第165話 愛しのあなた


 答えたレティシアの表情に浮かぶのは、貼り付けた偽りの笑みではなかった。

 血に濡れた短剣を握り締めていても尚、彼女は本心からウィリアムに慈愛の眼差しを向けていた。


「愛、してい、た……?」


 もちろん「愛している」と言われたところで、刺された当人ウィリアムを含む周囲の人間はレティシアの言葉の意図が理解できない。


「そうです。わたしが本気でウィル様を愛さなければ、このようなご寵愛を賜ることは叶わなかったでしょう」


「教会の工作員として、ウィリアムに気に入られるため、己の心を殺したというのか?」


 マクシミリアンが問いかけた。普通はそう考えるだろう。


「それもすこし違います」


 しかし、レティシアは寂し気に首を振った。


「病に倒れたマクシミリアン様の代わりと、次期国王候補に無理矢理据えられた可哀想なウィル様。婚約者への劣等感コンプレックスから庶子出の小娘に心を惹かれ、その娘に意中の相手がいると知れば葬ってでも我が物にしようとしたウィル様。婚約者を裏切り国を混乱に陥れようとも、自分を肯定してくれる者だけに無償の愛を注ぐウィル様。そう、ウィル様はわたしにとっては最愛の人の仇であると同時に、愛しい愛しい最愛の御方なのです」


 あれほど愛していたはずのヴァルターを間接的に殺した相手を前にしながら、レティシアは心の底からの愛を語り続けていた。誰にもどうしてそこまでできるのかが理解できない。


「わたしはあなた様を誰よりも愛し、あなた様が王位に就けるよう全力を尽くし、幸せの絶頂に辿り着いていただこうとしてまいりました。


 答えたレティシアは、血に濡れた短剣を放り投げた。

 浮かんでいるのは満足そうな表情だった。それゆえに、刃を届ける瞬間までレティシアが隠し続けてきた復讐心と狂気が垣間見える。


婚約者アリシア様を裏切り、国を割ることも厭わず、“市民”を不幸に叩き落とそうとも欲してやまなかった王位。それを手に入れた瞬間こそが、わたしが待ち望んでいた復讐の時だったのです。だから、王位に就けるようわたしはあなたを心から愛し、短慮を起こさないよう誘導しました」


 たしかに、アリシアたちに海兵隊が味方していなければ成功していただろう。おそらく最初の時点でゲーム通りのシナリオになった可能性はあるが。


「それで何が得られる? お前も王妃になれたかもしれんが、いずれ国は破綻を迎えたはずだ」


 理解できないマクシミリアンが尚も食い下がる。


「将来起こるであろう内乱がどうなるかの確証はありません。ですが、どうでもいいのです。正直に申し上げて、わたしはもう生き続ける意思など持っていないのですから」


「生きる、ことを諦めたと……?」


「そうするだけの理由がありませんので。それに、もし内乱に勝てたとしても、そこからは確実に転落していきます。王室派が勝利しようとも、ウィル様はいずれ王国史上最悪の売国奴・虐殺者として国内外の誰かに殺されたでしょう」


「そ、れは……」


 ウィリアムは言葉に詰まった。目を背けていただけで、暗愚ではない彼にもその未来は予測できていたのかもしれない。

 しかし、他に道がなかった。いや、選べなかった。自分自身のコンプレックスアリシアに膝を折ることができなかった。

 それを今容赦なく突きつけられたのだ。他ならぬ最愛の者レティシアによって。


「この国がどうなろうと、わたしには関係ありません。ウィル様が他の誰かに殺されないようにだけ気を付けました。それでは復讐にはなりませんので。ですが、どうやらそれも叶わなさそうなので、予定を繰り上げさせていただきました」


 春に咲く花のような微笑みだった。これが彼女の“愛し方”なのか。


「それでも、わたしは――――」


「なんということをしてくれたのだ、小娘!!」


 レティシアの言葉を遮り、目を血走らせたコンラートが叫んだ。

 すでに彼の双眸に正気の色は存在していなかった。でなければ自身の終焉前のこの状況下で喋る気力など起きようもない。


「私がどれだけ――強欲な連中に半分国を売ろうとしてまで積み上げた計画を台無しにしてくれたな!」


 なぜこの娘がウィリアムを殺そうとするのか。予定が狂ったどころの話ではなかった。

 現在この国を取り巻いているすべての大本は、内務卿であるコンラートが教会の誘いに乗ったことに起因している。


 先王エグバートの病が発覚してから、聖光印教会はあらゆる手段でヴィクラント内へ入り込もうとしていた。もっともそれは彼ら内部の事情によるものだった。


 辛うじて主流を保っているに過ぎない守旧派は、敵対派閥――――改革派筆頭であるベネディクトゥス枢機卿の勢力が拡大する前に、ヴィクラントへ教会の有力者を送り込むことを至上目的としていた。

 能力が高いとは言えないウィリアムが国王になったところで法務卿に据えさせれば、中立を謳いながらも改革派寄りと言われている教皇とて、そこから生まれる利益をないものにはできなくなるからだ。

 たとえ教会内で最高位の地位を手に入れようとも、人の身である以上は一定の政治力を保つために資金が必要となる。


 だから、守旧派は数多の策を張り巡らせた。後から発覚したとしても有耶無耶にできると踏んだ上で。


 そのためのひとつとして、身分を隠してエスペラント帝国へ遊学に出ていた第1王子マクシミリアンを狙った。錬金術の研究過程で新たに発見された毒を盛り後継者争いから脱落させ、第2王子であるウィリアムを王位に就け、しかも自分たち寄り人間に操らせるために。

