第172話 エピローグ・深淵

「.....これは?」


『我の御先と御遣いだ.....』


 神であったチェーザレは知らなかった。その世界の神が集めた祝福を使い起こせる奇跡を。これは神に名前を与えた御先にだけ与えられる啓示。




 どのような難題であろうが、必ず叶う儀式。切実なる祈りにより起こる、神の祝福と六体の贄が必要な妙なる御技。


 贄は力ある者とされるが用意は可能。しかし、神が顕現しておらねば行えない儀式を、神が顕現出来なくなってから啓示として与える高次の者らの狡猾さよ。


 それは地上に神がいてこそ起こせる奇跡だ。しかも足りない分の力を誰かが、購わねば発動しない儀式。

 さらに神に名前を与えた後では、知っても使えない。名前を受けた神は下界に降臨出来なくなるのだから。


 高次の者達による、嫌らしい仕組み。


 しかしあの時、与えられた啓示を使える一瞬があった。

 導師をアルカディアに送るため、高次の者によって、流転した少年神が滅びるヘイズレープに顕現した時だ。


 今なら神が顕現した時にのみ使える奇跡の御技が使える。


 鬼のレギオンはそれを説明し、少年神に祈りを集めようと奔走する。

 人々の祈りや願いが集まらねば、祝福とする力がない。

 話を聞いた少年神も、各地に顕現し、死に物狂いで奇跡を起こした。

 人を癒し、大地を浄化し、木々を萌えさせる。


 それでも..... 祈りは半分も集まらなかった。


 疑心暗鬼に陥り、欲望渦巻き、修羅の地と化したヘイズレープには絶望ばかりが蔓延していたのだ。


 すでに救いようもない状況。だからこそ高次の者らは少年神を流転させたのだろう。


 戻しても未来は変わらないから。


 唸るような慟哭を迸らせるレギオンや御遣い達。そんな彼らに少年神は闇の魔結晶を手渡した。


《これに、我の全てを封じてある。我は奴等の手駒であるが、絶対に奴等を許さん。必ず復活して眼にものを見せてくれようぞ。.....だから、頼むな》


 砲撃による砲撃で揺るぐ大地を余所に、少年神はアルカディアへのゲートを開いた。


《逃げよっ! そなたらも、早ようっ!》


 そこには、少年神を信じて、御先らと共に行動してきた少数の人間達。


『.....申し訳ない。本当に..... ごめんなさい』


 しとどに濡れる人々。彼等は大戦を察知し、小島にシェルターを作って、後に生き延びるはずだった者達の一部だ。


《よいのだ。そなたらは、ようやった。おかげで、幾らかの人々は地下に生き延びられよう》


 轟く爆音が激しくなり、炎が大地を舐めるように押し寄せてくる。


《逃げよっ! そしてアルカディアの世界に伝えるのだ、神々は絶対ではないとっ!!》


 全ての者をゲートに送り込み、少年神は全身を焼け溶かされながらも扉を閉じた。その最後の瞬間、眉を寄せつつ微笑んだ少年神。


《主様あぁぁーーっ!!》


 無情にも閉じられたゲートは消え、その場にいた者らは誓う。


 .....神々に叛逆を。




《こんなことを..... 我が望むと思うてか》


 金色の環が完成した時に上った七色の光。あれは、力をしめしたモノだった。上がった光は三本。つまり残り三本分の力が足りない。

 それを理解したヘイズレープの御遣い達は、来るべき時に己を差し出すつもりで、小人さんからの御遣いの誘いを断ったのである。

 彼女の御遣いとなってしまうと、こちらの異変が小人さんに伝わってしまう。あの聡い娘のことだ、複数のそれに気づけば無意識に儀式を中断してしまうかもしれない。レギオンのみなら、僅かな違和感で済む。


 今度こそ、主様の幸せな未来を.....


