第110話 小人さんと海辺の森 やっつめ


「まだ春先なのに暑いね」


「汗を拭いてくださいませ。陽が落ちると寒くなりますから」


 暑さで眼がさめた小人さんは、のたのたと馬車の窓から外を見る。

 外には見張り数人を立てて天幕があり、そこで小人隊の皆が寝ていた。

 日差しを遮るだけで温度は変わるが、蜜蜂らの冷風は水の気化熱を利用しているため、内部の湿度が上がるのだ。

 そのせいで体感温度も上がり、地味な寝苦しさを覚える。


 あれだ。日本の蒸し暑さ。


 陽が落ちれば、むしろ乾燥した外の方が涼しい。

 遠くに滲む夕陽をながめながら、小人さんはタープの下の椅子に座った。

 すでに起きていたアドリスとザックが夕食の支度をしている。夕食というか、朝食と言うか。寝起きでふにゃふにゃな小人さんは、美味しそうな匂いに鼻を鳴らした。


「今日はトマトスープかな? いや..... これはミネストローネの匂い.....」


 漂う匂いに混じるセロリの香り。一種独特な苦味の混じる野菜の匂いを嗅ぎわける小人さんに呆れつつ、ヒュリアが果実水を運んでくれた。

 それを飲む千尋を、遠くからじっと見つめる和樹。


 弓に弦をかけながら、見張り数人で済む夜営に驚いていた。


 通常であれば半数は見張りに立つ。見晴らしの良い砂漠や荒野で、土地勘の薄い旅人は絶好の獲物。物取りや専門職の盗賊に襲われる事も珍しくはない。

 なので半数ずつで見張りに立つ。何か起きても半数もいれば大抵の事に対処可能だからだ。

 だがフロンティア一行には、モノノケ隊と呼ばれる魔物部隊がいた。

 これがまた規格外で、千尋を中心に人間達を守ってくれるのだ。魔物がである。ここ十日ほどフロンティアの人々と行動を共にしているが、あちらはまるで警戒している様子がない。


 完全に仲間か家族やな。魔物だぞ?


 だが、その魔物達が親切で親身な事も知っている和樹。

 あちらのついでなのだろうが、魔物蜜蜂は和樹らのキャラバンでも冷風で活躍してくれていた。

 さらには見張りの蜘蛛や蠍達も和樹のキャラバンを含んだ範囲を当たり前に散策している。


 今日も今日とて運ばれてくるスープ。


 ぶい~んっと飛んできた蜜蜂から鍋を受け取り、ありがとうなと頭を撫でてやる和樹。


 慣れとは怖いものである。


 カストラートの大惨事でトラウマ化していた和樹の部下達の魔物への恐怖。それを、ほんの数日で癒してしまったモノノケ隊。

 元々、魔物販売も請け負っていたため、そういった魔獣にも理解があった和樹のキャラバンだが、狂化した魔物を見たのは初めてで、その恐ろしさを目の当たりにし、個人差な範囲の過剰反応が起こっていた。

 怯え、うなされ、無意識に凍りついた眼差しでモノノケ隊の魔物を見つめていた部下達。


 しかし、それも数日。


 気づけば隣にいる魔物に、いちいち怯えるのにも疲れたようで、今は力無く笑いながらわしゃわしゃ動く彼等を傍観していた。


 ある意味、逆療法の荒療治。


 以前、同じことを小人さんが千早にやろうとしてポチ子さんに止められたが、意図せず同じ状況になった和樹のキャラバンの面々は、恐怖より達観が勝り、あるがままを受け入れていた。


