第168話 聖なるかな


「何者だ!」


 聞き覚えのない無礼極まる声にカッペリーニ大司教の怒声が放たれた。次いで全員の視線が発生源を探し、やがて一箇所に集まる。

 虚空をさまよった彼らの視線が辿り着いた先――祭壇に祀られた御子の額縁の中に、見知らぬ少女の顔が浮かび上がっていた。


「なんだ……」

「今朝の礼拝の時にあんなものはなかっただろう!」

「朝は何の異常もなかった。それは確認している!」

「あそこにはつい先ほどまで聖画があったのはわかるだろう!」


 周囲から次々に困惑の声とざわめきが上がる。改革派の間諜にも警戒する彼らはここ最近別荘の警備人数を増やしていた。にもかかわらずこの有様だ。

 

 もちろん彼らはそれの中身が昨夜のうちにタブレット端末にすり替えられていたことに思い至らない。知りもしないものの存在など気付きようがないからだ。


『あら? ご自身が謀殺しようとしていた人間の顔もご存知でいらっしゃらない?』


 挑発するように表情を笑みの形に歪めて見せる少女。それを見てルドヴィーコは正体に気付く。


「アリシア……アリシア・テスラ・アルスメラルダか……!」


 思い出したと言わんばかりのルドヴィーコの声が、静かな怒りを交えて漏れ出した。小さく歯を食いしばる音が口唇の隙間から漏れる。そうでもしなければ怒声が口を衝いて出ていただろう。


 この小娘が巧妙に張り巡らせたはずの策に止めを刺してくれたことはすでに伝わっていた。仕込んだ最良の駒――レティシアを葬ったことも。


 とはいえ、ここで自分が怒声を吐いては場は収拾がつかなくなる。自分の言葉の勢いに便乗した若い司教たちに、感情のまま喋らせてしまえばどのような失言をしでかすことか。


『ご明察にございます。しかし……よくもまぁ守旧派でもイケイケの連中がガン首揃えて集まってくれたものですわね』


 口調はそれらしくしているが、まるで貴族らしくない喋り方だった。

 わざとらしくその場を見回し、面白いものを見られたとばかりにアリシアは喉を鳴らした。


「貴様、これはいったいどういうつもりだ! ここを神聖なる教会の土地と知っての狼藉か! 無礼であるぞ!」


 詰問の怒声が若手のタリアテッレ司祭から放たれた。

 ルドヴィーコは挑発に乗るなと制止しかけたが、下手に遮っては自分が臆したと侮られる恐れがあるため、ひとまずここは放っておく。


 それよりもあのようなものタブレット端末が置かれている事態の方が遥かに問題だ。いつ何時かはわからないが、何者かが侵入したのは間違いない。目配せで部下へ警戒を促し、街に駐留している僧兵たちを招集するよう指示を出す。