 扉の裏で、彼等が満足気な笑顔を浮かべていた意味を、今は知らないチェーザレだった。




《これは、どういった事だ? アブダヒール》


《まだです。まだ終わってはおりません》


 訝しげな鬼に柔らかな笑みを浮かべ、アブダヒールは金銀妖瞳を煌めかせる。


 はるか昔の彼は、魔物でない頃のレギオンに拾われた貧民だった。

 飢えて路地に転がっていた所をレギオンに救われたのだ。

 そして従者となり、成人したころに御遣いとなった。

 親に見捨てられ、死を待つばかりだったアブダヒールがレギオンを慕い、その教義に傾倒していくのは自然な流れ。


 そうして御遣いとなったアブダヒールに、レギオンは心の内を語ってくれた。


 いずれはレギオンの主がアルカディアに復活するだろうこと。そして再び神々に弄ばれるだろうこと。そうならぬよう、アルカディアの大地に闇の魔結晶を育てて、力になりたいこと。


《今度こそ、主様をお幸せにせし申したいのだ。.....この命にかえても》


 悔恨に苛まれる鬼、レギオン。


 それを見つめ、アブダヒールも誓う。


 自分にとっては、命を救ってくれたのはレギオンだ。教育を施し、あらゆる生きる術を叩き込んでくれたレギオンこそがアブダヒールの主である。

 教義の中にしか出てこない神より、ずっと大切な人だった。


 .....だから。


 何か起こるなら、全身全霊をかけてレギオンを救おう。


 そうして、今、アブダヒールはレギオンの前に立っていた。

 高次の者らの作った障壁である奈落で裁断されたら、たとえ御先の魂であろうともひとたまりもない。


《今しばらくお待ちください。きっと、あの子供はやってくれます》


 地底湖の森は深淵に一番近い森。


 小人さんの御遣いとなったアブダヒールのすぐ隣で次元が割れ、そこに現れた人々が大声を上げた。


《おいっ! 小人さんとやらは無事かっ?!》


 立派な角を頭の左右に生やした美丈夫。まるで貴族のような豪奢ないでたちに、鋭く炯眼な瞳。唸るように歪められた唇からは鋭利な牙がのぞいている。

 それと共に、わらわらと押し寄せてきた人々に面食らうフロンティア騎士団。

 騎士達は取り敢えず今の状況を説明し、それを聞いた一団は、深淵への割れ目に駆け込んでいく。

 先に現れた美丈夫も駆け出したが、その彼の腕をアブダヒールは掴んだ。


《次元を割るお力を見ました、もしや、死の世界へも路を通せましょうや?》


《なんだ、そなたは》


 片目を剥き、睨み付けてくる美丈夫に簡単な説明をし、アブダヒールは大切な人がいるのだ、まだ間に合うかもしれない、何とかしたいと切実に訴える。

 それを聞いた男性はしばしアブダヒールを見聞してから、愉しげに口角を歪めた。


《よかろう。そこな次元より入るが良い。あちらは魔界。こちらの理とは別で、世界の死に干渉出来る場所よ》


 その言葉に眼を輝かせ、アブダヒールは男性のつけてくれた案内人とともに、魔界から黄泉比良坂を駆け上ってきたのだ。




《では、そなたは、そのために金色の王を利用したのか?》


 アブダヒールの説明に驚きを隠せないレギオン。


《わたくしの主様は、あなた様お一人です。あなた様の御遣いのままでは、いざというときに動けないと判断し、金色の王に仕えました》


 あの王は情に篤い。アブダヒールが必死に頼めば、きっと力になってくれただろう。そういった打算的な思惑で盟約した。


《きっと、あの王はやり遂げます。だから、しばしの御待ちを》


 アブダヒールの言葉に頷くレギオン。彼は後にその判断が英断だったと知る。




《主様.....?》


『レギオンか? まさかっ! 本当にっ?』


 驚愕に打ち震える二つの双眸。


 あれから高次の者らが封じられ、奈落に張られていた風魔法のカラクリが消えたため、レギオン率いる御遣い達は無事に深淵へと降りてきた。


 そして奇跡の邂逅。


 抱き締め合う二人の足下で、脱け殻となったモノノケらの屍が霧散する。

 さらさらと宙に溶けていく屍だったモノを見つめ、克己は破顔し、フロンティア騎士団と共に現世へと戻った。

 克己を断罪しようとしていた高次の者らが居なくなったのだ。風前の灯だった彼の命の蝋燭は、これからも明々と燃えることだろう。


 こうして深淵にも平穏が訪れ、奈落がフリーパスとなったのを知ったツァトゥグアが珍しく動揺した。


