第169話 消える飛行機雲


 アルスメラルダ公爵領北部。

 限られた者しか知らないその地に、ターボジェットエンジンの轟音が響き渡った。

 次いで見渡す限りの蒼穹を灰色に塗られた鋼鉄の矢が高速で通過していく。

 二条の航跡をわずかに残したそれは、遊撃兵団基地の上空で左右に別れた。凱旋というよりはちょっとした“遊び心”だ。


『司令部、こちらバレット01。基地上空に差し掛かった』

『同じく、ハンマーも到着』

『こちら司令部了解。ハンマーが先に着陸、バレットは指示があるまで上空で待機。ドラゴンに警戒しろ』

『そいつはおっかねぇ。……レーダーに不審な反応なし、FORCAPForce Combat Air Patrolを続ける』

『ハンマー了解。これより着陸態勢に入る』


 基地との通信を経て、直掩機ちょくえんきのロッキード・マーティンF-35A“ライトニングⅡ”ステルス戦闘機2機が上空に飛行機雲ベイパートレイルで大きな弧を描きながら基地上空をゆっくりと旋回し始めた。

 その音へ紛れるように全翼機――ブーメラン状の漆黒の機体ノースロップ・グラマンB-2A“スピリット”ステルス戦略爆撃機の全幅50メートルを超える巨体が悠然と高度を落としながら、長大な滑走路へと滑り込むように着陸していく。こちらは排気に塩化フッ化スルホン酸を混ぜているため飛行機雲は発生していない。


 機体内に格納されていたランディングギアが姿を現し、タイヤが地面に触れて摩擦音を立てる。

 アリシアはその光景を滑走路から離れた司令部の屋上から見つめていた。


「作戦機すべて無事に帰還しました。『雷神の鉄槌作戦オペレーション・トールハンマー』成功です。……ここにおられたのですね」


 F-35Aが着陸したあたりで背後から声をかけられた。

 声だけでわかる。アベルからのものだった。


「ご苦労さま、アベル。これで一応すべてのカタはついたわけね」


 返事をしながらアリシアは身体ごと後ろを振り返る。そこには従者の銀髪が風に小さく揺れていた。


「私は司令部でモニターしていただけなので、ねぎらいの言葉は彼らに直接お願いします」


「ええあとで。――さて、しばらくは静かにしていられるかしら?」


「表立った報復と公言はできませんが、それでも我々の仕業と気付く者も出てくるでしょうね」


 アリシアの問いかけにアベルは首肯した。


 やむにやまれぬ事情がない限り、アリシアたちは極力海兵隊の全力――現代兵器を前面に押し出した戦い方や示威行動などはしてこなかった。

 それでも過去2回、国外の者にその力の一端を見せつけている。王都をエイブラムスで進軍した件は――それぞれにどう伝わるか次第だろう。


「スベエルク殿下を通じたアンゴールと、同じくアウグストゥス殿下経由のエスペラントね。自身が国内で優位に立つための手札にするってところかしら」


「おそらく。我々と積極的に事を構えるメリットがないですからね」


 アリシアたちの本当の恐ろしさを肌で感じ取った彼らなら、強硬派の主体となって馬鹿な真似をすることはないと思う。

 まつりごとの世界に絶対などありえないのだが、それでも状況をマシにしてくれる人間がいるのといないのとでは大違いだ。


「周辺の、それも強国ふたつが動かないだけでずいぶん楽になるわ。国内は大丈夫かしらね。旧王室派もランダルキア戦役に出ていない諸侯は戦力を温存していると言えるけど」


「マックス――とはもう呼べませんでしたね。正式に後継者となられたマクシミリアン殿下が辣腕らつわんを振るわれておりますから他国の付け入る隙もないでしょう。余計なちょっかいを仕掛けようとする連中も、ついさっきいなくなりましたから」


「あら、そんな連中がいたの? 恐ろしい……」


 初めて聞いたとばかりに、アリシアは驚いたふりをしてふたたび空を見上げた。主人の白々しい態度にアベルは苦笑するしかなかった。

 相変わらず空はどこまでも青く澄み渡っている。地上で日々思い悩む人間のことなど知りもしないようだ。


「早いものね……」


 アリシアの声のトーンが落ちた。


「ええ」


 王都で起きた“政変”から、すでに1ヶ月あまりが過ぎていた。

 当初はアルスメラルダ公爵の蜂起――より厳密に言えば、突如として帰還した第1王子マクシミリアンが公爵軍を伴って王城を占拠し、王位に着くと宣言したため国内は揺れに揺れた。

  貴族派はいち早く兵を率いて駆け付けようとしたし、王室派は徹底抗戦か一刻も早く鞍替えして被害を最小限に食い止めるかで割れた。

 もっとも、そんな慌ただしい動きすら新たな火種とはならなかった。


 ひとつには観兵式から日も浅く、諸侯の多くが王都に残っていて身動きの取れる者がいなかったこと。これによって即座に内乱へ突入せずに済んだと言われている。

 もちろん、そもそもの話として騒動があっという間、半日程度で終わってしまったこともあるだろう。

 極めつけは先王エグバートの遺言状および継承の指輪、さらには更迭された貴族の中にマクシミリアンを知る者がおり、彼らの証言もあって土壇場の交代劇は驚くほどスムーズに進んだためだ。


