第27話 染められちゃったのわたし♡
結局、あの後アベルに昏倒させた男たちを縛りあげさせ、ついでに見張り役までしてもらいつつ、アリシアは少女を店へと送り届けて行った。
そこから何事かと面食らった様子のスレヴィに状況を説明し、血相を変えた彼に警邏へ連絡をしてもらったのだ。
「な、なぜ、アルスメラルダ公爵家のご令嬢があのような場所に……」
そして、今アリシアの目の前では縮こまった様子の巡邏が額から滝のような冷や汗を流していた。
最初こそドワーフが警邏の詰所に駆け込んだものだから対応もぞんざいだったようだが、のんびりとした動きで事情を聞きに来た巡邏の者に、辟易としたアリシアが家紋入りの指輪を見せたところで反応は劇的に変わった。
さらに、ダメ押しと言わんばかりに人攫いの連中を見張るアベルがエルディンガー伯爵家の家紋まで見せたものだから、巡邏の対応は一気に上級貴族向けのものとなった。
慌てた巡邏は当社比三倍速で応援を呼びにすっ飛んで行き、人攫いの男三人は早々にアベルから手綱を渡された若い巡邏に
正直、そんな反応になるとは思っていた。
最初の胡乱げな態度から、今のガチガチに変わったそれまでを含めて。
浮かびそうになる呆れ顔を懸命に押し止めて、アリシアは聴取に応対する。
「ちょっとお忍びの用事がありましたの……」
要らぬ詮索を招かぬよう、腰のナイフは前もってアベルに預けてある。
「お忍びですか……?」
このような場所に? とでも続けたそうな表情が巡邏の顔に浮かんでいた。
だが、それを実際口に出したりしない程度の賢明さは彼も持ち合わせていたらしい。
「ええ、そうですわ。そこであのような事件に巻き込まれてしまいまして……」
下級とはいえ貴族たる騎士が出てきているわけでもないし、この程度の回答をするだけでも十分だろう。
いくら勤務態度に多々問題がありそうな人間だとはいえ、この巡邏も機嫌を損ねたらマズい相手に対して余計な詮索をしてくるような愚は犯すまい。
この手の人間は、自分の地位を守るための行為だけには驚くほど有能に働くものだ。
「ところで……責任者の騎士の方はいらっしゃらないのかしら?」
部屋の中に自分たち以外の人間がいるわけでもないのだが、敢えて周囲を見渡しながら言葉を発してみせるアリシア。
その言葉に、巡邏の顔が思い切り引きつった。
「えー、あー、その……。責任者は、本日は所用で詰め所には来る予定がなくてですね……」
――――逃げたな。
アリシアは直感でそう思った。
いくら公爵家の令嬢とはいえ、上級貴族の身内に堂々と苦言を呈することのできる貴族など、それなりに高位の貴族であってもまずいない。
それゆえに高位貴族の身内には道を踏み外してしまう者が時折出てくるのだろうが、少なくとも“あの婚約破棄騒動”で自分がそうはならずに済んだことをひとまず喜んでおくことにした。
もちろん、だからといって騎士が逃げたことに違いはないのだが。
「……そうですか。いずれにせよ、今回の件は父の耳に入れなければいけませんわね」
わずかな間を置いて、アリシアはにこやかな笑みを浮かべる。
その笑みが意味することを勝手に想像してしまったのか、巡邏の顔色はこの時点で青白くなりかけていた。
失礼な、とアリシアは思う。
本気でやるつもりなら、責任者の名前を聞き出した上で公爵家経由で正式に警邏を統括する部署に苦情を入れるに決まっている。
おそらく、翌日には責任者が更迭されているはずだ。
「こ、今回の件はしっかりと捜査を行わせていただきますので。なにとぞご寛大な処置を……」
やめてください死んでしまいます。そんな心の叫びがアリシアには見えた。
恐縮しきった様子で回答する巡邏だが、その言葉の中身としてはなにも言っていないようなものであった。
「どうかしらねぇ……」
「え、なにか……?」
「いえ、なんでもありませんわ」
終始形式ばかりの対応しか出てこず、思わず呆れてひとりでに声が出てしまったアリシアだったが、ここでも持っていた貴族スキルによりスマイルひとつでなんでもなかったことにしてしまう。
どうにも対応に釈然とはしないが、とりあえず今はか弱い被害者を演じておくべきだろう。
ここで多少高圧的な姿勢を見せたところで、下っ端が相手ではさしたる効果を発揮することはないのだから。
緊張のあまり、しどろもどろになっている巡邏の言葉を、もはやどうでもいいと判断したアリシアの思考は、いつしか虚空をさまようようになっていた。
仮に先ほど捕らえた者たちの取り調べをきちんと行ったとしても、よほどの裏がなければ人攫いと公爵家の令嬢とではどちらの話を信じるかは明白だ。
べつにアリシア自身が悪事を働いたというわけではないのだが、貴族令嬢が悪漢を蹴りの一撃で昏倒させたというのはあまり外聞が良くない気がする。
それが広まってしまうくらいなら、まだ人攫いの組織を壊滅させたくらいの
この時点で、確実にアリシアの思考の方向性は、夏期休暇以前のそれと比べて大きく変わってしまっているのだが、あいにくとその軌道修正ができる人間は誰もいなかった。
彼女のよき理解者にして肉親である父も母も現在王都にはいなかったし、ラウラはアリシア自身が望むように振る舞うことを望んでいた。
それ以前に、もっとも近い位置にいるはずの従者であるアベルに至っては、むしろ
ある意味では、彼女を止められる存在はこの時点で存在しなかったとさえ言えた。
すでになにやら巻き起こしつつある気もするが、彼女が踏み入れつつある流れを考えればその程度で収まるはずもなかった。
あるいは――――とっくの昔にアリシアは“
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