第79話 異国の王宮と小人さん むっつめ


「ディーバダッタを廃太子するっ?!」


 いきなりの渡りで告げられ、第一妃は愕然とした。


「うむ。アレは可もなく不可もなくやっておるが、それだけだ。目立つ功績も才能もない。臣下らの意見も、マサハドを王太子にとの声が高い。わしは健康で民の人気も高いマサハドを王太子にしようと思う。異論はないな?」


 そう言うと国王は第一妃に、心しておくようにと言いおき、部屋を出ていった。

 憤りにガクガクと四肢を震わせ、第一妃は剣呑な眼差しで国王の消えた扉を睨めつける。

 仄昏く光る妖しげな双眸で。


 ..........そんな事はさせるものかっ!!


 このような事態は彼女も案じていた。

 なんとかマサハドを亡き者にしようと策略も巡らせていた。

 幸い、現王太子であるディーバダッタにすり寄る者は多い。

 その者らの協力を仰ぎ、大抵の事は上手くいっていた。


 なのに、手をこまねいているうちに、事態は大きく変わり始めたのだ。


 国王の命令は絶対だ。だからこそ第一妃が反発するなどと思いもせず、王は廃太子の話をしたのだろう。


 彼女が従容と跪くものだと疑いもせずに。


 だが王が思うよりも彼女は愚かだった。

 

 目先のモノしか見えぬ彼女が、国王に牙を剥くなどとは、スプーンから取り零したスープの雫ほども考えなかったに違いない。


 こうして廃太子の話を闇に葬るため、第一妃は国王の暗殺を目論んだのだ。




「なんてことを.....っ、なんてことをなさったのですか、母上っ!!」


 話を聞き、呆然と立ち尽くすディーバダッタ。

 弑逆は如何なる理由があろうとも極刑だ。三親等どころが、一族郎党含まれる。当然、ディーバダッタ達もだ。


 場所は戴冠式。


 主だった貴族らが揃い踏みするなかで、白日のもとにさらされた大事件。

 逃げようもない陥穽を設けられ、第一妃は顔色を失い項垂れている。

 それに荷担したであろう貴族達も、近衛らに縄を打たれて傅いていた。


 九死に一生を得たはずの王子達の親族にも、それに関係していた者らが判明しており、再び処刑の縄が彼等の顎の下を掠める。


 マサハドは、あまりに事態が大きく、収拾のつかぬ有り様に懊悩煩悶した。


 しばし固く眼を閉じて、彼は出した答えを呟く。


「王族は連座に含まない。明らかな罪が確認出来た者だけを斬首とする」


 ざわりと広間がどよめき、波紋のように大きく拡がっていった。


「そのような甘い事をっ!! 弑逆ですぞっ?! もっと厳しく沙汰をせねばっ!!」


 一人の御老体が声を張り上げ、それに賛同するかのように小さく頷く貴族達。

 だがマサハドは、鋭い一瞥でソレを黙らせ、重々しく口を開いた。


「玉令を忘れたか? 正当な理由なく王族を廃するのは許さぬ。.....代わりに、他は連座を許す。末端まで根絶やしにしろ」


 あ~~~、そう来ちゃうかぁ。


 小人さんは軽く天を仰ぐ。


 君主としては及第点の答えだ。しかし、為政者としては落第である。

 言うべきか言わざるべきか。マキャベリなぞ裸足で逃げ出すイスラムの古いしきたり。

 子殺し、兄弟殺しが当たり前な世界だ。他人なぞ、物の数ではない。


 これをいきなり変える事は困難だろう。要らぬ争乱を巻き起こす種ともなる。


 あとは彼等の未来に期待するにょ。


 小人さんは沈黙を選んだ。


 世界観が違うのだ。小人さんの正義が全てに当てはまるモノではないし、この世界には、この世界の正義がある。


 だが小人さんは欲張りなので、黙って見過ごしもしない。


 彼女は軽く扇を広げて咳払いをし、マサハドらの視線を集める。


「ならば、わたくしが罪人をもらい受ける事は出来まして?」


「は?」


「なんだと?」


 呆けるディーバダッタに、眼を剥くマサハド。


「無論、全てとは申しません。明らかな罪人は処罰なさいませ。ただ、連座で処刑するのなら、我が国に譲っていただけないかしら? 農奴はいくら居ても足りないので」


 くふりとほくそ笑む少女に、周囲が奇異なモノを見る眼を向ける。

 彼等には、農奴として罪人が欲しいと宣う少女が得体の知れない怪物に見えた。

 たしかに処刑を待つ罪人だ。しかし、最低限の矜持を守ってやりたい。奴隷に貶めるなどあってはならないだろう。


 ざわざわとどよめく人々。


 したり顔な少女を訝しげに見つめ、マサハドは口を開いた。


 彼女には命を救われた。こうして王位につけたのも彼女のおかげだ。だから、彼女が望むならば、叶えてはやりたいと思うマサハド。

 しかし、やはりマサハドも周囲と同じ事を考える。

 罪人といえど、死を前にした者を辱しめるべきではないと。


 選民の勝手な感傷である。小人さんが聞いたら、盛大に鼻白んだ事だろう。


「それは許可出来ぬな。そなたは大それた事を言う」


 苦虫を噛み潰した顔で唸るようなマサハドを辛辣に見据え、小人さんは双眸を煌めかせた。


 広間上空に合図の蜜蜂が翔んでいる。


 間に合ったっ!!


