第72話 痛快!飲んだくれ野郎ども


 支度を終えた後、アリシアたちが宴席の中心まで戻ると、すでに余興の準備は整えられていた。


 宴席の空気を楽しんでいた男たちは依然として酒杯を片手に歓談に興じているが、それでも余興をやるという情報は伝わっているらしく、時折いくつかの視線がアリシアたちの方へと向けられてくる。

 

 ――――すくなくとも期待してくれていると見ていいのかしらね。


 その期待の中で自分が射撃を披露しなければいけないと認識し、アリシアは緊張感を覚えて小さく鼻を鳴らす。


「どうやら準備はできたようだな。そちらはいったい――――」


 出迎えた“ファーン”の言葉が途切れ、その目がすっと細められる。

 彼の視線の向く先には迷彩服に身を包んだアリシアの姿があった。


 アリシアの手には馬車から取って来たスプリングフィールドM14自動小銃バトルライフルが握られている。

 先端にはM6銃剣ベイオネットが装着されているが、一方で弾倉マガジンはまだ取り付けられてはいない。


 これを一見しただけでは、おそらく“ファーン”とスベエルク以外には槍の仲間にしか見えないことだろう。

 現に不思議に思ったのか、ざわめく声がアンゴール兵たちの間からは上がっている。


「あれでいったいなにをするつもりだ?」

「というか、女がやるのか?」

「いや、女将軍オーフェリアの娘らしいぞ」

「あれ“金髪の悪鬼”の娘か……」


 それらの反応さえ含めて、“ファーン”は実に興味深げな表情を浮かべていた。


 一方で、周囲および草原の覇者からの視線を受けながらも、すでに海兵隊モードとなったアリシアの双眸からは感情の揺らぎが消えていた。


 ひとたびM14を握った瞬間から、すべてのEvery海兵隊員MarineaライフルマンRifleman――――というモットーを実行するためだけの存在と化す。


「ふむ、アリシア殿が出られるか。“長弓”のが出てくるかと思ったが、これはこれで面白い。……スベエルク!」


 唇を深く歪めた“ファーン”が突如として発した大声を受け、スタンバイ状態にあった弓兵らしき男たちとは別の場所からスベエルクが素早く立ち上がる。

 意外とも言える“ファーン”の決定にふたたびざわめきが上がるが、スベエルクの表情に困惑の色は見られない。

 もしかすると彼もアリシアが出てきた時点で、そうなることを予感していたのかもしれない。


淑女レディ付き添いエスコートも男の役目だ。ここは貴様が弓を引けい」


「……はっ」


 予想外の人選となったことで周囲の声はいよいよ大きくなるが、スベエルクは依然として表情は動かさずに短く答えて頷くのみ。

 そのまま近くに立つ兵に視線を向けると、スベエルクの意図を察した男はすぐに踵を返して駆け出す。


 しばらくして戻って来た兵の手には弓と矢筒があった。


 ――――あれがスベエルク殿の弓かしら。


 アリシアは視線だけをそっと送る先で、予想通りスベエルクが弓を受け取る。


 ぱっと見ただけでも丁寧に造られた弓だとわかった。

 おそらく雑兵が持つものとは素材からしてなにもかもが違うのだろう。


「それでは、こちらへ」


 先ほどアリシアたちを案内した兵士が両者を促す。

 言葉を交わすことなく進んでいくアリシアとスベエルク。


「お二方には、あそこの的を射てもらいます」


 案内役の指をさす方向をに目を向けると、肉眼では小さく見える人型の的が地面に据え付けられていた。


 距離にすれば100メートルほどだろうか。

 弓という武器の性質上、よほどの強者でなければ当てるどころか届くことすらない距離だ。

 つまり、この場に立って弓を放つ時点で、必然的にそれを可能とするだけの腕を持っているということになる。


 その証拠に、遠巻きにしているアンゴール兵たちを見ても、負けるなんて予想すらしていないような表情を浮かべていた。

 公爵令嬢に対して“ファーン”の息子を出してきたと見えなくもない人選だが、確実に勝利を掴みに来ているのがよくわかる。


 ……余興なんていっていたけど、これはちょっと大人げなくないかしら?


