第137話 憂国狂騒曲~前編~


 窓の外では春の穏やかな日差しが降り注いでいる。麗らかな陽気で道を行き交う人々の足取りも心なしか軽いものだった。

 まことに残念ながら、アルスメラルダ公爵であるクラウスはその恩恵にあずかることはできなかった。


 王都で急遽開催されることになった臨時国土防衛会議において、クラウスは襲いかかってくる地味な頭痛をこらえていた。

 その頭痛は彼が長らく王国貴族として蓄えてきた知識と経験、また立場知り得た現実を混合させることで導き出される判断の方向性を決めたと言ってもいい。

 のちに振り返ってみれば、これがひとつの契機となったかもしれないが、結局大きな流れの中ではある種必然だったと苦い笑みを浮かべるのだった。

 それでも、終生後悔といった類の感情を抱くことはなかった。


「いったいどういうことなのだ、公爵!」


 王都を守護する第1騎士団団長、ループレヒト・フォルク・ヘンネフェルト伯爵から発せられたものは怒鳴り声に近かった。

 無駄なく鍛え上げられた生来の痩身にぴったりと合った騎士団の制服は仕立てもよく、王都守護を意味する肩飾りを揺らしながら敵意の籠った視線を向けている。

 勇猛さを体現していると言えば聞こえはいいが、あまりスマートな感情の表し方ではない。これでは物語の敵役にしか見えないだろう。


「どうもこうもありはしない……。いい加減、相手国のペースに乗って動くような真似はやめろと言っているだけだ」


 縄張りを侵されたと思っているのか、殺意すら混じっている視線。それをさらりと受け流してクラウスは答えた。


「他国からここまで侮られるなど開闢かいびゃく以来の恥辱であろう。公爵、“叛徒”の討伐は畏れ多くも殿下の御意。遠征軍を組織せねばならぬこの時に、士気を下げるような発言は控えられよ」


 横合いから内務卿であるシュトックハウゼン侯爵が苦言を呈した。ウィリアムの名代のごとく澄ました顔をしているのが実に鼻につく。


(それにしても叛徒とはまことに恐れ入る。我々よりも強大であるエスペラント帝国や、同等とはいえけして侮ることのできないランダルキア王国を相手に、よくそのような言葉を使えるものだ)


 クラウスは皮肉を投げ返したくなったが、湧き上がる怒りを身体の外に出る寸前で押しとどめた。今日は喧嘩をしに来たのではない。あくまでも政争だ。


「そんなものは建前だろうが、勿体つけるな。それよりも、遠征で生まれる何千の死者はどうするつもりだ。数字の上だけの存在ではない。国力の衰退を招くのだぞ」


 クラウスの言葉は紛れもなく正論であった。

 だが、正論だからと通るわけではない。すでにこの場の主流である王室派は戦争による功績稼ぎに傾いている。形勢はクラウスが不利だった。


 臣下同士の争いであるならば国王への直訴という手段も取れよう。

 ところが、今の王国トップは“ウィリアムアレ”だ。これといった功績のない本人が躍起になって推し進めようとしているのだから聞くはずもない。


「国政に関わっている身じゃないけど、東部をはじめとして軍の動きがあった地方からは物や金の流れが低下しているのは事実だ。よもやだけれど、ヘンネフェルト伯爵は人間が木の股から生えてくるとでも勘違いしているのかな?」


 ルーデンドルフ公爵ハインツが気だるげに声を上げた。個人の政治的な意見は述べないものの指摘としては一石を投じるものだった。

 中立派と謳うハインツはこの場ではオブザーバーに近い。しかし、公爵という肩書きを持つ以上、彼がその他の貴族から抱かれる好悪とは別に発言力がある紛れもない事実だった。


