第170話 夏を抱きしめて


 少し時期が早いかと思われたが、南も南――王国最南端まで来れば気温もそれなりに高くなっており、さながら初夏の気候が北部よりもひと足先に漂っていた。


 南部で最も栄えている都市コリントス。ここは王国でも数少ない行楽地として知られるだけのことはあって、貴族たちや裕福な商人などの別荘も整備され寂れた港町とは一線を画していた。それもこれも領主が地域にまで得た財を還元しているからだ。


 石畳を敷き詰めた道の所々には街路樹のように南国の木々が植えられており、立ち並ぶ白亜の建物と相まっていかにも涼しげに見える。

 街のすぐ側には海水浴でもできそうな砂浜があり、その遠くで波を繰り返す海の上からは日が燦々と照り付けてくる。

 漂う磯と潮の香りに、海を渡っていく鳥たちの鳴き声。吸い込まれそうなほど青々とした空が広がり、遥か南――別大陸へと続く海の彼方には積乱雲の姿。


 夏を凝縮したような風景がここにはあった。




「そりゃあね? 私もたまには遊びに来たらどうかとは言っていたけどさ……」


 立ち並ぶ中でもひと際大きな屋敷の玄関で、ルーデンドルフ公爵ハインツはいかにも行楽地らしい――言い換えれば「おまえ本当に公爵か?」と疑いたくなるようなラフな格好で客人を出迎えた。

 もっとも、それと反するように彼の表情は完全に引きつっていたが。


「だろう? 。持つべきものは頼りになる従兄弟いとこだな」

「ちょっとの間だけどお世話になるわね、ルーデンドルフ公」


 代表者としてクラウスが口を開き、隣のオーフェリアが微笑みながら続けた。


 ちなみにアルスメラルダ公爵家はこの地に別荘を保有していなかった。

 より厳密に言うと元々はあったのだが、クラウスとオーフェリアが結婚してしばらくしたのち、彼女が西方の抑え役にされてから処分してしまったのだ。

 実際に使うかどうかは別として、妻に対する彼なりの配慮だったのかもしれない。


「ふたりともやけにのんびりした格好をしているし……。楽しむ気満々じゃないか」


「いつも遊び惚けているおまえにだけは言われたくないな」

「同意しますわ」


 真っ先に答えたクラウスもそうだが、今日のオーフェリアはいつもの比較的かっちりとした格好から上品ながらも幾分か気楽さのある衣装に変えており、どこからどう見てもバカンスモードとなっている。

 彼らの背後に居並ぶ娘のアリシアや、その仲間たちも同じような感じ――いや、海兵隊連中などは思いっきりハメを外している。遊ぶためだけに気合いを入れ過ぎだった。


「だからってこの人数はさぁ……」


 そう、アリシアたちはハインツの屋敷へと押しかけていた。


「そりゃここはそういう街だよ? だけど、ものには限度ってものがあるんじゃないかな?」


「今を逃すとしばらく来られないかもしれなかったからな。思い立ったが吉日というやつだよ」


 少なくとも嘘は言っていない。なるべく国政から一歩引いて、領主は続けるにしても早めの隠居生活を送りたいくらいには思っていたが。


「隙間を見つける度にこんなことされたら堪らないよ。これだけの人数を受け入れるのも大変なんだからさ」


「べつにアポなしじゃなく、事前に通達はしておいただろう?」


 たしかに知らせは届いていた。だが、届いた翌々日に来るやつがいるか。普通は1~2週間かかるものだ。


「あのね、従兄弟殿たちは動きが速すぎるんだよ。非常識なくらいね。なんとか間に合ったから良かったけれど、人数までは聞いてなかったよ……」


 盛大に溜め息を吐き出したハインツだが、不満そうな言葉とは裏腹に表情は満更でもなさそうだった。

 ずいぶん時間はかかってしまったが、ようやく“彼ら”が若かりし頃に夢見た国の形にまた一歩近付いた。かつての時代を過ごした仲間とそれを分かち合えるのが今は嬉しいのだろう。


「安心しろ。そろそろまた別荘を買ってもいいと思っていた頃だ。今後とも贔屓ひいきにさせてもらう」


 ハインツの目が小さく光った。魔法の言葉だった。

 実際、交易の独占で得た利益などは国内に還元していかなければ経済が回らない。クラウスもアリシアも無駄遣いをする気はないが、適切な金銭の循環となるなら貴族として使うべき場面では惜しむつもりはなかった。


「あとでオススメの物件リストを用意させるよ。あ、今の情勢だと例のランダルキア戦役で持ち主戦死のまま半分空き家になってるから、お供のみなさんはそちらに振り分けようか」


 仕方ないと観念したように、ハインツはアルスメラルダ公爵家一行の歓迎を決めた。


 当然、この大盤振る舞いにも打算はある。


 空き家――持ち主が戦死したともなれば、大抵は徴募した兵士も壊滅的な被害を受けていることがほとんどだ。彼らへの見舞金なども嵩み、残された者たちにたまにしか使わない別荘など維持できるわけもない。多くの貴族は少しでも現金を確保するために泣く泣く売却を選ぶだろう。


