第164話 愛していたはずのものさえも
「なっ、レティ……」
よろめいたウィリアムはわずかに後退してそのまま膝をつき、
両手でおさえた腹部からは黒々とした血が流れ出ていた。
「あれは、ダメだ……」
呆然としたままでいるアリシアの傍らに立つアベルが苦い声でつぶやいた。
アリシアにもすぐに理解できた。ウィリアムは肝臓をやられたのだと。
即死するような刺し方でこそないが、致命傷なのは間違いなかった。治癒に特化した魔法士でもいれば助かるかもしれない。
しかし、そんな都合のいいものはこの場に存在しなかった。
「衛生兵はいな――――え、何?」
そこで通信が入った。アリシアとアベルにのみ繋がる秘匿回線だった。
「まさか、最初から俺を殺すために……? だが、なぜ……」
何も語らないレティシアへ、ウィリアムから問いかけが発せられた。
周囲のすべてから視線が向けられる中、感情のない表情でウィリアムを見下ろすレティシア。その可憐な口が開かれる。
「「ヴァルター・ヴィクトル」」
そっとつぶやいたレティシアの声とアリシアの声が重なった。
「……は?」
一方、告げられたウィリアムは言葉を失うだけだった。
誰かの名前ということはわかる。しかし、まるで覚えがなかったのだ。ウィリアムは血の気を失った顔でレティシアとアリシアを交互に見る。
「さすがはアリシア様ですね。“予期された盤面”をひっくり返された上、そこまで掴まれていただなんて」
感心したとばかりにレティシアは賞賛の声を上げた。
今までののんびりとしたような口調ではない。はじめてアリシアは彼女の本当の顔を見た気がした。
「残念だけど、わたしもついさっき知ったばかりよ。時間がないわ。あなたの口から話してちょうだい」
元々、アリシアとアベルは一連の事態の中心にいるレティシアの素性を調査させていた。
ところが、ザミエル男爵家を調べても何も出て来なかったのだ。夫人は数年前に死亡し、当主も病で半分死んでいるような状況で断絶寸前。彼女が他国の間諜として疑わしいとは思っても確証に至るものがなかった。
そんな中、最新の情報が先ほど届けられたが、それは一歩間に合わずウィリアムが刺された直後だった。
いずれにせよ、ここは自分の推理を披露する場所ではない。そう視線で告げると、レティシアは小さく首肯してウィリアムを見る。
「覚えておられませんね、ウィル様?」
「…………」
ウィリアムは答えられなかった。
「ふふ、予想はしていました。尊き御方はお忘れですよね。そこの内務卿に根回しして謀殺した騎士見習いの名前なんて」
レティシアは淡々と答え、次いで彼女を知る者が一度も見たことがないほどの冷淡な視線をコンラートへ向けた。
殺意にも似た憎悪を浴びた
だからだろうか。レティシアは自嘲するように寂しげな笑みを浮かべて口を開く。
「アリシア様がおっしゃられたように、わたしは教会によって訓練を受けた工作員です。訓練と言っても、ファビオ様から紹介された者に簡単な知識とご大層な教義、それから邪魔者の排除の仕方を吹き込まれただけのものですが……」
レティシアは語り始めた。
「わたしはザミエル男爵の庶子としてこの世界に生まれました。しかし父親からは認知されず、教会の運営する孤児院でずっと育ちました。学園へ上がる直前で父に認知されたのです」
レティシアは語らないが、先ほど受けた報告からアリシアとアベルはすでに情報を得ていた。
その頃から彼女は不思議と人から好かれていたらしい。頭も貴族教育を受けていたとしても信じられないほど良く、孤児院では特待生として学園に入れると持て囃されていたという。
これが原作主人公としての補正なのか? おそらく攻略キャラには劇的に作用するものなのだろうな。
欠けていたパーツが繋がり合っていく中、アベルはようやくレティシアが本来の攻略キャラすべてを篭絡した能力の正体に確信が持てた。
「わたしは……べつにこんな力なんて欲しくなかった。だけど、教会の暗部はそれを見逃さなかった。わたしのように貴族の血を引く人間は格好の候補だったようです」
どこまでも抜け目のない連中だとアリシアは思う。
以前、アベルとふたりで誘拐組織を壊滅させていたが、ちゃんと彼らは複数の手段を用意していたのだ。おそらく、非合法な手段よりも“人材の物色”が可能だからだろう。表面上でも孤児院を真っ当に運営していれば誰も非難はできないからだ。
「ウィル様、思い出されました? 学園に入学が決まってあなたと初めて出会った時、わたしには恋人も同然の相手がいたことを」
どこまでも穏やかに、レティシアは問いかけた。
罪を告発しようとするでもなく、ただただ事実だけを確認しようとするように。
「俺は……あの時……」
すこしずつウィリアムの記憶が蘇ってきた。思い出すのはすべての始まりだ。
「そう。入学式の前だというのに道に迷っていたわたしは、アリシア様から逃げて来られたウィル様と偶然出会いました。そこで婚約者と上手くいっておられないお話を聞かせていただきましたよね?」
アリシアとアベルの表情がそれぞれに小さく歪んだ。今まで見えなかったもの――レティシアの動機がわかったからだ。
新入生答辞を控えて神経質になっているウィリアムに対して口うるさい
「もちろん、ここで貴族のご令嬢たちから口さがなく言われたような、わたしからのウィル様へ
珍しくレティシアは断言した。そこだけは譲れないと言うかのように。
しかし、彼女の言う通りだとアベルは思った。
記憶が間違っていなければ、レティシアが“本来の攻略キャラたち”を篭絡していったのはもっと後になってからだ。
だからこそ、先ほど得られた情報が大きな意味を持つ。もしもこの世界が
「孤児院に入ってから、ずっと一緒に育ち、兄のように慕ってきたヴァルター様が騎士団の任で盗賊の討伐に出向き――――戻られなかったのはその数か月後でした。送ってくれた手紙では大きな任で騎士への叙任も速まるかもしれないと喜んでいました」
遠くを見るような瞳でレティシアは語っていた。
孤児院で育ったということはヴァルターは平民だったに違いない。騎士になるために相当な努力をしたのだろう。
騎士になった平民向けの“
「見習いにもかかわらず、孤児院の出だからとずいぶん無茶な任を与えられたそうですね。これはいったい誰が発案されたのでしょう?」
語り続けるレティシアの表情は不気味なほどに変わらない。
愛していたはずの者の死を語っているにもかかわらず、今だけはそれさえも忘れようとするかのように。
「復讐、か……。ならば、おまえが……俺に向けて、くれ、た愛は……偽り、だったの、か……?」
止まらない失血によりウィリアムの呼吸が荒く、言葉も途切れ途切れになっていく。とうとう彼は姿勢を保てず後方へと力なく倒れていった。それでも、視線だけは最愛のレティシアを向こうとしたままだ。
「いいえ、ウィル様。それは違います」
首を左右に振ったレティシアは静かに微笑んだ。
「レティシアは、あなた様のことを心から愛しておりました」
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