第166話 いつか空に届いて


「連れて行ってくれ。自決などされないように頼む」


 その場にいた兵団員に指示を出して、マクシミリアンは猿轡さるぐつわを噛ませたコンラートを場内へ連れて行かせた。

 ウィリアムが死んだ以上、今は彼が事態の全容に近い部分を把握している証人である。死なせるわけにはいかないし、必要とあらば“いかなる手段”を使ってでも情報を引き出さねばならなかった。


 あの後すぐ、突入した歩兵部隊が場内を制圧したと報告が上げられてきた。

 抵抗を続けようとした第1騎士団も、半数近い損害を出してようやく投降を選んだらしい。

 騎士の中にも魔法が使える者はいたようだが、火炎弾程度では届きもせず、さらなる遠距離からM1903によって一方的に仕留められるばかりで精神が先に音を上げたのだ。


 かくして王国を巻き込みかけた動乱劇は、後世でも高く評価されるように“最小限の被害”で幕を閉じようとしていた。


「取り急ぎ場内兵力の武装解除を進めています」


「よろしい。交戦したとはいえ同じ国の民だ、手荒な真似は慎むよう徹底してくれ」


「了解」


 マクシミリアンは大隊員に指示を出していく。これは元々負っていた役割と変わらないため気も楽だった。


 ――いずれにせよ、今はそうしている方がずっといい。


 内心でつぶやき、マクシミリアンはアリシアとレティシアに視線を送った。

 ひとりの男ウィリアムを接点として、対極ともいうべき場所にいた両者。それが交わり起きた悲劇。いかに次期国王とはいえ、そこへ自分が入っていくのは何か違う気がした。






「これで片付いたというべきなのかしら」


 時計の止まってしまったウィリアムを見つめながら、アリシアがそっとつぶやいた。


 ウィリアム殺害犯であるレティシアは、周りから銃口こそ向けられているものの、すべてを受け入れるというように大人しく佇んでいる。

 逃げ場がないこともそうだが、上官からの指示が出されていない以上、誰も彼女を捕らえようとはしない。

 新たに明らかとなったレティシアの事情も相まって、誰もが後味の悪さだけを覚えていたのも無関係ではないだろう。


 そんな空気に耐えられなくなったアリシアが口を開き、自分同様にウィリアムを見つめるレティシアに語りかける。


「……まさかあなたがウィルを殺そうとしていただなんて。事ここに至るまでわからなかったわ」


 鼓動が時を止めても愛する者の姿を焼き付けんと開かれたままでいたウィリアムのまぶたを、そっとかがみ込んだレティシアの手が優しく閉じた。

 やはり己の手で最愛の相手を殺した者の仕草には思えない。


「アリシア様がそうおっしゃられるのであれば、凶手としては上出来だったのでしょうね。周りから見てわかってしまうようでは早晩誰かに気付かれますから」


 静かに立ち上がったレティシアが振り向きながら答えた。

 彼女の顔にはこれといった感情は浮かんでいないが、そのせいか今までに見たことのない儚げな美しさが覗いていた。


「周りの取り巻きたちを篭絡させたのも、標的を誤認させるための偽装だったのね。凄まじいばかりの執念だわ」


 自分ならできるだろうか? 考えかけてすぐに打ち消す。愚問だった。


 今の自分がこのような立ち位置にいられるのも、間違いなくアベルが――海兵隊がいたからだ。彼らがいなければ、やはり“定められた運命ゲームシナリオ”の通り、醜い嫉妬に駆られて叛乱を起こし、無惨なしかばねを晒していたのは自分だったに違いない。


 あるいは、そうして捻じ曲がった運命に翻弄ほんろうされたのは他ならぬウィリアムなのかもしれない。


 しかし、アリシアはウィリアムを気の毒には思わなかった。

 正確には、あまりにも色々なことがありすぎて、残念ながらそう思える相手ではなくなっていたというべきだろう。


「わたしはむしろ復讐に走らなかったアリシア様の方が信じられません。ウィル様への愛とておありだったでしょうに」


「どうかしらね――」


 はぐらかしたつもりはない。本当によくわからなかったのだ。


 かつては彼を愛していた。アリシアはそう思う。

 いや、正確には。だからだろうか、レティシアが暗躍を始めても周りが見えなくなるほどの事態には陥らなかった。


「ウィルに婚約破棄を告げられた時の悲しみや絶望がなんだったのか。今考えても正直よくわからないの」


 主観を排除して考えれば、自分が本来辿ったであろう未来の凶行は“孤独”から起きたものではないだろうか。

 幽閉されている間、それまで自分なりに駆け抜け、積み上げてきたものを失った寂しさの隙間にドス黒い感情が入り込み、目を閉じ耳を塞ぎすべてを憎んだからかもしれない。


 だから、あの場からアベルが助け出してくれなかったらどうなっていたか。そこに疑いの余地はない。


 それでも、断罪された時の光景は辛い記憶として今でも心に残っている。


「そんな暇もなかったしね」


 最も傷が痛むであろう時期は新兵訓練ブートキャンプに叩きこまれていた。“そんなもの”を気にしていられないくらいシゴかれたせいで、深かったはずの傷口もいつの間にかほとんど塞がってしまった。