 そこにけたたましい勢いで入ってきたのは門を警護する憲兵達。

 倒けつまろびつ、あたふたと広間に中央で跪く。


「御報告いたしますっ!! 王宮面前に軍隊が.....っ!! 赤地に金糸の御幡、フロンティア軍ですっ!!」


「なにっ?!」


 狼狽えるマサハドの視界で、少女は、にぃぃっと蠱惑的な笑みを浮かべた。

 幼気な姿からは想像も出来ない愉悦に満ちた笑顔。

 ぞくりと背筋を粟立たせるマサハドの耳に、憲兵らの報告が聞こえる。


「その数二万ほどっ! 我が軍は蹴散らされ、王都まで進軍された模様ですっ!!」


 叫ぶ憲兵に、ディーバダッタが、あっ、と呟いた。


「そういえば軍を出すとの報告が来ていたが。.....諸侯らと母上に任せてしまった」


 王太子には報告があってもマサハドには来ない。


 知っていれば、どうにかしたものをっ!!


 王に連なる者と、そうでない者に起きたタイムラグ。

 

「御話をいたしませんこと? ドナウティルにとっても悪い話ではありませんわ」


「.....断ったら?」


「力ずくで♪」


 花もかくやな満面の笑み。


 致し方無く、マサハドは話し合いの席を設けた。


 ざわめく貴族達の中で、ただ一人、眼を限界まで見開いて戦慄く老人が居たことも知らずに。




「まさか、本当になるとは.....」


 将軍は数日前に小人さんと謁見をしていた。


 噂通りの小さな子供だが、その眼を彩る慧眼な光は、彼女の年齢を感じさせない深みを醸し出していた。

 

 年相応ではない。


 一目で看破した歴戦の老将軍は、ドナウティル国境に集結するフロンティア軍の理由を小人さんに尋ねる。


「あれは保険です」


「保険?」


 訝る老人に口止めを強調してから、小人さんはとつとつと話をした。


 たぶん、王位にはマサハドが着くだろうと。


 瞠目する老人に、小人さんは苦笑する。


「ディーバダッタ王太子は、きっと気づかれます。王であれば王位を自由に譲れる事に。そして、そのチャンスは戴冠式にしかない事にも」


 王位を譲られたマサハドは、きっと兄弟殺しの悪習を廃するだろう。

 

「なるほど..... それは、こちらも願ってもない事だ。ありがたい」


「ただ、それだけでは終わらないんですの」


 神妙な顔をする少女。


 その顔に嫌な予感を感じ、将軍は固唾をのんだ。


 彼女の話によれば、激昂した第一妃らが何をやらかすか分からない。

 なので同時に妃の罪も暴き、その反抗を封じ込めるつもりだと言う。


 そこで初めて弑逆の事実を知った老将軍は、音が聞こえそうなほど奥歯を噛み締めた。


 あの女っ!! なんて事をっ!! 八つ裂きにしても飽き足らぬわっ!!


 怒りに戦慄く老人を余所に、小人さんは小さく嘆息した。


「そうなれば、連座で多くの犠牲者が出ますでしょう? マサハド殿下が善い判断をしてくだされば、こちらも杞憂で終わるのですが、そうも行かないと思いまして」


 この世界で連座は当たり前だ。これ幸いに政敵を貶め根絶やしにするのも珍しくはない。


「そのための保険ですの。いよいよとなれば、武力行使で若者や子供達だけでもかっ拐っていこうかと♪」


 連座で犠牲となる者達を救うため、軍を呼び寄せたのだと少女は言う。


「でも、たぶんお話し合いで上手く行くとおもいますわ。御心配には及びません」


 にっこり微笑む少女に毒気を抜かれて退出した老将軍だが、国防を預かる身としては看過も出来ない。

 彼女は保険だというが、その保険を使わないと言う保証もないのだ。


 かくして将軍は大軍を国境に送ったが、憲兵の様子では意味はなかったようだ。


 あとはマサハド国王に任せるしかない。


 まさか、ここまであの少女の言う通りになるとは。


 まるで未来を見通しているかのような子供に、将軍はえもいわれぬ恐怖を感じた。


 マサハド様、御願いいたさします。アレは敵に回してはならない御仁です。


 祈るような将軍を余所に、この世界初の国際会談が行われる。



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