ取れた。


 祖国に降りかかった思わぬ厄災に思考を奪われ、当初の目的を忘れたまま、アウグフェルは荒野を疾走する。


 フロンティア王宮で感じた嫌な予感。王弟殿下も何も言わずに見送った伯爵令嬢の真意を知ったアウグフェルは、これがフロンティアの総意であるのだとも的確に感じていた。

 彼等に何かあれば、フロンティアは堂々と大軍を率いてカストラートへ攻め込めるのだ。

 

 口実を与えてはならない。


 フロンティアと国交を断絶されてからこちら、魔法石の補充も出来ず、備蓄が底をつきかけている。

 魔術具を動かせなくなる未来も近い。個人的にフロンティア人の魔術師を雇う貴族もいるが、焼け石に水程度の効果しかなかった。


 そこへ致命傷を受ける前に何とかせねば。


 家名を捨てたつもりでも、アウグフェルはカストラートの王子だった。

 民に降りかかる厄災を何としても払わねばならない。


 王子として必死に思考を巡らせる彼を見送りつつ、小人さんはアドリスから食事を受け取った。


「さあて..... どうなるかなぁ」


 むぐむぐと御飯を食べながら、小人さんは考える。

 

 通常は揉め事の回避に動くよねぇ。でも、そうすると負けた感半端無いから、我慢出来なくもなるだろうし。

 何より大公家が手に入らない。喉から手が出るほど欲しいヒュリアを前にして、理性的に動けるなら、少しは期待も出来るけど。


 あれやこれやと考えつつ、小人さんはドルフェンをチラ見した。


「わざと煽ったね?」


「.....本心ですので」


 ギラリと輝くドルフェンの瞳。同じテーブルに着く騎士ら全てが、ピンっと張りつめた顔をする。

 アドリスやザックも似たような顔でほくそ笑んでいた。ヒュリアすらも。


 .....うわぁ。殺意マシマシじゃん。誰よ、こんな喧嘩上等な雰囲気を持ってきたのは。


 .....お前だ。


 何処からか神々の声が聞こえたような気がする小人さんは無意識に天を仰いだ。


 常に喧嘩上等、出たとこ勝負。人生、なるようになるっ!!、が信条の小人さん。


 そんな小人さんの基本姿勢は、しっかりと小人隊に根付いていた。

 少女の自業自得を棚上げし、むんっと進む小人隊。


 こうして誰も望まなかった争いが、勢いよく火蓋を切ったのだった。


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