 これに加え、貴族派の台頭により内務卿を追われるのではないかというコンラートの焦りに付け込み、彼らの策はほぼ万全の態勢で動き出した。


 しかし、コンラートにも明かされていないことがあった。


 宗教勢力に過ぎない彼らがこのような国家転覆に等しい策に出たのも、すべてはレティシアという駒を見つけ出していたからだ。

 王室派には属していたが、地方の男爵が戯れに作ってしまった庶子を教会が見つけ出し、方々から手を回して想いを通わせていた若者を亡き者にさせ取り込んだ。

 仇敵であるウィリアムを骨抜きにし、祖国への復讐を願う猛毒として。


 だから、これで上手くいくと誰もが思っていた。


「私が担ぎ上げた神輿まで壊してくれおって! もうすこしで、もうすこしですべてが上手くいくところだったのだぞ!」


 コンラートの罵声を浴びても、レティシアは瀕死のウィリアムを見て微笑んだままだった。


「それは無理でしょう、コンラート様。あなたが敵に回した方々は、おそらくですが世界でさえ滅ぼせるだけの力を持っておいでです。わたしも先ほどまで気付いておりませんでしたが今ならわかる。最初から勝ち目などなかったのですよ」


 儚げに笑うレティシアの表情に、一瞬何か別の感情が浮かんだ。アリシアにはそれがなぜか後悔の念に見えた。


「黙れ! 戯言をほざくな! おまえがもっとそのボンクラを上手く操っていれば、王位とて早期に掌握できていたのだ!」


「黙るのはあなたよ」


 極寒の吹雪のような声と共に、コンラートの足が撃ち抜かれた。銃声の主はアリシアだった。


「ぐがぁっ……!!」


 .45ACP弾でふくらはぎを破壊され、地面を転がった内務卿の口から情けない悲鳴が上がる。

 M14では肉体のどこに当てても致命傷になりかねないため、あらかじめスカートの中に隠してあったHK45CTが火を噴いたのだ。

 もしもアベルたちの助けが間に合わなかった時にはこれを使うつもりだった。


「痛い? そうでしょうね。でも、あなたのつまらない野心に人生を狂わされた者は、どれだけの苦しみを味わったかわかるかしら?」


 月並みなセリフで自分が嫌になる。正義の味方を気取るつもりはなかったが、アリシアには止められなかった。コンラートが乗り自身も企んだ策によって、多くの者の人生が狂わされたのは紛れもない事実なのだ。


 いや、自分のことはまだいい。ウィリアムとの婚約はいつか破綻していただろうから。

 それでも、本来必要のない戦や政争に巻き込まれて地位を失い、あるいは死んでいった貴族たちや兵たちは帰って来ない。

 権謀術数渦巻く王城ではずっと繰り返されてきたこと? そんなものクソ喰らえだ。


 この男と教会が、ここまでの事態を引き起こしたのだ。許せるはずもない。


「国を掻き乱したあなたの政治手腕は、貴族として見れば賞賛すべきものなのでしょうね。でも――――あなたはここで死んだ方がいい。あなたが生きているだけで不幸になる者が多過ぎる」


 放たれる声に感情は宿らなかった。自分でも信じられないほどだった。

 幾度となく繰り返されてきた動作に従い、激痛に呻くコンラートの頭部へ狙いを定めたHK45Tの引き金に指がかかる。


「待ってほしい」


 力が込められる前に横合いから伸びた腕が、銃口の向きをそっと逸らせた。マクシミリアンのものだった。


「それは私が追うべき責務だ、アリシア殿。王子として、この国の後継者として国家を転覆させようとした逆賊を処断する義務がある」


「この男が……! あなただって殺されそうに――――」


 アリシアは反射的にマクシミリアンを睨み付けるが、すぐに言葉を止めた。

 分を弁えなかったことに対するバツの悪そうな表情を浮かべ、銃を向ける腕の力を抜いていく。

 それでもアリシアが口に出せなかった言葉と名前は、すでに十分過ぎるほど伝わっていた。


「失礼いたしました、マクシミリアン殿下」


 銃を下げてアリシアは一礼した。

 自分にその権限がないことを理解したのもそうだが、この場でコンラートを殺してしまっては単なる私刑で終わってしまう。彼は絶対に死ぬべきだが、この国の未来のために“必要な死に方”があるのだった。


「すまないが後のことは私に任せて欲しい。もちろん悪いようにはしない。それに――今は弟を看取らねばならないだろう」


 沈痛な面持ちでマクシミリアンは視線を動かした。

 すでに逃げ出すことも不可能になったコンラートよりも、あと数分もせずに命が尽きるであろうウィリアムに時間を割きたかった。


「こんな形で再会するとは思わなかったよ、ウィル」


「はは……。そう、か、俺は、神輿か……。わ、わた、私の味方は……最初から、誰も、い、いなかったのだな……」


 呼吸が乱れる中、震える声でウィリアムがつぶやいた。

 すでに兄であるマクシミリアンの声も届いてはいない。それでも彼はレティシアだけを見ていた。


「わたしもすぐに後を追います、ウィル様。あなたを裏切った責めは、あちらでいくらでも受けましょう」


 届かないと知りながら、答えるレティシアは取り乱さない。今際の相手を前にしながら、依然として恨み言の類は口から零れ落ちない。

 本当にこの者を愛し、その死を悼んでいる。それでも殺さずにはいられなかったのだ。


「こ、れは……報い、だな……。だが、俺、は、な、レティ。今でも、おまえを――――」


 続く言葉は永久に発せられなかった。ウィリアムの最期の言葉だった。


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