第135話 持て余してる Frustration


 王国からの使者を名乗って――――はいないが、それでも自身が所属する国や家名を出しておきながら、アリシアの放った言葉はあまりにも無礼過ぎた。

 当然のことながらあるじを愚弄されたと感じた帝国の指揮官たちから、かすかに殺気が漏れ始める。


 しかし、場の空気が急速に冷えていってもアリシアの態度はなんら変わらない。彼女の背後に控える兵士たちも同様であった。

 常人であれば居心地の悪くなるであろう沈黙が場に漂い始めるも、誰もそれを気にすることはない。

 異様な光景かといえばそれは違う。


「ククク……ハーッハッハッ!! これは面白い!」


 そんな中で静寂を破ったのは、アウグストの笑い声だった。

 彼は肩を揺らして豪快に笑っていた。アリシアへ向けた瞳にも怒りの色はない。むしろはっきりとした“興味の輝き”が宿っていた。

 主の見せた態度を受け、各隊の指揮官たちもひとまずは怒りの気配を静めていく。これ以上の示威はかえってアウグストの名誉を損なうと判断したためだ。


「……いやはや失礼。思わぬ言葉だったのでね、つい笑ってしまった」


 ひとしきり笑ったあとで、アウグストは姿勢を直すと短く息を吐き出した。


「さて、アリシア殿はこれを“つまらない戦い”とまで断言された。よろしければ理由をお聞かせ願えるだろうか」


 男の放つ雰囲気が変わったようにアリシアには感じられた。ここから本格的な“交渉”が始まるのだろう。


「ええ。ですがその前にひとつ。殿下はここで我が国と帝国が全面戦争に突入するだけの価値があると、本気でお考えでいらっしゃいますか?」


 アリシアもまた黒き獅子の眼差しへ応えるように言葉を投げかけた。

 この後に及んで迂遠うえんな物言いなどするつもりはない。そんなことをすれば、かえってこちらの本気を疑われることになる。



 青年は口唇を歪め意味ありげに口にしたが、実際のところはアリシアの問いに答えていなかった。どちらかと言えば、「何か目論んでいるなら、自分たちの勝利を覆すだけのものを見せてみろ」と問い返しているようなものだ。


 ここまではアリシアからしても想定通りの流れ――いや、いい感じに食いついてくれた。


「これを見てもその認識はお変わりになられませんか?」


 アリシアがそっと手を掲げると、背後に控えていた兵士たちがゆっくりと進み出て布の袋から地面に何かを転がした。


「――――これは?」


 アウグストは表情を困惑の形以外に動かさなかったが、その反応が出るまでに一瞬の間があった。当然、アリシアがそれを見逃すことはない。


 地面に転がされたのは、かろうじて原型を留めたものが混ざっているだけの鎧と思われる溶けた金属の塊だった。


昨日さくじつのことですが、ここから遠くない西方の山中を南進する武装集団を確認しました。、のちに戦闘状態に突入しました」


 もちろん嘘だ。

 上空数千メートル地点から無人航空機UAVで出立から越境後まで余すところなく監視をしており、人里へ向かう前に殲滅したのが事実であるが、まさかそんなことを正直に言えるはずもない。

 帝国側に対抗手段がないのだとしても、わざわざこちらの手の内を明かすのは愚策でしかなかった。


「装備が整い過ぎておりますゆえ、野盗の類ではございませんでしょう。場所からしても思い当たる国は限られます」


 アリシアは「限られる」と口にしたが、その地域で条件を満たす国などひとつしかない。


「私が潜入させた部隊とおっしゃりたいのか?」


 アウグストの視線が鋭さを増した。ここからの言葉次第で即時開戦となってもおかしくない。それだけの圧迫感が含まれていた。


「全否定するだけの情報を持っておりませんので、そういった可能性もあると思っているだけです。また、これが然したる証拠にならないこともわたくしは理解しております」


 アリシアたちが持ち込んだ中に、なにかしらの紋章だとか、あるいは書簡があるわけでもない。自作自演と言われればそれまでだ。

 それでもアリシアは事前に得た情報からアウグストの性格に賭けていた。


「であればなぜこうしてやって来られたのか?」


 向けられる興味の色が深まった気がした。


「つまらぬ世辞と受け取られるかもしれませんが、わたくしは殿下がそのような戦いを好まれる方とは思っておりません。……しかし、どこかにこのようなことを企てる者がいないかどうか――それを確認しておきたかったのです」


