第73話 Arrivano i Marines 前編
アルスメラルダ家の屋敷は、公爵領として割り振られている地域の西側に位置する都市クリンゲルに建てられている。
この都市が整備されてからすでに100年近くが経っているが、ヴィクラント王国の建国から数百年にわたる歴史と照らし合わせると、この領地に公爵家が
これには王家派と貴族派の対立が影響していた。
近年、両者の間で大きな問題はアリシアの婚約破棄くらいしか起きてはいないが、過去に遡れば内乱一歩手前までいったことは実は何度かあった。
その中には、アルスメラルダ家ではないが、貴族派に属する公爵家が廃絶されたことさえある。
そうして高まった緊張を受けて、数代前のアルスメラルダ公爵が領都を移転させることを決意した。
ちょうど近くを流れる川が氾濫した時期だったこともあり、自然災害に備えるという名目だったが、やはり敵対勢力の本拠地――――王都からすこしでも距離を置こうとしたのは誰の目にも明らかだった。
有事の際、アルスメラルダ公爵家が軍事的な行動に出るつもりでいるかは別として、すくなくともこの移転によって貴族派と王家派の勢力図が微妙に書き換わってしまった。
もし軍を派遣することになっても、先んじて橋を落としてしまえば王家側は渡河を強られることになり、また軍同士がぶつかる戦場もアルスメラルダ家側が選べるようになったためだ。
当然、多少軍事に明るい人間がいればそんな思惑に気付かないはずがない。
しかし、公爵家のひとつを廃絶したことで粛清はなされ、これ以上貴族派を刺激することが本格的な内戦を引き起こしかねないと判断した当時の王家は、特にこれといった対応を取らなかった。
この時の政治的判断が今の世でどのような影響を及ぼすか――――それは誰にもわからない。
だが、アルスメラルダ公爵領では新たな動きが起こりつつあった。
~~~ ~~~ ~~~
本格的な春の到来を迎える中、数名の供を連れたアリシアはクリンゲルの屋敷から街へとお忍びで出かけていた。
とはいえ、それなりの人数を伴っていたため、見る人間が見ればわかってしまいそうなものではあった。
しかし、逆に言えばそれだけの人数を割いてでも街に出る必要があったことにもなる。
「……空には月がふたつ。本当にファンタジーだな」
領都の街並みを見た壮年の男から年季の入った声が上げられる。
「ええ。ドラゴンが必要となると用意するのは簡単ではないのですが……」
「そこまで往生際が悪くはないぞ、カイル――――いや、今はアベルだったか。新手のドッキリでユニバーサルスタジオかハリウッドのどこかに連れて来られているんじゃないかと思ったが、さすがにこれほどの空気や匂いまでは作れんな」
街並みこそファンタジーだが、やはり上下水道が完備されていない以上、街を歩けばどうしても“独特の匂い”というものがある。
空に浮かぶ複数の月でもドラゴンでもなく、それが結論を出させるとは実に皮肉なものだとアベルは内心で苦笑していた。
「ええ。まずは信じていただけたようでなによりです、師団長閣下」
壮年の男の言葉を受け、隣を歩くアベルがどこか恐縮したような口調で言葉を返す。
その様子を見たアリシアからくすりと小さな笑い声が漏れた。
自分の従者でありながらも、海兵隊員として自分を鍛える時は鬼教官の姿を見せたアベル。彼の新たな一面を垣間見たことによるものだ。
「
率いる師団がないのに役職で呼ばれたところで虚しいだけだと皮肉交じりに答える男を見て、アベルやエイドリアン、それにレジーナといった“先発組”の不安が和らいでいく。
「失礼しました、少将」
「よろしい」
満足したように鷹揚な表情で頷いた壮年の男の名は、リチャード・アンセル。
アベルが中隊長を務めていたフォースリーコン第3偵察大隊所属武装偵察中隊の上位組織――――第3海兵遠征部隊本部グループ所属にして、その地上部隊である第3海兵師団の師団長を務めており、階級は少将となる。
元々は金色であったと思われる刈り込まれた髪は、長い年月を経たことで今ではすっかり白く染まっていた。
