第96話 カストラート王と小人さん いつつめ
「...............?」
「王子?」
「ここは?」
窓辺に佇んでいたシャルルが、呆けたような顔で振り返った。
まるで夢から醒めたかのように何度も頭を左右に振り、眼をしばたたかせる。
「姫君は.......... もう、何年になるんだ? いったい?」
戦慄く両手を見つめ、彼はガクリと膝を着いた。
なんだ? これは?
ふわりふわりと虚ろな意識が急速に覚醒し、シャルルの脳裏に数多の記憶が乱舞する。猛烈に痛む頭を押さえ、彼は呆然と辺りを見渡した。
近くには心配そうに見つめる側仕え達。
「僕は..........? 父上に.....っ」
驚愕に震えていた黄昏色の瞳が、一瞬で憤怒に彩られた。
たとえようもない怒りに立ち上がり、シャルルは狼狽える側仕えらを押し退けると自分の部屋から飛び出していく。
道すがら王太子の執務室を訪れた、シャルルはダンっと両手を机に叩きつけて兄王子を見据えた。
燻る焔が炯眼な業火となり、あまりに辛辣な眼差しで凝視され、唖然とする王太子。
「兄上..........、父上は何処に?」
何時もの柔らかな物腰のシャルルとは違い、まるで憎悪に魅入られたかのような凄みを醸す弟。
何が起きた?
同席していたアウグフェルも絶句して、豹変した次兄から眼が離せなかった。そんな頃。
フロンティア王宮でも、騒ぎが起きていた。
「わたくしの子を返してっ!! シリル? シリルは、どこっ?!」
後宮を走り回るハビルーシュ妃。側仕えらが声をかけるも耳に入ってはおらず、ただただシリルを探して悲鳴のような叫びを上げる。
「わたくしの子供達はどこっ?! 返してぇぇっ!!」
悲痛な声を聞きつけ、あちらこちらから人々が集まってくる。
事態を知らされた、テオドールとファティマが駆けつけるのは、あとしばらくしてからで、それまでハビルーシュ妃は半狂乱になってシリルと子供達を探し続けた。
「父上は?」
睨めつけるかのような眼差しのシャルルに固唾を呑み、王太子は恐る恐る口を開く。
「塔に閉じ込めて..... フロンティアの王女殿下に何事かが起きては不味いから」
その説明で、ふっとシャルルの眼が和らいだ。それは何時もの彼の瞳。夢現で穏やかな光を浮かべた瞳。
「ああ、そうですね。僕のお嫁様に何かあったら大変ですものね」
雰囲気の戻った弟に、王太子は胸を撫で下ろして質問する。
「いったいどうしたんだ?」
「どうもこうもないっ!! 僕は思い出したのですよっ!!」
ぎょろりと眼球だけを動かして、シャルルは兄を見た。その人間離れした形相に、再び王太子は背筋を震わせる。
そんな兄を余所に、シャルルは口惜しげに奥歯を噛み締めた。
「父上は.....、王女殿下を奴隷のように鎖に繋ぎ閉じ込めるおつもりだったのです」
予想外の言葉に、思わず顔を見合わせる王太子とアウグフェル。それを一瞥し、シャルルは過去のあらましを語る。
彼の話は、とんでもないモノだった。
「そんなことはダメですっ、父上っ!」
「うるさいっ! そなたはワシの言う通りにすれば良いのだっ!」
十年ほど前、シャルルは父親に連れられて塔の最上階へ案内される。
そこは本来、問題のある王族などが幽閉されるための塔だ。
何故こんなところに?
訝るシャルルは、それなりに整えられた広い部屋に案内される。
仮にも王族のための部屋だ。当然、足りないモノがないよう準備されており、居心地は悪くない。
だがそこには、罪人用の長い鎖とゴツい足枷も寝台についていた。
用足しや入浴に不便の無いよう長い鎖。片足だけだが、高貴な者が繋いで閉じ込められるというのは耐え難い屈辱だろう。
痛ましげに鎖を見つめるシャルルの横で、カストラート王は信じられない言葉を吐いた。
「フロンティアの王女の部屋だ。そなたは通うだけで良い」
シャルルは耳に入った言葉が信じられない。
僕のお嫁様を、ここに?