 微妙にプレッシャーをかけられた気になるアリシア。


 しかし、と思い直す。

 彼らはそこまでの詳細を知らないことではあるが、こちらは銃――しかも拳銃などではなく二脚バイポッドを使わずとも有効射程460メートルを誇るライフル銃を持っているのだ。

 ここでごちゃごちゃ言うなどあまりにもみっともなく思えてくる。


 貴族子弟なんてワガママの塊と思われていそうなところで、それを自分がやるのはあり得ない行為だ。教官殿と化したアベルに殺されてしまう。


 ――まぁ、やるだけやるしかないわよね。


「先攻はアンゴール側からとなりますがよろしいでしょうか」


 案内役の兵が訊ねると、アリシアは無言のまま首肯。

 あれやこれやの思惑など自分には関係ないとすでに集中状態に突入していた。


 対するスベエルクもアリシアの方へ一瞬だけ視線を向けるが、今はその時ではないと思ったかすぐに視線を外す。


 本来、彼らの戦闘スタイルとなる乗馬にて使用されるアンゴールの弓だが、スベエルクの好みでそれはやや大きめに作られている。

 しかし、それはけして見栄えといった権威の誇示を目的としたものではない。

 アンゴールという騎馬民族のいち部族を率いる“長手の王子”と呼ばれることもあるスベエルクのスタイルに合わせて改良を重ねた結果がこれなのだ。


 悠然と構え、静かにスベエルクは矢を番えた弦を引き絞る。

 それを皮切りとして、宴席の場に訪れる静寂。


「――――参る」


 スベエルクが短く告げ、それと同時に矢が放たれる。


 緩い放物線を描きつつも高速で飛翔した矢。

 それは、まるで一直線に突き進んだかのように的の中心部を見事に射抜いた。


 しかし、スベエルクは止まらない。

 矢筒に入れていた矢を使い切らんとばかりに、連続して射て的へ命中させていく。

 流れるような動作でありながら、速度も狙いも精確なままだ。


 結果、10本の矢はひとつも外れることなく的の中心部に集中して突き刺さっていた。


「驚いた。ありゃ基礎ができてるなんてレベルじゃないな……」


 ふたりの勝負を見ていた海兵隊側で感嘆の声が上がる。


 弓といえば遊びでアーチェリーをしたくらいで本格的な経験はなかったが、エイドリアンにはスベエルクの肉体の堅牢さが見えていた。


 一般的に、筋肉があるほうが強い弓も引けるので、矢は速く真っ直ぐ飛ばすことができ、それだけ命中率も上昇する。


 しかし、弓には照準がない。

 つまり、射手の感覚で撃つしかないのだが、ここで重要な要素となるのが、骨の位置や角度だ。

 筋力が備わっていたとしても骨の位置と角度が毎回ほぼ同じでないと的には命中しない。

 的に命中させようとするならば、基礎となる骨に意識を集中させて正しい位置や角度を覚える必要がある。


 それをスベエルクは無意識にやってのけていた。


「本気を出してきたってわけ? まぁ、なんていうか……」


 見ている海兵隊メンバーも先ほどのアリシアと同じ感想を抱いていた。

 これはさすがに大人げないのではないかと。


「だが、逆に言えば一切手加減する必要がなくなったわけだ」


 腕を組んだままアベルは表情を変えずに漏らす。

 いや、強いて言えば口唇の端がわずかに上がっていた。


「さぁ、これで遠慮はいらん」


 アベルの視線は、もはやアリシア以外の存在を見てはいなかった。


「お見事でした、殿下」


 すべての矢を射終えたスベエルクに労いの言葉をかけるアリシア。

 彼女には勝負の行く末を見守る仲間の声は届いていなかったが、すぐ近くにいてくれるという事実だけで十分なほどの心強さを感じていた。

 だからこそ、スベエルクに対して自然に声をかけることができたのだ。


「……いや、私としてもつい力をいれすぎてしまったようだ」


 一方、まさかアリシアから言葉をかけてもらえるとは思っていなかったのか、やや困惑したような表情で答えるスベエルク。

 彼としては父である“ファーン”だけでなく、アンゴール兵たちからのプレッシャーもあったのだろう。


 心情としてはアリシアに華を持たせたかったのかもしれないが、彼の立場がそれを許さなかったのだ。

