第95話 カストラート王と小人さん よっつめ
「兄上、僕のお嫁さんはまだ着きませんか?」
「シャルル..........」
「...............」
カストラート王宮で、王太子と第三王子が小人さん対策を話し合っていたところに一人の少年がやってきた。
実際には二十歳近いのだが、その病的な細さと幼気なさが彼を実年齢よりかなり若く見せている。
「申し訳ございません、お止めしたのですが、貴族達の話が部屋にまで聞こえて..........」
追いかけてきた側仕えらが慌てて頭を下げた。
あの阿呆どもが..........
忌々しげに唇を引き結び、王太子は弟の銀の髪を撫でる。
壊れ物を扱うかのように繊細な指は、心なしか微かに震えていた。
「フロンティアの王女殿下は御用があっていらしたのだ。お嫁入りではないのだよ?」
「何故ですか? 父上がおっしゃておられましたよ? 僕のお嫁さんがフロンティアからやってくると。まだなのですか?」
アウグフェルも、ぐっと口を引き結び眼を閉じた。
何も知らぬ無垢な兄。アウグフェルが物心ついた時、何時も共にあってくれた優しい次兄だ。
アウグフェル自身は覚えてもいない。十年以上も前の話。
当時、フロンティアから金髪の王女殿下が輿入れするかもしれないとの話を父王は息子達にしたらしい。
王太子には年回りが悪く、その話は第二王子であるルイスシャルルに回ってきた。
知的障害があり、夢現な次兄はことのほか喜び、僕のお嫁さんっと、ずっと楽しみにしていたのだ。
「僕のお嫁様? ずっと一緒に暮らす御令嬢ですよね? 嬉しいです、ありがとうございます、父上!」
王太子は忘れない。忘れられない、あの笑顔。
十年も前の話なのに、未だに全く忘れておらず、気がつけば城の窓からフロンティアの方を毎日眺めている始末。
そして、アウグフェルがフロンティアで知った事実と照らし合わせてみれば、たぶん父王はフロンティアの王女を拐かし、無理やり花嫁とするつもりだったのだろう。
それが、先の戦いの理由。
何も知らずに無邪気な次兄は、あれからずっと待っているのだ。フロンティアからやってくると言われた花嫁を。
その後ろ姿が切なくて堪らない兄弟二人。
あー、もー、二度と出してやらなくて良いんじゃないかなぁっ?! あんのクソ親父っ!!
現在は王太子の采配で上手く城は回っている。むしろ、あの傲慢な父王の横槍もなく、普段よりスムーズなくらいだ。
アウグフェルが補佐につけば十分国を治められるだろう。
うん、いらね、あの親父。
未だにベソベソとしつこくすがるシャルルに困り果てている王太子を微笑ましく見つめ、アウグフェルはどのようにして父王を玉座から引き摺り下ろしてやろうかと、物騒な事を、満面の笑みで考えていた。
「金色の花嫁様はどこ?」
嗚咽を上げるシャルル。
「あ~~、たしかフロンティア王宮におられるよ? その.......... ファティマ王女殿下は、フラウワーズの王太子様と婚約なさったとか」
歯切れの悪い王太子の言葉を理解しているのか、いないのか。
シャルルは首を傾げて、ぼんやりと窓を見つめる。
「だあれ?それ。僕のお嫁様はチィヒーロ様だよ?」
それを聞いて、王太子と第三王子は、ばっと顔を見合わせた。
そう言えばそう聞いていた。
フロンティアから輿入れする王女殿下は、金色の姫。名前はチィヒーロ様だと。
薄い記憶の糸を手繰りつつ、王女の名前が変わっている事に、ようやく気がついた二人。
「どういう事なんだ?」
「分かりません、おかしいですね」
当時をよく知らぬ彼等でも、小人さんの逸話は知っていた。
フロンティアを探るにあたり、必ずそこかしこに出てくる名前だからだ。
魔物を従えて空を翔る金色の王。それに書き添えられた名前は全てチィヒーロ様になっていたはずだ。
それが何時の間にか名前を聞かなくなり、長く何の音沙汰もなく、いつの間にかファティマという王女殿下の昔話になっていたのである。
そしてここ最近、色々な騒ぎが起こり、再びフロンティアに注目が集まりだした。
国交を断絶しているカストラートには他国経由でしか情報が回ってこないが、その騒ぎの中心は幼い少女。
「名前はたしか..........」
「チィヒーロ・ラ・ジョルジェ。現、伯爵令嬢です。今こちらに向かってきているはずの」
アウグフェルの返事に王太子は、みるみる眼を見開いていく。
その名前には覚えがあった。
「..........父上が仰っていた王女殿下もだ。チィヒーロ・ラ・ジョルジェ男爵令嬢。フロンティア国王陛下の養女となって王女殿下になったと」
「..........っ?! 伯爵令嬢もですよっ? フロンティア国王の後見を受けて仮親由来の王女殿下ですっ!」
これは偶然か?
