第136話 魔法の竜《パフ・ザ・マジックドラゴン》


 アウグストから発せられた命令を受け、撤退準備を始めた帝国軍を尻目にしつつ、戦場のど真ん中――会談場所を離れたアリシアたちは、北方貴族たちが布陣する方面へと歩を進めていく。


 味方の陣地へ近づくほどに王国軍の動揺、あるいは戸惑いと呼ぶべき感情が戦場となり損ねた空気を通してひしひしと伝わってくるようだった。


(ずいぶん狼狽うろたえちゃっているけど、普通はこんなものよね……)


 回避不能と思われていた戦いが突如としてなくなったのだ。彼らが右往左往するのも当然の反応であり、あざけるべきものではない。

 指揮官レオナルトがどう思っていたかはさておき、近年稀にみる絶望的な戦いになると覚悟していたところ、敵が戦いもせず退き始めたのだから混乱するなという方が無理な話である。


「……アベル、ガンシップを上空に呼べるかしら?」


 ふと予感が脳裏を過ったアリシアは、後方に控えるアベルへと振り向いて語りかける。


「AC-130Uを? 帝国に対するダメ押しの示威行為、というわけではないのですね?」


「万が一……いえ、もうちょっと確率は高そうだけど、もしもの時の“保険”みたいなものよ。でも、それは……」


 問いかけに応じたものの、にわかに言い淀んだアリシアの表情を見て、アベルも一瞬だけ怪訝な表情を浮かべる。

 しかし、それ以上訊きはせず、通信兵を招き寄せ、彼が背負っていた無線の受話器に向かって指示を飛ばす。


「こちら司令部HQ。パフ、聞こえるか。地対空ミサイルSAMに怯えないで済む異世界のんびり遊覧飛行は終わりだ。こっちへ飛んで来い」


『こちらパフ。意外だなぁ、中佐。交渉は失敗しちゃいましたか?』

『よーし、おまえらー! 戦争の時間だぞー! 105mm砲の弾しっかり用意しとけよ!』

『大尉、自分は40mmで暴れたいです!』


 付近を飛んでいるスプーキーⅡAC-130Uの機長をはじめとして乗組員クルーから無遠慮な通信が返ってきた。


「失礼な連中め……。バカを抜かすんじゃないぞ、トリガーハッピーの野蛮人ども。交渉ならお嬢様が見事にまとめてのけたぞ」


『へぇ、そりゃあ目出度めでたい! ……じゃあ何用で? 出番がくるとは思っていませんでしたが……』

『あっ、まさか帝国の連中をチビらせるのが目的ですか? 可愛い顔して底意地の悪いことしようとするなぁ』

『おっかねぇや』


 懲りもせず次から次にAC-130Uから返ってくる軽口の嵐。さすがに聞き役に回っていたアリシアの眉も小さくひそめられる。


「……やかましい。だが、結果的には似たようなものかもしれんな。追って指示を出すから黙って飛んで来い」


了解コピー


「やれやれ、礼儀も知らないやつらですみませんね。それにしても……」


 “身内”の悪ふざけを謝るアベルだったが、途中で何かを察したのか言葉を切った。


「理解してくれたようね」


「一番の敵は外側じゃないってことですか……」


 わざとらしいとわかっていても、アベルは肩を竦めずにはいられなかったようだ。表情には状況を理解した気配だけでなく、呆れの感情も多分に含まれていた。


「そうよ、まったくイヤになるわよね。


 不意に立ち止まったアリシアが溜め息を漏らしつつ、鋭い視線を正面へと向けた。

 彼女の瞳には怒りの炎が静かに燃え上がっていた。


 アリシアが見据える先には、にわかに動き出そうとしている北方貴族たちの軍勢があった。そう、撤退ではなく侵攻にだ。


 アリシアが交渉をまとめたせいで肩透かしに終わったと勘違いしがちなこの状況、敵の撤退を好機チャンスとして追撃――帝国へ攻め入るべきだと主張するバカが出てきたのだろう。

 すこしでもまともに頭が働けば、相手国内アウェイへ突入したところで逆撃カウンターを喰らい、栄光ではなく地獄への突撃になると判断できそうなものだ。

 しかし、極限状態からの解放と敵が何もしないまま撤退する光景は「王国われわれに恐れをなして逃げた」と脳内変換させてしまうのだろう。お花畑もびっくりのレベルだ。


「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方、か……。救いようがないわね。目先の欲に目が眩んだ連中は……」


 吐き捨てるようにつぶやくアリシア。そんな彼女の耳に、遠くからかすかではあるが4発のターボプロップエンジンの音が聞こえてきた。

 あらかじめ飛んでくると知っていなければ戦場のノイズとして処理してしまいそうな音だ。まずは目立たないよう、それなりの高度を飛行しているのだろう。


『こちらパフ、空域に到達』


「こちら司令部HQ。ここからはわたしが直接指揮を執るわ」


 アベルに代わってアリシアが無線を取った。

 ちょうどそのタイミングで彼女たちを避けるようにして騎兵たちが突っ込んでいく。どう見ても各領主に使える騎士の混成部隊だったが、まさか一番槍を我先にと争っているのだろうか。


