第167話 自称、神の地上代理人たち


 聖光印教会の本拠地は、エスペラント帝国とランダルキア王国、そしてヴィクラントに挟まれた高地クラヌスラントにある。

 総本山たる聖地イェルセイムから東にしばらく向かうとぶつかるデドス湖。その湖畔にある街ソルムンドはほぼ教会の施設だけで成り立つ場所だった。

 イェルセイムが各国の巡礼者など信徒向けになっているに対して、どちらかといえばここは教会関係者のための慰安施設に近い。

 湧き出る温泉を利用した浴場、山や湖の恵みを活かした料理までもが出され、そればかりか求めれば“そういう相手”とも一夜を過ごすことができる快楽の街だ。


 そんなソルムンドの湖畔には別荘も多く立てられている。ほとんどが高位聖職者が所有するもので、例外も多大な喜捨を積んで手に入れた御用商人のものだ。


 湖の北方に聳える巨大な霊峰ヒルマヌス山脈。そこから長い時間をかけて流れ出てくる雪解け水が流れ込むデドス湖の恩恵は非情に大きい。

 高地であるがゆえに冬期は厳しいのだが、それでも四季を通しては破格の優しい風が湖から吹き寄せる奇跡の土地だった。 


 そう、聖光印教会は宗教的権威だけでなく、下流へと流れていく水の利権さえも手に手中に収めていた。

 もちろん、堂々と水を遮断して金銭を要求しては周辺国との全面的な戦になるため、「神が与えし天からの恵みを享受するための感謝」を具体的なもので求めている。それが元から豊かなこの地を、外から流れ込む富でさらに豊かにしていた。


 海兵隊メンバーあたりから言わせれば、まったくもって国際シンジケートのような連中だった。


 近年、改革派であるベネディクトゥス枢機卿の勢力が大きく伸びてきたことで、この地を利用する者は徐々に少なくなっていた。

 各地から吸い上げたお布施で聖職者にあるまじき贅沢をするための場所と批判を受けたからだ。


 もっともそれとて全面的に禁じる清貧思考なのではなく、「もうちょっとあからさまではなくひっそりとやれ」ということなのだが、それらが自身の権利だと思っている守旧派からすれば実に面白くなく、反抗心ゆえの意地で通うのを止めようとしなかった。


 しかしながらその動きが、守旧派の中でもとりわけ大きな野心を抱えた者にとって、はかりごとをする絶好の場になっていたのもまた事実であった。





 立ち並ぶ別荘の中でもひときわ大きな屋敷に守旧派――それも今回ヴィクラント王国を揺るがす政変を仕掛けた者たちが集まっていた。


「さて、諸君らに集まってもらったのはほかでもない。先般、ヴィクラントに潜入させている連絡員から報せが入ってな。仕掛けた策は不発に終わったとのことだ」


 口火を切ったのはルドヴィーコ・ガルビアーティ枢機卿だった。

 彼はおよそ2年前に失脚したセノフォンテ・プレディエーリ枢機卿の跡を継いで派閥の長となった存在である。

 集まった仲間たちを前にして、ルドヴィーコは神経質そうな顔つきの眉間に深い皺を刻み込んでいた。


 彼の深刻な表情から周囲も事の重大さを受け止めざるを得なかった。


「王宮を掻き乱すことに成功し、いよいよウィリアム王子が圧政を敷くと聞いておりましたが……」


 中年司教のひとりが愕然とした様子で声を上げた。亡国の道を邁進していた国家が息を吹き返しだのだ。予想外にもほどがあった。


「ああ、予定ではな。しかし結果は内乱にすら至らなかった。騒ぎの中でウィリアムは死亡。これでは大失敗も言うしかないだろうな」


「なんと! では、貴族による王位の簒奪が起きたと? ならばまさしく――」


 あどけなさの抜けない司祭が表情を乱した。

 他の参加者の多くが政争を経ているがゆえに顔には出していないが、それでも彼が場の想いを代弁していた。


「いや、そうであればどれだけよかったか。憎きアルスメラルダ家が姿を消した第1王子マクシミリアンを保護していたらしい。王都に帰還した王子が正統な後継者として名乗り出たのだ」


 答えながらルドヴィーコは苦い表情を浮かべた。

 

 むしろ彼はウィリアムがいつ死んでもいいように“数々の仕込み”を行っていたのだ。

 王族の血筋が途絶えれば、新たな王朝を作り上げるべくヴィクラント国内は貴族たちの権力争いで内乱状態に陥る。そこに付け込み、程よく疲弊したあたりで有力貴族の後ろ盾となり浸透すればいいと思っていた。


 ところが密かに生き延びていたマクシミリアンがすべてをひっくり返してしまった。


「今にして思えば、所在を捕捉できていたエスペラント遊学中に仕留めきれなかったのが痛手だったな。しかし……復帰するとは小僧ながらに見上げたものだ。地獄の苦しみを味わったであろうに……」


 爪を噛む勢いで枢機卿は表情を歪めた。


 意外に思えるかもしれないが、教会は治癒系魔法士だけでなく各種技術も独占している。

 過去に周辺国が戦を繰り返している時代にも、彼らは講和を仲介することで中立を確保し、その影で争いから逃れてきた人材もできる限りかき集めていた。それは国土の荒廃で断絶しがちな技術を囲い込むためでもある。