凍りついた二人の眼窟に隠しきれない疑惑が浮かぶ。
..........魔物を従えて空を翔る、金色の王? 今の伯爵令嬢そのものではないか。
アウグフェルはフロンティアで確認済だ。
少女は魔物達と睦まじく暮らしている。当たり前に空を飛び、馬車を牽かせ、その背中に乗って走り回っていた。
そんな事が出来る人物など限られている。
カストラートで調教する魔物達だって、死なない程度の魔力を与えて無理やり従わせているに過ぎない。
アウグフェルは、何の対価もなく、自由気儘な魔物の群れと遊ぶ少女の正体が垣間見えた気がした。
その正体が、とんでもなく恐ろしい存在なことに、血の気を下げまくる。
僕のお嫁さんと呟くシャルルは、しっかりと覚えていた。花嫁の名前を。
そしてそれが踏み抜いてはならない地雷で、兄弟らを奈落に突き落としたのだとは知らないシャルルである。
忌まわしい過去が引きずりだした新たな情報。
世界中で、フロンティアとキルファンしか知らない秘密を、棚ぼたで手に入れつつあるカストラートだった。
一方その頃、小人さんはヒュリアの家の前。地球でいえは高校の学舎ほどの大きさな屋敷と大きな林をも含んだ広い庭。
門扉も立派で、ヒュリアがなにがしかを門番に話し、その扉を開けさせた。
驚き顔な門番らを余所に、王宮慣れしている千尋は何の怖じ気もなく中に進む。
「デカイな」
やや瞠目して呟くアドリスに、ザックも頷く。
「そうか? 大公家にしては控えめだと思うが」
生粋の侯爵家令息なドルフェンは平然としている。
「我が家は質素倹約が信条ですので」
微笑むヒュリアに得心気なドルフェン。
おまいら、質素倹約を辞書で引き直してこい。
生温い笑みを顔に張り付かせる小人さん。
まあ、こちら事情である。貴族の質素倹約などこんなものだ。
他がどれだけ散財してるか知りたいなぁ。フロンティアなら、臨機応変で要所要所でしか散財しないものね。
経済を回すために金は落とすが、収益の独占や個人の贅沢には眼を光らせているフロンティア。
そういったモノはエスカレートするからだ。
人の欲とは際限の無いもの。私費の範囲にとどまらず、必ず公費や税に手をつける。
にっちもさっちも行かなくなってから発覚したのでは遅いと、フロンティアの役人は常に油断なく市場を監視していた。
なので、同じ貴族でもフロンティアの者はわりと慎み深い。
フラウワーズやドナウティルなどの他国を巡礼したことで、小人さんはアルカディアの現実を理解しつつあった。
フラウワーズはまだマシだったけど、ドナウティルは酷かったよねぇ。
フラウワーズは技術の国だ。平民であろうとも、その腕や経験に敬意がはらわれる。彼らが国の根幹を支えてくれているのだと、王族達も理解していた。
近くにフロンティアがあるからだろう。そういった意識の高さはあった。
それでも根深く蔓延る絶対的な身分差は否めないが。
しかし、次に訪れたドナウティルは全く違った。
身分差などは高尚な貴族達のモノ。平民は人の数にも入らない暮らしぶり。
ある時、マーロウと歩いていたら、気づかなかった下女の一人が傅くのを忘れ、柱の角から姿を現したのだ。
驚き、平伏するも既に遅し。彼女は歩いていたマーロウの前を横切る形となる。
「爪先を落とせ」
平然と言い放つマーロウ。
泣き叫んで許しをこう下女を無言で引きずっていく周りの人々。
呆気に取られて何も言えなかった千尋だが、その後に然り気無くマーロウへ尋ねた。
「あの娘が何を?」
「うん? 俺の前を横切っただろう? 下女の分際で有り得ぬよ」
思わず胡乱げに宙を見つめる小人さん。
何年もフロンティアに留学していたマーロウですらコレなのだ。他はおして知るべし。
ここで押し問答をしても意味はない。
小人さんは件の下女が両足の爪先を切断されて、働けなくなったのを理由に王宮から放逐されたのを知り、こっそりとドルフェンを連れて向かった。
千尋は衂れた足を抱えて踞る下女を探し出し、ドルフェンに癒してもらう。
爪先が復活した娘は、五体投地で小人さんに感謝した。
貴人の不興を買った自分が愚かなのだと。とんでもない無礼を働いてしまったと、さめざめと泣き濡れる下女。
これがアルカディアの世界観なのだ。正そうとして正せるモノではない。
マーロウを責める気もない。それが当たり前で育ったのだから、どうしようもない。
そんな益体もない事を考えつつ、小人さんはヒュリアの招きに応じて屋敷に迎えられた。
居並ぶ使用人達が、一行を仰々しく迎え、カストラートでの夜は更けていく。
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