「少なくない人が犠牲になったわ」


「あれだけで済んだ。割り切れないでしょうけど、そう思うしかありません」


 もっとも大きな衝撃で伝えられたのは、ウィリアムが内務卿コンラートによって殺害されたことだろう。

 跡目争いから外れていたはずの第1王子の帰還により、一連の事件に関与していたことの露見を恐れたコンラートは、土壇場で関係者を始末しようとしたのだ。自身が暗殺しようとしたマクシミリアンの存在を恐れるあまり狂を発したとも言われている。

 結果として第2王子ウィリアムと婚約者のレティシアは死亡。コンラートは自決しようとしていたところで何とか間に合い叛乱の容疑で拘束された。

 その後半月ほどの取調べが行われ、コンラートは内務卿を罷免され、シュトックハウゼン侯爵家も取り潰された後に処刑台送りとなった。


 


 実際にはコンラートの自供も含め、調べれば調べるほどに背後で教会が暗躍していた痕跡が出てきた。

 あの時レティシアは「何の証拠も残していない」と言っていたが、実際には彼女の持ち物から日記が見つかりそれが大きな証拠となっている。

 そこには教会がどのように接触してきたか、これまで起きてきた事件の背後でそれぞれがどのように動いていたかなど、断片的ではあるが可能なかぎり事細かに記されていた。

 いざとなれば真っ先に切られるであろうレティシアがこれを残したのは、せめてもの良心の呵責だったのだろうか。


 いずれにせよ、彼女の日記の存在で孤児院を隠れ蓑にしていた教会の連絡員を拘束でき、そこから引き出した情報を元に教会強硬派ともいうべき者たちの斬首作戦――『雷神の鉄槌作戦』を実行に移せたのは間違いない。


 自らの持つ情報を開示すれば取引でどうにかなったかもしれない。

 しかしレティシアがそれを選ばなかったのは、最後は国を乱した“悪女”として死のうと決めていたからではないか。

 そこまで聡明な考えを持ちながら、彼女は復讐の呪縛から逃れられなかった。


「本当であれば、彼女じゃなくてわたしが……」


 運命を変えた揺り返しなのか王位はウィリアムからマクシミリアンへと移り、悪役令嬢アリシアではなく主人公レティシアが舞台から消えた。

 アベルが語ったゲームとやらのシナリオとはまるで違う結末となったが、この先に待つのは本当に何者にも描かれなかった白紙の未来なのだろうか?


「アリシア様、その結末はなくなりました。……少なくとも今は。それ以上考えるのはよしましょう」


 アベルはそっと主人に語りかけた。


 アリシアたちに語りはしたが、結局のところ真相は未だなにひとつわからないままだ。

 王城地下に封印された聖剣も誰も存在を知らないので手つかずにされている。シナリオ以外でどのような役目を果たすのかも不明だが、あれが必要となる脅威はもしかしたら存在しているのかもしれない。

 それともここは“ただ似た世界”なだけなのだろうか。地球上で語られる創作物も、実在する別の世界の情報を偶然創作者が脳で受信している可能性とて否定できない。


 きっと答えは出ない。アベルはもう考えないことにした。


「そうかもしれないわね……。うーん、なんだかどっと疲れたわ」


 手すりに背中をあずけてアリシアは大きく息を吐き出した。


「はは、心中お察しいたします。どこか遠出などされますか?」


 思い返すといくさや政争以外で、領地以外のどこかに出かけた記憶がここ最近ない。


「それ、いいかも」


 少々気の抜けた声でアリシアが応じた。

 考えてみれば今が一番良いタイミングかもしれなかった。


 この先もやることは山積みだ。そのあたりの草案も含めて、マクシミリアンや新たに内務卿に就いたハームビュッヒェン侯爵をはじめとした役人の面々が今頃必死で頑張っているはずだ。

 それに関連して、クラウスに再度内務卿への就任依頼があったらしい。

 だが彼は「少なくとも今はその時でない」として固辞し、ようやく砦を離れたオーフェリアと共に領都クリンゲルで静かに政務にあたっている。


 アルスメラルダ公爵家の軍事力を後ろ盾として王位に就いたマクシミリアン王政下で、クラウスが内務卿となれば諸侯の中には不安視する者も出てくるだろう。

 旧王室派が自分たちを用済みと思い込み、外国勢力と結託する恐れもある。隙を見せればランダルキアもそうだがエスペラントもどう動くかわからない。北部あたりが不安定化すれば、今は第3皇子に過ぎないアウグストゥスの力だけでは抑えきれないだろう。だから――


 そこでアリシアは思考をやめた。


「うん、遠出――遊びに行きましょう」


 これ以上は意味がないと思った。


 辛い記憶、重い記憶も数多く残っているが、それでも関係なく明日はやってくる。後悔があるなら過ちを繰り返さなければいい。そのためにも前を向いて歩いていくしか道はなく、無理矢理であっても気分の切替は重要なのだ。


 アリシアはそう自分に言い訳した。

 けしてストレス過多でいい加減頭がおかしくなりそうだったからではない。


「そうだ。せっかくだしみんなに声をかけてどこかに行かない? 今からなら……南とかどうかしら」


 ふと思いついたとばかりにアリシアは声を上げた。


「南ですか?」


「ええ、海が見たいの」


 アリシアは空を見上げた。

 空はどこまでも青い。夏はすぐそこまで近付いている。 





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