『ふふふ、吸い上げたお布施で贅沢三昧の地が? どちらかといえば“性なる土地”の間違いではありませんこと?』


 相手の反応には構わず、アリシアは貴族らしく扇子で口元を隠して揶揄する。


「はぐらかすな、田舎貴族の小娘が! 王妃にもなれなかった貴様は西の蛮族と戯れていればいいのだ!」

「どこにいる! 姿を現せ!」

「神をも恐れぬ異端者め! 地獄に落ちるぞ!」


 はぁ、びっくりするくらい安い挑発の嵐……。


 どうやら西方に封ぜられた貴族というだけで元々そういう目で見ていたらしい。

 もっとも、自分たちの総本山が世界の中心にあると思いこんでいる連中からすればこんな反応なのだろう。

 それゆえに、今こうして遠隔地との会話ができていることの重大さどころか可能性にも気付けない。


『ではご説明いたしましょう。皆様方にご理解できるかわかりかねますが、わたくしは貴国にはおりません』


「ではこれはなんだ! でまかせを並べても無駄だぞ!」


『信じるか信じないかはご自由に。少なくともリアルタイムでやり取りのできる魔信のようなものとご理解いただければこの場は十分ですわ』


 僧侶たちからどれだけ罵声を浴びせられようとも動じないアリシア。

 ルドヴィーコには彼女が嘘を言っているようには見えなかった。報復――襲撃が目的であるなら自らの存在を知らしめて警戒させるべきではない。


「それはわかった。こうまでして貴様はいったい何をしようというのだ?」


 自分がまとめねば相手のペースに引きずり込まれてしまう。警戒したルドヴィーコが口を開く。


『なんということはございません。今回は皆さまにご挨拶させていただこうかと』


「挨拶、だと?」


 周囲から向けられる怒気や困惑など、どこ吹く風と言わんばかりにアリシアは会話を進めていく。相手に合わせようとするつもりなど端から持ち合わせていないようだった。

 そして、その態度が参列者たちの神経をより一層逆撫でしてくる。


『ええ、お心当たりはございませんか? 貴国――いえ、“あなたがた”は我が国に対してずいぶんと愉快な企み事を仕掛けてくださいました』


 本来であれば怒りをぶつけてくるであろう内容にもかかわらず、アリシアの口調はどこまでも穏やかだった。


 何かがおかしい。こちらが言葉以外を届けられないのと同じように、向こうとてこちらに何かができるわけでもない。自身の存在を明かした以上、この別荘の警戒レベルが上がっていることも理解しているはずだ。


 にもかかわらずこの余裕はなんだ。

 ルドヴィーコは背中に脂汗が浮かび上がるのを感じていた。


「何を言わんとしているかわかりかねるな。我らは次期教皇選挙への対策に集まっているだけに過ぎんのだが。貴国で起きた内部の政争を他国のせいにされては困る。厳しい物言いに感じるかもしれないが、王家がまともな後継ぎを用意できていなかった不始末が原因だろう」


 考え得る限りで最高の挑発だった。さすがは守旧派の中でも過激な者たちをまとめ上げているだけのことはある。ルドヴィーコは最も痛烈な皮肉をもって小娘の“化けの皮”を剥がそうとしていた。


『……なるほど、たしかにそうかもしれません。身から出た錆と言われればそれまでの部分もありましょう』


 対するアリシアは動じなかった。いや、ありとあらゆる感情を封じ込めおもてに出さなかっただけだ。

 そして画面を通しているせいで、誰も少女の目に宿った剣呑な輝きに気付かない。


『ですが、なんとも白々しいものですわね。先ほどの皆様の会話もすべて記録に残っておりますが……まぁ重要なのはそこではありません。どこまでもすっとぼけられるでしょうしね』


 扇子を折りたたんだアリシアは嘆息した。


(地頭は悪くない。だが、まだまだ甘い小娘だ。舌戦だけなら我らのような者を出し抜けると思ったこと自体が思い上がりというものよ……)


 どこか諦めたように見えるアリシアの姿を見て、ルドヴィーコは内心でほくそ笑んだ。


 早々にこの場を片付け、次はこの生意気で不敬な小娘を陥れるための策略を練らねばならない。神の地上代理人の威信にかけて。


 今回利用したコンラートは失脚し処刑を待つ身となっており同じ手は使えないが、国内がダメなら国外から揺さぶりをかけてやるだけだ。エスペラント帝国に潜り込ませた工作員を使い、前回は威力偵察程度で不発に終わったヴィクラント侵攻をもっと大掛かりなものとすればいい。

 そうして圧力をかけてやれば、寝返りの誘いに乗って来る北部貴族などいくらでも出て来るだろう。彼らは前回アリシアに面子を潰されており、辛うじて古代竜の襲撃という“事故”があったからこそ面目を保てているに過ぎない。心の奥底ではアルスメラルダ公爵家を憎んでいるはずだ。