『アレが無くなったって?! マジかぁぁーーーーっ!!』


 .....と、ドップラー効果を残し、疾風のごとく駆け抜けていくツァトゥグア。


《あれの狼狽える姿なぞ初めて見たわ》


 うつろわぬ者と呼ばれる知識の探求者、ツァトゥグア。


 驚きくらいはするが、常に冷静沈着な彼に何が起きたのか。訳が分からないまま、転がるように駆けていくツァトゥグアを見送るモールドレだった。


 その頃、深淵の網にあったジョーカーの精神体は、体長五メートルにも及ぶ巨大な体躯を戦慄かせ、ズシンっと音をたててうずくまる。




《身体が.....っ、があぁぁっ!》


 呻くジョーカーの背中が割れ、めきめきと鈍い音を響かせながら何かが這い出てきた。

 それは蜘蛛。ジョーカーよりも二まわりほど小さな蜘蛛が、ミチミチと肉を絡ませながら蠢いている。飛び散る体液を振り払い、その蜘蛛は呆然と己の両手を見つめていた。


《身体.....? 人の身体が?》


 蜘蛛の胴体の上には人間の上半身。瞠目する女性の裸体が蜘蛛の上に生えている。

 漆黒の長い髪と真っ赤な瞳。その左目は金色の輪郭を持っていた。


 この姿には見覚えがある。あれだ。地球世界でも有名だった蜘蛛の異形。


『アラクネ?』


 びしゃりと濡れそぼった髪を絞り、髪を掻き上げる美女。通った鼻梁に薄い唇を持つそれは、間違いなく人間の形をしていた。


 物珍しそうに両手を動かして指を視線でなぞり、ジョーカーは物憂げに眼をすがめる。


《いったい何が起きて.....?》


 訝しげな彼女の呟きに答える者がいた。


《.....ナクア?》


 もはや朧気でしかない遥か彼方の記憶。


 それが雪崩のように巻き起こり、ジョーカーの脳裏に溢れ出す。忘れる訳がない、懐かしい声。


《ツァトゥグァ.....?》


 振り返った彼女の眼に映ったのは、洋梨に手足が生えたような生き物。ハリネズミみたいな独特な体毛をした生き物は、不思議そうに辺りを窺う。


《いや、これなに? 凄い事になってるじゃない? どしたの? その姿》


 ぽややんと首を傾げる生き物に飛び付き、ジョーカーは雄叫びを上げた。


 ここは深淵と現世の間。ここまで来られたということは、奈落に張られたカラクリが壊れたということである。


《良かったっ! やっと自由になれたのだなっ、ツァトゥグァっ!!》


《深淵でもけっこう自由にしてたけどね。でも、君に逢えないのは辛かったかな》


 深淵深くに囚われた虜囚、ツァトゥグァ。終わらぬ孤独と無限の虚無に襲われる彼を救ったのは、唯一無二の友、アトラク=ナクアの存在だった。

 闇を渡り僅かな会話しか出来なかった幾星霜。


 小人さんが闇の精霊王に名付けをした事で深淵にも世界が出来つつある。そして高次の者らを閉じ込めたことで深淵が解放された。

 さらには天上界を小人さんが手に入れたため、その影響から深淵にも世界が出来つつあったのだ。


《深淵の中なら自由に動けるようになったよ? 心配をかけたね、ナクア》


 腕の中で泣きじゃくるジョーカーの背中をポンポンと叩き、大きな眼を細めるツァトゥグア。


 知識の探求者、ツァトゥグァ。


 巨大なハリネズミに猫耳をつけたような彼の豊富な知識を求め、小人さんが深淵の常連になるのは数百年も後の話。


 それまで、二人は協力して深淵から現世を守ることとなる。


 こうして全ては丸く収まり、世界はひとつとなった。




『つまりはあれか。奈落のカラクリが無くなったから、他の世界のヤバい奴等が落ちてきて、さらに融合し、とんでもない化け物が生まれる可能性があると』


 サファードの言葉に、ツァトゥグアが大きく頷く。


『そそ。だから、僕の探求を邪魔しないよう君らに撃退しといて欲しいの』


『なんだ、それは。我等は木っ端ではないのだぞ』


 仏頂面で呟くのは、レギオン一同を引きつれるチェーザレ様。


『おまえのオタ活を支援する義理はないが、ボニーの世界は守らないとな。怒りの葡萄でもきどるかね』


『.....ルクレッツッアのためならば仕方無い』


 力強い援軍を得て、新たな時代を迎える深淵。


 小人さんという鎹によって、アルカディアの時代は大きく変化していった。


 愉快、痛快の冒険劇が終る気配はない♪


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