第79話 地雷処理も忘れずに
公爵家屋敷の書庫には本が溢れんばかりに収められている。
筆頭公爵のアルスメラルダ家であるがゆえか、あるいは過去の当主たちの趣味かは知らないが、然るべき場所に持っていけば図書館でも開けそうなほどの蔵書が眠っていた。
その中には貴重な魔導書も含まれてはいるようだが、今のアベルにとって必要なものではない。
「これがそうか……」
アベルはその奥――――入口からは見えない場所に作られた隠し部屋の中で、大きな溜め息を吐き出していた。
「あれこれとやることがあって、今の今までほったらかしにしていたが……」
厄介事は早めに片付けておくに限る。どんなイレギュラーが起きるかわからない。
アベルが向ける視線の先、数平方メートルほどの暗い狭い部屋には中央に台座が設えられているのみで、その上には漆黒の革表紙の本が載せられている。
部屋の中に本の類は他に一切存在しておらず、この時点でなにかを隔離するためだけに作られた場所なのだと直感的に察することができた。
しかし、実物を見ればそうなった理由もよくわかろうというものだ。
「リアルで見るとやっぱりひどいな……」
その本は、ただそこにあるだけにもかかわらず、見るだけで精神を削られそうなほどに禍々しいオーラを放っていた。
どう考えても、まともなであるはずがない。
つまりところ、ここまで厳重に封印しておかねばならないほど危険なものなのだ。
「処分できなかったのもわかるが、コイツがあるせいでルートによっちゃ公爵家ごとバッドエンドまっしぐらなんだよなぁ……」
ここではない場所で幾度か見た“本来起こり得る未来”が思い起こされ、深い溜め息が秀麗な口元から吐き出される。
思い出したのはたまたまだ。
アベルとしては、夏以降の悲惨な運命を大きく変えたつもりでいたため、この存在についても記憶から抜け落ちていた。
「そいつを処分してしまうのか?」
突如として背後から投げかけられた声。
アベルは瞬時に身体を半回転させながら、袖口に仕込んでいたナイフを引き抜こうとする。
「気になるのはわかるが、そちらに意識を取られ過ぎだぞ」
続いたのは嗜めるような響き。
振り向いたアベルの視線の先には、いつの間に近付いていたのかリチャードの姿があった。
「少将……」
アベルは驚愕のあまり硬直。
そこにいたのが見知った顔であったことも動けなくなった原因のひとつだ。
しかし、なによりも彼を驚かせたのは、身体ごと旋回したアベルの腕をリチャードは自身のそれを軽く添えるだけで攻撃を完全に受け止めていたことだった。
「フム、すこし鈍ったか?」
もちろん、アベルも途中で気が付いたため急停止をかけたのだが、それでも彼の上官の動きは信じられないほどの素早さを見せていた。
「なにをおっしゃる。少将が規格外すぎるんです――――って、あの、その格好は……?」
違和感を覚えて視線を動かしたアベルの表情が今度は困惑の形に固まる。
アベルの前に姿を見せたリチャードは、どういうわけか燕尾服に身を包んでいた。
きっちりとした隙のない着こなしに、その身から漂う落ち着いた雰囲気。
多少体格が良いことを除けばまるで本物の執事のように見える。
「あぁ、これか? 当面はやることもなさそうだから、執事でもやらせてもらおうと思ってな。もっとも、そちらのスキルは本職には及ばないから、どちらかといえば公爵閣下とお嬢様の護衛をカモフラージュするためでもあるがね」
そう言って軽く身体を動かしてみるリチャードだが、すでに綺麗で無駄のない動きを身に着けている。
よっぽどでなければ本職ではないと見抜かれない気がするから不思議だ。
「いくらなんでもハマり過ぎですよ。褒め言葉になってるかはわかりませんが……」
海兵隊といえば別名 《殴り込み部隊》。
時に粗野なゴロつき扱いされることもあるが、将官にまで登り詰めるエリート街道を歩んできた彼にそんな評判は当てはまりそうもなかった。
とはいえ、実際のところはアベルも高等教育を受けた佐官であるし、彼が召喚するメンバーもそれなりの癖はあっても粗暴な振舞いをするような人間ではない。
「いやぁ、十分な褒め言葉さ。すくなくとも、この世界の貴族としての記憶を持つ人間からそう評されるのであれば偽装効果は出ているのだからな」
自由すぎる。このまま放っておいたら“スパイ執事”でも勝手にやり始めかねないぞ、この人は……。
そんな危惧がアベルの脳裏に浮かび上がる。
できるだけ早めにリチャードへなにか仕事を押し付けようと強く決意するも、今はそんな場合ではないことを思い出す。
「あぁ、すまん。話が逸れたな。それで、どうするつもりだ? 未だに魔法だなんだというものを信じるのに抵抗はなくもないが、そいつがきわめて厄介なモノだというのは私にだってわかる」
発せられる禍々しいオーラを感じ取っているのか、リチャードは視線を向けるのも厭わしいとばかりに眉を
「開いて発動させなければ空気を悪くする悪趣味な置物に過ぎませんよ。ですが、万が一の場合を想定すると、存在していること自体が問題となります。今のうちにテルミット焼夷弾で焼却してしまおうと」