 そんな背景があるからか、スベエルクの表情にはどこかばつの悪そうな気配があった。


 しかし、アリシアはそんなものを気にすることはない。


 ――――もし手加減なんかされていたら、こうも真剣にはなれなかったでしょうね。


 いつしかアリシアを取り巻く緊張感は不快なものではなくなっていた。

 むしろ、この感覚のおかげで目の前の勝負に集中することができている。


「では、次はわたしが」


 乱れのない足取りでアリシアは射撃位置へと歩を進めていく。


 海兵隊の名誉に泥を塗る真似なんてできないけれど……。


 草原に立って的を見据えるアリシアはこの状況を楽しみつつあった。


 取り出した弾倉を銃本体に差し込み、槓桿チャージングハンドルを引く。

 7.62mm×51NATO弾が薬室に送り込まれ、これでいつでも標的に銃弾を送り込むことを可能にする。

 最後にレバーを操作して安全装置セーフティを解除。


 そして、それらの際に奏でられる重厚な金属音がアリシアの感覚をより鋭敏にしていく。

 その場に片膝をついて射撃姿勢ニーリングを作ると、弓では考えられない異形の体勢に周囲からざわめきが漏れ出る。

 しかし、アリシアの耳にもはやそれらは届かない。


 正しい構え、正しい照準、正しい指の動き。

 引き金は引くものではなく、すっと絞るもの。


 ブートキャンプで徹底的に叩き込まれた射撃方法はとっくの昔に身体へと染み込んでいる。

 。 


 軽く息を吸い、そしてゆっくりと吐き出し――――止める。


 身体の揺れが収まり、アイアンサイト上で照準が固定された瞬間、ついに引き金が絞られた。


「「!?」」


 火薬ガンパウダーの燃焼によって生み出された鋭い銃声が広い草原に木霊する。

 突然の音にアンゴールの兵士たちの肩が驚きによって小さく跳ねる。


 発砲の反動を肩で受け止めつつ、アリシアは素早く照準を修正し、引き金を絞り続ける。

 指の動きと銃声が止まったのは、きっかり10発を撃ってからだった。


「――――――――お」


 気付くと歓声に包まれていた。


 しかし、そんな空気の中、アリシアは大きな息を吐き出していた。


 伏せ撃ちプローンでもない肉眼照準で10発が中心部に命中。

 しかも、1発はど真ん中を撃ち抜いている。

 いくら100メートルとライフル銃にしては短い距離だといっても、このような条件では二度とやりたいと思えない。


 ――――運が味方をしてくれたのかもしれないけれど、さすがに疲れたわ……。


「見事! さすがは武名で鳴らした公爵家のご令嬢よ!」


 立ち上がった“ファーン”が大声を上げた。

 続いてスベエルクも称賛の拍手を放つ。


 そこからは瞬く間の出来事だった。


 アベルたちが駆け寄るのと同時に、杯を抱えた遊牧民たちが押し寄せてきた。

 どんな魔法具を使ったのかと訊かれたりもしたが、アベルやエイドリアンがそれらを適当にいなしていく。


 しかし、酔っ払いたちを前にしてはそれも早々に限界を迎えた。

 あとは野となれ山となれとばかりにアリシアたちはアンゴール式の宴の輪の中へと飛び込むことにした。


 ここでは作法を気にする方が失礼だと、周りの兵たちに合わせるように酒杯を持ち、自分のペースを乱さないよう杯を干していく。


「……ねぇ、アベル。わたし思うんだけど、このまま歓待されっぱなしというわけにもいかないわよね?」


 落ち着いたところで、弾倉を抜いて薬室を殻にしたM14をアベルへと渡しながら、アリシアはほのかに上気した顔で言葉を投げかけた。


「アリシア殿?」


 ちゃっかり近くに陣取っていたスベエルクが首を傾げる。


「……ふむ、ちょっと考えがあります」


 アリシアの提案を面白いと思ったのか、アベルはエイドリアンとレジーナのふたりを招き寄せるとなにやら話し合いをはじめる。

 ややあって、エイドリアンが立ち上がり、公爵家の家紋のついた馬車へと向かう。


「こいつでいいですかね、少佐」


 しばらくして、透明なガラス瓶の入った木箱を抱えたエイドリアンが戻ってくる。

 ボトルの中では琥珀色の液体が歩く歩調に合わせて揺れ、ガラス同士が触れ合う音を立てていた。

 アリシアたちの目の前にどさりと置かれる瓶の数々。どうやら中身はすべて同じもののようだ。


