第16話 城下町と御菓子と小人さん ~後編~


「ああ、これだぁ、おいしー♪」


 あーんと大きな口を開けて、うまうまするのは小人さん。

 その手の中にはオレンジ色の濃厚なカボチャプリン。

 ザックは九年ぶりにカボチャプリンを作った。微かに指が震えたが、ファティマの幻覚は見えない。

 彼の中で、小人さんは金髪から黒髪に変化し、その御仁は目の前でザックがプリンを作るのを眺めていた。

 あの頃と変わらない、好奇心の煌めく大きな瞳。貪欲に何物をも呑み込む醸された覇気。他の誰にも真似は出来ない、その雰囲気。


 ああ、本当に小人さんだ。


 きゃっきゃと楽しそうに味見を加えながら、プリンが蒸し上がるのを待ち、粗熱の取れたソレをガシッっと掴んで、そのまま食べようとする小人さん。


「いや、頼むから仕事させろよっ、そのまんま食うなっ!」


「うにゃ?」


 俺はパティシエだ。小人さんが、そう言ったのだ。のまま食べさせるなど、その矜持が廃るではないか。


『御菓子やデザートを作る専門の料理人の事だにょ』


 ザックは保冷箱でプリンを冷やし、その間にデコレーションの用意をする。

 生クリームに、フルーツ。それを飾り切りにして、さらに試験的に作っていた粒を取り出した。

 冷えたプリンを白い陶器の器に出して、用意したモノで飾り付ける。

 縁に絞り出した生クリームの上にクラシルのリンゴと花開きしたブドウ。

 砂糖で作れるようになったカラメルを垂らし、その上に例の粒をパラパラと落とした。

 ザックの鮮やかな手並みに見入っていた小人さんは、その粒にも目を見張る。


「アラザン....?」


「そう。覚えてた?」


 件の粒は砂糖菓子のアラザン。これや、細かい粉末にしたパウダーシュガーなど、御菓子のデコレーションの話もよくしていた。

 カラフルで甘いのだとの説明だけで、ザックは試行錯誤し、多くの試作品をつくったのだ。

 御菓子の事を考えている時だけは、小人さんの幻覚も現れなかったから。

 その分、完成した時には、喜ぶ小人さんの幻影にまとわりつかれ、酷い虚無感に翻弄された。


 そんな虚しい日々も終わる。


 腸が捩れるような嘔吐感や、背骨を抜かれたかのような虚脱感。そんなモノとは、ようやくおさらばだ。


「よし、出来た」


 テーブルの上には立派なデザート。


 眼にも鮮やかな橙のプリンを生クリームが囲い、生クリームの白に映えるリンゴの赤とブドウの紫。

 斜めに垂らされたカラメルの飴色も美しく、その横には一口サイズのパウンドケーキが数個添えられ、かけられたカラメルがしっとりと染み込んでいた。

 そしてふと千尋は、そのケーキに違和感を抱く。

 デコレーションに使われた残りをひょいっと口に入れて、彼女は目を見張った。


「これ.... フィナンシェ?」


 パウンドケーキより肌理が細かく、焦がしバターのふくよかな香り。

 流石とばかりにザックは頬を緩め、大きく破顔し頷いた。


「お見事。やっぱ分かるか」


 信じられない。


 憮然と小人さんはザックを見上げる。


 どの話も一度か二度しかしていない。それも大まかなディテールを説明しただけだ。

 それだけで、彼は試行錯誤を繰り返して、この御菓子を作ったのだ。

 天賦の才に恵まれたとしか思えない出来ばえである。


 過去の小人さんは、誰でもない、唯一無二の天才菓子職人の卵に出逢ったのだ。


 これこそ、天の配剤。


 しかし小人さんは知らない。


 小人さんへの並みならぬ執着こそが、彼の才能を花開かせたのだと。


 小人さんならどうするか? 彼女なら?


 今はなき幼女の幻影こそが、狂気にも似た製菓への執着をザックに持たせた。

 結果、彼は類稀な才能を開花させたのである。

 失意に奈落を這いずり回ったザックに残った、唯一の僥倖だっただろう。


 足を小刻みに踏み鳴らし、わちゃわちゃとテーブルに着く小人さん。

 昔と変わらず、懐かしい快活な笑顔。


 その満面の笑みが尊い。


 ああ、このために俺は製菓を続けてきたんだなぁ。


 千尋に倣い、席に着いた千早。


 その二人の前に、カボチャプリンを出して、ザックは至福の笑顔を浮かべた。


 あまりの美味さに目を見張る双子。


 まぐまぐと頬張る二人を見て、ザックはある決断をする。

 薄く弧を描くその眼には、仄かな昏さを含んだ妖しい光が灯っていた。




 後日、王宮の厨房にザックが現れる。


 元々、王宮専任のパティシエとして引き抜きの話が来てはいたのだ。

 だが小人さんの居ない王宮に興味のないザックは、にべもなく断っていた。

 ファティマが小人さんでない事も気づいていたザックである。

 全くの別人だと言い切ったザックに、ロメールやドルフェンは驚愕を隠せなかったものだ。


 そのザックが、条件つきで王宮の誘いを受ける。

 城下町の店は、今まで共にやってきた孤児院出身の弟子達に譲り、思い切り良く王宮へと向かうザック。

 その顔は憑き物が落ちたかのように、清しく晴れやかである。


 そして彼の出した条件。


「伯爵家に住みたい。基本は伯爵家のパティシエでいたい」


 つまり、王宮でデザートを作るのは、そのついで。

 元々、ドラゴの内弟子のような者だったザックのお願いを、ドラゴは快く受け入れ、王宮に華やかなスイーツが出回るようになった。


 御婦人方を瞬く間に魅了する数々のスイーツ。ザックは、あっという間に己の力量を示し、王宮の厨房になくてはならない人間となった。


 見目も整った若い料理人。彼のスイーツに入れ込んだ御婦人らから、熱い眼差しや誘いなどもあったが、その全てにザックは唾棄するが如くあからさまな嫌悪を向ける。


 そんな彼の冷淡な態度は問題にもなったが、気質な職人とはそんなモノだと誰もが呟いた。


 氷の彫像のように冴えた眼差しの菓子職人。まことしやかな定評をザックが受けるようになった頃。

 伯爵家の庭で双子の抱える果物を受け取る彼がいた。


「ああ、良い出来だな。何にする?」


「コンポートっ!」


「えーっ、パイが良いよぅっ」


 右手を挙げてコンポートと叫ぶ千尋に、千早が反論する。


 それに頷き、ザックは両方作ろうなとリンゴを受け取った。


「砂糖があると作れる物たくさんあるねっ、作りたい物も、一杯だよっ」


 ぴょんぴょん跳ねる小人さんを眩しそうに見つめ、ザックは大きく破顔する。


「ああ、作ろう。御嬢の食べたい御菓子は、全て俺が作るよ」


 氷の彫像も溶ける魔法の庭。


 ザックに御執心な御令嬢方々がいたら、悋気で見悶えるような艶やかな笑顔を浮かべ、ザックは小人さんとの二度めの人生を歩き出す。




 もう絶対に失うまい。




 過去には、ザックの知らない間に小人さんは消えてしまった。


 今度は絶対に離れない。地獄の底にだろうとついていく。


 彼の眼に灯る狂気の欠片。


 その仄昏い光に気づかないまま、小人さんは充実した甘味生活に喜んでいた。


 ちょっと妖しげな眼差しが泳ぐ伯爵家の庭で、甘い御菓子に囲まれて。


 今日も小人さんは元気です♪

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