「それは貴族としての矜持きょうじですか?」


「いいえ。そんな大層なものじゃないわ」


 さすがに「海兵隊に上書きされただけ」とは言わなかった。


 もしかすると、人として大事な何かを真夏の荒野に置いてきてしまったのだろうか? あそこで初めての実戦――襲い来る盗賊の命を奪ってから自分がどう変わったのか。やはりこれもよくわからない。


 それでも振り返ってみれば、ここに至るまでずっと駆け抜けてきたように思う。


 他にやることができてしまったといえば聞こえば良いが、これも結局は周りの人々に助けられていただけだ。誰かと出会い、あるいは別れを経験したからだろう。

 ふと落ち着いた時に振り返って見れば、ウィリアムの存在もなんということはないものになっていた。


 自分を敵視し、目障りな存在として嘲りながら「心から愛する者と出会い、こんなにも幸せなのだ」と見せつけてくる男。当然ながら不快感はあったし、気の毒になったこともある。


 結局その程度で済んだのは、自分自身がひと足先に世を知ったような気になったからではないか。


 すくなくとも、


 もちろん、自分が無意識のうちに彼を追い詰めた非から目を背けるつもりはない。

 それでもアルスメラルダ家をはじめとした貴族派を裏切り、レティシアを恋人から略奪するばかりか面識もない無関係の相手まで葬った事実は消せない。

 何よりも現実の問題として国はここまで乱れている。今さら個人として扱うことなど到底できはしなかった。


 過去の美しい思い出として振り返るには、もっと時間がかかるのかもしれない。


「わたしがしてきたことなんて、あなたが押し殺してきたものには到底及ばないわ。復讐のためにそこまでできるのもそうだけれど、本当に恐ろしいのは仇を本心から愛せたことよ」


「他に生きる理由がなかっただけです。自身の目的もそうですが、保身がなかったわけではありませんから」


 意図せずして同じような物言いとなり、互いに小さく笑い合った。

 レティシアは言葉を続けていく。


次期国王ウィルさまの不興を買えば、当主が死にかけている男爵家程度、簡単に取り潰されてしまいかねませんし、孤児院への波及も心配でしたから。どちらかといえば後者ですね。わたしのことで育ててくださった、恩のある神父さまたちに迷惑はかけられませんでした」


 庶子の分際で無体な扱いをすれば、ウィリアムはレティシアをさらに追い詰めようとしたかもしれない。すべては想像の範囲でしかないが、あり得ないと一笑に付せるものではなかった。


「そのわりには卒院生としてずいぶん資金を援助していたようね」


 今となっては手遅れでしかないが、やはり入ってきた情報ではザミエル男爵領に手がかりはあった。レティシアが出た孤児院には、今でも定期的にどこからか匿名で大きな寄付がされているのだという。


「教会の連絡員に情報を渡すためです。関係者ならば不思議ではないでしょう?」


 レティシアは否定しなかったが、素直に認めるわけでもなかった。


「そういうことにしておいてあげましょうか」


 この少女は罵声や責める言葉を求めているように見えた。そればかりか同情や憐憫の視線も要らないと態度で告げている。

 そんなレティシアにどこかアンバランスさを感じ、アリシアはまたも笑い出したくなる。


 たとえ汚れていようが金は金であって、それ以上でもそれ以下でもない。主義主張をうたうにも、まず腹が膨れていなければできないこととてある。

 領地の経営に関わっているアリシアはそこをどうこう言うつもりなどなかった。そんなことを言えば自分は山賊や盗賊から度々カツアゲをしている。


「今さらこんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんけど、わたし、アリシア様のことは嫌いじゃありませんでした」


 ふとレティシアは寂しげに微笑んだ。

 敵対していた間柄であったはずなのに、なぜか数年来の友人のように会話がなんの障害もなく進んでいく。最大の理解者となってくれたかもしれない相手が、自分の復讐を遂げるために陥れなければいけない存在だったと今気付いたのだ。