 アリシアは言葉を切った。ここから先を口にする必要はなかった。いや、正確に言えばできなかった。

 単刀直入に言ってしまうならひと言で終わる。「帝国であなたの足を引っ張ろうと、あるいは謀殺しようとしている者がいるんじゃないの? 大丈夫?」となる。

 だが、これでは帝国に対して「あんたんとこ、不名誉な行いを仕掛けるヤツがいるんだろ?」となじっているようなものだ。そうなればアウグストは帝国の名誉を傷つけられたとしてなおさら戦わないわけにはいかなくなる。

 曖昧な言葉に徹して言質を与えない以上、アリシアの物言いも「他国にハメられようとしているのは?」と解釈することも可能だ。あとは開戦するだけというギリギリの状況下でできる、これまたギリギリの言葉だった。


「……なるほど。帝国を利用して貴国を弱体化させようと企む国がいるか、あるいは後方を攪乱する部隊を投入して全面戦争にまで発展させ、その先駆けである我々を使い捨てて潰したい国内の勢力あたりかな?」


「残念ながら、浅学非才なわたくしにはわかりかねます」


 口を軽くしたと見せかけ、相手にも喋らせようとする誘いだった。

 賢しらに振る舞おうとする小娘ならやられたかもしれない。

 だが、アリシアはその手には乗らず、本音の一切見えない笑みを浮かべるだけだ。「必要な情報は並べてある。あとは自分たちで考えなさい」と言わんばかりだった。


「情報を得るだけなら、我々はあなた方を一兵たりとも生かして帰さないことすら可能なのだが?」


 ここにきてアウグストが濃密な殺気を放出し始める。そればかりか、必要とあればこの場で殺し合いをしてもいいとまで口にした。彼の本気を裏付けるように、帝国の指揮官たちからもじんわりと威圧が発せられている。

 さすがは伝説に近い功績を挙げている将だ。気を抜けば呑まれかねないだけの威圧感を秘めている。


 しかし、アリシアは理解している。ここまで圧力をかけても化けの皮が剥がれない器か――――自分の意思で動いているかどうかを見定めているのだと。


「ふふふ、ならば話は単純です。我々に危害を及ぼそうとした時点で、先ほど見せた力ですべてを吹き飛ばすだけですわ。その中には自分たちも含まれるでしょうが、帝国の獅子心皇子を討てるなら死なば諸共……」


 正面からアウグストを見据え、アリシアは淀みない口調で断言した。


 もちろん、これはハッタリだ。こんな場所で死ぬ気などアリシアには毛頭ない。

 いや、もっとタチが悪いかもしれない。すくなくとも“この場の帝国軍を殲滅してでも生き残る”つもりだった。


 もしも最悪の事態となれば、上空で待機しているMQ-9プレデターがAGM-114K ヘルファイアⅡとEGBU-12 ペイブウェイⅡを投下して帝国軍の先鋒を吹き飛ばすことになっている。混乱に叩きこんで脱出の時間を稼ぎ、追加で飛来したガンシップAC-130Jも搭載した弾薬が枯渇するカンバンになるか、周囲に動くものがいなくなるまで撃ちまくる予定だ。


 帝国は精強だ。現実が見えていない王国の一部貴族は侮っているようだが、そんなことをした日には地面の養分に変えられる。まことに残念だが、アリシアも当事者になるためそれを試すのはできそうにない。