背筋を這い上る凍てつく悪寒。思わずブルリと身体を震わせ、彼は父親を見上げた。
如何にも満足そうに部屋を見渡すカストラート王。
「嘘ですよね? 僕の妻をここに?」
「形ばかりの妃だ。実際には塔から出さぬ」
見開いたシャルルの瞳が大きく揺れる。
「姫が年頃になれば兄弟で使えば良い。お前の妻というのは名目で、実際にはただの奴隷よ。王家の子を作れるなら誰でも良いのだ。.....ワシでもな」
にやりと下卑た笑みを浮かべる父親に、シャルルは凄まじいおぞましさを感じた。
まるで全身を虫が這い回るような気持ち悪さに、思わず両手で己の身体をさするシャルル。
僕のお嫁様を? バカなっ!!
「そんなことはダメですっ、父上っ!」
必死にとりすがる息子を煩わしげに振り払い、カストラート王は殴り付ける。
大きな音をたててシャルルは螺旋階段の踊り場に転がった。
「うるさいっ! そなたはワシの言う通りにすれば良いのだっ!」
そう言いながら、カストラート王は倒れたシャルルの横腹を何度も蹴り、それでも言う事を聞かず、やめてくれと懇願する息子に薬を盛ったのだ。
己の言いなりにさせるために、シリルの洗脳薬を。
話を聞いた王太子らは言葉もない。
物心ついた頃の話だ。当時、シャルルはまだ六つほどだった。
王太子は、蒙昧になった弟が知的障害なのだという父親の説明を疑っていなかった。
「なんてことだ.....っ! それで? 今は大丈夫なのか?」
心配げに抱き締められ、シャルルは小さく頷く。
「どうしてかは分かりませんが。薬効が失われたようです。今までの記憶が鮮明に戻りました。断片的なモノもありますが、たぶん、全て」
「あああ、良かったっ!」
夢現であっても知識は蓄えられる。素通りする訳ではない。
ハビルーシュ妃が妃然としていられたように、シャルルも王子としての知識や作法は身に付いていた。
だからこそ許せない。
シャルルの未来を奪い、無為に人生を浪費させた父親を。
シャルルは兄らから父親の居場所を聞き出し、真っ直ぐに塔へと向かう。
いきなりの事に訳も分からず、王太子は侍従らにシャルルの環境を整えるよう指示した。
いくら記憶が戻ったとはいえ、足りない事も沢山あるだろう。今までの分を取り返させるためにも、師を斡旋しなくては。
あのロクデナシがっ!
心の中で父親を毒づく王太子は気づかない。シャルルの変貌に。
だけどアウグフェルは気がついた。そして沈黙する。
シャルルの瞳に宿った、どろりと渦巻く本物の殺意。
確たる意思を持ち踵を返したシャルルを黙って見送り、アウグフェルは王都の冒険者ギルドへ向かった。
後始末くらいは手伝わないとな。
殺伐とする弟達に気がつきもせず、王太子はシャルルのために奔走する。
如何にも長男気質な王太子が事態に気づいたのは、全てが終わってからだった。
「んー? え? ハビルーシュ妃が?」
国交断絶しつつもカストラートにはフロンティアの間者がいる。
諸外国と違って情報伝達速度が秒なフロンティアの暗部は、フロンティア王宮の異変をすぐに小人さんに伝えた。
「今は落ち着いておられるようですが。一時は発狂されたのではないかと思うほどの乱れようでございましたね」
カーテンの陰に潜む間者は、淡々と報告をする。
「ほむ。まあ、大事なかったなら、良かったにょ」
「何が起きたのでしょうね?」
怪訝そうなドルフェンを一瞥し、小人さんは小さく呟いた。
大体の予想はつく。
「たぶん、シリルの洗脳薬の効果が消えたんだよ」
「「「え?」」」
飛び出した異口同音の疑問符はドルフェン、ヒュリア、アドリス。ザックは然して興味も無さげである。
それを一瞥して、さらに小人さんは説明を続けた。
「チェーザレが薬草の理をズラしたって言ってたでしょ? それで、洗脳されてた人達の薬効も無害化されたんでないかなぁ」
あっとばかりに顔を見合わせる小人隊の面々。
小人さんの説明に得心顔で瞠目する小人隊が、公爵邸で頷き合っていた頃。
カストラート王宮の一室でも眼を見開き、顔を強ばらせる者がいた。
「ワシは.....? いったい?」
寝台に鎖で繋がれたカストラート王は限界まで眼を剥き、脳裏に甦った記憶の数々に全身を粟立たせる。
愚かな妄想に取り憑かれ、散々やらかした失策。
「ワシが.....? 何故.....っ?!」
戦き頽おれるカストラート王。
それを嗤う何者かが、うっそりと笑みを深めた事を、カストラート王宮の面々はもちろん、小人さんも知らない。
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