 どうせそのうちに売りに出されるのだ。なにもせず遊ばせておくよりはマシだろう。そうハインツは判断していた。


「では素晴らしいサービスを期待しておくよ」


 面倒なことは領主兼管理者であるハインツに任せればいい。今回ばかりは他人事でいられそうなクラウスは遠慮なく厚意に甘えることにした。


「それに見合った支払いをちゃんといただければね。あるいは“今後”に期待……かな?」


 こんな時でも商談のチャンスを見逃さないあたり、さすがは中立派の盟主と言えた。


「あまり商売っ気に走るのは感心しないぞ」


「ははは、確信しているのさ。今回の政変でどれだけ軍関係のポストが空くと思う?」


 クラウスはわずかに眉を顰めたが、実際はハインツの言う通りだった。


 第1騎士団はアルスメラルダ公爵家別邸襲撃に直接関わっており、言い訳不能の叛逆罪で解散処分とされた。コンラートの甘言に乗った首謀者である団長・副団長がすでに死亡していたのもあって、これでも十分に寛大な処置といえる。


「少なくはないだろうな、大改革になる。軍務卿の役職を新設するとの話も聞いた」


「たかがひとりふたりの役職なんてべつにいいのさ。それより従来王室派とされてきた騎士団が変革を求められているだろう? 私の関心はむしろそちらだね」


 元々、戦闘に耐えるだけの魔法士が多くない王国騎士団は、今回の騒動を経て特権階級としての存在意義が問われていた。

 特に昨年のアルスメラルダ公爵家遊撃兵団との模擬戦およびランダルキア戦役で得られた数々の教訓により、今後も存続させるべきか疑問を持たれていたのが最大の原因だ。これは従来大きな声ではなかったが、実際に戦ったマクシミリアンが後継者となったため彼の政策には盛り込まれているらしい。


 今回を転換点として、軍事組織を国軍と領主が持つ兵力が併存するものから国が一括管理する体制に移行しようとしていた。方法こそ異なるが、いずれはウィリアムが目指した強国への道となるだろう。

 当然一朝一夕で実現するものではない。しかし、徐々に志願兵を中心とした国軍の比重を増やしていき、最終的には領主の持つ軍事力を制限するつもりである。

 領地同士のトラブルをどう解決するかなど問題は多々出て来るだろうが、それは同じく強化する司法の手に委ねられる見込みだ。

 

「なるほど? もしもその流れが実現すれば?」


「そう思っているよ」


 勝ち馬であるアルスメラルダ公爵家の遊撃兵団、もしくは“彼らに教育を施している存在”が国軍の主要な地位に就く可能性は高い。それなりの地位にはそれなりの必要経費というものがある。

 今のうちにこの地の魅力を感じてもらおうとハインツは思っていた。


「まぁ、それだけが理由ではないのだけれど」


 ハインツはこれまでとは“別の理由”で、彼らとの縁が将来的に深くなっていくと予感していた。

 とはいえ、いつまでもこんな場所で話している内容でもない。そろそろオーフェリアが苛立っているらしく視線が怖い。


「いずれにせよ、今後は要職にある者でも長期休暇を取れるような国にしてもらいたいものだね。短期集中で忙しくなっても世話する人間の手配とかで困るんだよ」


「その意見には私も賛成ですね」


 集団の中からそっと進み出てきたひとりが口を開き、ハインツの表情が珍しく心の底からの驚愕を浮かべた。

 まさかこの場にいるとは思っていなかった人物の姿が目に飛び込んできたためだ。


「これはマクシミリアン殿下……!?」


 すっと直立不動の姿勢を作って最敬礼するが、対するマクシミリアンは困ったような声をかけてそれを止める。


「今日はお忍びの身です、ルーデンドルフ公爵。そう畏まらないでほしい。政務を放り出して来させてもらったようなものですから」


 放り出したと言うが、実際にはそれでも回る余地があったのだろう。

 現状目まぐるしく動いているはずの王都だが、それでも彼が抜け出る隙間が作り出せたのは、例の内乱騒動が王都のごく一部を巻き込んだだけで終わったからでもあった。


「彼らには大変世話をかけました。それゆえに――」


 これはマクシミリアンたっての願いでもあった。先王エグバート、そしてウィリアムの喪が明ける来年、彼はいよいよ王に即位する。

 遊撃兵団で苦楽を共にした仲間たちと“同じ目線”で過ごせるのは、これが本当の意味で最後となるからだ。


「重ねて仕方ありませんな……。よし、わかりました! このルーデンドルフ公ハインツ、みなさまを精一杯もてなして差し上げようじゃありませんか!!」


「「「「イェアッ!!」」」」


 かくしてアルスメラルダ公爵家とゆかいな仲間たちのバカンスが始まった。



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