第133話 これが噂の悪役令嬢


 大地と大気を揺るがす爆発が重なるように鳴り響き、大量の土砂が巻き上げられ土煙が辺り一帯を覆い隠す。

 教会の聖典に謳われる世界の終末を告げる鐘が鳴り響いたのだと祈り始める者すら現れたほどのものだった。


「天変地異か!?」

「こ、この世の終わりだ!!」

「バカ! 狼狽えるな!!」

「どうどう!」

「お、落ち着け!! 暴れるな!! くそ、馬が!!」

「畜生、なにが起きたってんだ、いったい!!」


 双方の兵士が爆発によって混乱に陥り、同時に錯乱状態となって暴れ出した馬を必死で宥めていく。訓練を受けた兵ほど立ち直りは早いが、明らかに精彩を欠いていた。


 もしもあれが自分たちを巻き込んでいたら……。まともな死体も残らないと容易に想像ができる威力に、両軍へ恐怖が伝播していく。


 予期せぬ事態を受け、呆然とした兵士たちが見守る中、次第に視界が晴れて行く。

 そして露わとなったのは、エスペラント・ヴィクラント双方の間に跨る空白地帯に生み出されたクレーターの群れ。荒れ狂う強力な破壊のエネルギーの痕跡が大地に刻みつけられていた。


「な、なんだどうした!? 敵の戦術級魔法か!?」


 顔色をより一層青くしてレオナルトが叫んだ。戦場経験に乏しい彼が、驚きのあまり椅子から転げ落ちなかったのは奇跡に等しい。


 いっそ負傷して後送された方が良かったかもしれないな。ビビりまくっている主人に対してフォルカーはそう思ってしまった。


 ここまで自分にはヒューゲル家に忠誠心がなかったのだろうかと不思議に感じるも、非常時であればあるほど求められる思考も変わるものだと無理矢理を納得させる。あるいは、辺境伯家に恩義こそあれどレオナルト個人に対しては然程なかったのかもしれない。


 主従の思惑が見事にすれ違っていく中、視線をさまよわせたフォルカーが新たな存在の登場に気付く。


「ご当主、あれを」


「な、なぜアルスメラルダ公爵家の旗がここに……!」


 レオナルトの表情が凍りついたように固まった。彼が見たものは、どう考えてもこの場にいるはずのないものだったからだ。


「……いえ、微妙に違います。たしかあれは──」


 目を凝らしていたフォルカーが掲げられた旗印の微妙な違いに気付く。程なくして彼の記憶から甦ったのは、今をときめく武辺の存在。

 アンゴールとの戦で指揮官を討ち取り、対ランダルキア戦では敵の騎馬隊を殲滅しリーフェンシュタール辺境伯家の勝利を後押ししたと噂される遊撃兵団のものであった。


「そうだ、思い出した。……先の戦いで活躍されたアリシア嬢の旗印であったかと」


「ばかな! いかに隣の領地とはいえ、何故こうも早く来られるのだ!? 有り得んだろう!」


「おそらくは帝国に間諜スパイを送り込んでいたのでしょう。それにしても、“魔信”でも使わねばここまでの動員は……」


 結果から推察したフォルカーが小さく唸る。

 本来、“魔信”の設備など、ヒューゲル辺境伯家でも持つことができないほど高価なものだ。

 とはいえ、今のアルスメラルダ公爵家の財力ならそれとて十分に可能であろう。


「ふん、私腹を肥やしていればそれさえできるかもしれんがな。西方との交易など王都に献上してしかるべきだろうに」


 吐き捨てるレオナルトの表情は苦々しさに満ちていた。


 昨年くらいから、西方のものと思われる――ほぼ間違いないが表向きルートは存在しない――交易品が国内に多く出回っている。

 これまでは希少品として帝国を経由して細々と入ってきていた西方世界のものが、比較的安価に入手することが可能となったのだ。これが王国に新たな金銭の流れを生み出した。


 では、それらはいったいどこを介して国内へと流れこんで来ているか。

 考えるまでもない。アンゴールを下したことでアルスメラルダ家は彼らとの繋がりを作り上げたのだ。


「そうでしょうか。長年西方の守りを引き受けられていたのです。正当な報酬とも言えますが……」


 “ファーン”が部族長たちの中から選ばれるように、騎馬民族は強者を尊ぶ完全実力主義として知られている。勝利をもって取引を行い、何らかの譲歩を引き出したとしても不思議ではない。西方はこれまで誰も貧乏くじを引くまいと関わらないよう目を背けてきた場所だ。そこで何が行われようと王都が介入する余地も筋合いもありはしまい。