 そうして伏し目がちになった彼女は少しずつ後退あとずさっていく。


「そうね。今ならあらためてわかるわ。あなたから直接的な悪意を向けられたことはないものね」


 アリシアもふたたびM14を手に取った。同時に左手を掲げて周りの動きを止める。

 これは自分がやるべき仕事だった。


 レティシアの暗躍があったとはいえ、あれは周りが殊更に騒ぎ立てただけだ。彼女が本気でアリシアの排除にかかっていれば、とっくの昔に公爵家は窮地に追いやられていたかもしれない。

 もちろんアベルの覚醒がシナリオでいう“アリシアの窮地”に連動している可能性も否定はできないが、それもあくまでも推測に過ぎない。上手くいっていなければやはり今頃は自分がバッドエンドを辿っていたはずだ。


「アリシア様は逆境と絶望に屈しなかった。でも、わたしにはそれができなかった。復讐にとりつかれて視野が狭くなっていたから」


 レティシアはテラスの手すりのところまで近づき、アリシアを正面から見据えた。


「かくしてあなたは復讐を遂げた。――どうしても止めるつもりはないのね」


 問いかけながらアリシアは安全装置を指でそっと外した。


「然るべき裁きを受けろとおっしゃいますか? わたしに自白させたいのかもしれませんが、教会に関連する証拠は何も残っていません」


「トカゲの尻尾切り。当然よね、こんな話が公になれば彼らの地位は失墜するもの。でも、連中には絶対に然るべき報いを受けさせるわ」


 そう、絶対にだ。


「ならばわたしにも。王族――しかも伴侶となることを誓ったウィル様をこの手で殺しました。血には血の報いを、罪には罪の報いを。それでも、わたしは微塵も後悔していない。だから、これは必要なケジメです」


 気丈に答えるも、レティシアの足はわずかに震えていた。


「そう……。あなた最初から死ぬつもりだったものね。救いのない話」


 アリシアの口から自然と溜め息が漏れた。


 自分がこの国に災いをもたらさずに済んだというのに、それは別の形となって降りかかった。

 ところが蓋を開けてみれば、他人の財布を狙う連中に踊らされた哀れな男女がいて、片割れは死に、残る方も後を追おうとしている。運命のいたずらと言うにはあまりにも趣味が悪すぎた。


「もう戻れない。あなたの手で撃ちなさい、アリシア・テスラ・アルスメラルダ。でなければ、わたしは王子を殺した狂人として自ら死ぬだけ」


「そう、是非もないわね。あなたの覚悟はそれなりに尊重します。つくづく、こんな形で出会いたくなかったわ」


 短く息を吐き出して、アリシアは銃口を向けた。誰もふたりの間に割って入ることができない。


「どうして、あなたは強くなれたのですか……? “本来のアリシア”は必ず復讐に憑りつかれていた。今のわたしのように」


「誰かが書いた筋書と一緒にしないで――と言えれば多少は格好が着くかもしれないけど、やっぱりわたし個人の力なんてないようなものだわ。ただ運命を捻じ曲げてでも、わたしを助けようと手を差し伸べてくれる仲間がいた。それだけよ」


 答えたアリシアはこの場にいる仲間を見回した。最後に止まった視線の先にはアベルの姿があった。

 視線を受けた彼は静かに頷いた。だから、アリシアも頷き返す。


「そう……。わたしが諦めてしまったものね……」


 目を閉じてレティシアは静かに息を吐き出した。すべてを諦めてしまった少女の姿がそこにあった。


「ヴァルター様をうしなってから、誰も信じられなかった。学園の生徒もみんな。……これがわたしの限界だったのかな」


 最後の言葉は自分自身に言い聞かせるためのように聞こえた。


「もしまた生まれ変われるなら……今度はすべてを忘れて……」


 言葉を残しながら、レティシアはゆっくりと背後へ倒れ込んでいく。


 その直後、銃声が木霊した。


 放たれた弾丸の衝撃でレティシアは体勢を崩すも、元々の勢いのままに手すりを乗り越えてその向こう側へと落ちていった。


 あれほどの想いが荒れ狂ったテラスには静寂だけが残る。

 いつの間にか立ち込めてきた雲が陽光を遮り、冷たい風と共に雨が零れ落ちてきた。

 これは誰かの涙だろうか。いや、そんなものはただの感傷だ。天は人の代わりに涙を流さない。想いがいつか空に届けばいいと願っても、結局最後は自分でどうにかするしかない。

 たまたまレティシアが王国の中枢を揺るがしただけで、こんな話は掃いて捨てるほどある。


 それでも、アリシアは思ってしまう。


「なんなのかしらね。本当に、救いのない話」


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