第134話 戦場に咲く花の
アウグスト・エルド・デ・エスペラントは帝国第3皇子である。
帝位継承権第3位と、自ら望んで動けば至尊の帝冠に手が伸びる地位に生まれながら、彼は特段それへ興味を示さなかった。そればかりか、適度な身の軽さーーあるいは生まれに対するせめてもの抵抗だったのか軍人の道へと進み、これまで
第3皇子ともなれば序列も立ち位置もスペアのようなものである。皇子なら彼がいなくなろうと他にもまだ何人といた。幸いにして第1皇子や第2皇子には彼のように奇異な振る舞いは見られない。実父である皇帝も「たまに帝族から出る病気のようなものだ」と一顧だにしなかった。
それが功を奏したか、あるいは仇となったアウグストは誰もが予想しない方向に成長していった。
戦いの中で鍛え上げられた逞しい
言動も含めて血脈のどこかに眠っていた──それこそ今では歴史の中に埋もれ語られなくなった“建国帝オクタヴィオ”の遺伝子が時を越えて発現したかもしれない。他の兄弟が色濃く受け継いだ”温室育ち“と侮られることもある帝室の顔立ちではなく、どこ野性味溢れる美丈夫然とした容貌を持ち、それが民の間で
力強い意志の弧を描く眉に
しかも見た目や腕っ節だけのお飾り軍人などではなく、的確な采配を下す将としても一目置かれていた。
これで尊大でならば欠点のひとつともなるのだが、有能であれば出自を問わず部下を取り立てていく能力主義で剛毅な性格も相まって、帝室に身を連ねる者とは思えないほど兵たちからの支持も厚い始末。
ここまで長々とアウグストの人物について語ってきたが、要するに彼は帝族の気まぐれと見過ごすには余りあるだけの支持をいつしか獲得していたのだった。
そして、それらの戦歴が心底どうでもいいと思っていたはずの帝位に自身を近づけているのだが、今のところ彼は見て見ないフリをしていた。
なるようにしかならないと生来の楽観的且つ大雑把な性格を発揮させ次なる戦場に出向いたわけだが、それが吉と出るか凶と出るかは──まだ誰も知らない。
「お初にお目にかかります。ヴィクランド王国アルスメラルダ公爵家が長女、アリシア・テスラ・アルスメラルダにございます」
ひとりの少女がそっと頭を下げた。緊張などまるで感じられない流れるような仕草で美しい金色の髪の毛が揺れる。身に纏った斑模様の服がどこまでも不釣り合いに見えた。
「はじめまして、アリシア殿。私がこの軍勢を預かるアウグスト・エルド・デ・エスペラントだ。……しかし、よくもその供回りだけで参られましたな」
どこか呆れの交じった笑みを浮かべつつ、将軍アウグストは帝国軍の本陣でアリシアたちの来訪を出迎えた。
初対面だというのにアウグストの口調はずいぶんと遠慮がない。事前に大雑把……もとい、あっさりとした性格をしていると情報部隊から聞いていたが、あながちそれも間違いではなさそうと思える物言いだった。
(どこまでも一介の武辺者といった態度。帝族として振る舞おうなんて気配もないわね。風聞に騙されたら痛い目を見るかもしれない……)
視線で席を勧められたアリシアはそっと椅子に腰を下ろす。
事実、向けられた群青の瞳に、こちらを侮った様子は微塵も見受けられなかった。
本題がまだである以上、交渉相手としての実力は未知数だが、人間としては嫌いじゃないかも。アリシアはそう直感を覚えていた。
「あら殿下、いやですわ。帝国は交渉に訪れた使者を殺して返すような
暗にだがアンゴールのことを引き合いに出してみた。帝国も彼ら草原の民とはかなりやり合っているはずだ。
強さを至上とするアンゴールとの間に交渉などあり得ない。だから、“あの時”は問答無用で戦ったのだ。
「ははは。もちろんだ、アリシア殿。おっしゃるように我らもアンゴールには数々の辛酸を嘗めされられた。その連中にひと泡吹かせた女傑には敬意を持って接する。無礼な振る舞いなど名誉に誓ってあり得ない」