 さて、そんな存在も半ば忘れ去られ、西方世界の防衛ラインを一身に引き受けていた場所が、敵ではなく富の流れ込んでくる場所となればどうなるか――――誰の目にも明らかであろう。


「公爵という地位にありながらまだ足りないのかと言っているのだ、私は!」


「……そういう見方もあるかもしれませぬな」


 これを私利私欲と断じるのはあまりに浅慮というものだろう。自分が得た権益であればレオナルトもひとりで独占していたのではないか。

 もっとも、主人の前でそれを口には出さない。事実であってもヘソを曲げられるだけで意味がないのだ。


「しかし、あの数でいったいどうするつもりだ……?」


 まさか、このまま援軍として帝国軍とぶつかるつもりか? だとすればいくらなんでも少なすぎる。


 思考を切り替えたフォルカーがいぶかしんでいると、集団の中から新たに旗印とは異なる青色の布が掲げられた。


「使者の証? まさか帝国と交渉するつもりなのか……!?」


「な、何を勝手なことを! 我が領地に軍を無断で侵入させておきながら、さらにこちらの許しもなく交渉に赴くだと? そんな暴挙がまかり通るわけがなかろう!」


 椅子を倒しながら立ち上がったレオナルトが叫ぶ。どうやら先程まで逃げ出しかけていた醜態は彼の中ではなかったことになっているようだ。


「……では、ご当主。彼らを追い返し、このまま我らだけで帝国軍と一戦交えますか? 一概に無礼と切り捨てるのもどうかと愚考しますが」


 勝手に使者を立てるなど誰が見ても横紙破りと言わざるを得ない行為だ。苦言を呈したもののフォルカーとてそれは理解している。

 同時に、もしも上手く交渉が進めば戦を回避できる可能性があった。


 あれだけの威力を誇る“攻撃”が、仮にあの1度だけしか行えないものだとしても、帝国軍に与えた心理的影響は少なくはないはずだ。

 第一、このまま衝突すれば、双方ともに犠牲は避けられない。

 その上で、頭上からあのような爆発が直撃するかもしれない恐怖を植え付けられた帝国軍に、果たして万全のパフォーマンスが発揮できるだろうか。


「ぐっ! だが、我らにも立場というものがあるだろう!」


 あくまで面子に拘泥こうでいするか。貴族とは本当に面倒な生き物だなとフォルカーは溜め息が出そうになった。

 自分にも騎士爵になれたらと思うことはままあるが、それでもこうなりたくはないと心の底から思える。

 まことに残念ながら、レオナルトは読書家が好きそうな典型的ともいえる貴族像を魂に宿した人間だった。


「アリシア嬢も王国貴族、無頼漢ぶらいかんではありません。こちらにも配慮はしてくれるでしょう。それに、失敗した際にはなかったことにしてしまえばいい。それくらいは織り込んでいるはずです」


 どうにかして自分とは判断の異なる主人レオナルトをその気にしなくてはならない。せっかく掴んだチャンスを邪魔される事態だけは避けたかった。


「そ、そうか? ならば連中に任せてやらんでもないが……」


 あくまでも自分の過失とならなければ良い。

 そんな思惑が透けて見えたが、フォルカーは自身の立場に徹し気付かないフリを通した。

 いちいち気にしていてはこの場で不慮の事故を起こしてしまいそうになるからだ。


「我らは当初の予定通り備えておけば良いのです。……間違っても交渉ごと押し潰してしまおうなどと考えないでくださいね。そうなった日には下手すれば全面戦争に突入です」


 軍事的に有能とは言えないレオナルトに、武名で鳴らした獅子皇子アウグストを討ち取れるとは思わないが、万が一の事態が起きないとも限らない。古来より戦場で流矢が殺した英雄は決して少なくないのだから。


 とはいえ、それは望むところではない。たしかに武勲としては比類なきものかもしれないが、その後に待っているのはこの領地の破滅だけだ。

 王族を殺したとなれば、報復も苛烈なものとなる。戦の序盤で真っ先に蹂躙される立場になりたいわけもない。


「わ、私がそのように卑怯な真似をするわけがなかろう!」


 一瞬考えたんだな。そう思ったフォルカーだが、今のところは順調なため呆れは表情の下に隠しておく。


「ともかく、交渉が終わるまでは余計な真似はやめておきましょう。特に今回は我らが領地の防衛線です。下手なことをして草刈り場となっては敵いません」


 妙な考えを起こさないように上手く誘導していく。

 どのような魔法かはわからないが、タイミング的にあの爆発を起こしたのもおそらくアリシア嬢だろう。

 不意討ちとして帝国軍を狙わなかったのも、戦いそのものを避けヴィクラントを疲弊させたくないからではないか。


「ん? 数騎、こちらに来ますね」


 やって来たのは戦場には不釣り合いなほどの美貌を持った少女だった。斑模様が散りばめられた衣服に身を包んでおり、それがより一層違和感を強めていた。


「お初にお目にかかります、ヴェルナー閣下。アルスメラルダ公爵家のアリシアでございます。この度は帝国軍の南下の情報がありましたゆえ部隊を動かしておりました。事前の連絡が至らなかったことは深くお詫び申し上げます」