 王家を使えば身内同士で殺し合って効果が高くなるから選んだだけで、他にやりようなどいくらでもある。


『先ほども申し上げましたとおり、別にわたくしは友誼を交わそうとか交渉をしようと思ってこの場を設けたわけではありません』


 そんな時、まるでルドヴィーコの内心を見透かしたようにアリシアが小さく微笑んだ。なぜかその場にいた者たちの背筋を寒気が駆け抜けた。


『数多の人間を惑わし陥れ、果ては神の御名を騙り、祖国を乱さんとしてくださった皆さまには我々から“贈り物”を差し上げようかと』


「贈り物だと? なにを――」


 その瞬間、未だかつてない甲高い音が窓の外から聞こえてきた。それは次第に大きくなっていき、同時にガラス窓が振動し始める。


「どうした! 今度はなんだ!」


 窓へ駆け寄った司教が揺れる窓を開け放つと、更なる轟音が流れ込んでくる。

 思わず耳を塞ぐが、彼らが向ける視線の遥か先――上空を2本の巨大な矢のようなものが目にもとまらぬ速度で突っ切っていくところだった。


 次いで空気が割れんばかりに振動し、落雷のような音が鼓膜を激しく打ち付ける。

 この場にいる者は本能で理解した。あれが何かはわからないが、確実にろくでもないものであり、間違いなくアリシアに関連するものだと。


「は、速い……」

「なんだあれは!」

「鋼の矢か!?」


 若手を中心とした僧侶たちが口々に声を上げるが、その時にはすでに遠く山向こうに飛び去り、彼らの視界から見えなくなっていた。


「ふ、ふははは!!」


 ルドヴィーコは声を張り上げて哄笑こうしょうした。いや、敢えて声を張り上げたのだ。小娘の作り出した空気に飲まれないため、これが単なる茶番だと断定するために。


「残念だったな、小娘。貴様らがどうやってあれを飛ばしたか知らないが、当たらなければなんの意味もあるまい。いささか驚きはしたが、所詮ヴィクラントからではまともに狙いもつけられないこけおどしか? もしもあれが巨大な矢だとして、いったい何万回繰り返せばここに当たるのだろうな」


 ルドヴィーコの言葉を皮切りに、周囲の僧侶たちも同調するように嘲笑の声を上げた。

 せめて近くの建屋にでも当たれば威嚇くらいの効果はあったかもしれないが、まったくの見当違いな方向へ飛んで行ってしまった。これでは逆効果も同然だ。


「ちょっとばかり稀有な固有魔法を持っているのか知らぬが、我々を脅そうとしても無駄だぞ小娘。我ら教会の信徒は多い。それをすべて殺し尽くすなりせねば止められぬ。教会を舐めるでないわ!」


『……なるほどなるほど。悔い改める気もないと』


 心底うんざりしたようにアリシアは折りたたんだ扇子で肩を叩いた。


「抜かせ。これ以上何ができるというのだ?」


 粘つくような視線と笑みを向け、ルドヴィーコは身の程を弁えず歯向かう愚か者に教会の盤石さを見せつけた。


『逆にできないとお思いで? 余裕がない者ほどいつになく雄弁になる――心理学の初歩だそうよ。大丈夫かしら、腕なんか組んだりして』


 食らいつくような表情を見せるルドヴィーコたちに、アリシアはあくまでも穏やかに微笑みかけた。

 そう、彼女は見抜いていた。彼らこそ虚勢を張っているだけに過ぎず、先ほどから得体の知れないものへの不安を必死で隠しているのだと。


「おのれ……。小娘程度があくまでも神の地上代理人たる我らを愚弄するか……」


『神の地上代理人、ね。痴情塗れの醜いウジ虫の群れにしか見えないわ』


 どれだけの言葉を浴びせかけられようとも、やはりアリシアは一向に表情を乱さない。

 もうどれほど荒れ狂う感情の波を浴び、あるいは湧き上がるそれらに耐えてきたか。今さらこの程度の者たちに左右されるものなどなにもない。


『……まぁいいわ。根拠のない自信たっぷりのあなたたちに迂遠な物言いでは伝わらないでしょう。だから手短に言わせてもらいます。外を見てもらえればわかると思うけれど――


 少女から放たれた言葉に言い知れぬ不吉さを感じ取り、ルドヴィーコは背を押されたかのように庭へと走り出ていく。

 その姿を見ていた配下の者たちも、不安を隠せなかったのか枢機卿の後を追う。


「これからだと? どういう意味だ……」

 

 そこでふたたび聴覚が何かを捉え、衝き動かされるようにルドヴィーコたちが空を見上げる。

 先ほど鋼の矢が通過して行った蒼穹に、翼を広げた鳥のような漆黒の物体が空気を震わせるような音を上げながら、ゆっくりと自分たちの真上を目掛けて近づいてくるのが見えた。


「まさか竜……?」

「いや竜ならばあのような形はしていない……」

「漆黒の……鳥……?」


 手が届かないほど遥か高空を飛んでいるのもあるだろうが、まるで全容がわからない。あれだけの音を出していながら大まかな形しかわからないとすれば、実際はどれだけ巨大なのだろうか。


 いや、違う。


 しばらく考えたルドヴィーコはその威容に圧倒されながらも、本能が先んじてすべてを察し、理性がそれを頑なに拒んでいるのだと理解する。


 あの翼は凶兆――――死を運ぶ翼だ!


「き、貴様! 何をするつもりだ!」


 弾かれたようにルドヴィーコは画面の向こうのアリシアへ問う。


『代理人を謳うならきっと神様への直通回線もお持ちでしょう? さて、ここらで幕引きです。お祈りは済ませられました? それでは――――ごきげんよう』


 “動く絵”の向こうでアリシアがそっと一礼した。


 湖畔に建てられた別荘が、周囲を巻き込むほどの閃光と爆風に包まれ、その場にいた人間すべてを消し炭に変え粉々に吹き飛ばしたのはその直後だった。




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