 これで発展したもののひとつが医療であり、人間に対して有用に働く薬物がそう呼ばれるなら、反対に有害なものへの知識も経験の中で同様に蓄積されていった。

 だからこそ、どのようなものから作られたか解毒法すら不明な毒物のレシピを教会が秘蔵することができたのだ。


「そもそもマウリッツォが尻尾を掴まれたあたりからおかしくなったのだ。大司教ともあろう者が情けない醜態を晒しおって」


 処断された仲間への意識などないらしく、年嵩のリングイネ大司教が忌々しげに毒づいた。


「ヤツは神兵を導く聖務の中で私腹を肥やす方面に精を出し過ぎた。そこをアルスメラルダに嗅ぎ付けられたのだ。バカなやつめ」


 若手の雄である大司教カッペリーニも同意した。こうした場でも信徒向けの“それらしき言葉”を使うあたり、筋金入りの家系で育ってきたのだろう。


「ヤツとベネディクトゥス枢機卿は知己の間柄というではないか。よもや改革派が情報をヴィクラントへ漏らしたのではあるまいな」


 不意に疑念の声が上がった。

 仕組んだ策が上手くいかない時、人は得てして責任の所在を余所に求めたがる。その方が「自分に責任はない」と明確にして精神の安定を保てるからだ。

 もっとも、残念ながらそれが前向きな議論に繋がることは少なく、お世辞にも健全な対応とは言い難いのだが。


「いえ、潜入させた工作員が上げてくる情報は、連絡員とこの場に参加できる者以外に伝わらないよう細心の注意を払っていました」


 ルドヴィーコの副官役を務めていたフェデリーニ司教が淡々と答えた。自分の仕事を疑うのかと暗に非難していた。


「では何か? この場に裏切り者がいるということか?」


 あたかも狙いすましたような言葉が出た瞬間、場が急激にざわめきたった。


「なんだと!?」

「いくらなんでも――」

「流石に非礼ではないのか!」


 身内を疑う発言に、抗議の声だけでなく立ち上がって怒りを露わにする者まで現れた。

 このままにしておいてはまずいとルドヴィーコは思う。まさしく経験ゆえの直感だった。


「――やめたまえ」


 にわかに騒がしくなった場を静めるべく、彼にしては強い口調でルドヴィーコが制止の言葉を発した。

 何の後ろ盾も持たず一代で神学生から枢機卿にまで登りつめただけのことはあり、よく通る低い声で水を打ったように場が静かになった。


「これこそが改革派の狙いだ。卑劣にも我々の間に疑心暗鬼を生じさせ分裂させようとしているに過ぎん。おかげでプレディエーリ枢機卿も失脚する羽目になったではないか。二の轍を踏むわけにはいかぬ」


「……そうでしたな。枢機卿の地位から失脚した直後に不幸な事故でご子息を喪い、抜け殻のようになられてしまわれた」


 留学していたはずの嫡男ファビオがヴィクラント国内で何者かに殺害された姿で見つかってから、プレディエーリ枢機卿は精神に異常をきたしてしまった。

 彼の部下であったマウリッツオが誘拐に関っていた容疑で捕らえられてからこの方ろくなことがない。


「だが諸君、今一度思い出してほしい。プレディエーリ枢機卿の残されたものがあったからこそ、少なからぬ離反者を出しながらも我らは諦めずここまで来れたことを」


 重苦しくなりそうな空気を変えるべく、ルドヴィーコは自らも含めてを仲間を鼓舞していく。

 まだ終わらない。生きている以上はいくらでも挽回の機会はあるのだ。たかが一度の策を退けられた程度で国家の転覆という大仕事を諦めるものか。


「然り。現に改革派の連中は何も掴んではいない。我々を牽制するのが精一杯です。現に各国で仕込んでいる工作員にも気付いていないことでしょう。そう考えるとヴィクラントのあれは貴重でした」


 カッペリーニ大司教がルドヴィーコの言葉へ呼応するように声を張り上げた。

 こうした時に若い力は場を活性化させる。勢いに任せようと、彼に更なる発言を促すべく場を整えていく。


「そうだな。使。ただ潜り込むのではなく、王国を心の底から憎むよう仕込みを行っているからな。もっともこれはコンラートの間抜け具合に相当助けられたが。あれも近々処刑されるようだ」


 参加者全員に浸透するよう、ルドヴィーコは敢えて声を上げて笑ってみせた。


 自身の溜飲を下げるためでもあるが、こちらの助言を信じ切って埋伏の毒レティシアをその身に宿した哀れな男の姿がひどく滑稽に思えたのだ。

 どうしてあそこまでのことをやっておきながら、将来に渡って宰相の地位が保てると思ったのか。

 今回の件がなくとも、教会が介入した際には国を乱す企みをした大罪人として犠牲なってもらう予定だった。今回のことはただそれが早まっただけに過ぎない。


「では、枢機卿! まさしくこれからではありませんか! 今回の件で我々にとって貴重な知見が得られました! 我が聖光印教会は覇権国家すら恐れるに足りません! 我らならば国家さえも転覆させられ――」


 熱のこもった雄々しい声が、いつしか若さの特権である勇猛な演説へと変わろうとしていた。


 その時だった。


『はぁ……。ひどい自己陶酔ね。聞いていて吐き気がしてくるわ。そもそも、反省会にしてはあれこれ喋りすぎじゃないかしら』


 凛としつつも心底呆れ果てた声が、その場にいた聖職者たちに冷や水を浴びせかけた。

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