 馬から降りて歩み寄って来る集団――――そこから更に数歩進み出てアリシアはレオナルトへ丁寧な仕草で頭を下げた。

 公爵家の令嬢ともなれば侯爵に比肩する辺境伯家であっても格下に見ることがある。そのように先代から聞き及んでいたレオナルトとしては意外に感じられた。

 もちろん、これによって場の主導権が握られたことに彼は気付かない。


「早速ですが閣下、差し出がましいとは重々承知しておりますが、帝国軍との交渉をわたくしどもにお任せいただきたく」


「くっ! どれだけ面の皮が厚いのだ! 我らの戦いに横槍を入れたのみならず、功績まですべて掻っ攫って行くつもりか!?」


「いえ、そのようなことは決して。ですが、僭越ではございますが、援軍もなしに彼我の戦力差を覆すのは厳しいかと存じます」


「ぐっ……! 数の差がなんだというのだ! 王国民たるもの一騎当千の戦いで敵を蹴散らすべきものだろう!」


「戦いは数です、閣下」


 一刀両断の返答だった。

 眉を吊り上げて気炎を上げるレオナルトに対して、アシリアが向けた視線は完全に冷え切っており、発せられた言葉もまた同じ類のものだった。

 それを真正面から受けた若き当主は完全に気圧されてしまい、しばらくの間言葉を返すことさえできなくなる。


「……わかった! ならば勝手にしたまえ! 言っておくが、どうなってもあとはそちらの責任だぞ!」


 感情のやり場をなくしたレオナルトはそう吐き捨て、地面を踏み鳴らしながら天幕を出て行ってしまう。

 あとに残されたフォルカーは、短く溜め息を吐き出してアリシアへと視線を向ける。


「てっきり、本陣を制圧してから交渉に向かわれると思っておりました」


「ふふっ、生憎と計画殺人に加担はできませんわ。わたくしたちにできるのは大量殺人だけですので……」


 まさかの言葉を受けたフォルカーの心臓が跳ねた。


 愛想笑いとわかってはいるが、それでもどこか凄みを感じさせる表情だった。とても貴族令嬢の浮かべるものではない。

 人並み以上に戦いの経験を持つフォルカーでさえも肌が粟立ちそうになるのだ。これでは主人が耐えられるはずもない。


「はは……。お美しくありながら、ずいぶんと怖いことをおっしゃいますな」


 内心の狙いを見透かされた動揺を誤魔化すのが精一杯だった。

 いや、それだけではない。目の前のアリシアが浮かべる表情――――「つまらない小細工を仕掛けたり、邪魔をするなら容赦はしない」と顔に書かれら文字を幻視してしまったのも大きい。

 笑みこそ浮かべているものの、少女の目は笑ってなどおらず翡翠色ジェイドの瞳の奥に猛禽類の鋭さを秘めているのをフォルカーは見逃さなかった。


「あら、これは大変失礼をいたしました。なにぶん物を知らない西方の田舎者ですので……。そのせいでしょうか、王都からはかなり嫌われてしまっているようです」


 まさかここでその話題を振ってくるのか……。


 最終的な決定権が主人にあることは理解しつつも、副官である自分にどちらの肩を持つか間接的に問いかけていた。


「なんとそのようなことが……。祖国に報いた者を獅子身中の虫扱いするとはなんとも無情ですな……」


 水を向けられたフォルカーにできたのは、敵対しない姿勢を見せることだけだった。言質を取られかねないような言葉は、公的にも個人的にも示せなかった。


「ですが、仕方ありませんわ。どうやら、わたくしは“悪役令嬢”と呼ばれているらしいですから」


 とりあえず及第点の回答はできたらしく、アリシアは幾分か表情を和らげて話題を変えた。


「悪役……令嬢……ですか?」


 聞き慣れぬ言葉に、フォルカーは追及が止んだことへ内心で安堵の溜め息を漏らしながら小首を傾げた。


「ええ、王道を阻むお邪魔虫ということらしいですわ。……ですが、斯様に評されるのであれば、ここで悪役令嬢の本領を御覧に入れましょう」


 対するアリシアはどこか誇らしげに、そして不敵に口唇を小さく歪ませながら微笑んで見せるのだった。



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