「ああ、ご苦労。手間をかけさせた」


 瓶の蓋を抜いて中身を確認したアベルはエイドリアンに礼を述べる。


「いえいえ。“あれ”で手に入る中では一番イイヤツを揃えておきました」


「んじゃ、いい酒も手に入ったことだし、偉大なる“ファーン”のところへ行くか」


 アリシアとアベルが酒の木箱を持っていくと、“ファーン”は興味深そうに瓶を掴んで取り出した。


「ふむ、実に見事な色をしたガラスだ」


 酒好きの彼でさえ、今は中に入った未知の液体よりも瓶のほうに目が行っているようだった。


 しかし無理もない反応だった。

 たしかにこの世界にもガラス製品は存在しているが、それでもここまでの透き通るような色を作り出す――――不純物を取り除く技術は確立されていない。

 二十一世紀の地球では、中身の方が高いくらいでこれ単体ではたいした値段にもならないのだが、おそらくこの世界では瓶だけでも相当な値打ちが付くはずだ。


 そこまでわかった上で、あえてアベルはガラス瓶ごとエイドリアンに持ってこさせた。

 銃も酒も海兵隊支援機能によって具現化されたものだが、それらすべてが公爵家を生き残らせる道へとつながるものだ。


 ――――まぁ、今は素直に酒を喜んでもらえばいいんだけどな。


 必要な“仕込み”を終えたため、いくぶんかアベルの気も楽なものになっている。

 あれやこれやと策を巡らせるのも重要ではあるが、今は素直にこの宴席を楽しんでおいた方がいいだろう。


 そう判断したアベルはあえてガラスには言及せず、ガラス瓶の蓋を抜いて杯に酒を注いでいく。


「異国より手に入れたウイスキーと呼ばれる酒にございます。あまり数は用意しておりませんが、ぜひアンゴールのみなさまにお飲みいただきたく」


 もちろんアベルは最初に自分たちの杯へと注がせ、まず主君であるクラウスへと渡す。

 毒など入れていないというアピールでもあるし、共に飲もうという意思表示でもある。


「ほぅ……」


 “ファーン”の目がわすかに細められるが、その後は何も言わず黙って杯を差し出してきた。

 寄こせということらしい。


 注ぎ終わったところで酒杯を打ち鳴らし再度乾杯とする。

 過去にウイスキーを味わったことのあるクラウスは動じる様子を見せることなく杯を静かに口へとつける。

 そして、“ファーン”もそれに続く。


「……これは美味い! なんと馥郁ふくいくたる香りだ! だが、酒精アルコールはかなり強いな!」


 息を吐き出した“ファーン”が驚いたように目を丸くしていた。


「これも蒸留酒の一種です。出来上がった酒を特殊な処理で寝かせることで、酒にこうした色と複雑な香りを纏わせるそうです。是非ともこれを勇敢なるアンゴールの戦士たちに」


 クラウスが小さな笑みを浮かべて言うと、杯を口に運んでいた“ファーン”が瓶を持って立ち上がった。


「皆の者! アルスメラルダ公爵が世にも珍しい酒を皆に振舞ってくれるぞ!」


 草原の覇者からの言葉に、ふたたび宴席から歓声が湧き上がる。

 そこからは気楽な宴となった。


 青空の下に広がる草原をさわやかな風が吹き抜けていく。


 酒の勢いに任せて様々な話が飛び出てくる。

 この宴席に並べられた料理の話、互いの風習や習慣の話、そして戦いの話。

 酒盃を片手に酔った勢いで話をしてみれば、育った文化こそ違えど、たちまちにそれぞれを理解するための陽気な宴席へと変わっていく。


 当然のことながら、余興における互いの健闘を称えるだけでなく、歴史的な快挙を祝う流れにもなり、お開きとなる頃にはそれぞれが度を過ごしてしまっていた。



 この日、アンゴールとヴィクラントの間で初めて交流と呼べるものが催された。

 しかし、この宴こそが後に両国の間で語り継がれる記念すべきものだったのは間違いない。







任務達成ミッション・コンプリート。『海兵隊支援機能』において使用可能な『車両』がさらに制限解除アンロックされました。『派兵機能リーンフォースメント』における上限枠が三名分増加しました』





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