「ほぅ……」
アベルの選択を聞いたリチャードが面白そうに口元を歪めた。
なんかつい最近もこんな感じの表情をどこかで見たような……。
アベルはその笑みに軽い
「こんなものに頼らなければいけない時点で、すでに趨勢は決まっていることでしょう。もとより負けるつもりはありませんが、それでもひとつの可能性として考えておかなければならない。まぁ、いずれにせよ悪い意味で歴史に名を残すような真似は避けるべきかと」
「なるほど。だが、それがあれば状況はひっくり返せるかもしれないな」
リチャードはあくまで効率を重視するかのように反対の立場から言葉を並べる。
アベルにはわかっていた。
べつに、リチャードは禁忌魔法の使用に積極的な立場をとっているわけではない。
あくまでも、感情的な理由だけで切り札を廃棄して良いのかを問いかけているのだ。
「それについては実は阻止されてしまいます。相手側に対策と申しますか、特効兵器が存在しているのです」
そこでアベルは、本来であれば起こり得た未来についてリチャードに事細かに説明していく。
この禁忌魔法は、戦場に倒れた死者を強制的に蘇らせて使役する究極の攻勢アンデッド魔法だ。
本来起こりえた未来では、アリシアとウィリアムの婚約破棄をきっかけに内乱へと発展し、王家を筆頭とした国軍と公爵家を筆頭とした反乱軍が激突。
反乱軍の先鋒が敗れた後、あらかじめ仕組まれていた魔法が発動する。
戦いで発生した死者が王軍公爵領軍を問わずアンデッドとなって甦り、その軍勢で残った王軍を背後から強襲していた。
「これを使って作り出した状況をひっくり返せるものがあるというのか?」
ふむ、とリチャードは腕を組んだ。
「ええ。これもまたファンタジーの産物ですが、とんでもないものがね」
アベルが答えたとおり、一発逆転を狙ったアリシア(闇堕ち)の目論見は上手くいかない。
そして、見せしめとして捕らえられたアリシアの最期は世を恨む怨嗟の声を上げたまま――――
「ならば、今のうちにその聖剣とやらを封じるなり破壊してしまえばよいのではないか? そちらの方が仮想敵の戦力をダウンさせられる」
事もなげに言うリチャード。
今のメンバーでも潜入チームを編成して闇夜に乗じて王都へ乗り込めば、それとてけして不可能ではないだろう。
「おっしゃられるように、それも選択肢としては有効でしょう。しかし、聖剣を破壊してしまうと、今度は外敵に対して王国の危機を救う切り札がなくなります。大規模な攻撃方法が魔法主流のこの世界では、その効果を著しく減衰させる聖剣を失うことは長期的に見れば大きな損失になることでしょう」
アベルは自分たちがいなくなった後のことを考えていた。
実際、この海兵隊支援機能はアベルの固有魔法が中心になっており、“権限移譲”という形で現地人を除く各メンバーが使用可能となっている。
つまりアベルが死ねば魔法としての効果が切れ、それ以後は使用不可能になる可能性が高い。
この機能を最大限に利用すれば、おそらく数十年間はこの大陸の覇者となることも不可能ではないだろう。
しかし、その後の反動が怖すぎる。
先ほどの話ではないが、基礎のない技術を投入するのではなく、できるだけ地力を作りながら発展させるべきなのだ。
そのような危惧がある中で、この世界に元々ありつつも禁忌魔法ほど体面的な部分が厄介ではない切り札を自ら捨てるのはどうなのかと思うのだ。
「なるほど。だが、そのようなそれはそれで不確かな存在に頼ることになりそうだな」
「もちろん、我々がそれを頼るつもりはありません。しかし、後世にまでそれを強いる必要はありませんし、それはその時の人々が決めればいいことです」
数年先だってどうなるかわからないのに、そんな未来のことまで責任なんて持てません。
そう言い切ったようなものである。
「そもそも、我々海兵隊がこの世界に呼ばれたのは、そんな陰惨な未来を手繰り寄せないためでもあります。ならば、我々で禁忌魔法なんぞがもたらすものよりも大きな戦果を上げてやればいい」
――――聖剣などよりも、よほど厄介な伝説を残してしまいかねないだろうけど。
容易に予想できる未来にアベルは小さく笑みを浮かべる。
「そうか……。そこまでの覚悟があるなら私から言うことはないな。……よろしい、燃やしてしまえ。そんな辛気臭いもの、存在するだけで気が滅入ってくる」
剛毅な笑みを浮かべて命令を下すリチャード。
本当は彼も、そのようなものは不要だといの一番に言いたかったのだろう。
「それにな、少佐。実のところは、私もあのお嬢様が悲しんだり、後悔して生きていかなきゃならないようなことは起こしたくないんだよ」
すこしだけおどけたように表情を崩すリチャード。
しかしながら、彼が見せた所作はアベルから見ても実に色気のあるものだった。
「イエッサー! 小官もそう思っております。ぜひ少将のお力添えをいただきたく!」
アベルも直立不動の姿勢を作り、上官に対して見事な敬礼で応えてみせた。
『――――裏任務“
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