顔には彼のキャリアを思わせる皺が刻まれており、生来の彫りの深い顔へ少なからぬ威厳を付与していた。
少佐と少将ともなれば彼我の階級差もあり、アベルからすれば雲の上の人間にも等しく面識などは精々事務レベルに留まるはずだ。
しかし、どういう偶然か両者の接点は予想外に多く、沖縄では飲みに誘われることもしばしばあった。
「お前から聞いた話が全部本当だと仮定して、よく私を呼び出したな。普通は上位者なんて邪魔でしかないと思うだろうに」
それなりに付き合いがあるからか、リチャードはアベルの内心を見透かしたように言う。
そして、彼の言葉はまさしく正鵠を射ていた。
この世界での海兵隊の階級など、はっきり言ってしまえば飾りに等しい。
だが、同じ組織に属しており、かつ旧知の間柄となれば話は変わってくる。
もちろん、上位の階級の者を呼び出すことで、アベル自身が貴族派の一員としての意志を通しにくくなる危惧はすくなからず存在していた。
だが、それ以上に少佐で判断できるものとそれ以上の階級で判断できるものは大きく異なるのだ。
「まぁ、そこはなんと申しますか……」
「馬鹿者、そこは冗談でも否定しておけ」
言葉に詰まったアベルに向けて、リチャードは笑いながら苦言を呈する。
もちろんそれは形だけのもので、彼は表も裏も事情を理解していた。
現時点でアベルの身の回りにおける年長者といえばクラウスとオーフェリアだが、彼らではどうしても“この世界の常識”に縛られてしまうため、地球の常識を共有する“先輩”が必要であった。
であれば、能力のある上位者を呼び出すのは当然の選択と言えたし、その候補者の中に知己の者がいればもはや迷うことはない。
リチャードは現時点でそこまではっきりと理解していた。
そして、そんなアベルと彼の上官との会話をアリシアは興味深げに見守っていた。
新たな人員を召喚することを告げられたアリシアをはじめとしたアルスメラルダ公爵家の面々は、「アベルの判断したことだから」と深く訊ねることはしなかった。
人物についての評を他人から聞くことで先入観を持ってしまうよりも、実際に自分の目で見たほうが間違いもないと判断したからだ。
もっとも、リチャードの双眸に嵌る鷹のような瞳を見て、アリシアは現時点では油断ならない――――というよりも可能な限り敵に回したくない人だと直感的な印象を受けていた。
「……まぁ、いい。話はざっくりと聞いたが、私は
口ではそう言いながらも、リチャードの声は内心ではまったくそのように思っていなさそうな調子だった。
どういう意図があって、あの戦いに参加したメンバーの中から自分を呼び出したのか。その説明を暗に求めていた。
「ご謙遜を。いつの時代も経験が優先されるものですわ、少将」
アベルではなくアリシアが口を開いた。
密かに待ちわびていた“雇用主”からの言葉に、リチャードは口元に浮かんでいた笑みを深める。
「そう言ってもらえるとお世辞でも嬉しいものだよ、
小さくウインクをして見せるリチャードだが、顔に迫力があり過ぎてアリシアには冗談の類には見えなかった。
見知った間柄という意識がなければ猛獣の威嚇かと思ったかもしれない。
「世辞などではありません。この世界が、少将たちのそれに比べてはるか過去の遺物に等しいことは承知しておりますが、技術のみならず高度に発達した思考形態といった知識群も必ずや役に立つはずです。そして、知識は経験に裏付けられてこそ真価を発揮するものかと」
そうでしょう? と臆せぬ視線を送るアリシアに、リチャードは一瞬だけ面食らったような表情を浮かべるが、すぐに弾かれたように笑い出した。
「いや、面白い。ここが地球なら士官教育を受けさせ、司令部幕僚として手元に置いておきたいくらいだな。……だが、納得したよ。軍医に情報大隊所属。そのふたりになぜ私のような人間を加えたのかもな」
そこでリチャードは会話の流れを見守っているふたりの“新顔”へと視線を送る。
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