 しかし、それはあくまでもこの世界での話に過ぎない。


 地球の軍事力から見れば、数千人で密集している軍隊など冗談のようなものだ。弾薬を節約しながら容易く吹き飛ばせる。技術の格差とはそういうものだった。


「一切怯まないその胆力、嫌いじゃない。……最初に威嚇だけに留めた理由もそれかな? 引くに引けなくなっては交渉にもならないからな」


 問いかけるアウグストに対し、一切媚びる姿勢を見せないアリシア。

 戦争を回避しようとしながら、それでいて戦うつもりなら容赦はしないと言ってのける。これではどこまでが交渉なのかわからなくなってしまう。

 豪胆を通り越して“ぶっ飛んでいる”と言いたくなるアリシアの態度に、アウグストは困惑と興味が綯い交ぜになった感情を抱くしかなかった。


「名誉は大事です。しかし、それだけで人は生きていけませんでしょう? ですから、妥協点を探したのです」


「妥協点、ですか」


「ええ。もしここで殿下を含む将兵すべてを葬り去れたとして、帝国がこの先も我が国に侵攻をしないという保証はありませんから」


(私と同様に、この娘も勝てると思ってここに来ているわけか……)


 アウグストはそれを不敵な物言いだとは思わない。言葉の端々からその覚悟は垣間見えていたためだ。

 それに、先ほど見せた謎の攻撃がふたたび降ってくるとなればこの場の軍は間違いなく壊滅する。


 ――できないのではなくやらない。その意味を理解してもらえるでしょうか?


 微動だにしないアリシアの瞳がそう物語っていた。


「つまり、将来へ無駄な禍根を残したくないということかな?」


 問いかけるアウグスト。対する少女は小さく首肯した。


「数年、あるいは数十年もすれば、喉元過ぎて熱さを忘れた者がふたたび息巻くでしょう。「今こそ我らに辛酸を舐めさせた者どもに懲罰を下す時だ」と。その際、怨恨から同調しようとする者は少ない方がやりやすいでしょう?」


 ありがちな話だった。歴史書を開いても頻繁に見かける下りだった。人間は日々進歩しているようで、愚かしいまでに単純な理由で過ちを繰り返す。


「……ふむ、わたしもすこしだけ独り言を漏らしておこうか。実際、今回も怨恨こそないが慢心に似たような動機がないわけではなくてね。この出征、私は元々乗り気ではなくてね」


 今まで避けていたまつりごとに関わる時が来たのかもしれない。意図せぬところで、アウグストは覚悟を決めることとなる。


「殿下、いくらなんでも……!」


「良い。我らの弱み……というよりも、“事情”をアリシア殿には知っていただいた方が良さそうと判断したまでだ。あちら側に布陣していて顔を見せにも来ない連中よりはずっと話が通じるであろうな」


 制止しようと声を上げた側近を軽く手を掲げて黙らせるアウグスト。相手を油断させようとしての発言ではなさそうだ。だからこそ、この会談もはじめから素直に受け入れたのだろう。

 彼が権力の中枢に登れば、間違いなく手強い相手となるに違いない。そう予感させるだけの器が見えた。


「私も兵も“つまらぬ戦”で使い潰されるつもりはない。今回のことで、少し考え直さねばならんようだしな。――――よろしい。今回はわたしの一存で軍を退こう」


 肩の力を抜いて見せたアウグスト。彼の表情に何かを隠しているような気配は見受けられなかった。

 どうやら無事にこちらの意地を通すことができたようだ。吐き出したくなる安堵の溜め息を堪えつつ、アリシアはそっと立ち上がって頭を下げる。


「御英断かと。異国の地で死した彼らも報われようというものですわ」


 ついでとばかりに転がる鎧の残骸へ視線を向けてアリシアは答える。


「はて。私はそのような者らに心当たりはないのだがな」


 さすがに今度は引っかからなかったが、アウグストの眉根はすこしだけ困惑に歪んでいた。もうすこしかわいいげのある方が好みなのだがと。


「あら、失礼。


 ちょっとした軽口を挟んでから、再度両者の視線が交差した。


「負け惜しみと取ってもらっても構わないが――――次はこのように容易く退きはしないぞ、お嬢様?」


「ええ。我々もですわ、殿下」


 妙な親近感を覚えたふたりは小さく笑い合い、その言葉を以ってこの場は終了となった。

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