『これはこれは麗しのお嬢様! こちらの位置はわかりますか?』


「ちょっと周りが騒がしいけれどエンジン音は聞こえてる。……残念だけど出番が来たわ」


『了解、これより上空に侵入します。……What's the hellなんだこりゃ!? ええと、お嬢様? あの連中を地面ごと耕してよかったんでしたっけ?』


「……ちょっと? それじゃあわたしが問答無用って言ったみたいじゃない。あくまでもこれは“威嚇射撃”よ」


『あー、なるほど。空気を読めないおバカな連中への警告ですか』


 さも残念そうな声色で返事を寄越す機長にアリシアは苦笑するしかない。


「止まってくればそれでいい。でも、もしもバカな連中が引き返さなかったら、その時は105mmを叩きこんでもいいわよ。あ、こっちに誤射しないでよね?」


『そちらの位置は赤外線ストロボで追尾できてます。大丈夫ですよ』


 アリシアはそっと目を瞑る。

 非情の決断を下したが、和平の流れを維持するにはそれしかない。


『それよりもあとで揉めたりしないですか?』


「心配いらないわ。戦場での事故はつきものでしょ。


 AC-130Uへの返答は自らにも言い聞かせるためのものだった。


『了解、低空侵入を開始。火器管制FCSロック解除アンロック


 攻撃コースへ入るべく、大きく旋回しながら高度を下げたAC-130Jは左向きに機体を傾けつつ、アリシアたちの上空を通過していく。

 

 謎の音を立てながら飛んでくる物体に気付いた北部貴族軍の動きがにわかに乱れる。

 そんな彼らの困惑をあざ笑うかのように、次の瞬間、地面が炸裂した。

 上空から撃ち込まれた105mm榴弾の炸裂によって大量の土砂が巻き上げられ、さらには25mmガトリング砲と40mm機関砲が魔獣の咆吼ほうこうにも似た轟音を上げ続ける。


「なんだ、あれは!?」

「りゅ、竜だ!! 古代竜が復活したんだぁっ!!」


 突然の事態に、意気揚々と突き進んでいた北部貴族軍の動きが停止する。

 最初に耐えられなくなったのは人間よりも軍馬だった。銃声に慣れるための訓練すら受けていないのだ、各種砲弾の炸裂などもっての外だった。

 そして恐怖は連鎖して人間へと伝播する。


「冗談じゃない、やってられるか! 俺は帰るぞ!」

「かーちゃーんー!!」


『あ、壊走した。根性のない連中だなぁ』

『いや、無茶だろ。中東のゲリラだってケツまくって逃げるだろ……』

『軍を解散する前から散ってるけどいいのかこれ。敗残兵になっても知らんぞ』


 やはり上空からは様子がよく見えるらしく、北進していた者たちが泡を食って急速反転、南へ戻り始めていると報告があった。


「最悪の事態と、その次くらいにイヤな状況は回避できたわね……」


 どうやら見せしめを作るまでもなかったようだ。アリシアから小さく安堵の溜め息が漏れる。

 覚悟はしていたが予想に反して最小限の示威行動で済んだ。

 その一方で、ひとりの犠牲も出ていないながら軍が壊走するような醜態を“根性なし”と断定すべきかは……この際考えないことにした。彼らの多くはかき集められた農民兵に過ぎないのだから。


「ご苦労様、パフ。先に基地に戻っていいわよ」


了解コピーこれより帰還するRTB


 遠ざかっていくターボプロップエンジンの音を感じながらアリシアは逃げ散っていく“自軍”を眺める。


「犠牲らしきものもなし。結果オーライってやつかしらね?」


 新兵訓練を皮切りとして数々の鉄火場を経てきたアリシアの思考には、いざとなれば手段を選ばない苛烈なものも含まれりつつあった。これならクラウスも領主として備えるべき資質に問題があるとは思わないだろう。

 ……いささか果断に過ぎて別の問題が発生しかけてはいたが。


「上出来かと。ここまで含め、素晴らしい交渉でした。まさかこうも上手くいくとは思わず汗をかきっぱなしでしたよ」


 アリシアの独白に対してアベルが語りかけてきた。


「よく言うわ。あなた、ここまでずっと動揺していなかったじゃない。見ていなくたって気配でわかったわよ」


 涼しい顔で話しかけておいて。アリシアは不満げに小さく鼻を鳴らした。


「ははは、それはアリシア様も同様であられたかと。本当に大きく成長されました」


 肯定はしないまま、副官にして従者は話題をそっとすり変えた。

 未熟な部分があったことくらいわかっているのに、見ないふりをしてくれている。その上で褒められたら悪い気など起こるはずがない。とてもずるい態度だ。


「素直に喜べないわね。中将たちが集めてくれていた事前情報があったからこそよ。わたしの手柄じゃないわ」


「かもしれません。ですが、それを活かすも殺すもまた能力の内ですよ」


 すこしだけ窘めるような響きがアベルの声にはあった。

 あまり謙遜しすぎるのも領主として相応しくないと言いたいらしい。


「わかった、素直に受け止めるわ、ありがとう」


「いえいえ」


 短いが満足そうにアベルは頷いた。


「でも、面白いわよね。敵にすれば厄介な存在であっても、利を説けばそちらを選んでくれる。“ファーン”の時と同じね。相互理解って素晴らしいと思わない? ちょっとばかり労力を割かなければならなかったけど」


「たしかに。でも、とてもいち領主――それも代行のやるようなことじゃないですよ」


「いいじゃない、この方が。戦わずして勝つなんて、舞台の裏でこそこそと暗躍する悪役みたいで面白いでしょう?」


 暗躍を得意とする小物は敵軍に正面から乗り込んで「今すぐ撤退しないと吹き飛ばすぞ」などと脅したりしないと思うのだが……。


 主人の認識にズレがあるとアベルは思ったが、上機嫌に歩くアリシアの姿を見て、せめて今だけでも無粋なことは言うまいとするのだった。


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