「黙っていろ、放蕩貴族が……!」


 ハインツの態度が癇に障ったルーブレヒトは「お前が詳しい女の股の話をしているのではないのだぞ」と口にしかけるが、さすがに公の場での暴言は憚れた。


「これでも南部の“治安維持”にはそれなりに自信があるんだけれどなぁ」


 ハインツは意味ありげに笑うと、周りの貴族たちがにわかにざわつきはじめる。


「海賊公爵……」

女衒ぜげんの元締めだろう?」

「よせ、聞こえるぞ」


 彼は南部の商人に一定の武装を許し、戦争状態にはないながらも非公式の私掠船として海を隔てた南海ナンハイ国へと密かに圧力をかけていた。

 大陸の国である南海は、近年国内で頻発している叛乱の鎮圧にかかりきりで、水軍の拡充にまで国力を割けないでいる。そのため南海の商船を密かに襲わせ、船や積み荷を奪う海賊行為によって密かに利益を得ているのだ。

 これはある種公然の秘密だった。アルスメラルダ公爵家が半ば独占状態にあるアンゴールとの貿易とは近いようで異なる。なにしろ南海からの商品は、ハインツの領地以外ではほぼ手に入らないものばかりだからだ。比喩表現抜きの独占状態にあると言える。


 あまりハインツの機嫌を損なうと嗜好品の類が手に入らなくなるとの危惧から、周りからの視線の圧力が強まっていく。ルーブレヒトの居心地の悪さが増していく。


「ルーデンドルフ公爵の言う通りだ。いたずらに働き手を磨り潰せば徴収する税も減る。よもやヘンネフェルト伯爵は財源が無限に湧き出るものだと思っているのではなかろうな」

 

 苛立ちに突き動かされるように、ルーブレヒトは話を向けられた好機に乗って矛先をクラウスへ戻す。


「これは異なことを。平民の不満を抑えるのが領地を持つ貴族の仕事ではないのか。自身の不手際を我々のせいにされては困る」


「ほう、面白い発言をするものだな、伯爵は。我ら領地を持つ貴族の役目を誤解してはいないか?」


「なんだと? この期に及んで責任逃れのつもりか、アルスメラルダ公爵」


 眉根を寄せてルーブレヒトはクラウスを睨みつける。


「まさか。それに言っておくが、。あくまでも私は王国全体の話をしているだけだ。ここに集まった王国貴族の前でなかなか勇敢な発言をされる」


 まるで意に介した様子のないクラウスが述べた通り、本来自分たちの味方であるはずの王室派貴族たちからも不快感を宿した視線が注がれていた。

 それだけではない。「領地の運営もしたことがなければ盗賊の討伐程度しか経験のない英雄気取りの騎士が偉そうに……」そんな負の感情すら垣間見えている。

 確固たる理念や信念もなく、ただ利益を共有することだけを目的とした集まりがゆえ綻びは生じやすかった。


(勝ち馬の尻を追いかけるしか能のない雑魚どもめ!)


 思った以上に芳しくない状況を突きつけられ、ルーブレヒトの額に血管が浮かび上がる。


「ぐっ!」


 この話題を続けるのはまずい。ルーブレヒトは思考を切り替える。


 問題は山積みだ。今回議題に上っている王国防衛策にしても、対象が東部だけならばまだいい。王国第2波を退けつつあるとリーフェンシュタール辺境伯から報告も上がってきている。


 ところがここで帝国までもが動き始めた。

 幸いにして今回は開戦に至らなかったようだが、注力すべき場所がひとつからふたつに増えてしまった。

 単純に計算すれば、現状で割ける兵力を半分にせねばならないし、それがイヤならば各地から動員をかけなければいけない。

 もしここで匙加減を誤れば、負けた時のダメージが大きいことも頭では理解している。

 だが、政治がそれを許さなかった。


 そう、彼が気にしているのは対外的な問題ではない。この国難において、どのような策を打ち出し、主導権を取るかが最優先事項なのだ。

 それらが成功した暁には自身の発言権は確実に増す。全員とはいかずとも近衛騎士団への栄転も不可能ではないかもしれない。宰相に迫る権力を握ることができる。


 簡単に言えば彼は功を焦っていた。

 アルスメラルダ公爵家にリーフェンシュタール辺境伯と、国境の守りを担っている家ばかりが戦での功績を挙げており、王国中央にいる者にそれがまったくない。

 対外的には王国の功績だ。トップのものと言い張ることもできる。しかし、彼はその立場にはない。あくまでも王都を守護する騎士団の団長でしかないのだ。


 彼の背中を大量の汗が流れていく。

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