挑発めいたアリシアの言葉を軽く受け流し、アウグストは軽く両手を広げて鷹揚に頷いた。周りに控える各部隊の指揮官たちも直立したのまま微動だにしない。
よく訓練されている。アリシアは素直に感心していた。この余裕が自分たちの国の貴族にも少しはあれば……と詮無いことまで考えてしまうほどに。
「しかし、開始早々挑発と受け取られかねない物言いすら避けぬとは、噂以上の勇猛さであられる。一見しては戦場が似合わない……いや、これは失礼な表現だったか」
「慣れています。気にしておりませんわ」
返された軽い皮肉をアリシアは微笑んで受け流す。
もはや自分はお嬢様ではないのだ。この程度で馬脚を露わすことはない。
「しかも素直だ。ならば私も虚礼抜きに言おう。このようなむさ苦しい場にはもったいないほど美しい」
周囲に展開している数千の兵士たちに囲まれているのもあるのだろう。あるいは絶対的な数の余裕からか、対峙するアウグストに
「まぁ、お上手ですこと。過分なお褒めの言葉を賜り恐縮至極に存じますわ、殿下」
礼を述べつつふたたび頭を下げて見せるアリシア。見た目可憐な少女が行うだけで絵になるのだが、やはり戦場ではどうにも違和感ばかりが先行してしまう。
アウグストの表情が一瞬だけだが困惑に小さく歪んだ。頭を下げていたアリシアはそれに気付かない。
(……どうにもやりにくいな)
正直に言えば、獅子心皇子と呼ばれたアウグストの内心は混乱の渦中にあった。
いきなり地面が爆ぜ割れるように、しかも立て続けに吹き飛んでしまったのだ。戦術級魔法でも受けたかと思えば兵に被害はなく、対峙する王国北部貴族たちもせめて来るかと思えばこちらと同様の――――下手をすれば自分たち以上の混乱状態だった。
ならば偶然が積み重なり天変地異でも起きたのか。どうもそうではなさそうだった。
でなければタイミングを見計らったかのように、本来この場にいないはずの王国西方貴族であるアルスメラルダ家の令嬢が現れるはずもない。よほどの馬鹿でもなければ彼らが先程の異変に関与していると考えるのが自然だ。
しかし、そうだとしたら何故先制攻撃でこちらの戦力を削り取らなかったのか。何よりも優先すべきは勝利だ。そのまま北部貴族たちと共に攻めてしまえば撤退に追い込めたかもしれない。もしも、敢えてそれをしなかったのだとしたら?
これで困惑しない方がどうかしている。
「過分などということはない。御身に何かあれば人類にとっての大きな損失だと思っているのですよ」
内心をと覆い隠して放たれたアウグストの言葉はどこまで余裕に満ちていた。
アリシアに向けた言葉も、褒めているようでいて実際には「帰るなら今のうちだぞ。味方が潰走する前にな」と言っているに等しい。
もちろん、これは気付いてない振りをして相手から言葉を引き出すための“誘い”でもある。
そこに驕りを感じる物言いを添加したのは本意ではない。彼にも立場がある。
未だ戦端が開かれていない、さらにはあの爆発がアリシアの仕業だと確定していない以上、
仮に正面から戦っても、ヴィクラントの北方貴族程度に負けることはないとアウグストは確信していた。
しかし、そこにアリシアがこの場にやって来た理由がリンクしない。狙いが読みきれていなかった。
「殿下にご心配をかけるには及びません」
対するアリシアはどこまでも笑みを崩さない。
「とはいえ、ここはもうじき戦場になる。領地に戻られるなら早めがよろしいと私は愚愚考するが」
焦らされていると理解しつつも、もどかしさに突き動かされたアウグストが続けた。勿体ぶった物言いはこの辺で終わりだと示すために。
「戦場……たしかにそうですわね。つまらない戦いが始まるのですから」
ゆっくりと周囲を見渡したアリシアはおもむろに小さく鼻を鳴らし、はっきりとした声でそう断じた。
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