第28話 君の悲しむ顔を見たくないから
それから間もなくして、話を上手い具合に切り上げることに成功した巡邏はそそくさとスレヴィの店から去って行った。
アリシアとアベルという、ただの巡邏からすれば雲の上の人間を相手にするにも等しい重圧から逃れたい一心で得た大戦果である。
「ほんとうにすまねぇ! いや、申し訳ねぇ!」
その後での開口一番、スレヴィが机に頭をぶつけるかと思う勢いで大きな頭を下げる。
その隣に座った少女も、それを見て慌てて頭を下げた。
そんなふたりの態度を見たアリシアだが、自分の意図するところとは大きく異なってしまった流れに困惑の表情を浮かべるしかない。
「まさか、お嬢ちゃん――――いや、公爵家のご令嬢様がうちの娘を助けてくださるなんてよぉ……。カカアに先立たれて残された俺のたったひとりの娘がよぉ、まさかよぉ……」
紡ぐべき言葉がなかなか出てこない様子のスレヴィ。その顏は深い苦渋に満ちていた。
あのままアリシアがタイミングよく通りがからなければ――――いや、助けてくれなかったら娘はどうなっていたことか。
そう想像するとスレヴィは今にも震え出しそうなくらいだった。
そんな感情が表情から見て取れたアリシアだが、彼の面子も考えてそれには気付かないふりをする。
「そんな、わたしはたまたま通りがかっただけよ。運が良かっただけだわ」
必要以上に気負わせたくないアリシアはさらっと流そうとする。
べつに恩を着せるためにこうして事後のケアをしているのではないのだ。
「そうは言っちゃあ……いや、おっしゃられても……」
「もう……! わたしがいいって言ってるんだから、あまりかしこまらないで。息が詰まってしまうわ」
やんわりとアリシアは手を振ってふたりを制する。
もちろん、彼女にも無茶を言っている自覚はある。社会通念上、スレヴィの対応こそがむしろ正しいのだから。
「たしかに身分は偽っていたことは申し訳ないけれど、わたしはそういう風にしてほしくてここに戻って来たんじゃないの。あと……おじさんに、そういうかしこまったような口調は全然似合わないからね?」
ちょっとわざとらしいだろうとは思いつつ、アリシアが先陣を切っておどけてみせると、どう接していいかわからず困惑していた場の雰囲気が若干和らいだ。
やや行き当たりばったりだったが、やり方は色々あるものだ。
「……わかった。それじゃあ、お言葉に甘えていつも通りにさせてもらう。ほら、クリスタ。おめぇからもちゃんと礼を言わねぇか……!」
「あ、えーっと。ほ、本当にありがとうございました。お姉さんが助けてくれなかったら……」
まだショックから立ち直りきれていないのか、スレヴィに促されたことで横にちょこんと座る少女――――クリスタが、ぎこちない動きながらもアリシアに向けてぺこりと頭を下げる。
ついこの前、彼女から花を買った時の対応でもわかってはいたが、クリスタは実に素直な性格をしている。
このヒト族の国でドワーフが生きるのは大変なのだろうに、男手ひとつでもしっかり育っているのだなとアリシアは少しほんわかする。
ところで性格がまったく似ていないのは、クリスタ本人が別の意味でたくましいからだろうか。
「いいのよ。それもきっと、わたしの務めの内だわ。でも、ケガもなかったみたいで本当に良かったわ」
なるべく意識して笑顔を浮かべ、クリスタに向かって話しかけるアリシア。自分が相手をちゃんと同じ目線で見ているという意思表示でもある。
どうせ同じことを喋るのであれば少しでも印象が良くなるように話すべし、とアベルが教え込んだ内容は見事にアリシアの身体へと叩きこまれていた。
「あの花もきちんと花瓶に入れて飾っているんだから。また買っていこうと思っていたくらいなのよ?」
元よりアリシアがこの手の素養を持っていたのだろうが、それにしても早々に使ってみせるとは見事なものだ。
アリシアを横で静かに見守るアベルは内心で感心していた。
もし、このままアリシアが成長していったら、いったいどんな大人になるのだろう? そして、
それらを間近で見てみたいという欲求が、アベルの中でわずかに鎌首をもたげてくる。
いや、まだ尚早だ。今はなにも始まってさえいない。
焦らずとも、きっとこれからアリシアは見せてくれるに違いない。彼女は今新たな道を歩き始めようとしている。
この世界で前世の意識を取り戻してから、すべてを失ったように思うこともあったアベルの中にある“カイル”の意識が、少なからぬ期待の感情を抱いているのがアベルにはわかった。
「そうそう。話を聞いていたとは思うけれど、あれだけじゃ不安でしょう? 警邏の人間には後でよーく言っておくから、きっと早晩なんとかなるわよ」
アリシアは安心させようとスレヴィたちに微笑みかける。
警邏の人間に釘を刺したのは事実だが、アリシアから見れば責任者が不在などと理由をつけて出て来なかった時点でこの後の結果はお察しだ。
だが、それは言わないでおいた。
あんなことがあったばかりの彼ら親子をいたずらに不安にさせる必要なんてないからだ。
それに――――。
「……アベル、
スレヴィの店を出てから、アリシアは歩きながら短く言葉を放った。
その言葉が意味するところをアベルは一切誤解していない。
「……一応お訊ねしますが、我々だけでやるんですか?」
すでに脳内で少人数による強襲プランを組み立ててはいるものの、アベルはアリシアに向けて覚悟を問う。
人攫いの組織を潰すなりして終わってくれる話ではない――――むしろその可能性の方が高いからだ。
「当然よ。あんなやる気のない連中に任せていたら、それこそ埒があかないわ。それに、せっかく知り合った人が悲しむ顏は見たくないの。そこは貴族も平民も関係ないわ。違うかしら?」
しかし、腰のナイフに優しく触れながら話すアリシアの言葉に迷いの類は見られなかった。
すでにアリシアは溢れんばかりの闘志を翡翠色の瞳に漲らせている。
「いえ、それでこそです」
このぶんなら心配は要らないかなとアベルは思った。
「我ながら難儀なことをしようとしていると思うわ。でも、国も守れない騎士団――――いいえ、王都も守れない警邏に存在意義なんてないとまでは言わないけれど、少しの面子くらいは潰してあげた方が彼らのためにもなるんじゃないかしら」
「たとえ、それで虎の尾を踏むことになっても?」
「
言葉だけを聞けばやけっぱちになったようにも思えるが、アリシアの顔に浮かんだ表情は実に落ち着きをはらったものであった。
「ほら、物語とかでもいるでしょう? なにをするにも色々なことに巻き込まれる薄幸の美少女。たまたまそれがわたしだったってだけよ」
「いや、トラブルメーカーなのは頷きますけど、自分で美少女と言うものではないでしょう」
「もう! 冗談を真面目に受け取らないでよ!」
最後の最後で台無しになってしまった。
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