 今では、蜜蜂の冷風や運んでくる何かを楽しんでいる始末である。


「今日のスープは何っすか?」


 和樹は、わらわらやって来た仲間と鍋の中身を確認する。蓋を開けた途端に溢れる美味そうな匂い。

 小人さんから食事はどうするのかと尋ねられて、和樹は自分らで賄うから大丈夫だと答えた。

 それで幾つかの話をして、どうせついでたがらと汁物のみフロンティア一行が作ってくれる事になったのだ。

 焼き物は串で焚き火の周りに刺しておけば勝手に出来上がるが、汁物は別の焚き火で付きっきりに作らねばならない。薪も食うし作らないと和樹は答えた。

 魔道具に使う魔法石は貴重だ。さらにカストラートの一件で大量に消費してしまった和樹のキャラバンは、現在、資金に困窮気味である。贅沢は敵だ。

 フロンティア側は複数の竈があり、パンやローストも簡単にやれるらしく、汁物だけでもと勧めてきてくれた。なので、ありがたくいただいている。


 ふわりと漂う酸味のきいたトマト風味。


「おー、トマトスープかぁ。美味そう」


「ニンジンとタマネギと..... これは?」


「セロリだ。良いモノ使ってんな」

 セロリは水分が多くて痛みやすい野菜である。それを携帯して料理に使える財力、技術力。畏れ入るしかない和樹だ。

 しかも肉厚ベーコンのゴロゴロしたミネストローネ。もはや、これだけでオカズになるだろう。

 和樹らはスープを器によそい、切り分けたパンを添えて仲間に配る。


「うっまぁ~っ!」


「ホント、美味いよなっ! こんな御馳走ばかり食ってんのかよ、フロンティアって」


「料理人の腕もあるんじゃないか? ほら、二人も連れてるし」


 和樹と数人以外は、渡り歩いた国々で拾ったメンバーだ。だから、この料理を知らない。


「ミネストローネですか。懐かしいですね」


「だな」


 久しく口にしていないが、出奔した祖国では日常的だったスープ。


 日本人らが作ったキルファン国に、度々訪れる尋ね人らの多くは飽食世代。

 数多の料理が伝授され根付いていた。むしろ魔改造されて、キルファン国を席巻する。


 懐かしいな。


 国をおん出てから八年か。もう、すっかり変わっちまっただろうなぁ。


 和樹はキルファン貴族の三男坊。親に言われるまま転移したフロンティア北の荒野で、彼は途方に暮れた。

 金色の王と克己の采配によって建国されていく国。皆が一丸となって再建しようとする祖国が形となり、軌道に乗った頃。


 和樹は世界を見たくなったのだ。


 小さな大陸に押し込められる形で存在していたキルファンでは、商人以外、外の世界へ出る事は許されていなかった。

 小さな大陸は豊かで、他の国の助力を必要としていない。むしろ他の多くの国がキルファンの技術を必要として群がってきた。

 そういって訪れた人々から聞く外の世界の話に、和樹は興味津々。

 魔物や魔法。キルファンにはない冒険譚などがそこにはある。

 見渡す限りの砂漠や荒野。辺境にのみ存在する魔物や魔獣。氷に閉ざされた大地に、炎を上げる山。

 特に辺境の国々は特色が強く、色々な文化を持つらしい。


 ワクワクと眼を輝かせて、外の世界へ強い憧れを持った少年時代の和樹。


 フロンティア北の荒野に立ち、彼は忘れかけていた少年時代の己が全身に漲るのを感じた。


 新たな土地、新たな時代、新たな世界。


 によによと口角をひきつらせ、和樹は全力で祖国の再建に勤しんだ。


 そしてある程度落ち着いたところで、行商人をやると言い出したのである。


「貴族としての役目は十分果たしたと思う。あとは好きに生きさせてくれ」


 そう宣う息子に、両親は呆れた顔をしながらも頷いてくれた。和樹は三男だ。家に縛られる必要もなく、貴族としての責務も軽い。

 だが、黙っていられないのは周りの貴族達。

 小人さんの断罪で多くのキルファン貴族が奴隷落ちした。足りなくなった貴族を補うために、新たな貴族による復興が必要で、仮にも翁の血筋である侯爵家の和樹には、是非とも伯爵なり子爵なりの家を作ってもらいたかったのだ。

 四六時中、和樹に押し掛けてきて説得にあたる貴族らにウンザリし、彼は夜遅く、こっそりと一人で家を飛び出した。

 その和樹に気付き、後を追ってきたのが目の前の二人。和樹の幼馴染みの側仕えだった。


「奥様と旦那様には報せておきましたよ。これを持っていけとの事です」


 二人に渡されたのは金貨と宝石の詰まった皮袋。今のキルファンでは大金だ。


「今のキルファンでは社交や何かがあるわけでもなし、使いなさいと。それと子供が出来たら見せに来なさいねと仰っておられました」


 つまり、子供が出来るまで帰って来るなということか。

 皮肉の聞いた言伝てに、和樹は眉を寄せた。

 その頃になればキルファンも変わっているだろう。ある程度の戒律や階級が定まり、和樹に変なアプローチはしてくるまい。


 不器用な親心をありがたく頂き、和樹は二人を伴って世界へと旅だったのだ。


「子供どころが嫁もいないが..... 一度、キルファンに帰ってみようか」


 スープをすすりながら独りごちる和樹に眼を見張り、元側仕えだった二人は顔を見合わせた。


「そうですねっ、旦那様らも気にかけておいででしょうしっ!」


「良いと思いますっ! 孝行したい時に親はなしなんて事にならないうちにっ!」


 グイグイ来る二人に苦笑し、和樹はフロンティア一行と共に帰国するのも悪くはないなぁなどと暢気な事を考えていた。


 .....まさか、それが地獄の入り口への招待状とも知らずに。


 後日、小人さん一行に多大な貢献をした和樹は、賓客として招かれ、故郷に錦を飾るのだが、それはまだしばらく先のお話♪

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